7:長兄アルフォード
目覚めると、恐ろしく綺麗な男が横たわっていた。この世界の何よりも美しいものを造ろうとして出来上がったかのような至高の存在。魔族であるのに、微笑むだけで目がチカチカするような光を纏う。その男は、何よりも代えがたく愛おしいものを見る目で言った。
「ライラ、おはよう」
「……何やってんの」
ライラは虫けらを見るような視線を送る。それもそうだろう、場所はライラのベッドの上である。
カーテンの隙間から朝日が漏れ、室内は爽やかな明るさで包まれている。昨夜眠ってから起きた記憶はなく、目の前の男がベッドに入ってきたことは知らない。
「……いつ入ってきたの」
「え? 深夜ぐらいです。疲れてたようで、ライラはぴくりとも起きなかったですね。屋敷内とはいえ警戒心なさすぎですよ」
「……で?」
「昨日はコミュニケーションが取れなかったので、一緒に眠ることでそれを埋めることにしました。ライラは本当にいい匂いがしますね。自慢の妹です」
「で?」
「ああ、ちょっと精気頂いたのバレてしまいましたか? いつも通り美味しかったです」
「そういう、ことじゃ、ないでしょお⁈」
ライラは右腕を振り上げて拳を叩き落としたが、美青年はひょいと身を躱し、代わりに打撃を受けた分厚いマットレスが弾け破れ、豪華なベッドがベキリと壊れる。
「ライラ、また強くなりましねぇ」
「誰の、せいだと、思ってるの」
暫くした後、何事も無かったかのようにベッドとマットレスが自己修復し、元通りになる。
グイードの魔術が無ければ、この屋敷は修復費用で破産……はしないが、毎月馬鹿みたいな請求書が届くだろう。
「でも学園では手加減を覚えて下さいね。ここみたいに修復魔術はかかっていませんから。請求書が毎日届けられてしまいます」
「……魔術で直したり、とかは」
「直せる範囲だったらいいんですけどねぇ。ライラはその魔術、使えます?」
「……むり」
「でしょう? ライラには少し高度ですね」
そう言ってにこにこと微笑みながら、ライラの頭を撫でているのはトゥーリエント家の長兄、アルフォード。ライラより三つ上の、恐ろしく美しい、まさに美の結晶のような淫魔。薄緑色のベールをかぶったような銀髪で、襟足は少し長め。切れ長の瞳は吸い込まれそうな青色をしている。滑らかなラインを描く輪郭と細い顎、すっと通った鼻梁、顔のパーツ一つ一つが丁寧に作り上げられたように完璧だ。
涼しい理知的な雰囲気の物腰穏やかな青年だが、この家の者で最も情熱的に快楽を好む。
そう、一番浮名を流しているのだ。
「そのネグリジェ、ちゃんと着てくれていて僕は嬉しいですよ。やはり白が似合う」
「……妹に送るような品じゃないよね、普通」
「ライラの無垢な魅力が最大限活かされてますよ。襲いたくなるくらい」
「アル兄、き」
「キモイって言ったら、べろちゅーしますからね」
「……」
真正面からきた場合は力技でしのげるが、それ以外では勝てない。ライラは口を噤むことにした。そしてふと気付く。
「ってゆーか、何で勝手にベッド入ってんのぉお!」
ライラは一足でアルフォードに肉薄し、右ストレートを打った。防御壁で弾かれるのは織り込み済み、そのまま右足の上段蹴りをお見舞し、防御するもののぐらりと傾いだ体に目がけて、その勢いのまま左足の回転蹴りを撃った。そして、くるりと空中で一回転し、着地する。
アルフォードは防御しきれず、飛ばされて壁にぶつかっていた。
「ふーっ。スッキリした」
「そりゃあ、ここまでやったらスッキリするでしょうね。痛たた」
アルフォードはその輝く髪をかき上げる。涼しい顔をして微笑み、何事もなかったかのようにライラに近づく。そして、合格点、というようにライラの頭を撫でた。
「もっと色気のある下着も似合うと思いますよ。今度贈ってあげましょうね」
ライラは兄の顎に掌底を打った。
「外では短パン履いてるもん!」
どうりで壁にぶっ飛ばせた訳だ。防御することよりも下着を見ることを優先したのだから――やっぱりこの兄、ちょっとおかしい。
学園生活二日目。目覚めると美青年がベッドに潜り込んでいるという最悪の目覚めであったが――そして案外日常茶飯事である――、学園へはその兄が一緒に送ってくれた。
アルフォードと学園前に転移した途端、周囲にいる学生の目線がピンク色であった。勿論ライラを見ているのではなく、横にいる美貌の兄へのものである。兄はいつもこのような視線を受けているのか……と隣を見ると、涼しくにっこりと微笑んでいた。
(アル兄にとって、これが普通なのね)
視線の中には男からの恨みがましいものもあるが、情熱的な目で見つめる男もいた。アルフォードの美貌は男女関係ないらしい。この様子だと、例え淫魔が嫌われる存在であってもアルフォードは好かれているのだろう。
次第にチクチクと刺さるような視線をライラは感じた。「アルフォード様の横にいる子、誰?」「あれは何族? 魔力も余り持ってなさそうなのに……どうしてアルフォード様と……」などという声が聞こえ、ライラは背筋を震わせる。
このままアルフォードの隣にいては、身が危険。
ライラはそそくさと兄から身を離したが、兄の方がそれを許さず、ライラの肩を抱いて引き寄せた。
「ばっ、アル兄、何考えてんの。これ以上私をハブらせる気⁈」
「兄妹ってことはいずれ知れ渡りますよ。それより、これ以上ってどういうことですか。聞いていませんよ」
しまった、とライラは思ったが顔に出さず無視をした。
「まず兄妹でもこんな引っ付いたりしないから! いーから離して」
怪力をもってして肩に回っている手を引き剝がし、脱兎の如く駆ける。アルフォードはその後ろ姿を訝し気に見ていたが、ライラが気付く筈もなかった。
「幸先は宜しくなさそうですねぇ」
アルフォードはため息交じりにそう呟いた後、こちらの様子を見ていた学生達に視線を移す。学園一の美青年と、何族か分からない少女の関係が気になって尋ねたいようだ。牽制の意味も込めて、あの子は愛しい妹なのだとここで宣言してもいいが……もう少しライラの学園での様子を見てからにしようと思い直し、校舎へと足を向けた。