31:そしてはじまるⅡ
昼休み。ライラが教室になかなか帰ってこないので、キャロンは先にいつもの場所へ向かった。大判ハンカチを地面に敷いて座り、ライラを待つも来ない。こんな日もあるかな、と弁当であるサンドイッチを食べ始めた。一つ目のベリージャムサンドを食べ終わる頃、森の方から水色の狼がやって来た。
『ライラは?』
キャロンは卵とレタスのサンドを手に取りながら答える。「まだですの」
『……そうか』
キャロンは黙々と食べ、狼は地面に伏せて目を閉じる。二人の間に特に会話はない。時折、森の奥へ抜ける一陣の風が吹く。そのなかにざわめくものを感じたのだろうか。狼が目を開けた。
『なぁ、遅くないか』
「ライラの三限は確か薬学基礎でしたっけ。今日は実習すると言っていましたから、そのメンバーで一緒にいるのかもしれませんの。そんな日もありますわよ」
『あいつの場合、そうだとしても連絡を寄越しそうじゃないか?』
「……そう言われてみれば、そうですの」
ざらりとした沈黙がおりた。
『キャロン、探索、出来るか』
キャロンは既に昼ご飯を片付け始めていた。「ええ」
目を瞑り、集中する。両掌を地面の方にかざし、複雑な魔法陣が浮き上がる。フォレスト家特有の魔法陣である。魔術の粒子が周囲に散らばり、黄緑色を帯びた光が無数に宙を舞うと四方へ霧散した。聞き取れない声でキャロンは何事か呟いている。しばらくして目を開けたが、その瞳は陰を抱えていた。
「いません、見つけられない……」
『術の精度は』
「日頃一緒にいるライラの魔力は分かりやすいですわ。そしてこの学園内の範囲でしたら、十分カバー出来るはずです。探索系は得意ですから……」
『……そうだよな。もしかすると、昼休み前に早退したのかもしれない。けど、俺らが危惧しているような事態になってるかもしれない。二限は一緒に講義受けただろ。三限はどうだったか確認しよう。ライラと同じ授業取ってる奴、知ってるか?』
「エリックさんと同じクラスに一人、ユキという子がいたはずです」
教室にユキはいなかった。しかし今日は確かに登校しているという。
レオナルドとキャロンという珍しい組み合わせがある女生徒を探して、他クラスに顔を出すなんて希少イベントである。クラス中が二人に注目しているなか、一人の男子生徒が声を上げた。
「俺さっき医務室行ってたんだけど、ユキならそこで寝てたよ」
「そうか。教えてくれてありがとう」
レオナルドの率直な感謝に、男子生徒がびっくりしたように照れた。
二人が踵を返そうとすると、ちょうど廊下の方からエリックが帰ってきた。二人に目を止め、サッと真顔になる。
「……ライラは?」
「行きながら話す。多分、お前が予想しているとおりだ」
医務室はガランとしていた。昼休みだからだろうか養護教諭もいない。奥にあるベッドでユキが横になっているようだ。近づくと、目は薄っすら開いており眠ってはいなかった。キャロンがそっと声をかける。
「ユキさん? お休み中ごめんなさい。聞きたいことがあって、ちょっといいですか?」
「……?」
問いかけに、ユキは身を起こす。どこも見えていないようなボンヤリした目に、レオナルドの焦りが拍車をかけていく。
「ユキさんは三限、薬学基礎でしたわよね? ライラもいました?」
「三限……ライラ……ライラさん? ライラさんだったら、第五……ええと、Ⅳ号棟の第五準備室に……誘導、する……」
「……何て仰いました?」
「……ライラさんは、Ⅳ号棟の、第五準備室に、行った」
ユキのそれは機械的な呟きである。
「キャロン、これ、暗示だか洗脳だかされてるぞ」
「私もそう思います」
エリックが近づいて、ユキの瞳をのぞきこんだ。「いつものユキとまるで違う。たぶん、二重か三重にかけられているよ」
搦めとられていくような不安と、忍び寄っていた危機に、闇のような不気味さ。
ライラに何かあったのは間違いない。レオナルドは拳を握りしめる。闇雲に焦っても事態はよくならないが、体の底から魔力が溢れ出る。どくどくと脈打つ心臓、理性よりも本能が勝り、本性が滲み出ようとしている――
「レオナルド、落ち着いて下さい、それ以上威圧するのは、やめて……」
日頃は抑え込んでいるものが姿を現せようとし、強者の魔力が他者を圧倒する。キャロンはそれにあえいだ。
「ごめん!」
レオナルドは鋭く伸びた爪で己の腕を小さく裂き、痛みで理性を取り戻す。キャロンにもう一度謝った。
「俺はこういう暗示系の魔術解除は上手くない。エリックはどうだ?」
「出来ないこともないけど……ユキに全くの損傷を負わさずに解除する自信はない」
「第五準備室に行ってみません? 多分、もう何もないと思いますけど……手がかりが残っているかもしれませんの」
「……ライラの兄貴達に知らせよう。昼休みももう終わる、早く捕まえないと面倒だよ。俺はアルフォードを見つける。どっちか、ファルマスと面識ある?」
エリックの提案に、レオナルドもキャロンもはっとした。
「私が行きますわ。姉が、ファルマス様と同じクラスですし」
「じゃあ俺は、第五準備室に行ってみる。集合はここでいいか?」
三者頷き、駆け出した。
Ⅳ号棟には人気がなく、第五準備室も無人であった。壁一面に覆われた書棚、ガラス窓の棚には普段なかなか使われることのない実験器具や魔術用具が置いてある。きちんと収納されているそれらに、一見して目立った様子はない――が、レオナルドの鼻は確かにここにライラがいた匂いを嗅ぎ取っていた。意識を集中すれば、かすかに残った魔術の残滓がある。物理的な攻撃ではない、おそらく精神に働きかける作用のものだ。特に、出入口の床にそれらが漂っている。指を床に滑らせると、黄色いチョークの粉が付着した。ここで魔術が使われたことは間違いないだろう。
「姉さん! ファルマス様をお呼びしたいのですが、どちらにいらっしゃるか分かります?」
三回生の学年のところに来たキャロンは脇目も振らず姉の教室へ駆けた。下級生への物珍しい視線など気にも留めない。
「キャロちゃん? ここまで来るなんて珍しいね。ファルマス君ならね、多分……ほら、あそこの群れのなか」
キャロンの姉が指したのは、隣の教室前の廊下である。自クラスに帰って来ようとしているファルマスを、女生徒数人が取り囲んでいた。優しさ溢れる彼は振り切らずに言葉を交わしつつ、こちらに向かってこようとしている。姉も苦笑いである。
キャロンはその群れに立ちはだかるように相対した。何この下級生、と女生徒達の冷たい視線が刺さる。
「ライラのお兄様、緊急事態です」
「行こう」
さっと厳しい顔になったファルマスはキャロンの後をついていく。
「あれ? 君が一人で僕に会いに来るなんて珍しいですねぇ」
昼休みが終わる間際、アルフォードは教室の席に着いていた。社交の場によく出ているため上級生にも知られているエリックは、軽く挨拶して中に入り、アルフォードの机の前に立つ。
「ライラがいなくなった」
「……なるほど」
アルフォードは焦るでも慌てるでもなく、机の中を探り、薄い冊子を取り出して立ち上がった。隣の席の生徒に「僕は早退しますね」と言付けて優雅に教室を出て行く。
予鈴のチャイムが鳴った。




