32:そしてはじまるⅢ
「――状況はだいたい分かりました。おそらく連れ去られたんでしょうねぇ。話を聞くに、ヘルムが最も怪しいですが」
三人の話を聞いて、アルフォードが結論を出す。彼の悠長な態度に、レオナルドは焦りと憤りが隠せない。
「こっちの彼女はもう大丈夫かな。しばらく目を覚まさないと思うけど……。《魅惑》と《暗示》をかけられていたみたいだね。《魅了》になりそこないの状況だったよ。強い魔術だけど、雑というか乱暴だな」
ユキにかけられた魔術を解除したファルマスが言う。ユキは静かに眠っており、心なし頬の血色も良くなっている。
魔術解除を隣で見ていたキャロンは、ファルマスの精緻で鮮やかな手技に見惚れていた。
「さて、そこの狼君が今にも噛みついてきそうですし――ライラを迎えに行きましょうか」
「は? どこに」
アルフォードに対してはつい険のある声をだしてしまうレオナルドに、この場の最年長である彼は艶々と微笑んだ。
「シュタイン家本邸なぞにはいないでしょうねぇ。狼君は、GPSって知っていますか?」
「じぃぴぃ……?」
「人間界の技術なんですがね。個人の位置情報が分かるシステムなんですよ。僕はそれを魔術に応用したんです」
アルフォードは持ってきた冊子をテーブルの上に置いた。そして掌をかざす。
「ライラには僕お手製の発信機がついています。さぁ――“示せ示せ我らの片割れ、最愛にして最愛なる貴方”――」
冊子の表紙に魔法陣が浮かび、煌めきながらひとりでにページがめくられている。魔術に集中しているアルフォードのかわりに、ファルマスが説明を始めた。
「ライラちゃんの下着類はね、全部兄貴が用意したものなんだよ」
「「「え゛」」」三人の引き攣った声が重なった。
「その全てに、兄貴の魔術式が織り込まれているんだ。発信機というのはそれのこと。兄貴が編み出した魔術を使うと、ライラちゃんの下着がある場所が分かる。今光っている本みたいなアレは、魔界の地図だね。探してるんだよ、今」
三人が言葉にならない顔をして――すごいと称賛すべきなのか、変態くさいと思っていいところなのか――アルフォードの方を見る。
「そして、ライラちゃんが身につけている装飾品は俺が用意したもの。念のため発信機の魔術を仕込んだものもあるけど、護りの魔術をいくつかかけてある。俺が数年かけて創り出したやつ。もしも、ライラちゃんが防ぎようのない危害を加えられようとすれば発動する。今のところ、一つも作動していない。だから、俺達はあまり焦っていない」
詠唱の終わったアルフォードが彼らに視線を寄越す。
「学内の犯行、おそらくヘルムによるものですし、ライラ一人で何とか出来るだろうとも思っていますよ」
「でも相手は一人とは限らないだろ」レオナルドが言い返す。
「ええ。ヘルムが犯人であれば、金魚のフンが二匹程一緒にいるでしょうね」
アルフォードとファルマスが確認するように目を合わせ、頷き合う。
「ライラちゃんは、本当の実戦をしたことがない」
「これは、ある意味絶好の機会でもあるんですよ」
エリックとキャロンは訝し気に首を傾げた。レオナルドは、言わんとしていることは分かる。だが感情は別だ。
「とまぁ、怒ってない訳ではないですからね。やるなら思いっきりやりますよ。どうやらここにいるみたいですし」
アルフォードは一瞬凄まじい怒気を瞳にちらつかせて微笑んだ。そして全員に見えるように地図を出す。とある一点に薔薇の意匠をした小さな駒が、白い光を放ちながら浮いていた。
「ここは……シュタイン家が有すると噂されている、《謀りの森》ですわね。進んでも進んでも迷っていつの間にか入り口に出てしまうという。特別な何かがここにある訳でもないので、長年放置されていた森ですわ。ここですの?」
「迷うように魔術が巡らされているのでしょう。からくりが分かった時点で半分解けたようなものですが。ファル、頼めますか?」
「分かった。あれだろ、あれをしろって言ってんだろ。ちょっと用意してくる。しばらく待ってて」
そう言うとファルマスは医務室を駆け出して行った。アルフォードはレオナルドを見ながら話を進める。「それで、突入要員ですが」
「俺は行くぞ」
睨みつけてくるようなレオナルドに、アルフォードはにっこりとした。「最初からそのつもりです。君、火力ありそうですし」
「あの、目くらましの魔術というか……結界も張ってあると思うのですが、大丈夫ですの?」
「ああ、それはファルマスが上手くやりますよ。そうですね、キャロンさんは待機して下さい。もしかすると、後処理の渡りをつけてもらうかもしれません。楽しみにしてて下さいね」
朗らかでいて有無を言わせないような威圧感に、キャロンはただ頷く。
「エリック、君も待機。淫魔が三人もいりませんし。大丈夫だと思いますが、ユキさんの容体をみていてください。何かあれば知らせます……そうだな、連絡紙を作っておこう」
アルフォードは養護教諭の机の抽斗を勝手に開け、適当な紙を探す。その迷いのなさに三人は唖然とする――今、鍵の魔術を解除しなかったか。そして、それが手慣れていなかったか――
魔術紙があったので一枚取り、筆記具も拝借する。中央に簡単な魔法陣を書いて、それを割るように二つ裂いた。一つをエリックに渡す。
「はい。事が終わり次第、これに連絡するので持っていて下さい。僕がこちらに書いたものが、そのままそちらの紙に映し出されます。ああ、このペンも借りておこう」
質の良さそうな万年筆をスッとポケットに入れる。今ここに養護教諭がいないことが問題なのだ――と思っているのだろう。確かにその通りなのだが、拝借するにしては仕草が優雅過ぎる。
勝手に割り振りを決められたエリックは、苦い顔をして受諾した。このメンツに混じれば、荒事対処では足手まといになりかねないからである。
「ちなみにライラの下着類ですが。ちゃんと、ライラに似合って素材を生かすようなものをセレクトしてますよ。僕の好みでなく。例えば白いレースとかフリ――」
「待て馬鹿! 言うな!」
エリックが頑張って止めた。
黒革のボディバックを背負ったファルマスが帰ってきて、軽く打ち合わせをする。《謀りの森》までの転移は、目標座標がないためバラバラになってしまう恐れがある。結界の感覚を捉えながら飛べるファルマスが先導する。そしてファルマスが結界を何とかして、ライラのいる場所まで疾駆。レオナルドの本性が一番早いので、不本意ながらアルフォードとファルマスを背に乗せる。おそらく屋敷にいるので、それを蹴破るのがレオナルド。屋敷内のライラの位置を感じ取りながら先行するのはアルフォード。
「ファルマス様、優秀過ぎません?」
「アルフォードほぼ何もしないじゃん……」
戦略を横で聞いているキャロンとエリックが感想を言う。
「僕の出番は最後ですよ。“羊の姫”にも興味があるんでしょうが、半分は僕へのやっかみでしょうからねぇ。昔――ヘルムの狙っていた相手が僕を好きになり、禁じ手の《魅惑》をかけようとしても無理だったときから、何だか目の敵にされてるんですよ。一度本気でやっとかないと、もう面倒になってきましたしね。ライラの救出とその後は狼君に任せますよ」
レオナルドは意外だった。絶対この兄弟達がライラを連れ帰ると思っていたからだ。
「……いいのか?」
「ファルマスは後始末で大変でしょうから」
皆がファルマスの方を見る。彼は戦闘前だというのにもう疲れた顔をしてため息をついた。
「……面倒なことばっか押し付けてくるよなぁ。分かってたけどさぁ」
何が起きるのだろう、と一回生組は思ったが、薄ら寒く美しいアルフォードの笑顔を見るとなんとなく分かる気がした。




