いざ北嶺プチ旅行(4)
北嶺が闇に落ちる寸前の十六時――北嶺の日の出は短く、奥地に行けば行くほど闇の夜は長くなる――レオナルドが帰って来た。
他の四人はリビングでボードゲームに興じていた。レオナルドの様子を心配していたライラが立ち上がり、迎えに行く。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
何を思ってどのくらい駆けまわっていたのだろう。レオナルドの顔には悲しさがあった。ライラの顔を見るなり、それがほろり崩れるように笑みを浮かべる。何故だか、泣いてしまうのではないかと思った。
実際は泣くことなく、レオナルドがライラの方へ体を傾けてきた。慌てて抱きとめるが、予期していた重みはかからない。ふわりとレオナルドの両腕が背中へと回った。
「? レオだいじょう……」
「狼は大丈夫ですわよ~」「ねぇ、ライラのターンだよ」「坊ちゃん、二人っきりのときの方がいいと思いますよ」
三人の声に、レオナルドはそろりとライラから離れた。
「……そろそろ日が落ちるから、用意出来たら夜空見ない?」
防寒コートを羽織り、山荘に置いてある膝丈のモコモコブーツを履いて外に出る。魔術のおかげか少し寒いなと感じるくらいで、気温がマイナス四十度とは思えない。さらさらした砂のような雪をライラは蹴り上げてみた。
もっと暗いと思っていたのに、北嶺の夜空は明るかった。濁りなく純粋に青く黒い夜空には雲一つなく、無数の星々が煌めいていた。星たちはそれぞれ色を変え、大きさを変え、帯やうねりを描いている。まるで降り注いでくるような、輝く夜空に圧倒され、空と大地と一体化している心地に胸が詰まる。
「きれい……」
ライラはそれしか言えなかった。キャロンとエリックも同じようだった。
「だろ!」
レオナルドは自分が褒められたかのように笑う。
「坊ちゃん、皆さんにこの夜空を見せたくて招待したんですもんね」
サツキが言うと、少し照れたのかレオナルドは無言でそっぽを向いた。ライラ達はお互い顔を見合わせ、どうしても頬が緩んでしまった。
一同はしばらく夜空を眺めて楽しんだ。そのうち、キャロンが寒いのでそろそろ中に入ると言い、エリックと共に部屋へ戻った。サツキはレオナルドにニヨニヨした笑みを投げかけてから、夕食は一時間後にしましょうと言ってエリックに続く。
「ライラはどうする?」
「もうちょっと見たいかな」
「それなら屋根の上に登る? そろそろ部屋の灯りもつくだろうし」
ちょうど山荘の窓から明るい橙色の灯りが漏れる。夜空の深みが薄くなった。レオナルドが小さく頷いてライラをお姫様抱っこし、ひょいと屋根の上に上る。光源から少し離れるだけで大分違うのだ。足場が頼りない三角屋根だが、落ちそうになってもレオナルドが何とかしてくれるだろう。
「なぁライラ、昼間話してたことだけど……」
「うん?」
「入学初日のこと。俺がライラにしたこと」
「ああ、もう別に……」
「やったことは取返しがつかない。何事もそうだと思う。そのときのライラの辛さも、ぼっちの悲しみも、消えたり無くなったりしない。姉貴とアルフォードのことは勘違いだったし、ライラが俺に《魅惑》をしてきているっつーのも思い込みで、ただただ俺がライラを気になってて、惚れてたってだけの、どうしようもない駄犬だっただけ」
「だ、駄犬……」
キャロンがよく口にしていた言葉である。
「ごめん。思い出すたびに、過去の俺をしばき倒したくなるわ」
「何度も謝って貰ってるし、もう本当にいいんだけどな。クラスの皆からも悪口とか嫌がらせとかはなかったんだし。もしそういうことが起これば、私を嫌ってることは別として、見過ごすレオじゃあないでしょ? それぐらい分かる」
「……ライラは怒らないからなぁ」
レオナルドは暗然と下方を見つめている。この話が出たときは、いつもこういう顔をする。ライラは、レオナルドのこういった顔をあまり見たくない。
「もおお! この話、終わり! レオナルドが優しいことも、シスコン気味にお姉さんを大切にしてることも知ってるから! 謝られるよりも、いつもみたく、く、口説いてくるほうが、いいよ!」
「……ありがと」
レオナルドはふっと笑う。折角空気を変えようと、照れながらも口説くよう言ったライラのために。
「それじゃあ、キスしてもいい?」
「なんかさぁなんかさぁ、そうやって許可取ってくるの卑怯じゃないかな、って最近思う……」
「嫌ならハッキリ言ってくれたらいい」
レオナルドは駆け引きなく本心からそう言っている。そうと分かる熱量が、この直球さが、ライラの心臓までズドンと届くのだ。無論、屋敷の淫魔達がキスに許可を求めてくることなどない。寝ていれば好機とばかりに奪ってくる。
「嫌じゃないから、ずるいんじゃないの……」
「ライラは可愛いよなぁ」
レオナルドがライラに少し顔を寄せる。ライラは数秒どうしようか迷い、結局ぎゅっと目を瞑る。レオナルドが微笑んだ気配がした。
そうして、額に軽くキスをされる。
てっきり唇にされると思っていたライラは、ぱちくりと目を開ける。
「……兄様みたい。ふふ」
トゥーリエント兄妹の毎日のやり取りである。
「兄様? ちょっと待て、やり直す。唇にやり直す」
レオナルドの手がライラの頬をとらえる前に、ライラは身を翻して屋根から飛び降りた。きれいに着地してレオナルドを見上げる。
「本日の受付は終了しましたー!」
ライラの顔は得意げである。それに対し、レオナルドは不敵に笑い返した。
「ほお。じゃあ明日は受付してるんですか?」
「し、知りません!」
ライラは急いで部屋に戻った。
バタンと扉が閉まる音がし、レオナルドは楽しそうに笑った。
「敵わないよな」
呟きは北嶺の夜空に消える。
〇
ライラとレオナルドが屋根の上で話していたころ。
サツキが淹れてくれたココアを飲みながら、キャロンとエリックは暖炉の前で温まっていた。気を利かせたのか、サツキは二階の個室に上がっている。パチパチと爆ぜる薪は魔力を秘めた特別製。炎の赤みと、時折跳ねる青白い魔力の粒子が美しい。
キャロンはエリックに聞きたいことがあった。
「エリックさん。今日は一緒に来てくれてありがとうございます。これからズケズケ立ち入ることを聞こうと思っていますの。よろしいですか?」
「何だか改まってるね。いいよ」
「エリックさんは、ライラのことが好きなのだと思ってましたの。……でも最近、は」
「ライラとレオナルドの二人が、いい感じな雰囲気、みたいな?」
「そうです。私も若干アシストしてなくも、ないかも、ですから」
「ふむ。そうだねぇ……」
エリックはココアに口をつけながら、遠い昔を回顧するような、切なさの混じる顔をした。
「ライラのことは、正直よく分かんない。入学当初は、俺だけは特別な存在だと思ってたし、独占欲もあった。ライラと一緒に学園に上がるために、あいつの勉強を手伝ったりもした。ライラにとって、同世代の淫魔……と言うか魔族の友達は、俺だけだって知ってたし。小さい頃は好きだったんだと思う。今思えば初恋か」
そしてエリックは悔いた表情をする。
「小さい頃のことでさ……俺、やらかしたんだよ。ライラが引きこもらざるを得なくなった案件。ライラは俺のせいじゃないって何度も言うんだけどね。そのときのことで、ライラに『罪悪感にとらわれないで』って言われたんだよね。そう言われたとき、俺のなかに占めていた罪悪感の大きさに気づいた。贖罪のつもりも、あったんだ。だったらそれはもう、恋じゃなくない?」
「……それは、人それぞれだと思いますけど」
「俺の場合は違うみたい。そこには俺の、償いが混じっていたから。俺が求める恋じゃない。……ライラのことは好きだけど、妹分としての愛情だったのかも。トゥーリエント家に勤めてる淫魔と、誘われたとは言え……遊んじゃったこともあるしねぇ」
エリックのプレイボーイぶりはあちこちで耳に入っている。
「私は大猫族ですので、淫魔の性については分かりませんの。淫魔に限らずとも、魔族は全体的に性愛奔放じゃありません? でもまぁ、レオナルドはしないでしょうね」
「まあね。あいつのライラへの熱量をみて、俺とは違うなぁって思ったよ。脇目もふらず猪突猛進っつーか、最近隠そうともせずだだ流しだし、恥とか予防線とか全くないのな。何が何でもライラの傍にいたいって、全力で伝えてる」
「一度決めたらすごいですよね。薄々勘付いていたクラスの皆さんもびっくりですの」
「……クラスでもそうなの」
「そうですの」
「俺には出来ないことだねぇ。……ライラのさ、俺への親愛も特別なもんだって最近ちゃんと分かったから、この位置がしっくりくるって言うか、心地いいんだよ」
そう言って暖炉を見つめながら微笑むエリックの顔は、何の憂いもなくリラックスしている。
「ふうん? 確かに、今のエリックさんってスッキリしてますの」
「そうそう。長年の問題が解けたみたいにさ。ところで、大猫族はソッチ系どうなの?」
キャロンはぴくりと眉を上げて目を見開く。「ソッチ系とはどういう意味ですの?」
「夜の恋愛関係の方です。怒ったんならゴメン、でも大猫族って淫魔との関わりが薄い一族だし、気になって」
「ああ。別にいいですの。大猫族は身持ち堅いですわよ。魔族には珍しく一途な傾向ですしね。蠱惑的で恋愛に奔放なイメージのある淫魔とは、あまり関わろうとしませんわね。恋愛観が正反対にありそうですもの」
「へぇ。フォレストさんは好きな奴とか、恋愛に興味あるの?」
こういうことをエリックから聞かれるのは初めてだ。ずいぶん踏み込んできている。キャロンが彼の心のうちを知ろうとしたからか、エリックも遠慮をひとつ取り除いたのだろう。
「私は……好きな方がいたこともありませんし、ぶっちゃけ興味もありませんの」
エリックは腑に落ちた顔をしている。「やっぱり」
「あ、でも。恋愛方面は置いといて、ファルマスお兄さまは格好いいと思いました」
「そ、そっちかぁぁぁぁぁぁ。あいつ、淫魔だけど淫魔のなかでも異端だからな?」
エリックは天井を見上げながら、ソファの背もたれにドスンともたれかかった。
「やっぱりそうですわよね? 何だかこう……確実に淫魔なのに、淫魔じゃないような、何て言うんですの二重構造?みたいな、ちぐはぐなところがまた気になるんですの。あくまで興味ですの。恋愛じゃありませんのよ、だって手に負える訳ないですもの」
「ああうん……フォレストさんの洞察力はすごいな、って思うよ。本人には絶対聞かれたくないけど、ここだけの話、ファルマスについては、なんか漠然と敵わないと思ってしまうんだよね……何故だかはハッキリ分からないけど」
エリックはしみじみ呟いた。
入り口扉がパタンと開き、閉じる。顔を赤くしたライラの帰還である。照れているような困ったようなその顔は、頬の赤みが寒さのせいではないと物語っている。
「「レオナルドに何かされ(まし)た?」」
「未遂!」
白状してしまうのがライラである。嫌がってはなさそうなので、キャロンもエリックも生温かい視線を向けておいた。ほどなくして入ってきたレオナルドに対しても、である。




