いざ北嶺プチ旅行(3)
「ねぇねぇライラさん。結局のところどうなんです? 坊ちゃんと付き合ってるんですか?」
「付き合ってません……」
「坊ちゃんはライラさんのこと、好きですよね」
「すっ……好き、らしい、です……」
「あら、じゃあライラさんは坊ちゃんをフッたんですか?」
「え! 振ったりしてない……と言うか、そうだ、『付き合って』とかは言われていないです。その……ええと……ううぅ」
ライラは真っ赤になって言葉に詰まった。サツキはニマニマとしている。居た堪れない。
(坊ちゃん、案外策士なのかもしれませんね。いま申し込んだって、よく分からないからととりあえず断られそうですもの)
「坊ちゃんってなかなか優良物件だと思いますけど。とりあえずキープとかしないんですか?」
「レオのことは好きです。でも、家族もキャロンちゃんも、まぁエリックも好きです。……私、自分が箱入りで育ったってこと分かってるんです。『好き』ってどういうことなんでしょう。性欲が伴わないと、そういう『好き』ではないのでしょうか?」
「性欲とは……考えが飛躍しましたね。ああでもライラさんは淫魔でしたね。なんだかそういう気配は少ないですけど」
「そうですね、正直、そういう欲は出たことがないです。淫魔って、そういうことが大好きなイメージですけど――確かにそういうタイプもいますけど、そうじゃないタイプも少なからずいて。恋と愛欲は一致するものなんですか?」
こういったことを、少し深いところまで相談したのは初めてだった。
妖狐であるサツキは、淫魔とは違うアプローチの《魅了》に通じる術を持っている。今日エリックが挨拶したときに、ぶわりと漂わせた色香は特別なものだった。何かしらシンパシーを感じている。
キャロンやミリアンというほぼ毎日顔を合わせる相手でなく、近すぎない存在だからこそ相談しやすいのかもしれない。悩んでいたことがつい口から出てしまった。
訊かれたサツキは少し考え、微笑んだ。
「ライラさんは考えすぎなんですよ。好きな相手に強い性欲がある方もいれば、閉じ込めて飾っておきたい偏愛タイプの方だっていますし、それぞれです。分からないうちは、とりあえず坊ちゃんの愛を受け取っていればいいと思いますよ。女は愛されてこそナンボです」
「そう……ですか? 私、はっきりしなくていいんでしょうか」
「いいですよ。心配しなくたって、坊ちゃんは好きなようにやる狼ですし」
「それは……その通りですね」ライラは両手で顔を覆った。
そうだ。ライラが嫌がらない限り、レオナルドは遠慮しない。
(もうこれ何かされてますね。坊ちゃんってば積極的でしたのね……女に興味ないと思ってました)
ガタンと音がした。玄関の方だ。防寒や吹雪対策のため、二重扉になっている。
外から帰ってきたレオナルドは、本性の大狼で駆け回ったのか清々しい顔である。
「ただいまー。あ、ライラもう起きてんだ。大丈夫?」
「だっ……大丈夫。おかえりなさい」
「? 顔赤いけど」
「これは何でもないから……」
ライラの『大丈夫』なんて信用ならないのだろう。レオナルドは近づいて確認する。そうして当然だというように躊躇なくライラの頬に手を添え、上を向かせる。顔色を確認されていると分かってはいるものの、キスされそうな距離感にライラは慌て、目を逸らす。それが分かったレオナルドは口元を緩ませ、さらに顔を近づける。
「ちちちちちち近くない!?」
「そお? ごめんねライラが可愛くって」
「かっ……かわ……!」
レオナルドは完全に面白がっている。サツキがすぐ傍にいようがお構いなしである。
(はああ……お姉さまにも見せてあげたい、この光景……サツキは楽しいです)
お昼過ぎ、サツキはキャロンとエリックを起こしに行った。ライラとレオナルドはお昼ご飯の配膳をする。特別なことはしていないのに、非日常感があって楽しい。サツキは学友同士で食べて下さいと遠慮していたが、ライラ達が用意したのは五人分である。
眠っていた二人とも、気分は良くなったようで、サツキにお礼を言っていた。キャロンは寝不足もあったらしい。
全員が揃い、お昼ご飯である。スライスされたバゲットには、ウォーウルフ邸から持ってきたという白、緑、赤の三種のディップソースが付いている。メインは海老と野菜のハト麦スープ。美味しいのは勿論だが、腹の奥がぽっと灯るような不思議な作用がする。キャロンやエリックも同じように思ったのだろう、はっとした顔をしている。
「サツキ特製ですよ~疲労回復に効く北嶺産の薬味を入れています」
「北嶺って不思議な土地ですのね」
「部屋の中はあったかいけど、外は気温何度くらいなんだ?」
エリックの問いに答えたのはレオナルドだ。「今はマイナス四十度くらい」
「えっ……しぬじゃん……?」
「これでも暖かい方だけど。この先、北嶺を進めばどんどん気温は下がるぞ。どっちかというと、気温よりも魔力の渦が問題だけどな」
「魔力の渦?」とライラが聞く。
「ううんとなぁ……北嶺の土地は魔力の濃度が高いだろ? 奥に行くほどそれも強くなる。濃いだけだったらいいんだけど、たまに、魔力が意思をもったように集合して惑わすんだ。大蛇や獣の形をしていたりもするが、比較的渦状のものが多いからそう呼んでいる。危険なんだよ」
「へぇ……」
「北嶺って謎が多いですのね」
「両親は北嶺のフィールドワークもしてる。大狼一族は放浪癖に加えて、戦闘職とかそういった研究職に就いてるのが多いな。だからこういう別荘をちゃんと管理する必要があるんだ。皆、ふらっと来て羽を休めるから……今日も、もしかしたら誰か来る可能性だってあるし」
「なるほどなぁ。それで、実は世話焼きなお前が管理人をしてんだね」
納得顔のエリックに、レオナルドが戸惑う。「俺が世話焼き……?」
「「自覚なかった(です)の?」」
ライラとキャロンがきれいにハモる。
「坊ちゃんはとっても面倒見が良いですし、実は温厚ですよねぇ」
「実は温厚って何だ。実は、って」
「それ、ちょっと分かるかもです。レオ、最初のとき私にブチ切れてたし。優しい狼だなんて思わなかった。入学早々、あれは怖かったなぁ」
ライラが当時を思い出すように遠い目をする。
「そっ……れ、は」
「クラス全員凍り付いてましたものねぇ。それからライラは孤立するし。別に貴方がそうしろって言った訳じゃありませんから、そうさせた私達も勿論駄目なのですけど、怒気混じりの魔力をたゆたせたレオナルドは怖すぎましたの」
「……」
レオナルドは暗然としている。
「へぇへぇふぅ~ん? 面白いことになってたんだね。なーんとなくは知ってたけどね?だって君、有名人だからさぁ。結構サイテーだよね~」
エリックはここにきて今日一番に生き生きしている。
「しかしライラさん、坊ちゃんに敵意を向けられて、よく頑張りましたね。めちゃくちゃ怖かったんじゃありませんか? 身内贔屓になっちゃいますけど、坊ちゃんかなり強いじゃないですか。そしてクラスで一人ぼっち。サツキならちょっと学校行きたくなくなっちゃう。なのに今こうやって仲良くなって、山荘にまで来てもらえているの、不思議ですね」
サツキが容赦なくトドメを刺した。ライラは思い出し考えながら、ぽつぽつと喋り始める。
「……淫魔の存在自体が許しがたい、みたいな嫌悪だったから、それはもう仕方がないものなんだ、って思ってたんです。怖かったし、一人ぼっちも辛かったけど、嫌な目にあうことはある程度予想してたから……。それは半魔だからとか魔力が少ないからだとか、実力社会の魔界で無能だと判断されるとか、そういう理由で、流石に入学初日にトゥーリエントの淫魔だから嫌われるっていうのは予想外だったけど。真っ直ぐに、ときに変態的に溺愛してくれる兄様達がいるし、父様母様、屋敷の皆だっているし、それにあのときは狼さんが唯一の友達でいてくれたから、頑張れたのかな。あ、幼馴染のエリックもいたね」
エリックが怪訝な顔をした。「“狼さん”……?」
キャロンはじっとりした目でレオナルドを見た。
その視線でほぼ全てを把握したような雰囲気をみせるサツキが、横目でレオナルドを見る。
レオナルドとしては、グサグサブスブスと氷の槍で突かれているような心地であろう。
「あ! 別にもう怒ってないよ! レオにも理由があったんだしね!」
回りくどく責めているようになっていると気付き、ライラは焦った。しかしあまりフォローになっていない――何しろ理由は勘違い――
レオナルドが悄然とした空気を背負って立ち上がる。
「ごめん……。俺、もっかい見回り行ってくるわ……ごちそうさま」
食器をキッチンに片づけ、よろよろとレオナルドは出て行った。
「……まずいこと言っちゃった?」
「いいえ」
「定期的に言っていこう」
キャロンは唇を吊り上げてにっこり笑い、エリックはぐっと親指を上げている。
「面白そうで、いいと思いますよ」
サツキはとても楽しそうに微笑んでいた。




