36:なすべきことⅣ
「お前……お前、一体、何なんだっ!」
ヘルムの周囲に氷の槍が四つ現れる。それらがヒュンと突き刺さる――前に、ライラは右腕で薙ぎ払った。砕け散った氷の破片が宙にきらめいて消える。
「っ!」
息をのむヘルムに近づこうとしたライラを、アルフォードが止めた。
「あ、ライラ。ヘルムは僕が相手していいですか?」
「兄様が? いいよ、私はもう一発殴ったし」
「ええ。多分、僕への私怨も込みの誘拐だったんでしょう。そうですよね? ヘルム」
ヘルムは憎々し気にアルフォードを睨み付けている。当のアルフォードは鉄格子越しに涼しい顔をして見下ろしていた。
「僕の妹をいいようにすることが出来たら、いい気味だと思っていたんでしょう?」
正解である。ヘルムは奥歯が削られそうなほど噛みしめている。
「えええ……アル兄のせいじゃん……」
一気に疲れたライラは、レオナルド達の方へ寄り、鉄格子を両手で一本ずつ掴んだ。そのまま左右へ力を入れる。
「これ、結構堅い……」
「ライラちゃんならいける!」
ぐぐぐぐぐ、と岩の扉を開くように、鉄格子を押し曲げていく。すんなり通れるくらい広げたころには、流石のライラも息切れしていた。
とん、と牢屋を出たライラを、ファルマスが抱きしめる。
「無事でなにより、ライラちゃん。遅くなってごめんね」
「ううん。……助けに来てくれてありがとう、ファル兄」
「ライラは一人で何とかしましたし、出来ましたよ。だから……大丈夫です。十分、強くなりました」
ヘルムの動向を監視していたアルフォードが、ひととき目線を外してライラに微笑む。笑みを絶やさない彼の、慈愛に満ちた本物の微笑みだった。
「アル兄……ありがとう」
ファルマスの腕の中から出たライラは、少し所在なさげに立っているレオナルドに近づいた。
「レオも、来てくれて、ありがとう。嬉しい。……心配してくれた?」
ライラがレオナルドを伺い見る。ほんの少し、震えていた。
レオナルドは何故か涙が滲みそうになった。ごまかすように、ライラの頭を撫でつけて俯かせる。
「あっ、たりまえ、だろ!」
「ふふふ」
少し乱暴で優しい手の感触に、ライラの胸の奥がじんわりと温かくなった。張りつめていたものが急にゆるんで、安堵感に包まれる。すると、手と足の先からじりじりした痺れが現れてきた。体も急激に重くなる。
「あれ、おかしいな――……」
ライラが前のめりにふらついて倒れ、レオナルドが抱いて受け止めた。ライラは目を閉じて気を失っている。
「ライラ?!」
「大丈夫だよレオ君。たぶん体力も魔力も精神力も使い過ぎて眠りに入っただけ。そろそろ電池切れじゃないかと思ったんだよね」
ファルマスがライラの状態を確認し、レオナルドの肩を叩く。血色は悪くない。呼吸も落ち着いて規則的だ。
「ライラのことは任せたよ。トゥーリエントの家に届けてくれてもいいけど、もしその状態を何とかしてくれるんなら、その方が有難いかな」
制服姿のライラはボロボロである。いつも綺麗にセットしている髪はほつれて汚れ、薬品のような液体をかけられたあとがある。服も言わずもがなだ。素足の両足首には鎖の千切れた鈍色の足枷が嵌っており、四肢に小さな傷が多数ある。衣服と体全体に染みついた泥のような甘い匂いが凄まじく、ライラ本来の匂いが全く嗅ぎ取れないほど酷い。
「……俺の家に連れ帰ってもいいってことか?」
「レオ君は、ライラの嫌がるようなことはしないだろ?」
人好きのする笑顔で言うファルマスに、レオナルドは首肯する。
「翠さんが、きっと心配するからね」
「翠さん?」
「純粋な人間の、ライラの母親。ああ見えて豪胆な人だけどね。ライラのことになると、たぶん、自分を責めるから。ライラも見せたくないだろうし。後でちゃんと報告はするよ」
「分かった」
神妙に頷いたレオナルドはライラを自分のブレザーでくるみ、横抱きにする。それを見たファルマスが目元を綻ばせる。
「君って、案外細やかとゆーか、世話焼きとゆーか。ギャップ萌えだね」
「……貴方も、俺が思ってたような淫魔とはちょっと雰囲気が違う。……悪い意味で言ってるんじゃない。魔術はおそろしく器用で、構成が鮮やかだった。素直に、すげぇと思ってる」
「ありがとう。別に今更畏まらなくていいよ、ファルマスって呼びなよ」
「じゃあ、そうさせてもらう。……あっちの方は、俺が思ってるような感じの淫魔なんだけどな」
レオナルドが目線を向けたのはアルフォードだ。彼はさっきからずっと詠唱している。ヘルムは動こうにも動けないようだ。
「ああ、兄貴はまぁ、典型的な淫魔だよ。何もしなくても女の子達が寄ってくるし。変なルールは決めてるみたいだけど、マジで来る者拒まないからね。でもどうやら兄貴も片思い中――あ、レオ君ちょっと構えてね」
ファルマスが防御魔術を発動させる。自分と妹達を護るように、金糸雀色の大きな盾が現れた。その数秒後、アルフォードの長い詠唱が終わり、魔術が発動する。うねりを帯びた魔力の束が螺旋を描き、天上へ激突した。建物を破壊突破していく鳴動が四度程し、ガラガラバラバラと残骸が落ちてきて、見上げると空が見えた。数人がすっぽり入りそうな穴があいている。
「兄貴~? 証拠資料とか探すんじゃなかったのさ。この上に大事な物あったらどうすんだよ」
「ごめんごめん。やっぱり苛々してしまいまして。でもまぁ、この部屋があれば十分じゃないですか?」
アルフォードの魔術は、ファルマスのような繊細さも緻密さもなく、効率重視で要領よく、ときに力任せで組み立てたものだった。なるほど大雑把だ。
魔術発動前は、凝縮した魔力がとぐろを巻いており、それだけで圧があった。あれだけの力を行使しても、アルフォードは平然としている。ファルマスもだ。魔石を使ったとは言え、あれだけ大掛かりで精緻な――それもシュタイン家が張っていた魔術を破る――魔術を使ってもなお、涼しい顔して立っている。
歴史ある名家の出とは言え、若い世代の、しかも淫魔である。これほどに魔力がある、訳がない。戦闘に特化している大狼族のレオナルドよりも、もしかすると魔力は多いかもしれない。
「なぁ、まさか――」
ファルマスは悪戯するような笑顔で、唇に人差し指を当てた。「シー」
ライラは、本当に“羊の姫”なのか。
「君も、いつか分かるかもしれないね。でもまだナイショ」
「さて。狼君、ライラを頼みましたよ。あとのことは僕達に任せなさい」
ライラが“羊の姫”であれどうであれ、レオナルドはどちらでもいい。
(ただ、守りたいだけ)
「とりあえず俺の家に連れて行く。そしてちゃんと、送り届ける。じゃあ、また」
ライラを抱えたまま、レオナルドは空へ向かって跳んだ。屋根の上に出ると、ライラに負担がかからないようにぎゅっと抱き直す。湖の底から水面を見上げたような、青白く光る波紋の足跡が森の空を駆けた。
「さーてヘルム。そろそろ一度決着をつけません? 淫魔らしく、淫魔の闘いを、しましょうか」
「舐めるなよ」
アルフォードは凄絶に笑う。ファルマスはそれを横目に、ライラに倒された二人を引きずって集めた。骨折等はしているが命に別状はない。このまま魔術で拘束する。
「ああ……数週間、イヤなものを見るハメになりそうだなぁ」
この先の展開を想像し、肩をすくめた。




