2:学園へ
屋敷の外に出ると、エリックは既に待ってくれていた。幼馴染のライラから見ても、彼は特に容姿に優れていると思う。淫魔らしい銀髪には菫色が混じり、襟足は短く、右側の髪をやや長めに残している。すっきりとした輪郭、髪と同じ菫色の、好奇心旺盛そうな瞳が印象的だ。やんちゃそうな青年であるのに、近づいてみると引き込まれるような甘い色気がある。背はライラが見上げる程に高く、均衡がとれた体つきである。
「遅い」
「ごめん、来てもらってるのに」
「まぁ、それはいいんだけど……。あ、あいつらは?」
「あいつらって?」
「お前の兄貴達」
「まだ寝てるよ。ほら、今日は新入生だけだし」
「そうか」
明らかにほっとしたのは勘違いではないだろう。エリックはライラの兄達が苦手である。
彼はきょろきょろと辺りを見回した後、少し屈んでライラの額に口付けを落とした。
「おはよう。忘れるところだった」
「おはよう。別にエリックは我が家の家訓に従わなくていいんだけど……」
「従ってもいいんだろ?」
「学園ではしないでよね」
トゥーリエント家の家訓、キスは挨拶、挨拶はキス。いつの当主が決めたのかは知らない。これがあるからこそ、兄達もミリアンもヨハンも所構わずライラにキスをしてくる。
エリックは「考えておく」と片方の口角を上げて笑う。聞く気はないらしい。
大きく一息ついたエリックが指先を宙に浮かべ、文字を描き始めた。指先が青白く発光し、残像となって文字が残る。
「目的地を頭に浮かべながら描いて、自分の周囲を囲むように円を描き、閉じる。不安なら《転移》も描けばいいよ。慣れてくると魔法陣もいらなくなる。練習あるのみ」
「いいねぇ秀才君は。私、変なところ行っちゃいそう」
「別に俺とずっと一緒に行動するつもりならいいけどね。連れてってやるよ」
エリックは左腕でライラをぐっと引き寄せ抱きしめると、一回転し二人の周囲に円を描いた。青白く発光している描線からは、同じ色の粒子がきらきらと零れている。転移術で今から学園へ飛ぼうとしている、独特の浮遊感が二人を包んだ。
エリックはライラを抱きしめたまま、顔を覗き込む。
「で? 俺には挨拶してくれないの?」
「されるのは慣れたけど、するのは慣れてない」
視界一面を青白い光に包み込まれた次の瞬間、目的の学園に到着していた。レンガ作りの大きな門が左右にそびえ、ところどころ意匠を施した黒格子のフェンスが敷地を取り囲んでいる。この境界を基準に学園の結界が張られているらしい。
門から続く道の向こうに時計塔が見えた。四階建てくらいの高さで白を基調としており、赤茶色のレンガと屋根瓦が彩りを添えている。時計の文字盤は大きく、ところどころステンドガラスで装飾されていた。時計塔の手前には芝生が大きく広がり、その中央を横切るようにX字で白い道を作ってある。
道の白さ、芝生の緑、美しい時計塔に、広がる空の青。魔界でこれだけ空が青い場所というのも珍しかった。
「すごく、綺麗だね」
「同意。少し人間界に感化され過ぎてる感じはするけど」
「ああ、なるほど」
「だるいけど入学式に向かうか。お前の番号は?」
「えーっと確か502番。エリックは?」
「112番。ってことは五組と一組か。離れたな」
学生は全員個人番号があらかじめ振り分けられている。種族や家柄が偏らないようにと学園側が配慮している。授業は主に選択科目だが、必修科目やイベントごとはこのクラスで行うことになっている。
「同じクラスになることはないだろうね。家柄的には私も良家になるから」
自然と言葉が尻すぼみになっていた。伯爵家に生まれているにも関わらず魔力があまり無く、見た目も他の淫魔と違うところはどうしても引け目に感じてしまう。
エリックのバーナード家は侯爵の地位を授かっており、ライラのトゥーリエント家よりも上の爵位にある。それに見合う魔力と技量をエリックは備えている。
「弱気になるなよ。確かに魔力はないけど、その《怪力》でねじ伏せれるだろ」
「多分……。でも加減が難しい」
「お前にしかない武器なんだから誇っていい」
エリックがライラの頭をぽんぽんと撫でた。ライラがはにかんだ笑みを向ける。
「エリックって、お兄ちゃんみたいだよね。兄達よりよっぽどそんな感じ」
エリックの顔が引きつる。
「お前の兄貴になるつもりは一切無い」
「怒った?」
ライラがおそるおそる尋ねると、エリックは表情を和らげ、少し途方に暮れた顔をした。
「怒ってないから心配すんな」
エリックの目は怒っているものではなかった。気のせいでなければ、何かを愛おしむようなものだった。兄達とは少し違う。時々こんなふうに見つめられると、ライラは胸に奇妙なざわめきを感じる。くすぐったいような、逃げ出したいような、どうすればいいか分からなくなる。
エリックから目を逸らし、ぎゅっと拳を握る。これまで自分が甘やかされ育ってきたことは自覚している。とても恵まれている、と。でもいずれ、エリックや兄達のような魔力や技量がなくても、この身一つで立ち回らなければならないのだ。トゥーリエントの家名を背負って。
学園でどこまで技量が磨けるか分からないが、トゥーリエント家の名に恥じぬよう、いち淫魔としてやっていけるよう、努力するしかない。
「頑張る。ありがとう、エリック」
「ん。何かあったら俺を頼るように」
「エリックも心配性だなあ」
父様やヨハンと同じようなことを言っている。
「大事な大事な……幼馴染だからな」
「昔はあんなに意地悪してきたのに」
「……」
エリックはだんまりをきめこんだ。
ブクマして下さっている方がいてビックリしています。
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