26:予兆
授業を終え、連絡事項等を伝えるための終学活が終わり、放課後となる。レオナルドから敵意を向けられていた頃は、朝学活とこの時間も肩身が狭かったが、今は楽しい。前の席にはキャロンがいて、隣の席には狼さん――レオナルドがいる。
強張っていたライラの表情も解け、クラスメイト達は一様に何かが変わったと気付いていた。
「ライラ、お前この後何か用事あるか?」
なによりレオナルドが最初の頃と打って変わってライラと親密なのである。
「今日は別に何もな――」「なぁライラ! 部活訪問付き合って!」「えっ、ちょ――」
教室後方のドアが開いたと思うと、別クラスのライラの幼馴染であるエリックが現れ、有無を言わさずライラの手を引いて連れて行った。
嵐のようだった。
右手を宙に浮かせたままポカンとしているレオナルドをクラスメイト達は見やる。
「……残念でしたね、レオナルド・ウォーウルフ」
可哀想なものを見る目のキャロンに、レオナルドは無視することにした。
「ねぇエリック。私とエリックじゃあ出来が違うし、部活だって合わないと思うんだけど。まず部活動するか決めてないし、ってか実践魔術の予習でいっぱいいっぱいだし……」
「なぁ、隣の席のレオナルド・ウォーウルフとは仲良くなった?」
エリックはたいていライラの話を聞いていない。
「うん、少しね。あとキャロンちゃん――フォレストさんとも仲良くなったよ」
「ふうん。キャロン・フォレストって言うと――情報屋かぁ。ライラ、ウォーウルフは狼だよ。それも凶暴なやつ」
「大狼族だよね。しかも超強い。知ってる」
「それもそうだけど、そうじゃなくて……あ、マズイ、ライラ隠れ――」
「やあやあそこにいるのはバーナード家の次男だね? そしてその黒髪、間違えるはずもない。箱入りお嬢、トゥーリエント家で大事に大事にしまい込まれていたライラ嬢だね? いやはや奇遇だ、今日はいい日に違いない」
ライラ達が歩いていた一階の外廊下の前方から、両手を広げながら大仰に話しかけてくる男がいた。煌びやかに輝く銀色の髪、聞いている者を蕩けさせようとしているのが分かる声色、その雰囲気。ライラでも分かる。淫魔族の誰かだ。
ライラのなかの警鐘が鳴る。あまり近づかない方がいい――。
「シュタイン先輩、お久しぶりです」
エリックがライラをかばうように前に出る。シュタインの方はそんなエリックを無視し、回り込んでライラに近づいた。
「へぇぇ……間近でちゃんと見るのは初めてかな。僕はヘルム・シュタイン。由緒正しき淫魔の家系だよ。君を見ると……そしてこの匂い、まことしやかに囁かれているあの話も、あながち間違っていないように思えるなぁ。いいねいいね、俄然食指が動くなぁ。ようこそ下界へ、箱入りの姫。君は誰に囚われるんだろうねぇ」
「……初めまして」
「では先輩、急ぎますので、失礼します」
ライラは何でもない風を装って一言だけ返した。エリックがライラの掌をぎゅっと握り、早急に距離を置こうと歩き出す。
二人の後ろ姿を見送りながら、ヘルムは怪しく笑っていた。
「あはは。エリック君はすでにエントリーしているのかな? それではまた会いましょうか、我らが姫君。あははっ」
ライラとエリックが移動する速度は駆け足に近い。廊下を曲がり、また曲がり、近くの空き教室に入るまで無言だった。荒くなった息を整え、二人で窓の外や隣の教室の様子を伺う。ライラの背にはまだ悪寒が離れない。
「誰、あの、ヤバそうな奴」
エリックが指をパチンと鳴らし、腕を突き出すと掌を地面に向ける。ライラとエリックが立っているところを取り囲むように魔法陣が浮かび上がった。一言二言小さく唱え、もう一度指を鳴らす。青白く発光する魔法陣が、微細な粒子を上方に舞い散らせている。唇に蝶のシンボル――沈黙系の魔術だ。エリックは余程聞かれたたくない内容を話そうとしている。
「ヘルム・シュタイン、俺達の三つ上で、アルフォードと同じ学年。シュタイン家は、前魔王の代までは伯爵の爵位持ちだった。歴史は長い一族で、広大な土地と莫大な財産を持っている。何故爵位を取り上げられたかと言うと……」
「新しい魔王様が就任したとき、過去の数々の非道な行いを清算したから、だよね」
「そう。最近だと、精気を吸うために、極上の精気を持つレアタイプの人間達を攫って囲っていた。関わっていた者達は粛清されたけど、そういった気風は変わっていない一族だ。歴史だけは長いから、派閥もある。
ヘルムは確か三男。甘やかされて育っている。同じ名家出身の淫魔であるアルフォードを一方的にライバル視しているのは有名。アルフォードは視界にも入れてなさそうだけどね……。仲間というか舎弟みたいな友人が二人ほどいたはず。あまり良い噂は聞かない」
ライラは舐め回されるような視線を思い出す。
「私のこと、“まことしやかに囁かれているあの話”って言ってた。これだけ経っても、まだ健在なんだよ。ヘルムは、あの話を信じている派なんだと思う?」
エリックは無意識に唇を噛む。「多分」
「……ごめん、俺が――」
「違う、エリックのせいじゃない。きっかけはエリックだったのかもしれないけど、あの場にあいつがいた時点で詰んでた。そもそも私を見に来たって言ってたから、どちらにしろ見つかったんだよ。私が《魅惑》出来ないのなんていつか知れる。むしろ、あの幼少期でちょうど良かったんだよ」
エリックは下を見たまま何も言わない。ライラは彼の顔を下から覗き込んで見上げ、人差し指で額を突いた。
「お願いだから罪悪感に囚われないで。私はエリックが友達でいてくれて良かったって、本当に思ってるんだから」
エリックは覆いかぶさるようにライラを抱きしめた。ライラは腕を回してポンポンと背中を叩く。
親愛の抱擁だった。




