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心の在り処を勇者に問う(休載中)  作者: 春夏秋冬
第1部 異世界転移
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[第1章]第2話 異世界



 食卓には六つの椅子があるが、腰を下ろすのは三人だけだった。学校であったことを楽しそうに話す弓、それを聞いて笑う母、そして黙々と食事を口に運ぶ正の三人。それがいつもの食卓だった。


 早々に食事を終えた正は洗い物を手伝ってから足早に自室へ向かった。明日は小テストがある。確実に高得点を取るために最後の追い込みをやっておきたい。


 体調は悪化する一方だが、勉強をやらずに寝るという選択肢はなかった。


 正は特別頭が良いわけではない。むしろ勉強は苦手な方で、一度授業を受けただけでは内容を完全に把握することができない。日々努力を重ね、1日たりとも休むことなく、そこまでしてようやく人並み以上の成績を出せる。


 たが反対に運動神経だけは昔から良かった。人を救う父の背中に憧れ、年柄年中(ねんがらねんちゅう)身体を動かしてきたからだろうか、大抵の運動は人並み以上に出来る。

 文武両道を極めたい正としては勉学はもとより、運動ですらも日々欠かさず努力を続ける必要があった。


 そうまでして努力を重ね続けるのには理由がある。単純な話だ、将来の選択肢を増やしたいと考えているからだ。

 これまで身内に多大な迷惑をかけてきた。父や母を楽にさせるためにも並の企業で収まるわけにはいかない。


 イジメのせいで授業をボイコットせざるを得ない状況が続く点は心配だが、実技やテストの点数さえ良ければいくらでも取り返しがつく。

 明日の小テストの時ぐらいは連中も大人しくしてくれないだろうか、なんて望みが薄い希望を願いながらペンを握った。


 それから数時間が経ち、手のひじが黒くなるほど夢中になっていた時だった。突拍子もなくまたあの強烈な眠気に襲われる。

 この眠気は体調の不調が原因なのだろうか。無理を通して勉強を続けていたせいで更に悪化した気がする。


 もう少しだけ続けたいが、この強烈な眠気に抗うのは厳しい。ペンをその場に置くと正は大人しくベッドに身を預けた。

 柔らかめのマットレスはまるで雲の上で眠っているかのように身体を優しく包んでくれる。眠気も相まってすぐにでも夢の世界へと落ちてしまいそうだった。


 ──不意に、背中にある違和感を感じた。背中にゴツゴツと硬いものが当たっている。とてもじゃないが寝心地がいいとは言えない。

 それと妙なことに、先ほどまであった強烈な眠気が綺麗さっぱり消え去っていた。

 この違和感の連続はきっと身体の不調からくるものではない。正はバッと身体を起こして瞼を開ける。

 目前には見たこともない広大な大地が地平線の向こうまで続いていた。

 あり得ない光景を目の当たりにして、正は瞬きを繰り返すことしか出来ない。


 一旦、落ち着こう。

 今、正は地べたに直接腰を下ろしている。周囲に視線を向けるが草木ばかりで建物の一つも見えやしない。

 この状況から察するに、ここが自室でないことは一目瞭然だが日本であるかどうかも怪しくなった。


 そもそもこれから寝ようとベッドに身を預けたばかりなのに、何故自分はこんなところにいるのか。

 疑問は尽きないが、いつまでも考えていたって仕方がない。とにかく人を探そう。

 その場から立ち上がった正は当てもなく歩き出した。どうせどこを歩いても変わらない。何も見えないのだから。


 歩きながら視線を巡らせるが、見れば見るほど分からないことばかりだった。

 普段見慣れない果実に植物。一面に広がる大自然。草木ばかりでどこへ行っても建造物など一つも見えてこない。


 夢、だと一瞬考えた。あまりにも現実離れしたこの光景は夢だと錯覚させるには十分すぎる。

 だが頰を捻れば痛みはあるし、何より一歩一歩大地を踏みしめる感覚が現実的すぎる。


 もしかしてここは──。

 突飛な考えが一瞬脳裏を過ぎる。可能性は無くはない。だが安易な発想は身を滅ぼすとも言うし、確実にそう(・・)だと分かるまでは保留することにした。


 一時間近くは歩いただろうか。今まで代わり映えしなかった景色がようやく変化した。

 日本のものとはとても思えない中世風の建築物がいくつも連なっている。大きいとは言えないが、立派な街だ。人の姿もちらほらと見える。


 この光景の中で特別異彩を放っているのは、紛れもなく街をぐるりと囲む大きな塀だろう。まるで何かから街を守っているような気配を感じさせる。

 実際、塀に近づいて注視してみると至るところに爪痕や凹みが見受けられた。

 このような光景を目の当たりにしたら、もはや疑いようはないだろう。ここは異世界だ。


 取り敢えず入り口を探そう。考えごとは中に入ってゆっくりやればいい。

 塀に沿って外周をぐるりと回ると、ようやくそれらしき建物が見えた。だが、入り口には数人の門兵が立っている。そう易々とは入れてくれなさそうな雰囲気だ。


「待ちなさい」


 当然ながら門兵から制止を求められる。正は言葉に従ってその場で立ち止まった。


「怪しい格好だな。どこから来た?」


 正は自分の姿を見下ろす。確かに我ながら怪しすぎる格好だ。寝ようと思っていたのだから当然だが、今の正は寝巻きだ。普段着ならば怪しまれない、とも言えないが寝巻きよりかはマシだろう。

 どうしたものかと手をこまねいていると、門の奥から一人の女性が現れた。


「お疲れ様です」


「そ、ソフィア様っ!? どうしてここに?」


 それまで毅然としていた門兵がソフィアと呼ばれる女性の登場により慌てふためく。


「そちらの方は私の連れです。通してもよろしいですか?」


「も、勿論でございます」


 何が何だか分からないまま呆然と立ち尽くしていると、ソフィアは正の腕を掴んで中へ招き入れる。


「唐突でごめんなさい。本当ならお城の中へ召喚するつもりだったのですが。あ、私の言葉は分かりますか?」


 正はこくり、と頷く。


「良かった。異世界からの召喚で一番不安だったのが言語でしたから」


 ソフィアはほっと胸を撫で下ろす。

 今、ソフィアは確かに異世界と言っていた。確信に近い予感はあったが、他人から改めて聞かされると今更ながら異世界にやってきたのだと実感した。


「申し遅れました。私はソフィア、と申します。以後、お見知り置きを」


 朝霧正、とこちらも習って名を述べる。


「セイ様、ですか。良い名ですね」


 屈託なく名前を褒めてくれたソフィアにありがとう、と礼を述べるがその表情は少しだけ曇っていた。

 といっても、顔の半分以上を髪で隠している正の表情など、他者からすれば窺い知れないのだが。


「ここなら良いでしょう」


 ソフィアに連れられるまま街中を歩いていたが、いつの間にかだいぶ人気の無い場所に来てしまった。

 城下町から遠く、城に近い場所。

 だいたいの察しはつく。これから話す内容を他の人間に聞かれたくないのだろう。


「今までの話の流れである程度感づいているかもしれませんが、ここはあなた方の世界とは異なる場所。異世界です」


 異世界。まるで小説のような話だ。現実味はないが、今なら断言できる。ここが異世界だという紛れもない事実(・・・・・・・)を。


「誤解しないでいただきたいのですが、異世界に召喚したと言っても身体は元の世界に残っています。今のセイ様は魂だけの存在。その身体は魂が作り出した仮初めの肉体です」


 作り出された肉体、にしてはよく身体に馴染んでいる。というより馴染み過ぎている。元の世界の身体よりもだいぶ快適だ。

 それを告げるとソフィアは驚いたようなそぶりを見せる。


「本当ですか? 普通なら馴れない身体に最初は誰もが四苦八苦するのですが。ふふ、素晴らしいです」


 そんなことはない、と正は首を振った。

 それより誰もがという言葉が引っかかる。それはつまり正以外にもこの世界に召喚された者がいるということだ。


「おっしゃる通りです。この世界には大小様々な街があり、自身の街を守るために異世界より勇者様を召喚されています」


 国ではなく街単位で?

 それだと勇者と呼ばれる人間はとんでもなく多いのではないか。


「そうですね。すでに我々にとってあなた方の存在は珍しくありません。ですが、それも仕方ないのです」


 ソフィアは顔を曇らせる。

 この街は大きな塀に囲われていた。小さな街に似つかわしくないそれを、設置せざるを得ない理由があるとしたら。その塀でも防衛に不安が残るとしたら。


 勇者を召喚するぐらいだ。この世界は何かしらの危機に見舞われているのではないか。

 そして、恐らくその危機から世界を救うためには勇者一人じゃ足りないのだろう。一人の人間が同時に多くの人間を救うことなど出来ないのだから。


「一つの街に一人の勇者が必要になるぐらい緊迫した状況に陥っているのです、この世界は」


 ソフィアは縋るような視線を正に向ける。世界の危機に勇者として呼ばれたのなら、ソフィアが口にしたい言葉は一つだけだ。


「無理に貴方をこの世界にお呼びしたのです、当然拒否権はあります。断っていただいても構いません。その場合はすぐに元の世界へ魂をお戻しします」


 ソフィアはこちらの意思を尊重する姿勢を見せてくれる。嫌なら断ってくれても構わないと。だが、内心はきっと違う。


 すでに召喚された勇者が何人もいるのは何故だ。同時に呼び出すのではなく、街によって召喚のタイミングが異なるのは何故だ。恐らく、召喚術とやらは気軽に出来るものではない。危機に怯えつつ膨大な時間をかけてようやく召喚にありつけたのだ。


 ここで正が断ってしまえば、この少女はまた苦労するだろう。血の滲むような思いで。

 難しく考える必要はない。要は、困っている人がいてそれを救えるのが自分だけだということ。なら話は簡単だ。


 ソフィアは恐る恐る、それを切り出した。


「どうか、この街を──いえ、この世界を救ってください」


 少女の必死な願い。それに対して正は


「────ああ、いいよ」


 と、即答した。考えるまでもないと言わんばかりに。


 ああ──そういえば。久し振りに自分の意思で声を出した気がする。今までは代わり映えしない毎日の連続で、無難な言葉を無意識のうちに発していた。

 だが、これからは同じ日常の繰り返しとはいくまい。


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