第二章 その7「水面下の戦い」
キムポ空港とインチョン空港、またプサンの国際港では、民間機や船舶の離発着ならびに出航が制限され始め、韓国軍が展開を開始していた。装甲車や対空砲が配備され、厳重な警備態勢が敷かれ、出国のために押し寄せていた日本人や外国人が出国できない状態に陥った。さらにソウル市内では、避難する大量の市民が道路に溢れパニック状態となり、帰国を急ぐ日本人を乗せたバスの運行が不可能となった。
この事態の中、外務省は韓国政府に自衛隊の入国同意を取り付けていた。米国の圧力によって最終的に韓国側が折れ、領空と領海の通過と入港の許可、領土への着陸の同意を得たが、「邦人の陸上誘導輸送」については合意に至らなかった。
現状では、韓国が治安維持と警察権を持っている。そもそも、武装した日本の軍隊が走り回るなど韓国側からは受け入れ難く、拒絶されたのだった。
さらに韓国側から突きつけられた計画遂行のための条件は厳しいものだった。
事態は、極度に緊迫している。北朝鮮が軍事行動を起こせば、韓国軍の戦闘機等の運用が即座に優先されるためだ。
作戦遂行は非常に困難を極めることが予想されたが、韓国側の合意を得て、引き続いて開催された閣議において、防衛省が提示した対処基本方針が承認されたことを受け、高嶋内閣総理大臣から須藤防衛大臣に対し、作戦開始が命じられた。
須藤は直ちに、統合任務部隊(Joint Task Force)指揮官の桜川陸上総隊司令官に、在韓邦人等救出実施命令を下した。
統合任務部隊は、すでに準備を進めていた。陸上自衛隊からは中央即応連隊を基幹とし、第1空挺団の第3普通科大隊、水陸機動団の第1、第2水陸機動連隊、そして第1ヘリコプター団や第12旅団、西部方面航空隊のヘリコプター部隊。海上自衛隊からはヘリコプター搭載護衛艦《ひゅうが》、《いずも》、おおすみ型輸送艦《おおすみ》、《しもきた》、《くにさき》。航空自衛隊はC-2輸送機、C-130輸送機、さらに政府専用機等が統合任務部隊の指揮下に置かれる。
統合任務部隊は閣議決定を受け、現地情勢の情報収集と輸送に関わる韓国側との調整のため、キムポ、インチョンとチェジュ島の各空港、さらにプサン港等へ先遣指揮隊を派遣。第12旅団の第12ヘリコプター隊及びその支援に当たる第30普通科連隊と第13普通科連隊は、長崎県対馬へ前進を開始。目的地派遣群本隊も半島への迅速な展開に備え、航空自衛隊築城基地へと集結した。
先遣指揮隊が派遣される中でも日韓の間で、ギリギリの折衝が行われた。
そんな最中、日本の原発や在日米軍施設が北朝鮮の破壊工作員と思われる武装集団によって襲撃を受けた。さらに日本の領海に北朝鮮の潜水艦が迫っている。
日本はかつてない困難に立ち向かわねばならなかった。
潜水艦《うんりゅう》は、日本海を南下する北朝鮮の潜水艦を追尾していた。
「的面舵変針、的深85、速度変わらず。間もなく領海に入ります」
水測員の報告を艦長の氷室2佐は聞きながら、副長の松浦3佐に向き直った。
「命令は再度確認したんだろうな?」
「はい。自衛艦隊に問い合わせましたが、間違いありません」
《うんりゅう》は三十分ほど前に潜望鏡深度に浮上して衛星通信で自衛艦隊司令部からの命令を受領していた。その命令の内容が重大なために氷室は再確認を指示していた。氷室は、松浦の迷いない言葉を聞くと口を堅く結んで一瞬考え込んだ。
「……分かった。全艦放送を」
氷室は天井から下がったマイクを取ると全艦放送で呼び掛けた。
「全艦に告ぐ。《うんりゅう》を含む潜水艦隊はこれより北朝鮮軍と交戦する。知っての通りすでに日本国内数ヵ所で破壊工作が行われ、死傷者が出ている。我々が反撃の嚆矢となることを自覚し、各員がその義務を尽くすことを期待する。魚雷戦用意」
「魚雷戦用意!」
号令が下されると、発令所の乗員達はにわかに慌ただしく、かつ静かに動いた。
「魚雷戦。目標S22、S23、S24。針路248。一番から三番、魚雷発射管開け」
「一番から三番、魚雷発射管開け」
氷室の命令が速やかに復唱される。
「発令所、発射管室。一番から三番発射管、魚雷発射用意よし」
「針路248度、宜候」
すでに《うんりゅう》の発射管には89式魚雷が装填されていた。目標のロメオ級潜水艦のデータが入力され、水深に合わせて調定され、発射を待っている。
「距離3100。命中まで100秒」
「一番から三番、発射」
「一番から三番、発射」
魚雷発射管から圧縮空気によって89式魚雷が打ち出され、89式魚雷は自身の推進機関によって推進を開始する。魚雷はワイヤーによって有線誘導され、目標に55ノット以上の雷速で海中を疾走した。
「一番から三番、発射されました。正常に航行中」
「命中まで90秒」
乗員達は固唾を呑んで命中を待った。ロメオ級が反撃してくる可能性は低いが、すでに対抗手段も準備されている。
「一番から三番、パッシブで目標捕捉」
どの魚雷も魚雷自体のパッシブソナーで目標を捕捉していた。有線誘導を切ることも可能だったが、氷室は有線誘導を継続した。
松浦が発令所のスピーカーにソーナーの音を流す。海中を疾走する三発の魚雷の不気味な音が発令所に流れる。
「命中まで5秒。……3、2、1……」
数瞬遅れて爆発音が《うんりゅう》に届いた。爆発音と共に不吉な金属が潰れていく音が続く。
「水中爆発音及び艦体破壊音を確認。魚雷命中しました」
発令所の乗員達は歓声も上げることなく、ソーナーの音に耳を傾けていた。ロメオ級三隻の計百五十名近い北朝鮮海軍の潜水艦乗員達の命が、日本海に散った音は何時までも発令所のスピーカーに響き続けていた。勝利の実感とは乏しい、空虚な空気が残った。




