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あ、思いだしたら、やっぱり腹が立ってきた。
「……やっぱり、ただの友達じゃなかったのね」
ほんとはそんなこと思ってなかったけど、これは当てこすりだ、嫌味だ、意地悪ぐらいしたい。
「違うし!! サラにふられて、なんっつーか、流れで……。浮気はしてない!! ほんとに、ほんとにしてなかったから!! あの時、ほんとサラだけだったし……」
思いのほか必死で否定してくれて、上目遣いで様子をうかがってくる姿に、溜飲が下がる。
ごめんね、意地悪して。でもちゃんと否定してくれたのがなんだか、すごくうれしい。
「私も、許容することが出来れば、よかったよね。あの時は不安でいっぱいだったけど、アキラが浮気してるとは、思ってなかったよ。でも、いつかとられるんじゃないかとは思ってた」
アキラはほんとにあの子のことは友達としてしか見てなかったから、私がどーんと構えて、「そんなに必死になってるのに、相手されなくてかわいそうね」ぐらいの余裕を見せて、悔しがらせるだけの度量があればよかった。
私の性格だと、無理だったけど。たぶんそれは今でも無理だろう。
だから、ほんとは、これに関してはアキラが悪いと思ってるけど、でもあの時のアキラの気持ちを考えれば、友達関係まで制限されたら辛かっただろうと思う気持ちも、確かにあった。
「……許容なんて、する必要なかった。あれはほんとにサラの言うとおりだった。サラを不安にさせてるって分かってたのに意固地になってた俺が悪い」
私の言葉に落ち込んだかと思えば、ひどく苦々しい声で言いにくそうに続けた。
「それにさ、あの後、あいつと付き合ったって言ったろ。そしたら、あの女言うことが全然真逆になってんの。俺が他の女友達と出かけたら「なんで他の女と出かけてるんだー!」だってさ。お前がサラに言ったんじゃねぇかよ。女友達と二人で出かけるのは普通だって……って。あの女あんな事言ってたくせに、本心は彼女じゃねぇ女と出かけるのはナシだったんだなって、あれではじめて分かった」
ほんと、俺、バカだよな、とアキラが乾いた笑いをこぼす。
「真面目だからとかチャラいからとかの差じゃなかったんだって。……あの時、サラの言葉をちゃんと聞けなくて、ほんとごめん」
あの頃、「私が同じ事したら嫌じゃないの?」って聞いたことがあった。アキラもその事を覚えていたのだろう。その時のアキラの答えにすごくもやもやした気持ちが残っていた。アキラの言い分はこうだ。「嫌に決まってるだろ! でも、俺とサラとは違うじゃん。俺にとって女だからって、ダチはダチだろ。でも、サラは「男と二人で出かける」ってこと自体、特別に思ってるわけでさ。二人きりになる意味が全然違うじゃん。何にも思ってないヤツがやるのと、それはダメだって思ってるヤツがやるのとじゃ、全然違ぇと思うし」とか何とか言われて、そういう問題じゃないと思いつつ、でも、確かにアキラにとってと私にとってじゃ意味が違うし……と悩まされて、まともに言い返せなかったのが、かなり引っかかっていた。結局それが別れる決定打になったから、余計に恨んでいたと言ってもいい。
でも、それももう過去のことだ。それにアキラはそれを自分の間違いだと受け入れてくれた。ならそれは、彼が間違いを知るために経ていくべき道だったんだろう。そういう失敗の繰り返しが、経験なんだと、もう私は、知っている。
アキラは分かってくれた。後悔してくれた。謝ってくれた。だから、もう良い。
アキラの頭のてっぺんが見える。
私は、意識的に軽い口調で笑った。
「ほんとにね。あれは、ほんとにむかついてたから、謝ってもらえて、すっきりした」
だから、もう良いよ。謝ってくれて、ありがとう。私の辛い気持ち、分かってくれてありがとう。
情けない顔のアキラと、目が合う。
「……分かってたけど、俺、サラには謝ることしかなくって、ほんと辛い」
「私はそう言ってもらえて、すっごく溜飲が下がってるよ。今日のご飯は、めっちゃおいしいね。おごりだしね」
「俺は謝ることしかなくて味がしないけど、サラが目の前にいるからすげぇ旨い気もする……口ん中、未知の世界だよ……」
顔見合わせて笑うと、胸に残っていたわだかまりが、全部消えていくような気がした。
過去のことだった。でも傷と言うほどでもないけど、時折疼く抜けない棘が確かにあって、それは時折私に過去の痛みを思い出させた。でも、きっと、これでもう、あの頃のことは、良い思い出に出来る。そう思った。
話ながら、ゆっくり、ゆっくりと食べ進めていた食事は、そろそろ完食となる。
飲み物を注文してからは何でもない近況へと話は移った。私はこの近辺で働いていて、彼は資格を取ったのを機に、この近くの支店に異動してくるのだと言った。
そしたら、また偶然会えるかもな、なんて頭の片隅で計算する。
わだかまりが解けての会話は、楽しいばかりだった。昔から、アキラと一緒にいる時間は楽しくて、居心地よくって……名残惜しい。
食後のコーヒーを飲みながら、この再会もそろそろ終わるのを感じ始める。
それを、残念だと、寂しいと感じている自分に気付き、心の中で溜息をつく。
本当に好きだった。何もかも違う二人だったけど、一緒にいると楽しかった。価値観が違うところはいっぱいあったけど、本当の本当に大切なところはとても似ていて、気が合う、とでも言うのだろうか、居心地がよくて、安心できた。
アキラの笑顔が好きだった。楽しそうできらきらしていて、「サラ」と名前を呼ばれるだけで、そのきらきらした世界の中に入って行けた気がして、ドキドキして、幸せで。優しくて、大切にしてくれて、本当に好きだった。
大丈夫、今度は苦しいさよならじゃない。だって、やっと幸せな思い出に出来るんだから。
きらきらと輝いてた、私の初恋を。
うれしくて、ほっとして、それから再び訪れる別れが、寂しかった。
まもなく、コーヒーがなくなる。時計を見れば、もう九時を過ぎていた。
名残惜しさと、心地よい沈黙が訪れた。それを破ったのはアキラだった。
「あのさ、サラは、続くはずがなかったって言うけどさ、……俺は、サラと別れる原因なった全部に、後悔しかねぇよ……。続くはずはなかったかもしれねぇけど、それでもほんとはずっと一緒にいたかった」
「……うん」
私を見つめてくるアキラの目は真剣で、そしてひどく緊張しているように見えた。
「俺さ、あの時は無理だったけど、今は、少しは成長したと思う。サラが大切にしてた価値観の差ってヤツ? あれも、今はもっと、サラのに近くなってると思う。今の俺は、あの頃言ってたサラの心配の意味が分かる。十年近く前の女子高校生の考えに追いついたぐらいで何言ってんだって思うかもしれねぇけど、でも今の俺は、あの頃よりサラを大切に出来ると思う。……好きかって言われると、それは、ちょっと違うかもしれない。懐かしいだけかも知んねぇし、一緒にいるのやっぱり楽しいってだけかもしんねぇし。十年ぶりに会ったからって、ずっと好きだったとかそんなムシの良いことは言えねぇけど、でもやっぱり、俺にとってサラは、特別なんだと思う」
言葉が途切れた。私は、なんと言えば良いんだろう。私も特別だよって? そうだ、その通りだ。好きとか、再会して数時間程度でそんなのは私にだって分からない。でもアキラはずっと私の特別だ。
私も、と口を開きかけた時、それを遮るようにアキラが言った。
「……また会いたい」
うれしくて、胸が苦しくなった。頷くことしか出来なかった私に、アキラが言葉を重ねてゆく。ゆっくりと私の胸の中に染み渡るように。
「これで終わりにしたくない。サラと一緒にいたい。……付き合ってくれたらうれしいけど、そこまでは言わねぇから、だから、サラ……」
……ねえ、覚えてる? 私たちが初めて出会った時のこと。
あの時も私は、怖くて次を求めることをしないで「これで終わり」「仕方がない」なんて偶然の出会いを一回で終わらせようとした。でも、逃げた私をアキラが見つけてくれて、「次」に繋いでくれた。
そうやって、私が足踏みして諦めちゃうことを、アキラは自分から手を伸ばして次へつなげていくんだよね。そういうところ、ずっと憧れてたよ。ずっと、そういう所が好きだったよ。
また、あなたはそうやって、私に機会をくれるんだね。
今胸に沸き上がる感情は、あの頃の恋の残り火だ。大人になったこの人への恋心とはきっと違う。でも、私も、本当は、私も……。
「あり、がとう。うれしい。私も、また、アキラと会いたい」
「……っしゃぁ!!」
両手拳を握って、くしゃっとした満面の笑顔をアキラが浮かべる。二十七才にしてはずいぶんと幼すぎる表情が、でも、それが懐かしくてうれしい。
もう一度、一緒に歩けるかな。
私たちは、次の約束とかわしてゆく。
新しい連絡先が互いのスマホにおさまって、うれしくて自然と口元がほころびる。
「なんか、すげぇうれしい」
そう言ってアキラが笑う。
「わたしも」
私もうれしい。もう終わったと思っていた。重なることはないと思っていた。
でも今なら、今の私たちなら、きっと。
もう一度、二人で、出会いからはじめよう。




