夕方の街
春奈と光希のお話です。
始業式から1週間。
春奈は学校生活を送りながら密かに光希の様子を見ていた。
彼はいつも1人で過ごしているようだった。
1人で学校へ行き、1人でご飯を食べ、1人で帰っている。
誰と仲良くすることもなく、話しかけられても長く会話が続いているのを見たことはなかった。
帰りのHRが終わり、多くの生徒がざわつきながら教室を出ていく。彼も教室を出ていった。
春奈も教室を出て彼が行った方向を見ると、彼の後ろ背中を見えた。やはり1人で帰るようだ。
1人が好きなのかな…
「はーるなッ」
バッと誰かが後ろから抱きついてきたので驚いて振り向くと優里がにこにこしながら立っていた。今日は週に一度の彼女の部活動休みなので、一緒に帰るのだ。
「あ、優里、お疲れ様!帰ろっか。」
「うん、帰ろっ!てか、また見てるの?蒲田君だっけ?ふーん…やっぱり気になる感じ?」
優里がからかうように言い、光希の方を見る。
「んーそういうんじゃないんだけど、なんか自然と目がいっちゃって…いつも1人でいるけど寂しくないのかなって。人見知りなのかな…」
なぜだろう。自分でもなんでこんなに気になるのか分からない。
彼以外の誰かが1人だろうと今まで気にしたことなどなかったのに。
「はいはい。それは分かってるって。私には普通に1人が好きな人みたいに見えるけど。そんなに気になるなら話しかけてみれば?」
「えっ…それはちょっと…。男子が話しかけてもあんまり会話続かないみたいなのに、女子の私が話しかけても気まずくなるだけな気が…。」
「もう、焦れったいなぁ。」
「まぁ、また機会があれば、ね?とりあえず今日は一緒帰ろ?」
若干不満そうな顔をする優里をなだめ、春奈は昇降口に行った。
ロッカーから靴を取り出して履いていると、春奈の知らない女子生徒が優里を呼ぶ声が聞こえた。
「優里!いたいた!ごめん、ちょっといい?」
「あ、美希じゃん。どしたの?」
「それがさ…」
どうやら優里と同じ部活動の生徒のようだった。話の内容も部活動のことらしい。
2人が話しているのを部外者が聞くのもどうかと思い、春奈はとりあえず靴を履き終えて少し離れた所で待っていた。
少しすると優里が春奈のところに申し訳なさそうに歩いてきた。
「ごめん、春奈。急遽ミーティングすることになっちゃって、一緒帰れないわ。」
「あ、そっか。いいのいいの。ミーティング頑張って。」
「ごめんね。待たせちゃったのに。」
「ううん、また明日ね。」
少し残念だったが、こればかりはしょうがない。春奈は1人で学校を出た。
歩きながらやっぱり1人は寂しいなぁと思う。いつも優里の部活がある日は1人で寂しく帰っているのだが、今日は一緒に帰るつもりになっていた分だけ寂しさが増すような気がした。
優里とクラスが別になってから、週に一度優里と一緒に帰るときに、1週間にあったいろんな話をするのが春奈の楽しみだった。
ま、いいか、来週まとめて話そう。
そう思いながら春奈は坂を登っていく。
春奈の家は坂の上にあって、帰りはなかなかの傾斜を登りながら帰らなければならない。
坂を登り終え、平らな場所に着くと春奈はほっと一息ついた。もう慣れた道なのだが、やはり少しは疲れる。
そこには道路脇に小さな広場があり、展望台のようになっている。奥の手すりの向こうは崖になっていて、傍にベンチが置いてあるのだが、そこから街が広く見渡せるようになっている。
いつもは誰も座っておらず、ただ通り過ぎるだけなのだが…
今日は誰か座っている。
その人物のシルエットに見覚えがあった春奈は一瞬固まり、ごくりと唾を飲み込んでそっとその人物に近づいて行った。
その人物はベンチに座り、こちらに背中を向けているのだが、後ろ姿で誰だか春奈には分かった。
近づくと彼が景色を見るだけでなく、時折俯いて手を動かしているのが分かった。
何か、書いてる…?
なぜだかそれが何か春奈には分かった気がした。
彼のすぐ後ろに立ち、そっと彼の頭の横から覗き込む。
彼は絵を描いていた。
やっぱりと思う気持ちに微かな疑問を抱きながらも、その絵のあまりの美しさに思わず口が開いてしまった。
彼の持っていた画用紙には、目の前の街の風景が細かく描きこまれているだけでなく、光と色の表現で実際に見えている景色よりもずっと美しい景色が描かれていた。
「わぁ、すごく綺麗…」
思わず出た春奈の呟きに、彼の背中はびくっと跳ね上がり素早く振り向いて春奈を見た。
「き、君は…」
やはり光希だった。かなり動揺している様子だ。あわてて絵を自身の背中に隠して春奈に見えないようにした。
「ご、ごめん!驚かせちゃった!ちょっと声をかけようと思ってたんだけど引けっちゃって…」
「何か用?」
光希は春奈から目をそらし、ぶっきらぼうに聞く。
まさかこんな形で声をかけようとは思っていなかったので、春奈も動揺している。
なんと話を続けたらいいのだろう。
「その…ウチのクラスに転校してきた蒲田君…だよね?私、同じクラスの平島春奈って言います。えっと、その…絵、描いてるんだ?」
「そうだけど、それが何か?」
なんだか冷たい反応だ。邪魔をしたから怒らせてしまったのだろうか。何か言わなければ。
「あの、その、すっごく素敵な絵だね。私、ここから何度もこの街の景色見てるけど、蒲田君の描いた絵の方がずっと綺麗で見とれちゃった。いつから描いてるの?」
「…1週間くらい前から。」
まだ目をそらしたままだが、ちゃんと質問には答えてくれた。
まだ、もう少し、この人と話したい。春奈は勇気を振り絞った。
「その…見ても…いいかな…?」
「…」
彼は無言で春奈を見つめた。
決してにこやかとは言えない表情で、まだ春奈のことを不審に思っている様子だが、そんな顔も春奈にとってはなぜか懐かしい感じがした。
「…いいけど、あんまり上手くはないよ。」
彼は少しため息混じりにそう言って大きなバインダーに挟んだ絵を春奈に差し出した。
「ありがとう!」
春奈はぱぁっと明るい表情になり、絵を手に取った。
やはり素敵な作品だ。美しいだけじゃなくて、繊細で、そしてやはりどこか懐かしい…これは自分が住んでいる街だからそう思うのだろうか?
「すごく、いい絵だね。」
「…ありがと。」
光希がぼそっと少し照れくさそうに言ったのが意外で、さっきまでビクビクしていたのに、なんだか拍子抜けしてしまった。
「いつもこのくらいの時間に描いてるの?」
「だいたい朝か夕方か…気が向いた時に描いてる。」
「そっか、私毎日ここ通ってるのに全然気が付かなかったなぁ。」
「確かにこの時間帯に描くのは初めてかも…今日仕上げたくて…俺の家すぐ近くだから学校から帰ってすぐ来たんだ。」
「え、そうなの?私もここ近所だよ!ご近所さんだったんだぁ。ここの坂登るのきつくなかった?」
「…うん…」
彼が俯いて黙り込むのを見て、春奈はあ、しまった、と思った。
「ご、ごめん!いきなり喋ってばっかで。絵を描くのも邪魔しちゃって…」
彼は俯いているため、長めの前髪が目にかかって、表情がよく読み取れない。
よく見ると、少し震えているような…
「お、怒ってる…?」
びくびくしながら春奈が問うと、彼がぷふーっと吹き出した。
彼は口に手を当てて笑い出した。
「え、え、なんで笑ってるの?」
予想外の彼の反応に春奈は動揺する。
ふふ、と笑いながら光希が春奈を見た。
始業式に見た覇気のない瞳とは違う、キラキラとした瞳だった。
「いや、平島さんが…すごいコロコロ表情が変わるからさ…分かりやすくて…なんか、おかしくて…」
「な…」
なんだか顔が赤くなる。予想外に笑われた恥ずかしさと、目の前の彼が笑ってくれる嬉しさで。
「ふふ…ごめん、笑うつもりはなかったんだけど…」
「ひ、ひどいよ〜、こっちは蒲田君が怒ってるのかなってドキドキしてたのに…」
怒ってないことが分かって、春奈はほっとした。
「ごめん、俺も誰かに話しかけられるとは思わなくてびっくりしたから…その、上手い言葉が出てこなくて…冷たい言い方しちゃったね。」
なんだ、普通に喋れるんじゃん。と春奈は思った。普段は学校で誰かとあまり長く話してるのを見ないから、人見知りなのかと思っていたが。
もう少し、お話してもいいだろうか。
もっと彼と話したい。
「ううん、怒ってないならほっとした。えーと、その…隣、座ってもいいかな?」
「うん、いいよ。」
彼は少し横にズレて、春奈が座れる分のスペースを空けた。
「ありがとう。今日で終わりそうなの?」
「うん、もう少し。」
「私この後暇だからさ、横で見ててもいい?黙ってるから。」
「いいよ。ほんとにすぐ終わるけど。」
そう言って、彼は筆を取り、細かく色をつけていく。どうやら建物に影をつけているようだ。
春奈が黙って見ていると、5分ほどで光希は絵を完成させた。
「できた。」
「おお、お疲れ様。」
「うん、昨日までにほとんど出来上がってたし、今日は細部を描くだけだったから。」
「もう1回見てもいい?」
「どうぞ。」
春奈はバインダーを手に取り、もう一度絵を眺める。先ほどとあまり変わらないが、よく見ると光や影など細かい部分が付け加えられていて、より一層クオリティの高い絵になったように感じた。
「絵、上手いね。綺麗…」
「…ありがとう。」
光希は少し照れくさそうだ。
「本物よりずっと綺麗だよ。夕方の景色なんだね。」
「うん、ここは夕方の景色の方が綺麗だなって思って。」
そう言って彼は夕焼けに染まる街の方を見た。向かい風が吹いて、彼の前髪がなびき顔が顕になる。
爽やかな笑顔だった。
彼が学校でこんな風に笑っているのを春奈は見たことがない。
「絵…好きなんだね。」
「うん、そうだね。絵を描いてる時はそれ以外何も考えなくていいから…その、安らぐっていうか…」
彼の顔に少し影が指す。
考えたくないことがあるのだろうか。
「そっか、ここの景色描き終わったってことは、もうここには来ないの?」
「…分かんない。でも俺、ここの景色好きなんだ。なんだか懐かしい感じがして…」
「懐かしい?前にここに住んでたの?」
「ううん、ここに来たのは今回が初めて。なんでだろうね。ずいぶん昔に見たことがあるような気がするんだ。初めてなのに。」
「…ちょっと分かるかも。」
光希が驚いた顔で春奈を見る。
春奈はなんだか光希と目を合わせるのが照れくさくて、思わず目をそらし、街に目をやった。
「その、私、ここにずっと住んでるから、懐かしいとか、そんなのないはずなんだけど…なんだろうずっと昔に見たような…ごめん、変なこと言ってるね。」
「ううん、俺もそう思うし。なんだろ、この気持ち。…そう、何かを思い出しそうな…」
思い出しそう。
その言葉がなぜだか心に響き、思わず光希の方を見る。
目を合わせる恥ずかしさと嬉しさで春奈は顔が熱くなるのを感じた。
聞かなきゃ。
「あのさ、ずっと気になってたんだけど…」
光希の瞳が夕日でキラキラと光っている。
その光はずっと前にどこかで見た気がした。
「…私達、ずっと前に会ったことある?」
お読みいただきありがとうございます。
やっぱり書くのって難しい…