「ウタカタ ノ テンパー」<エンドリア物語外伝67>
「正直に名乗るんだ!ウィル・バーカー」
長い鞭がしなり、石畳を強く叩いた。
オレは何でこうなったんだろうな、と考えていた。
魔法協会に呼び出されたオレとムーは災害対策室のスモールウッドさんに30分ほど説教をされた。説教はおざなりで、立場上叱責した事実を作っておかないといけない的な感じだった。ムーは眠っていて、オレは提出する始末書をせっせと書いていた。
説教が終わると、オレとムーはすぐに魔法協会本部を出た。
魔法協会本部とエンドリア王国のニダウは徒歩だと数ヶ月かかる。大型飛竜に乗せてもらったり、異次元モンスターを呼び出したりして、移動時間の短縮をはかっている。一番楽なのは瞬間転移の力をもつモジャに運んで運んでもらうことだ。モジャには滞在時間の制限があるので、移動を全部お願いするのは無理だが、今回は明日の昼間にモジャが迎えに来てくれることになった。
オレとムーはその間の1日を使用して、魔法協会本部から馬車で3時間ほどの場所にあるテンパー国の建国30周年の祭りを見に行くことにした。
乗り合い馬車があったので、それにのって昼過ぎにテンパー到着。馬車を降りたオレとムーの目には、花で飾られた巨大なアーチが飛び込んできた。
テンパー国は軍事国家だ。国土はニダウ同じくらいの小さな小さな国だ。魔法協会本部のすぐ側の場所でありながら魔術師がほとんどいない。魔力を持たない者達が、自分たちだけの国を作ろうと武力を持ち、魔術師と一線を画する国を作った。それがテンパー国だ。
テンパー国の軍も民も、魔術師と戦えば負けるのはわかっている。テンパー国が魔法武器を山のように揃えても、戦闘魔術師達にかかれば、赤子の手をひねるより簡単だ。だから【魔力がないということで卑屈に生きたくないんです。もちろん、魔術師と対等なんて思っていません。ただ、魔力のない人間が、魔力のあるなしを考えずに、気持ちよく暮らしていきたいんです】という態度を前面に押し出し、自給自足でひっそりと暮らしている。
魔力のあるなしが人生を決める国で生きてきた人々にとっては、理想とまではいかなくても、心安らぐ国ではあるらしい。他国からの移住者は多く、定住率が高い国だとは聞いていた。
「なんか、いいよな。こういうの」
「はいしゅ」
ロラム王国やラルレッツ王国などの大国の金を湯水のように使った祭りとは、全然違う。素朴で牧歌的な祭りだ。
馬車のターミナルに設置された花のアーチを抜けるとメインストリート。道沿いに連なっている小さな店の壁や窓には薬草やドライフラワーが飾られている。あちこちから音楽や笑い声が流れてくる。
「行くか」
「はいしゅ」
屋台で揚げた小麦の菓子と冷たいジュースを買った。2人で食べながら、あちこちを歩いた。ムーが疲れたと言うので、川にかかった橋の下にムーを待たせて、宿を探すことにした。
宿を探して町を歩いたが、宿らしきものが見あたらない。揚げパン売りの人に宿の場所を聞くと、ターミナルの辺りに数件あるという。礼をいってターミナルの方に向かうと馬に乗った軍人が数人、城の方から走ってきた。そして、巨大なアーチの下に一列に並んだ。
「テンパー国にウィル・バーカーとムー・ペトリが入国したという情報がある。これより、茶色の髪と茶色の目の若者と10才前後の白い髪の少年の出国を禁止する。彼らを見つけた者は軍に申し出るように」
オレは踵を返す間もなく、周囲の人々に囲まれた。そして、軍人らしい人物に引き渡された。軍の施設の一室に放り込まれ、1時間ほど待たされた。その間に、茶色の目と髪の若者が次々と放り込まれ、20人ほどになった。
「出ろ!」
いかめしい壮年の軍人が、オレのいる部屋の扉を開けた。ぞろぞろと一列に歩いていくと、外に出た。建物の中庭らしく、周囲を建物に囲まれている。その中心、石畳で敷き詰められた平らなところに一列に並ばされた。周りを軍人が並んで取り囲んだ。
「私の名はデズモンド・ロッシ。テンパー国国軍准将だ」
「ウィル・バーカーだな?」
ロッシ准将が聞いた。
並んでいる若者から、一斉に文句が出た。
「違うに決まっているだろ!」
「どうやったら、オレがウィルになるんだょ」
「あのような貧乏人と一緒にされるとは迷惑千万」
「極悪コンビのウィルのことか?」
「彼女と一緒だったんだぞ!これで振られたら責任とれるのかよ!」
ロッシ准将が右手の持った長い鞭で、石畳を叩いた。
ビシッという鋭い音に、全員が黙った。
「正直に名乗るんだ!ウィル・バーカー」
小柄な男が、恐る恐る手を挙げた。
「お前がウィル・バーカーか!」
「いえ……その、ウィル・バーカーを探しているようですが、その……もしかして、桃海亭のウィル・バーカーがこの中にいるのですか?」
「そうだ。だから、お前が………」
「ヒィーーーーーー!」
列から逃げようとして、取り囲んでいる軍人に押さえつけられた。
「放してくれ!放してくれ!オレはまだ死にたくないんだぁーー!」
暴れている小柄な男の側に、ロッシ准将が大股で歩み寄った。
「なぜ、逃げようとした?」
「ウィル・バーカーの側に近寄ると不幸になるんだぞ!知らないのか!オレは不幸になりたくなんてないんだぁーーー!」
涙をボロボロとこぼした。
「わかった。こいつは逃がしてやれ」
「よろしいのですか?」
「ウィル・バーカーの神経は、ウミウシより太いと聞いたことがある。こいつは違うだろ」
「わかりました」
泣いている男を引きずって行く。
「よかった。よかった。ウィル・バーカーから離れられる。不幸から逃げられる」
小柄な男は、喜びの涙を流している。
「オレも、オレも、怖いです」
眼鏡をかけた男が、手を挙げた。
ロッシ准将は眼鏡をかけた男を無視した。そして、一列に並んでいるオレたちの前をゆっくりと歩き始めた。
「貴様等の中で自分はウィル・バーカーではないと証明できる者はいるか!」
「はい!」
勢いよく手を挙げたのは、細身の若者。
「私もできる」
ゆっくりと手を挙げたのは、オレを『貧乏人』と言った高級そうな服を着た男。
「私は女性だ!」
細身の若者が上着を脱いだ。
胴が細く、胸がふっくらと盛り上がっている。
「なぜ、男装をしている?」
「明日広場で行う芝居の衣装を試着していると、いきなり捕まえられた!」
頭に手をやり、茶色い髪をはぎ取った。長い黒髪が、肩に流れた。
「釈放だ」
ロッシ准将が言うと、兵士がすぐに広場から連れ出した。女性はかなり怒っているらしく、広場をでる直前まで兵士に文句を言っていた。
「私も帰っていいですな」
長い指で優雅に髪をかきあげながら言ったのは、高級な服を着ている若者。
「釈放だ」
「おい、なんで、こいつが釈放なんだよ!」
小太りの若者が、ロッシ准将に怒鳴った。
「きさまは、桃海亭のウィル・バーカーが絹の服を買えると思うか?」
聞き返された小太りの若者は、少し考えた。
「………たしか、すごい貧乏だと言われているよな。ツギハギだらけの服を着ているらしいよな」
「納得したか?」
小太りの若者がうなずいた。
「私をウィル・バーカーと間違える方がおかしいのだ」
そういうと高級な服を着た若者は、優雅な歩き方で広場を出て行った。
ロッシ准将は一列に並んだ若者の真ん中に移動すると、両手を後ろに組んで怒鳴った。
「他に証明できる者はいるか!」
「おれ、できます!」
「おれも」
「旅行に来ただけです」
次々に手が挙がった。
ドォーーーーーン!
すごい音が後ろからした。
「うわぁー!」
「ひぃ!」
オレも「わぁ!」と驚いて、地面にうずくまった。
ロッシ准将の張りのある声が響いた。
「全員、動くな!」
オレは動きを停止した。オレ以外の若者も停止している。
「いまのは花火だ」
ホッとした空気が流れた。
「ウィル・バーカーを見分ける為に鳴らした。いまから、私が言うものは、この広場から出て行っていい」
ロッシ准将が移動した。
「そこの青いセーターの若者は、釈放だ」
地面に頭を抱えてうずくまっていた青いセーターの若者は、四つん這いでイモリのような動きで広場を出て行った。
「そこ白いコートを着ている者も出ていい。あとは残れ」
ボッと立っていた白いコートの若者は、何を言われたのかわからないようだったが、兵士のうながされると広場から走って出て行った。
「あいつらは、なんでいいんだよ!」
小太りの若者が列から飛び出して、ロッシ准将に食ってかかった。
「青いセーターの若者は怖がって震えていた。白いコートの若者は花火の音に反応していない。聴力に問題があるのだろう。どちらもウィル・バーカーとは思えない」
「そうか。うん、そうだよな」
ロッシ准将の説明に、小太りの若者は自分がいた位置に戻った。
「お前がウィル・バーカーなんじゃないか?」
小太りの男の隣にいた色黒の若者が言った。
「なんで、オレなんだよ!」
いきり立っている。
「別に………」
色黒の若者が首を横に向けた。
ロッシ准将が長剣を抜いた。
「これから首の高さに剣を振る。避けられたらウィルの可能性があるので、ここに残って貰う」
また、小太りが飛び出した。
「おい、避けそこなったら、死んじまうだろ!」
「うまく避けることだな」
薄笑いを浮かべたロッシ准将が、小太りを冷たい目で見た。
小太りがトボトボと元の場所に戻った。
「さて、行くぞ」
ロッシ准将が剣を構えた。
オレを含め、並んでいた若者達が一斉に出口を目指して走り出した。
後ろからロッシ准将の声がした。
「止まれ!いま止まれば命の保証はする!」
前にいた兵士達が剣を抜いた。
オレたちは停止した。
追いついてきたロッシ准将は息切れをしながら、兵士達に言った。
「前から5人を残して、あとは逃がしてやれ」
「はい」
オレを含む5人が再び広場の真ん中に誘導された。
「さっきから気になっているんだけどよ、なんでウィル・バーカーなんて縁起の悪そうな奴を探しているんだ?」
小太りの若者が聞いた。
重そうな身体に似合わず、オレの前を走っていた。
「お前がウィル・バーカーなら教えてやる」
「残念ながら、オレじゃない」
小太りの若者は肩をすくめた。
オレの隣の若者がおずおずと手を挙げた。肩まである長い髪を真ん中でわけている。
「オレがウィル・バーカーです」
ロッシ准将の手が鞭を放した。
電光石火の早業で剣が抜かれる。
オレは隣の男に腕をかけて、一緒に床に転がった。
「ウィル・バーカーが見つかったな」
「すみません、嘘です。切らないで、切らないでください」
床に転がった長髪の若者は、頭を抱え、丸まっている。
「お前じゃない。立て」
ロッシ准将がオレを見ていた。
「まさか、オレですか?」
オレはできるだけ、大きく目を見開いて、驚いたふりをした。
「………これほど演技力がない人間を見たのは初めてだ」
「はっ?」
「みっともない顔をするな。見ていて気分が悪くなる」
顔をしかめたロッシ准将が剣を鞘に納めた。
「ついてこい」
「待ってください。オレはウィル・バーカーじゃありません」
「違うなら名前を言ってみろ」
「ワット・ドイアル」
ロッシ准将がオレを蹴飛ばそうとした。避けたオレは、片手をバネにして素早く立ち上がった。
「何するんですか!」
「お前がここにいると情報はどこからきたかわかるか?」
オレとムーがここに来ると決めたのは、説教が早く終わったからだ。つまり、オレたちがここにくると推測することができたのは魔法協会本部の誰かだ。魔法協会の一部の人間はオレが使う偽名を知っている。
「くそーーー、誰がオレを売りやがった!」
オレの足下にうずくまっていた長髪がピョンと跳ね起きた。
「ウィルだ!ウィルがいるぅー!」
怯えた顔でオレを見ると、広場の出口に向かって駆けていった。誰も止めようとはしない。
「近くにいるとロクな事にならないって言うのは、本当なんだな。勉強になったぜ」
小太りの若者が、指を2本額に当ててオレに挨拶をすると、ゆっくりと歩いて広場の出口に向かった。
残った若者達も兵士達にうながされて、広場を出て行く。
「おい、オレをウィルだと断定していいのかよ。あの中に本物がいるかもしれないだろ!」
ロッシ准将が首を振った。
「情報は他にもある。見るからに貧乏そうで、全身の力を抜いて生きている。だが、とっさに人助けはする」
「そんなの判定する材料になるかよ」
「あれを」
広場の外にいた兵士が手に持っていたものをロッシ准将に渡した。
巨大なバスケット。
ロッシ准将が開くと中には肉がぎっしり詰まったサンドイッチとオレンジジュースが入っていた。
それをオレに渡した。
「お前は誰だ?」
オレはバスケットを抱え込むと、力強く答えた。
「ウィル・バーカーです」
「オレに何か用ですか?」
案内されたのはテーブルと椅子だけがある、殺風景な部屋だった。危害を加える気はないらしく、オレとロッシ准将が座ると若い兵士が熱い飲み物を持ってきた。
「頼みがある」
「話を聞いてあげたいのですが、そろそろムーの腹が空きます。腹が空くと暴れるので、急いでもらいたんですが?」
「わかりました」
返事をしたのはロッシ准将ではなく、飲み物を持ってきた若い兵士だった。若い兵士の髪は天然パーマらしく、毛先がクルクル巻いている。
「ロッシ准将、自分から説明してよろしいでしょうか?」
ロッシ准将がうなずくと、ものすごい早さで話し始めた。
「2ヶ月ほど前にテンパー国の水源に大きなイタチのようなモンスターが居座りました。移動させようとしたのですが、押しても引いても動きません。しかたなく、魔法協会本部に調査をお願いしました。すでにおわかりだと思いますが、魔法協会本部とテンパー国は裏で繋がっております。表向きは『魔力を持たない人間の独立国』ですが、そんなのありえませんってば、ってことです。はははっ。魔法協会の調査で【ヴル】というモンスターだとわかっているんですよ。魔法なら簡単に倒すことができるそうで『殺してあげよう』と、言われましたんですよね。でも、魔法を使うわけにはいかないんですよ。テンパー国は『魔力を持たない人間の国』ですから。魔法協会に魔法以外の方法はないか聞いたのですが『ない』と言われまして。水源をモンスターに押さえられた為にテンパー国は水不足になりそうでして。この2ヶ月ため池の水をケチって使っていたのですが、それも限界。本部にいるテンパー国と長年つきあいのある魔術師に泣きついたんです。モンスターを魔力以外で移動させる方法がないか探して欲しいと頼んだんです。そうしたら、過去の災害について調べてくれましてね『桃海亭が魔法を使わないで退治したことがあるようだ』と教えてくれました。方法を聞いたのですが『魔法を使わなかったので詳細な記録がない』と言われまして、本日ご足労いただいたわけです」
高速で言い終えた若い兵士は、ロッシ准将の前にある飲み物を一気飲みした。
「お手伝いいただけますか?ウィル・バーカー殿」
「【ヴル】というモンスターを、魔法を使わないで移動させて欲しい、でいいのかな?」
「はい!」
若い兵士は強くうなずいた。
「【ヴル】………記憶にないなあ」
「そう言わずに」
困っているのは本当らしい。
「紙とペンを」
オレの前にすぐに置かれた。
簡単な地図を書いた。
「この橋の下に10歳くらいの子供がいる。そいつに、フカフカのクッションと甘いお菓子と甘い飲み物と山のように持って行ってくれ。それから【ヴル】について聞いてきてくれ」
オレの地図を受け取った若い兵士が期待に目を輝かせた。
「もしかして、ムー・ペトリ殿ですか?」
「そうだ。オレはその【ヴル】というモンスターのところに行っている。ムーの情報をオレのところに届けてくれ」
「ムー・ペトリ殿をお連れていなくて、よろしいのですか?」
「あれでも魔術師だからな。魔術師が露骨に調査していたら、まずいだろ」
「そうですね」
残念そうだ。
「では、ロッシ准将。【ヴル】のところに案内していただけませんか?」
オレが立ち上がると、ロッシ准将も立ち上がって先に部屋を出た。オレの前を歩きながら、小声で言った。
「うるさくて、すまんな」
「あー、こいつが【ヴル】なのか」
巨大イタチが丸くなって眠っていた。【ヴル】という名前は知らなかったが、実物にはあったことがある。
水が流れた痕がイタチの真下に続いている。湧き水はイタチに下から出ていたようだ。
「なんで、ここにいるんだ?」
オレが疑問に思ったのには訳がある。
前に出会ったとき、ムーが『こいつは、水が苦手しゅ』と言っていたのだ。
ロッシ准将がボソリと言った。
「事件があったのだ」
「どんな事件ですか?」
「…………そのだな……」
「わかっています。桃海亭は秘密厳守です」
オレが断言するとロッシ准将は、渋々と言った様子で話し出した。
「人が増えてきたので、国の面積を少々増やそうとしてだな」
「いいんですか?」
思わず、つっこんだ。
土地はわずかな面積で争いになる。テンパー国は魔法協会本部に隣接する一等地だ。隣接する他国の土地を、勝手に領地にすることなどできるはずがない。
「言い方が悪かったな。領地を増やそうというわけではない。多くの人間が住めるように、面積を増やそうと思ってな」
「面積?」
「よくあるだろう。1階建ての建物を2階にすれば床面積は倍になる」
「はぁ」
「そういうことなのだ。わかってくれただろうか?」
テンパー国は平らだ。山はなく、平地に町と畑と牧場がある。
つまり。
「まさか、地下を開発しようとしたんですか?」
「そうなのだ」
「アホだ」
声に出したことに気づいて、慌てて謝った。
「すみません」
「いや、そう思われて当然だ」
ロッシ准将はため息をついた。
魔法協会本部に隣接した国なのだ。地面を深く掘るだけでも、魔法協会に反抗の意図ありと取られてもしかたない。
「軍では魔法協会の許可を得て、3階建ての集合住宅の建設をするつもりだったのだ。もちろん、4階5階にしたいが、魔法協会が高い建物は渋るだろうと、3階建てを打診していた最中だっただが………」
軍以外のどこかが暴走して、地下を掘ったという事らしい。
「西にある畑を勝手に深く掘った者がいてな。あれが出てきたのだ」
疲れた表情をしたロッシ准将は、軍服を着た普通のおっさんに見える。
「悪い奴ではないのだが、ハルは慌て者でな」
「ハル?」
「ハル・テンパー。先ほどいた若い兵士だ」
「ああ、あの天然パーマの」
天然パーマ→テンパー。
覚えやすそうだ。
「国を大切に思う気持ちはわかるのだが、父親に似て思慮がなくてな」
父親に似て。
ハル・テンパー。
テンパー国。
「もしかして、建国の英雄の息子ですか?」
ロッシ准将がうなずいた。
「君も知っていると思うが、あれの父親のテンパー将軍は考えることをしない人間だった。それでなければ、魔法協会本部の隣に一般人の国を作ろうとはしないだろう」
オレは強くうなずいた。
同意をしたのは『アホでなければ、魔法協会の隣に一般人の国を作ろうとはしない』という部分だ。テンパー将軍については、いま初めて知った。
「それでも、将軍には人を引きつける魅力のようなものがあった。優秀な人々が彼を助けて、この国ができた。建国が認められて3日目、蜂に追われて、小川に落ちて、足をくじいて、魚にかまれて、溺死したときには、誰もが涙したものだ」
ロッシ准将がしんみりと言った。
オレとしては『魚に噛まれて』が気になるが、口に出せる雰囲気ではない。
「一人息子のハルは心根の優しい人間なのだが、思慮がなく、人望がなく、慌て者なのだ」
考えた。
そして、ロッシ准将に聞いた。
「その思慮も人望もない慌て者ハル・テンパーをムー・ペトリのところにいかせて大丈夫ですか?」
「そうだな。いま考えると問題のように思える」
遠い目をしている。
ハル・テンパーには、苦労しているようだ。
「それはもう終わったことだ。そこでウィル・バーカー殿。この【ヴル】を動かす方法はあるでしょうか?」
「できると思いますが、いまは断言できません。ムーの情報を読んでから………」
オレの視線の100メートルほどさきにムーがいた。ハル・テンパーと並んで、こっちに歩いてくる。
ムーは笑顔で、右手に巨大な揚げパン。左手にストローの刺さった木の実を持っている。
「オレ、情報だけを持ってくるよう頼みましたよね?」
「もう一つ忘れていた」
ロッシ准将がオレの方を見ないで言った。
「ハルは覚えることが苦手だ」
よろけそうになったのを、オレは堪えた。
「さっきは早口で状況を説明してくれましたが」
「魔法協会本部からウィルがテンパー国に来ると連絡があってから、ずっと練習をしていた。私はあの無駄に長い状況説明を数十回聞いた」
近づいてきたムーがオレに聞いた。
「どうかしたしゅ?」
口の周りが砂糖まみれだ。
「こいつを魔法以外で動かしたい」
ムーが巨大イタチに気がついた。
「【ヴル】だしゅ」
「なんとかなるか?」
「なしているしゅ?」
「そこの……若い兵士が地面を掘ったらしい」
ハルがムーの前に立った。
「はい!僕が、自分が掘りました。地下を階層にして住居を作るのがいいと思ったのです」
「ほよしゅ。すごいア…」
オレの手がムーの口をふさいだ。
「どうかされましたか?」
ハルがオレに聞いた。
「なんでもない」
ムーは揚げパンをかじりながら、周囲を歩き回って調べた。最後に【ヴル】を簡単に調べてから、オレのところに戻ってきた。
「本部はなんて言ったしゅ?」
「殺す」
ムーは地面にペタリと座ると、木の実のジュースをすすり始めた。
「ムー・ペト……」
話しかけようとしたロッシ准将をオレは片手をあげて止めた。ロッシ准将もすぐに気がついて、考えているムーをそのままにした。
そのムーに近づいた奴がいる。
「ムーさん、ムーさん」
オレは蹴っ飛ばして、ハルを転がした。
「何するんです!」
「足下に変な虫がいた。刺されているといけないから、一度軍の診療所で見てきた方がいい」
「刺された気はしないんですけど」
「私も見た。行ってきなさい」
ロッシ准将に言われて、ハルは名残惜しそうに離れていった。
ムーはまだ考え込んでいる。
オレは【ヴル】に近づいた。
茶色の毛、長くしなやかな身体。丸まっている。前に見た【ヴル】は身体を伸ばすと7、8メートルくらいあった。
前に【ヴル】会ったとき、ムーはヴルをモンスターとは言わなかった。精霊に近い生き物だと言っていた。だから、【ヴル】は自分のテリトリーに入らなければむやみに人を攻撃したりしない。穏和な生き物だとも言っていた。
その穏和な生き物に追いかけられる原因を作ったのはいつも通りムーで、魔法鉱石を手に入れようと地震魔法をかけて、山を半分崩した。直後に【ヴル】が出現。追いかけられて必死で崩れた山の斜面を逃げた。小脇に抱えたムーが『水が嫌いしゅ!』と何度も叫んだので、走りながら斜面を下に向かって走った。川を見つけ、飛び込んで逃げ切った。
魔法協会からの情報『退治した』は間違っている。
「ふぅしゅ」
ムーが立ち上がった。
「調べてみるしゅ」
「【ヴル】が邪魔だぞ」
「【ヴル】がなぜいるのかわかるもしれないしゅ」
「魔法陣はやめておけよ。目立つ」
「魔法陣、ダメしゅ?」
「他の方法でできるなら、そちらでお願いしたい」
ロッシ准将が頭を下げた。
「棒が欲しいしゅ」
「普通の木の棒でよろしいか?」
ムーがうなずくとロッシ准将が近くの木の根元から1メートルくらいの棒を拾ってきた。
「先を斜めに切るしゅ」
「こうか?」
剣で先端を斜めに落とす。
「それをウィルしゃんに渡すしゅ」
太さ2センチほどの細い棒が、オレの手に渡された。
「どうするんだ、これ」
ムーが先端に触れた。わずかに色が変わった。先端の5センチくらいが黒に近い焦げ茶だ。
「【ヴル】の右足の先の地面、深さ50センチのあたりに刺すしゅ」
「わかった」
オレが【ヴル】に近寄ろうとすると「待ってくれ」とロッシ准将がオレに剣を差し出した。
「よければ、これを使ってくれ」
ロッシ准将の気持ちは嬉しかったが。
「オレ、剣は使えないんだ」
「ウィルしゃん、剣はダメダメしゅ」
毛虫を食べたような顔をしたムーに、オレが剣は苦手だというのが伝わったようだ。
「離れていてください」
「ウィル殿が剣を使えないなら、自分がウィル殿を守ります」
「オレではなく、ムーを守ってください。こいつの脳みそが作戦の要です」
ロッシ准将がうなずいた。
「ムーをどんなことがあっても、必ず守ってください」
「わかった。必ず守り通そう!」
ロッシ准将が強く言った。
次の瞬間、オレはムーの両腕をつかむと、オレ自身が回転しながらスピードを付け、砲丸投げの要領で思いっきり遠くに飛ばした。
「ひぇーーーーーーーしゅ!」
10メートル先の茂みに落下。姿が見えなくなった。
ロッシ准将が戸惑った顔でオレを見た。
オレは怒鳴った。
「危険だから、ムーを遠ざけました。ムーの側に早く!」
「わかった!」
ムーの落ちたあたりにロッシ准将が駆けていった。
オレは【ヴル】に向き直った。
「やるか」
棒を構えた。細い棒は普通に打ち込めば50センチの深さまで行かずに折れる。棒の先端だけムーが触れて色が違う。ムーが何かの強化をしたと信じて、オレはヴルの右足の先に打ち込んだ。
ボキッ!
折れた。
先端だけが地面に刺さって、棒の残り90センチ以上はオレの手に残っている。
「なんだぁーー?!」
「ウィルしゃーーん」
遠くからムーが叫んだ。
「間違えたしゅーー!」
「何をだぁーー?!」
「50センチじゃなくて、5センチしゅーーー!」
地面を見た。
棒が刺さっている。
色からすると5センチほどだ。
「どうだしゅかーーー?」
「ちょうど5センチ刺さって…………」
風の動きを感じ、飛び退いた。
【ヴル】が立ち上がった。静かな表情でオレを見下ろしている。敵意は感じない。
【ヴル】が立ち上がったので身体で隠れていた地面が見えた。濡れていたが水は出ていなかった。
「そういうことか」
おそらく、オレが刺した棒が、水の流れを一時的にとめているのだろう。水をとめて【ヴル】が動くか試して見たのだろう。
ムーの目論見通り【ヴル】は動いた。
このまま、おとなしく国外に移動してくれれば、それで依頼は終了だ。
【ヴル】は動かない。オレをジッと見ている。
前に見た【ヴル】と違うことに気がついた。身体の表面数カ所がタダレているように見える。
「その傷は水のせいか?」
オレが聞くと【ヴル】は首をクイッと動かして、ゆっくりと歩き始めた。時々、後ろを振り向いて、オレを見ている。
まるで『来い』とでも言っているようだ。
オレはため息をついた。
そして、言った。
「わかったよ。ついて行くよ」
オレの言葉がわかるかのように【ヴル】は歩くスピードを上げた。オレは【ヴル】の後を追って走り始めた。
「そういうことかよ」
オレは目の前の風景に頭が痛くなった。
【ヴル】は最初、水の流れた痕に沿って走っていた。そこは途中から整備された水路になった。ため池が遠くに見えたところで、水路は2手に分かれた。ため池とは違う方向の水路の方に【ヴル】は走り、その水路は途中から地中に入った。
水路が走っていると思われる場所の地上を走っていくと、土の色が違う、埋め直されて間もないと思われる場所があり、【ヴル】はそこの地面を掘り始めた。
ハル・テンパーが掘り起こしたと思われるその場所は、【ヴル】が1分ほど掘ると、内側に崩れるように土が入り込み、地面に穴が開いた。そこに【ヴル】が飛び込んだ。のぞき込むと5メートルほどの下に土が見えた。穴の縁に手をかけ、オレも飛び降りた。
地中の地面に降り立ったオレの目に飛び込んできたのはもう1匹の【ヴル】、魔法陣の結界に閉じこめられた【ヴル】だった。
「こいつの為に、必死で水を止めていたんだな」
水路の終わりが、囚われの【ヴル】の頭上にある。湧き水が流れていたときには、【ヴル】に水が降り注いでいたのだろう。
囚われの【ヴル】がオレに歯をむき出した。憎しみが全身から溢れている。オレを導いた【ヴル】の方は、懇願するような目でオレを見ている。
「何でここに閉じこめられたんだ?」
オレの疑問が地下洞窟内に響いた。
「教えてくれないか?」
答えはない。
オレだって【ヴル】が答えてくれると思っているわけじゃない。
「そこ岩の陰にいる人、本部の魔術師だろ?」
洞窟内の岩にとけ込むように隠れていた姿が、オレの方に近づいてきた。
「桃海亭には関係ない事案だ」
落ち着いた冷静な話し方。別人に思えるほどだが、間違いない。ウィル・バーカー探しの時にオレの側にいた、小太りの若者だ。
「巻き込んだのは、そっちだろ」
「詳しい事情を知らなかった魔術師がテンパー国にしてはならない助言をしたのだ。それを知った上層部が【ヴル】の解放がされないよう、私を派遣した」
小太りの若者の唇がわずかに歪んだ。
「まさか、これほど早く【ヴル】にたどり着くとは。さすが、桃海亭だ」
小太りの若者はオレの1メートル前で立ち止まった。
「手を引け。さもなければ、容赦はしない」
そのオレを守ろうとするかのように、水源にいた【ヴル】がオレの隣に立った。
「ありがとな。でも、危ないから、ちょっと離れていてくれ」
足を軽く叩くとフワリと飛んで、魔法陣の側に移動した。どちらの【ヴル】もオレ達の方を見ている。
「オレ達が手を引くかどうかは、そっちの出方次第だ。最初になぜ【ヴル】を魔法陣に閉じこめた」
「桃海亭が知る必要はない」
「【ヴル】のテリトリーで何をした。魔法協会のことだ。公にできない汚いことをしたんだろ?」
魔法弾がオレの足元に打ち込まれた。
「一般人は黙っていろ」
「ここで戦っていいのか?」
小太りの若者が顔をしかめた。
魔法陣にも種類があるが、怒っている【ヴル】の魔法陣は線が傷つけば囚われの力を失う可能性が高い。オレの足元に散らばっている土の間に魔法陣らしき線があるからだ。水源に丸まっていた【ヴル】はここに囚われていて、ハル・テンパーが掘った土が魔法陣の上に落ちたことから、封印の力が消え逃げ出したと考えれば辻褄が合う。
「【ヴル】のテリトリーで何をした?」
「桃海亭が知る必要はない」
「囚われている【ヴル】の魔法陣の線を、オレが消したらどうなる?」
小太りの若者は、フンと鼻で笑った。
「脅しているつもりか?あの魔法陣はお前の足元の魔法陣とは違い、特殊な結界がある。一般人や精霊には消せない」
「魔術師なら消せるんだな?」
小太りの若者の笑顔になった。
「ムー・ペトリを待っているのか?彼なら今頃………」
「疲れたしゅ」
頭上の穴からムーの声が響いた。
小太りの若者が、バッと上を見た。
「なぜ、いる」
「軍人しゃんは、寝ているしゅ」
のんびりとした声が届いた。
小太りの若者は、驚いた顔でオレを見た。
「テンパー国と魔法協会は裏で繋がっているんだろ。魔法協会は【ヴル】を殺したがっている。ロッシ准将もその意向に添うために動こうとするだろうから、一時的に退場してもらったってわけさ」
「ハル・テンパーが何か言ったのか?」
「いや。でも、ハル・テンパーのせいだろ。そっちの【ヴル】が解放されたときに隠蔽に失敗したのは」
「あの馬鹿が触れ回ったのだ。変なモンスターが出たと」
小太りの若者が吐き捨てるように言った。
「ウィルしゃん、魔法陣消すしゅか~~」
穴の縁からムーが叫んだ。
「先に話を聞いてからだ」
小太りの若者は不愉快そうな表情を浮かべたまま、話し始めた。
「私も詳しく知らない。30年前まで、この辺りは魔法協会本部の土地だった。200年ほど前、ため池を作ろうとして【ヴル】と揉めたらしい」
「200年間、この状態で放置していたのか?」
「そういうことになる」
「そりゃ、怒るよなあ」
「魔法協会は水路の水が【ヴル】にかかっていたことは知らなかった。水路が作られた段階では空中を渡す形になっていたのだが、何かで水路が折れて滴ってしまったのだろう」
「【ヴル】の土地を元に戻すことはできないのか?」
「この【ヴル】達のテリトリーはため池だけではない。テンパー国のほとんどだ。多くの住民が住んでいる現状では難しいだろ」
「テンパー国の建国をあっさりと認めた裏には、封印している【ヴル】の存在があったのか?」
「そこまでは私は知らない」
「ムー」
「ほよしゅ」
「【ヴル】に、人の言葉が通じるか?」
「言葉を覚えてはいないしゅ。でも、なんとなくは通じるしゅ」
「なんとなく?」
「感情の波動のようなものを感じると言われているしゅ。感情と言葉を一致させて、ゆっくり話せば、半分くらいは通じると思うしゅ」
「やってみるか」
オレが【ヴル】達のところに歩み寄ろうとしたとき、上から落ちてきたものがあった。
「僕、僕が、自分が話します!」
ハル・テンパーだった。
落下時にぶつけたらしい、尻をさすりながら立ち上がった。
「意気込んでいるところ悪いんだが…………」
オレの話を最後まで聞かず、【ヴル】達のところに駆け寄った。
「一緒に暮らせないかな?」
「精霊と人は無理しゅ」
頭上からムーが助言した。
「切り開いたけれど、森も残っている。国の西側は川がないから井戸なんだ。あそこなら水が嫌いでも大丈夫だよ!」
一緒に仲良く住みたいという気持ちが、言葉から感じられた。
歯をむき出して唸っていた【ヴル】がおとなしくなった。2頭とも静かな目でハルを見ている。
「ごめん。君たちの土地だなんて、知らなかったんだ。自分の土地を荒らされたら怒るよね。ごめん。でも、僕たちにもこの土地は必要なんだ。だから」
ハルは両手を【ヴル】に差し伸べた。
「一緒に暮らそう」
「それでどうなったのですか?」
商品の指輪を磨きながら、シュデルが聞いた。
オレはカウンターに頬杖をついた。
「物事を進めるのは、善意ではなく、悪意なんだろうな」
「店長、僕にわかるように話してください」
「魔法協会の魔術師が、ハルと2匹の【ヴル】を一緒に吹っ飛ばした」
シュデルの指輪を磨く手が止まった。
「面倒くさくなったんだろうな。空気を振動させる魔法をぶっぱなしやがった」
「【ヴル】とハルさんは、どうなったのです?」
「ハルは無傷だ。水源にいた方の【ヴル】がハルをかばってくれた」
「【ヴル】はどうなったのですか?」
「魔法を撃った方向が少しずれていたみたいで、直撃は避けられんだが」
「まさか………」
シュデルの目が大きく見開かれた。
「どちらの【ヴル】も身体の半分以上を失った」
オレは深いため息をついた。
小太りの魔術師は本部から派遣されただけあり、一流の魔術師だったらしい。強力な振動波は、ハルをかばった【ヴル】の身体を半分以上消滅させ、檻の中の【ヴル】も頭と身体の一部を残して消滅させた。
ハルは半狂乱で泣き叫んで、半分を失った【ヴル】を抱きしめていた。続いて魔法を撃とうとする魔術師に、オレは飛びかかった。避けたところを足払いで倒し、腹に一発当てるとあっさりと気絶した。そこにムーが『ウィルしゃん、魔法陣消すしゅ?』と声を掛けてきた。その声を聞いたハルがムーに向かって怒鳴った。『あんた、ムー・ペトリなんだろ。天才なんだろ、ムー・ペトリなら【ヴル】達をなんとかしてみせろよ!天才って言うのは噂だけかよ!本当は何も出来ないタダのチビかよ』
オレは頬杖をついたまま、再びため息をついた。
「はぁ」
シュデルが心配そうな顔でオレを見ている。
「ムーが………」
「ムーさんが?」
「変な魔法を掛けた」
「変な魔法?店長、話が飛んでいます」
「ハルに『天才なら何とかして見せろ』と挑発されたムーが見たこともない変な魔法をかけたんだ。星のようなものがキラキラと降り注ぐるみたこともない魔法だった。キラキラが降り注ぐと、消滅しそうだったら【ヴル】達が縮み始めたんだ。1分ほどで体長50センチほどの無傷のイタチになった」
巨大な【ヴル】がそのまま縮んだ形態だった。閉じこめられていた【ヴル】も小さくなったので、檻の格子の間を歩いて出てきた。【ヴル】達は気絶している魔術師に襲いかかろうとしたが、ハルが尻尾をつかんでとめた。『これから共に生きるんだ。仲良くしよう』と、ハルが微笑んだ。
「小さくなった【ヴル】はどうなったのですか?」
「穴から出て行った。尻尾をつかんだハルと一緒にな」
「テンパー国でハルと一緒に暮らしているのですか?」
「そうだったら良かったんだけどな」
桃海亭に帰ってくる直前、ガレス・スモールウッドさんから、なぜ【ヴル】を殺さず封印したのかを教えてもらった。当時の魔法技術では【ヴル】を消滅させることができなかったらしい。最近、小太りの魔術師が使った振動魔法が完成したので封印している【ヴル】を消滅させる予定でいたのだが、その前にハルが穴を開けてしまったらしい。
「シュデル。イタチって、見た目が可愛いよな」
「店長、また話が飛んでいます」
「テンパー国に封印されていた【ヴル】は自分の近くにある火をすべて操れるそうだ」
デカい頃は自分の周囲約1キロの火が操れたらしいが、ミニサイズなり操れる範囲は10メートルくらいと短くなった。
「それで、イタチの姿になった【ヴル】は、どこにいったのです?」
「なんでこうなるんだろうなぁ」
「店長?」
「魔法協会本部に殴り込みに行った」
「いま、なんて言いましたか?」
「尻尾にハルをつけたまま、魔法協会本部に突撃した」
シュデルの手から指輪が落ちた。コロンという音に、我に返ったシュデルが床から拾い上げた。そして、恐る恐るオレに聞いた。
「魔法協会本部を火の海にしたのですか?」
「火の海まではいかなかった」
「泉くらいですか?」
「祭りの花火って、とこかなあ。」
魔法協会本部だけあって、大量の防御結界が張られていた。それなのに、庭の各所に細長い火の柱が立った。【ヴル】達より、3時間遅れてで本部についたオレとムーは、炎の柱だけでなく、建物のあちこちが燃えているのを目撃した。
「それで賠償金は…………」
シュデルの声が震えている。
「やったのは【ヴル】だ」
「賠償金はないのですね」
「金貨200枚」
「いま、なんて」
「請求されたが、支払いを断った」
「そうですよね、店長たちは悪くな………あ、ムーさんの魔法」
「ハルに頼まれてやったことだから、ハルに請求してくれで押し通した」
「それでハルさんは?」
「魔法協会本部から貰った金で、【ヴル】と旅に出た。【ヴル】が住める場所を探すんだと」
「ハルさんは魔法協会本部からお金を貰ったのですか?払ったのでなく?」
オレはうなずいた。
なぜ、世界でもっとも魔法による防御がされている魔法協会本部に【ヴル】達が突入できて暴れられたのか。
なぜ、テンパー国の設立を魔法協会本部が認めたのか。
思いも寄らない真相が隠されていた。
「ハルの父親は特殊な能力をもっていたんだ」
「店長、また話が飛んでいます」
「突然変異でついた能力だったらしいんだが、その力をなぜかハルも持っていたんだ」
「ハルさんは魔術師ではないと言っていませんでしたか?」
「魔術師じゃない。魔法による効力を無効にする能力だそうだ」
シュデルの頬がひきつった。
魔法の効力を無効にする。結界や魔法陣のような特殊な魔法だけでなく、オレたちが扱う魔法道具も魔法の力が発動しなければ、ただの道具だ。
「すべての魔法ではなく、一部にしか効かないみたいなんだが、魔法協会では発動する法則がつかめなかったのだそうだ。能力に気がついたハルの父親と仲間が『住む土地をくれ、さもないとこの能力が存在することをバラすぞ』と魔法協会を脅したんだ」
「それでできたのがテンパー国なんですね」
オレはうなずいた。
「父親が死に、事情を知っている仲間は焦った。だが、色々あってハルにも魔法を発動させない力がついていることがわかったんだ。ハル自身は自分が特殊能力を持っていることを今も知らない」
テンパー国はテンパー親子の特殊能力で維持されていたのだ。
「魔法協会は、父親もハルもすぐに殺せたが、貴重な資料としてデータを集めていたらしい」
「いま、ハルさんは旅に出たと言いませんでしたか?」
「言った」
「そうすると、テンパー国は」
「折を見て、内部分裂したようにみせて解体するそうだ」
魔法が使えない人々の楽園は、まもなく終わる。
「店長」
「魔法協会もすぐに追い出したりしないそうだ」
「よかったです」
そういったシュデルは、窓の外を見て呟いた。
「…………エンドリアにくればいいのに」
世界の嫌われ者と呼ばれたシュデルの、万感こもったつぶやきだった。
その隣でオレは深い深いため息をついた。
帰り際にスモールウッドさんはに言われたことがある。
『テンパー国は解体することになった。住人にとっては予想もしない悲劇だろう。それだけではない。防御結界を無視する力を持った脳内が春の青年と業火の力をもった【ヴル】が2匹、この大陸を旅することになった。行く先々でどのような悲劇がおこるかわからない。ウィル、頼む。不幸を呼ぶのをそろそろやめてくれ』
胃を押さえながら、絞り出すような声で頼んできた。
オレのため息に、シュデルが不思議そうに首を傾げた。
「どうかしたのですか?支払いはないんですよね?」
「ない。大丈夫だ」
魔法協会本部でスモールウッドさんは本気でオレやムーのことを心配してくれる数少ない味方だ。できれば、ずっとオレたちの担当を続けて欲しい。
「店長?」
この間、ムーと一緒にいつもより少し大きな問題を3つ、立て続けに起こした。問題がいつもより大きかったので、ムーとオレだけの秘密にした。一時的な対処はしてきたので、まだ公にはなっていない。脳内春の青年と火の精霊が旅するより、少し、いや、かなり大きな問題だ。
「大丈夫かなあ」
「何か心配があるのですか?」
「スモールウッドさん、なんだけどな」
「スモールウッドがさんどうかしましたか?」
3つの事件が頭をよぎる。
あれがバレたら。
「血反吐を吐きそうなんだ」