35:なすべきことⅢ
ヘルム達がいるであろう屋敷にはすぐに着いた。二階建ての、十数人は住むことが出来るだろう規模のしっかりした屋敷である。白い壁に規則的な窓を取り付けた、見た目は何の変哲もない外観をしている。
「いや~かっこいいねぇレオ君!」
本性の大狼の背に乗れたファルマスはご機嫌である。
アルフォードは低い柵のような屋敷の門柱を触り、レオナルドを振り返った。
「最後の結界ですかね。狼君、力業で破れますか?」
『いける。ちょっと離れててくれ』
アルフォードとファルマスが後方に離れたのを確認し、レオナルドは意識を集中させた。大狼の鼻面の先に一つの大きな魔法陣が浮かび上がる。その魔法陣の周囲に五つ、中位の魔法陣が出現した。その複雑さにアルフォードは瞠目する。
大狼が唸り声を上げ、目を焼くような赤白い光が炸裂すると、紅蓮の炎が轟音を上げながら現れた。宙にとぐろを巻き、屋敷の結界に襲い掛かる。
勝負は一瞬だった。薄いガラスを割るように結界が壊れた。
「ヒュー! すっごいねぇ狼君」と拍手するアルフォード。
「……もうからかうのはやめようかなぁ」ファルマスは真顔になっていた。
「しかし、こんな高度の魔術を使わなくてもよかったんじゃないですか?」
炎の名残である火の粉が降るなか、青白い魔力の粒子を散らせながらレオナルドは人型に戻った。
「……これくらい発散しとかないと、あいつらに何かしてしまいそうだから」
「僕らの意図を汲み取ってくれてありがとう」
屋敷に入った途端、酷い匂いがした。粘着質の甘さ、こちらを酩酊させようとしてくる魔術的な匂い。アルフォードの案内がなくともレオナルドには場所が分かった。目印に煙を焚いているようなものだ。
至る所に華美な装飾を施した屋敷内を駆け、書斎のような部屋に着く。マホガニーのどっしりした机に、同様の安楽椅子、書棚や飾り棚は壁際に並んでいる。そこにある書棚の一つにレオナルドは迷いなく近づき、強引に横へどかした。並大抵の力では動かないはずだが、彼にとっては問題ない。
「たぶんどっかに仕掛けがあるんだろうけどなぁ……ライラちゃんと同じくこの子も怪力だなぁ……」
後ろにいるファルマスが苦笑気味にぼやいた。
書棚があったそこには地下へつながる階段が隠されていた。絡みつくような甘さが漂ってくる。
「ああ……ヘルムの奴、本気でライラを堕とそうとしてるんですねぇ……」
アルフォードの声音に混じっているのは、怒りと呆れであった。この濃厚な魔術の匂いを感じて何故焦らないのか、レオナルドは再度キレそうになる。
「なぁ……何で焦らないんだよ! 妹だろ?! これだけ用意周到にしてたら、堕ちるかもしれないだろ!」
「え……狼君は知っていると思っていました」
キョトンとしたアルフォードの代わりに、ファルマスが答える。
「ライラちゃんは《魅惑》にかからないよ。多分、誰がやっても」
「……エ?」
意味が分からない、とレオナルドはアルフォードの方を見た。彼もこっくりと頷く。
「ああ、だから、焦らない僕達にとぉっても苛立ってたんですねぇ君は。ライラは《魅惑》が出来ないけれど、《魅惑》にかかりません。それにライラが危機を感じたら、ファルマスの護りが作用して、一時繭に包まれます。内からも外からも何も出来ない状態になるんですけどね、束の間無敵ですよ。抱いてしまいたいほど愛しい可愛い妹ですから、対抗措置は準備しています」
「……そうですか」
レオナルドは小さく返事をした。怒鳴った勢いはもう無い。
(だからデヴォンの《魅惑》にもかからなかったのか……。聞いたことないけど繭の魔術って何だ? あと妹に対して抱いてしまいたいとか言ってなかったかこの美形。……。トゥーリエント兄弟についてはあまり考えない方がいい気がする)
「そろそろ行こうか~」
のんびりと言いながら先に下りていくファルマスに、残り二人も続く。
階段部分に下りた途端、声が聞こえた。男の叫び声だ。
「くっそ! 調子乗んなよこの女!」
ガシャンと鋼鉄なものが揺らされた音がした。
階段を飛び降りるようにして先へ急げば、そこは赤と黒と純白と、極彩色に彩られた牢屋の部屋だった。屋敷の入り口にまで漂っていた甘い匂いが充満しており、レオナルドは噎せそうになる。
鉄格子の向こうには、ライラがぼんやり立っていた。いや、ぼんやりしているように見えて、瞳は燃えている。制服のシャツは皺だらけで、スカートは汚れている。素足には鎖の千切れた大きな足枷が嵌っていた。よく見ると床に手枷の残骸が、壁面の二ヵ所にはやや崩れたところがある。ライラがどうされていたか、これからどうされようとしていたのか、憶測ではあるが理解した。
牢屋の中にはライラの他に三人。こちらに背を向けて鉄格子にもたれかかっている男、さっきのガシャンといった音はこれだったのだろう。ライラから見て左手の方の壁に座り込んでいるのはヘルム。右手の方で詠唱している長髪の男――
「ライラ危ない!」
「――えっ、レオ?」
ライラがぱちんと目を瞬いた。その隙に、長髪の男が繰り出す鋭利な風の刃がライラを襲い、大きな三つの刀傷を負わせる――はずだった。
ライラはその魔術を、まるで叩き落とすように壊した。長髪の男もレオナルドも唖然とする。
「レオ? レオがいるの? ってゆか兄様達と⁈」
乱入者に気付いたヘルムが凄まじい形相で奥歯を噛みしめる。
「なっんで、ここが分かった?! ここには入って来られない、はずっ! くっそ!」
ヘルムの周囲が淡く光り……そして消えた。意味が分からない、と凍り付く彼に、説明したのはファルマスだ。
「森に巡らされた結界は壊さず侵入させてもらって、《転移》封じの結界を張らせてもらったよ。ちゃんと効き目あるみたいだね、よかった~」
「自分だけ逃げようなんて君のやりそうなことですね」
レオナルドが鉄格子を壊そうと掴んだ。さわると解る、魔術封じが施されている――簡単に壊すことは出来ない。本気の紅蓮の炎で溶かし壊すことは出来るが、それだと自分以外が重症を負う。他の高難度魔術でも広範囲に及ぶものになってしまう。レオナルドは器用に一点集中して攻撃することが苦手だった。魔力が恐ろしく多いせいもある。ならばもう天井から壊せばいいかな、と考えた。
劣勢なのを悟ったヘルム達は、まだ一番弱そうなライラを片付けようと決めた。あわよくば人質にとろうと考えたのだろう。なかなか壊せない仕様の鉄格子の中は、ライラがいる以上、ある意味安全だった。三人が目配せしあい、ライラに対峙する。
「ライラいいですか、これは正当防衛です。本気を、全力を出して大丈夫。彼らは弱くないし、ほら、何かあってもここに治癒魔術も得意なファルマスがいますから」
「それとライラちゃん、この鉄格子も壊して?」
俺ちょっと面倒くさい、と笑いながら言う兄弟。
ナメられている、と思ったヘルム達はライラに襲い掛かった。まず一人が拳に炎の魔術を込めてライラに殴りかかる。ライラはそれを左掌で弾くように受け止め、右の正面突きを体幹に当てた。相手は苦し気に空気を口から吐きながら鉄格子まで吹っ飛び、床に崩れ落ちる。
次のもう一人が、中距離から魔術でライラを狙っていた。十字架のような棘を巡らせる、消滅系の魔術だ。ライラを取り囲み、串刺しにしようとしている。どのような仕組みなのかは分からないが、ライラはそれを、ただ殴り飛ばした。レオナルドには、魔術の核そのものに直接触れて壊しているように見えた。
ライラは、今の出来事に呆然としている男のもとへ足を踏み込み、飛び蹴りをする。彼はそのまま壁に激突し、意識を失った。
くるりと振り向いて、ヘルムを睨み付ける。




