38:ここからⅡ
ベッドではライラがすやすやと眠り、起きる気配はまだない。もうしばらく様子を見ようと、本棚から小説を取り出した。人間界で有名なSF大河ファンタジーを翻訳したシリーズの一冊である。匂いの立ち上るような描写やバトルシーンの熱も好きだが、秀逸な心理描写の群像劇であるところが好きで何度か読み返している。
絨毯の上に座って脚を投げ出し、ちらりとベッドの方へ目をやる。ライラが起きだしたらすぐ気が付くだろう。窓から風が入り、カーテンを小さく揺らした。
小説を半分近く読み進めたころ、ベッドの方でもぞりと動きがあった。レオナルドは本を閉じて近づく。ライラが目をこすりながら体を起こした。
「ん……ここどこ」
「俺の家」
ベッドの足元の方に立っているレオナルドとばっちり目線が合い、ライラが固まる。
「どこまで覚えてる? あの地下室で倒れたんだよ、ライラ」
数秒置いて静かに頷くところを見ると、ちゃんと覚えているようだ。
「そんで、俺の家に連れて帰った。体綺麗にしたり、着替えとかは家政婦のサツキさんに頼んだから、安心して。ライラの兄貴達には許可をもらってる」
「う、うん」
「……それで、さぁ」
レオナルドはベッドの端に腰かけた。ライラからは下を向く横顔しか見えないだろう。
「俺は、ライラを必要だと思ってる。知らなかった?」
低い声が出た。軽く言おうと思っていたのに、軽い怒気さえ漂ってしまった。
ライラは動けない。
「俺だけじゃない、キャロンだってそうだろ。それくらい、俺だって分かる。――あのとき言ってたよな。自分を『誰も必要としないことぐらい、知ってる』って」
「それ、は」
「俺達のこと信じてないって、そうとも取れるぞ?」
レオナルドはライラの方を見ようとしない。
ライラは知らず、手を握りしめる。
「……ずっと、私は、“羊の姫”であることしか価値がないと思ってた。家族は違う、家族だから、愛してくれてる。でも、他は? 屋敷の皆が愛してくれる自分を肯定したいのに、出来ない。外に出れば、私が私であることだけで、肯定を……必要としてくれるなんてこと、どうしても思えなかった。私は自分に自信がない……」
「うん」
「レオとキャロンちゃんのことは好き。私が好きだったら、それでいいって、思ってたの」
レオナルドがライラの方を向く。視線がぶつかり、ライラの喉が一度ひくっと詰まった。
「それって、信じてないのと一緒だよね……。ごめん、ごめんなさい」
ぽつりぽつりと、ライラの両目から透明な雫が落ちる。にじり寄ったレオナルドはぐりぐりと頭を撫でつけ、その薄い肩を引き寄せて抱きしめた。
「心配した。……無事でよかった」
震えるような押し殺した声で呟いた。それを聞いて、ライラは後悔と安堵、溢れ出る幸福を噛みしめた。
「……ありがとう」
「キャロンにも言っとけよ。それと……エリックも一緒にライラを探したぞ。兄貴達に言われて留守番組だけど」
「うん」
しばらく二人はそのままでいた。
この状況にじりじりしたレオナルドが少し身を離し、ライラの頬を両手で捕らえる。自分の方へ無理矢理向かせ、そうされても特に拒絶の意思も警戒もないライラに、本能が炙られるように焦れた。
「……そんで、分かってないようだから、言っとく。ちゃんと言わないと全然伝わらないのが、分かったわ」
ぱちぱち、とライラは瞬き、レオナルドは薄く深呼吸をした。
「俺、好きだから。恋愛感情でライラのことが好きだから。ちゃんと覚えといて」
「……うん?」
「朝から晩まで一緒にいたいし口づけもしたいし正直抱きたい。甘やかしたいのに少し苛めてみたくもなる、その瞳に映すものを俺だけにしたいくらいの、そういう意味の好き、だ。……こういう状態でそうやって無防備にしてたら、都合いいように考えるけど?」
熱をはらむ甘やかさで囁く。
その意味を理解し始めたライラは、指先から全身まで火が付いたように熱くなり、頬を真っ赤に染めた。
レオナルドの、うわべだけの冷静さが剥がれ、少し魔がさす。
ほんの一瞬、掠め取るようなキスをした。
「隙だらけなんだよ、馬鹿め」
「ばっ……」
「ここ、俺の部屋で、俺のベッドで、そんな防御力も何もない格好してんの、分かれ。少しは拒絶してくれないと、調子乗ってどこまでもするぞ」
「わわわわかった」
ライラは慌てて後退し、距離をとった。自分で言ったこととはいえ、レオナルドは微妙な顔をする。
「……嫌だったか?」
「な、なにが」
「キス」
その単語にびくつき、ぎゅっと両手を握りしめたあと、ライラは震えた声で言った。
「嫌では、なかった」
「……ふうん」
レオナルドは満足気に相槌を打つ。生まれたての小鹿みたいにぷるぷる震えているのをこれ以上攻めるのは可哀想だ。このまま押せば、押し通せるような気もするが。
「さて。この足枷、どうする?」
「えっ、足枷? あ――壊しちゃおうかな」
突然話がそれて肩透かしをくらったライラは、こともなげに言った。両手で足枷の手触りを確かめ、これならいけそうだと呟く。一方の足枷に左手をそえて集中する。
その様子を間近で見たレオナルドは、ライラの漆黒の瞳の中に小さな光が瞬いていることに気付いた。その様々な銀色の粒は、星々きらめく北嶺の夜空を眺めているような心地にさせる。
ふっ、と小さく息を吐き、ライラは手刀を振り下ろした。ばきりと足枷が割れて壊れる。
「うわぁ……お見事」
ライラはもう一つの足枷も同様に壊す。そんなに簡単に壊れるものではない。なにせ魔術封じがかかっているはずなのだ。しかも自分の足首には何らダメージは負っていないのである。不思議が過ぎる。
「うん。もう大丈夫かも。体力も少し戻ってるみたいだし、体も何だかすっきりしてる」
「俺んちの家政婦さん、補助系魔術超得意なんだよ。本人は妖術って呼称んでたけど。そろそろ洗濯乾燥終わってるだろうし、ライラの制服もらいに行こう」
レオナルドが立ち上がり、部屋のドアの方へと移動する。
ライラもベッドから下りてついていく。ちらちらと見てしまうレオナルドの部屋は、書棚に沢山の本が詰められた他はシンプルだが、絨毯と木のぬくもりが部屋の主の気質を表しているように温かみがあった。
自分の部屋を見回しながら、どこかそわそわした様子で微笑むライラを見て、やっぱり――と、つい口が出てしまう。
「もっかいキスしてもいい?」




