[第2章]第1話 出撃
ドアが開かれる音で正は目を覚ました。今までずっと眠っていたようだ。外はだいぶ暗い。温泉に向かう道中は光で溢れていた街並みも、今は黒一色に染まっている。
正は街の宿屋にいた。浴場でユーミンに重たい一撃をもらってからの記憶がないが、ベッドの上で寝かされているところを見ると誰かがここまで運んできてくれたのだろう。
「気分はどうですか?」
今しがた部屋に足を踏み入れたソフィアは、ベッドのすぐ近くにある椅子に腰を下ろした。
問題ない。魔法使いとは思えないほど強力なパンチだったけど。
「それは仕方ないですよ。全部、セイ様が悪いんですからね」
反省している。後先のことを考えていなかった。
あの時の自分自身を殴ってやりたい気分だった。ついでにルイも。頼りにしたい仲間にまで嫌われてしまったら、その時点で詰みだ。今後は慎重に行動しようと考えさせられた。
「ま、まあセイ様も男の子ですからああいうことに興味があるのは仕方ないとは思うのですが……」
興味はない、と言えば話を更に拗らせそうだったので黙っていた。とにかくその場はひたすら謝ってソフィアの許しを請うた。
「もう、良いですよ。むしろ私は安心しましたから」
安心? 裸を見られたことが?
「セイ様にはデリカシーが無いのですか! 思い出さないようにしていたのに!」
あう、と呻き声を上げながら両手で顔を隠すソフィア。よく見たら耳まで真っ赤だ。
ごめんよ、もう言わない。
「本当ですか? また揶揄ったりしたら怒りますからね?」
それはそれで見てみたい気もするが、やはり黙っておく。そんなことを言えば本当に怒りかねない。話が進まなくなりそうなので、もう余計なことは言わないように口を閉じる。
「安心したというのは、セイ様が人らしい行動をしてくれたからです」
「……………」
「セイ様の世界ではそれが普通なのかもしれませんが、私にとってはなんだか……」
人形みたいに思えた?
「そ、そんなこと……は……」
そう思われても仕方ない。この異世界に来てから今の今まで、正の言動はなんだか人間味に欠けていた。
その場その場で一番適切な言葉を無意識に選び取っていた為、人間と会話しているというよりロボットと話をしているように感じたかもしれない。
たまに発する言葉だけが辛うじて人間臭さが残っていた。
「嬉しかったのです。セイ様にもそういう感情があるんだなって」
心の底から嬉しそうな表情を浮かべてくれるソフィアに対して、正は申し訳なく思っていた。
女湯を覗く、という行為に感情はなかった。ただ、後々勇者として活動していく中で必要だと判断したから行動を起こしたまで。
だが、必要以上の事を話す必要はない。ソフィア達が正のことを頼りにしてくれて、この街を、この世界を救うと信じてくれたらそれでいい。
己の事情なんて、些細なことだ。
「セイ様……?」
黙りこくっていた正を心配してか、顔を覗き込むソフィア。正は何でもないと首を振った。
この先も、正は弱音を吐くことはないかもしれない。
──願わくば、いつか正に心が戻りますように。
「セイ様、その胸元の……」
ん? ああ、これのこと?
「はい、何かが光っていたように見えたので。素敵なペンダントですね」
正はこくり、と頷いた。首から下げるペンダントの先には金色に光る球体状の何かが二つ付いていた。
昔、ある人から貰ったんだ。
「そう、なんですか」
ソフィアはそれ以上何かを言うことはなかった。話したがらない正に対して、軽々しく踏み込んではいけないと察したのかもしれない。
しばらくの間、部屋の中は無音が続いた。二人はお互い話すこともなく、窓の向こう側を眺めている。
以外にも、話を先に切り出したのは正の方だった。
「安心して。きっとこの世界を救ってみせるから」
しんみりとした空気だったからか、気が利いた事を言わなければいけないとでも思ったのかもしれない。
突然発せられる正の言葉にキョトンとした表情を浮かべるソフィアだが、すぐに笑顔で「はいっ」と答えた。
「信じてます」
正も大概歪だが、ソフィアも何か訳がありそうな気配を感じる。会って間もない人間に、迷いもなく信じると言えるだろうか。
だが、それを聞くことは出来なかった。正と同じで、その先は簡単に足を踏み込んではいけない領域だ。
歪な二人だからこそ、お互いに気を遣い合える。だがそれは、二人は決して相容れない存在だということ。お互いが身の内を明かさない限りは。
「私は部屋に戻りますね。お休みなさい、セイ様」
会話らしい会話もなくなった。ソフィアは腰を上げて部屋を出ようとする。
おやすみ。そう返そうとしたが──。
「グァアアアアアアッ!!」
それをかき消すほどの雄叫びが突如上がった。
その雄叫びを合図に、今まで暗かった街中に光が灯り出す。見るまでもなく、慌ただしい雰囲気だと感じ取れる。
今のは?
「魔獣です。近いですね。私は様子を見てきますので、セイ様はどうかお休みくださ──」
いや、行くよ。皆が何と戦っているのか知る必要がある。
そもそも皆が戦っている最中に呑気に寝てなどいられる筈もない。仮にも正は勇者なのだから。
「……分かりました。では、行きましょう」
正はソフィアに続いて部屋を出た。先ほどまで静寂に包まれていたとは思えないほど、街中が騒がしい。
魔獣と言っていたけど、どんな姿形をしているのだろうか。
「巨大な体躯を持ち、周囲にあるものを乱暴に振り回す単眼の魔獣、サクロスです」
外見を聞いただけでも厄介そうな相手だと思う。どうやってそんな魔獣と渡り合うのだろう。
「リーン様率いる近接部隊がサクロスの注意を引きつけ、その間にユーミン様が魔法発動の準備を進めます。準備が整い次第、ユーミン様がサクロスを一撃で仕留める魔法を放って討伐という流れが通常です」
確実性を取るなら確かに有効な戦法だ。それぞれ得意な分野を活かせている。
心配なのはリーン率いる近接部隊か。巨大な魔獣の攻撃を受けたら無傷では済まないだろう。
誰も傷付くことがないよう、早急に自分一人で戦えるようにならないといけない。
正は静かに決意する。
「着きました」
街全体を覆い囲む外壁のちょうど上。街の外も中も見渡せる眺めの良い場所。今が夜明け前でなければどこまでも広がる外の大地を一望できたかもしれない。
辛うじて見える景色の中にうっすらと巨大な何かがこちらに向かって歩く姿が伺えた。
想像していたよりも大きい。サクロスと呼ばれる魔獣は手近にあった大きな岩を掴み、それを放り投げる。
狙いは、ここではない。街の手前でそれは落ちた。威嚇のつもりかと考えたが、サクロスは執拗にその場所に向かって岩を投げる。
あそこに、何かあるのか?
目を細め注視すると、サクロスが狙った場所に何かがいることが分かった。
4本足の、犬?
「この地域では見かけない種ですね……。魔獣に詳しいわけではないので、名前までは分かりませんが」
サクロスはあの魔獣を追ってここまで来たのだろう。攻撃の手を緩める気配がないところを見ると、執拗に追い回されたのかもしれない。
「……セイ様、あの」
「余計なことは考えんじゃないわよ」
ソフィアの言葉を遮って姿を現したのはユーミンだった。そのすぐ後ろにはリーンの姿もある。
「助けるなんて言わないでよ。襲われていたって、あれは魔獣。私達に害をなさないとは言い切れない」
「そう、ですね……」
人だけでなく魔獣に対しても同様の感情を抱く。助けたい、とソフィアは思っている。そんな彼女の優しさに、正は「同じだ」と言い放つ。
「は? なんか言った、覗き魔変態クソ勇者」
「ゆ、ユーミンっ!」
遠慮など一切ない悪口のオンパレードだった。リーンがユーミンの口を塞ごうとしてくれるが、正は気にしてないと伝える。
女湯に侵入した上に裸を目前で見てしまったのだから、罵倒は甘んじて受け入れるつもりだった。
それについては訂正するつもりはない。正が今言いたいのは、あの襲われている魔獣について。
この場は一旦、預からせてもらえないだろうか。あの魔獣を放っておけない。
「はぁああ!?」
予想外すぎる正の言葉に素っ頓狂な声を上げるユーミン。だが、それはソフィアもリーンも同じだった。口には出していないが、二人とも驚いたような表情を浮かべる。
「馬っっっ鹿じゃないの! アンタに何ができんの? 後ろで石でも投げる気? それなら邪魔になるだけよ!」
「勇者様……?」
今の正は足手まとい。そう言いたいのだろう。それは重々承知している。だから、サクロスとは一人で戦うつもりでいた。
馬鹿正直にそう伝えるとユーミンは怒りを通り越して呆れ果てた表情を浮かべる。
「はぁ……。ソフィア、その男を下がらせなさい。話をするだけ時間の無駄だわ」
20分だけでいい。20分経過したら問答無用で魔法を打ってくれて構わない。
「黙りなさい」
なら10分だけでも。
「うるさい」
……このペタンコが。
「なんだとこの野郎おおお!!」
「お、落ち着いてユーミンっ」
今にも掴みかかろうとするユーミンを必死に抑えるリーン。
「アンタいい加減にしなさいよ! 死なれちゃ困るってことが分からないの!? 仮にも勇者でしょ!」
勇者だから行くんだよ。住人に大事にされながら祀られるだけの存在なら勇者じゃなくてもいい。
「けどあいつは魔獣なのよ!」
このまま見過ごせばあの魔獣は死ぬだろう。救える命を選り好みするならそいつは勇者じゃない。あの魔獣が刃向かった時は責任持って処理をする。
「アンタはまだこの世界での戦い方を知らないじゃない! もし死んだら私達は、また……!」
「──もう辛い想いはさせない。ソフィアもミンミンもリーンもルイも、この街の人は皆 俺が守る。だから絶対に死んだりしない。信じて欲しい」
「何を根拠に……!」
「俺は勇者だから」
「…………っ」
ヒーローたるものどんな場面でも屈してはならない。昔から正が自分自身に言い聞かせていた言葉だ。
勇者だって同じ。皆にとってのヒーローになるなら、絶対に死んではならない。そのためなら必死に足掻いてみせる。
「ユーミン。勇者様に任せてみよう」
意外にもそう切り出したのはリーンだった。リーンもユーミンと同じで正の無茶には反対すると思っていた。
「僕は、勇者様の可能性を信じたい。勇者様に出来ないことなんて無いって」
本当は、正が全ての武器種を扱うと言い出した時も応援したかったらしい。リーンが子供の頃から憧れを抱いた勇者という存在は、決して誰にも負けない最強の男だったから。
「ユーミン様。私からもお願いします。セイ様を信じてもらえませんか?」
リーンの言葉を後押しするようにソフィアが続く。二人からじっと見つめられたユーミンは、「はあ」と重たい溜め息を吐き出す。
「私達は手伝わないわよ」
「またそういうっ……!」
いいんだ、リーン。むしろ見ていて欲しい。勇者として、信頼に足る背中か。
正にそこまで言われては、流石のユーミンも折れざるを得なかったようだ。
「…………分かった、10分だけよ。それから私達が危ないと判断した場合、問答無用で割り込むから。良いわね?」
それで十分だ。ありがとう。
「感謝するなら全部終わってからにしなさい」
「気をつけて、勇者様」
「お帰りをお待ちしております」
三者三様の後押しを受けて、正は戦場に向かう。これが正のデビュー戦になるのだが、不思議と緊張はない。
勇者として、しっかり務めを果たしてこよう。勝算は──ある。
ゆらり、と。前髪の隙間から赤く光る何かが覗いた気がした。