14:ライラと魔術基礎演習 Ⅰ
エリックが帰った後、ライラが部屋に引っ込むと、今度はファルマスが妹を訪ねた。
「ラーイーラちゃーん、今いーい?」
「どーうーぞー」
部屋に入ったファルマスは、机で教科書を読んでいるライラの背後に立つ。後ろから首に腕を回し、顎をライラの頭に置いて本を覗き込む。
「予習?」
「そう……来週から魔術基礎課程が始まるから……」
「ああ、ライラちゃんの苦手なやつだねぇ」
「ううう」
「予習とか偉い偉い。どうだ、兄ちゃんがみてやろうではないか」
初めの演習は簡単な防御術をする予定だ。おそらく、生徒の大半は既に問題なく出来る。しかし、ライラはその大半に入らない。
「自分でも、よく学園に入れたと思うよ……」
「魔術の出来具合はあまり関係ないからね、実は」
「えっ?! そうだったの?!」
「そりゃそうだろー。魔術よりも、本人の魔力が安定しているかどうかが問題だ。それさえクリアしておけば、何とかなる。だいたい魔術が出来ないからって学園に入れなかったら教育どうすんだって感じだろ?」
「確かにその通りだね」
エリックが魔術の勉強をみてくれていたが、あまり必要なかったのかもしれない。出来るに越したことはないが。
「とは言え、赤点も取りたくないよな。何でライラちゃんは魔術が苦手なんだろうな……俺達は結構得意なのに」
「ま、魔力が少ないから?」
「うーん、確かに魔力は少ないけど、だからと言って魔術が苦手にはならないんだよねぇ。少ないながらも魔術は扱えるはずだし。不器用なのかな? それとも、その身体能力が原因なのかな」
「身体能力?」
「僕らが《怪力》って言ってるそれだけど、淫魔として聞いたこともないし、魔族の中でもすごく異質だよ。これまで言わなかったけど、ライラちゃんも学園に入ったことだし、いつか分かると思って今言っちゃうけど」
「い、異質?」
「悪い意味じゃないからね? 特別ってことだよ。淫魔ってそもそも戦闘系魔族じゃないのは分かるよね。ただライラちゃんの体はどう見ても戦闘系なんだよ。兄貴とも相談してたんだけどさ――まぁ、俺らが出来るのは、ライラちゃんのその特性を伸ばすことだな、ってなったんだよ」
兄達がそんなことを考えてくれていたなんて、ライラは知らなかった。
「だいたい魔術を素手で壊せるのがおかしい。ライラちゃんの魔力がすべて身体強化と防護に使われていて、他の魔術が編めないのかな? とも仮説は立つけど――」
「へ、へぇぇ」
自分のことながら、よく分からない。
「まあ、これは俺達の勝手な予想だから、正しくはないかもよ。ライラちゃんは自分の長所を伸ばしたらいいと思うよって話」
「はぁい」
「とまぁ、必修課程は必須だから、予習しようか。今度は何するの?」
「防御魔術の、これ」
教科書のページを指す。初期に習う防御術の、簡単な魔法陣が描かれている。二重の円の中に古語で《我を守れ》と記す、初歩魔術だ。
「……この魔法陣が覚えられないの?」
「馬鹿にしてるの。違うよ。魔術が、発動しないの」
「やってみて」
ライラはファルマスの言う通り、手を前方に突き出して掌を開き、魔法陣を出現させる。編み出した魔法陣は、青白い光を発して一瞬現れたが、すぐ霧散して消えた。
「……こんな感じになるの」
「ううーん。魔法陣自体は間違ってないのにな。何でだろう?」
ファルマスは不思議そうに首を捻った。
「魔法陣は出現して、一度発動しかけるのにな。不自然に消えていく……集中力って話でもなさそうだし。こう、体から魔力が出ていくのを嫌がっているような」
「魔力が少ないから本能が自衛でそうしているのかな」
「いや、ライラちゃんくらいの魔力量の魔族も、普通に魔術使ってるよ。体質、かな」
「え、じゃあ救いようがなくない?」
「……」
「黙んないでよファル兄―!!」
魔術にも長けている兄達にさじを投げられたら希望なんてない。
「帰還の転移術は出来るのだから、これぐらいの魔術は出来る筈……。やっぱり練習あるのみなんだろうな。転移術にはかなり時間かかったけど、まぁ、今回はあれ程の時間はかからないだろ、多分」
ライラが転移術を出来るようになるまでかかったのは二日や三日そこらじゃない。予習している防御術と比べて難易度は高いものだが、こうも毎回予習にかなり時間を、むしろ日数をかけることになれば、いつか限界がくる。
「もしかして、単位取れないかも?」
「基礎課程は出席と態度重視だし、追試とかの救済措置もあるし、単位取れないことはないよ。もう最悪、得意の怪力でゴリ押ししてもいいんじゃない?」
「あだ名が脳筋女になりそうだね」
おそらく、中等以上の魔術を扱えるようになることは諦めた方がいいのだろう。ならば、兄の言うように特異な部分を――不思議な怪力を――もっと伸ばした方がいいのだろうか。
「ねぇ、じゃあ戦闘系の講義や演習取った方がいいのかな」
「ライラちゃんはそうしたい?」
そう聞かれてライラは考えた。特に戦いたいという気持ちはない。体を動かすのは楽しいが、学園で開催されるという戦闘トーナメントに出たいとは思わない。
ライラが考え込んでいるのを感じたファルマスが、ふっと笑って頭を撫でた。
「選択科目でやりたくないことをしなくていいよ。ライラちゃんが将来何になりたいか決まったとき、必要ならそのとき考えよう。それまでは俺達が鍛えてあげるから」
「鍛えて貰っていると言うか、襲撃に反撃してるだけなんだけど」
「はははっ」
笑って誤魔化したファルマスは、その後もライラの予習に付き添った。防御魔術というからには攻撃がないと実践出来ない。
なんとかその日一日で習得したのだった。
「ライラは魔術得意ですの?」
週が明けて、学園での魔術基礎課程。今回は実践になるので全員指定の体操着に着替え、魔術演習館に移動している。
ライラは紺色のハーフパンツにTシャツ、その上から紺色の上着を羽織っている。白いラインや幾何学模様で程々に洒落たものになっており、しかも耐久性に優れた特別製らしい。ライラの隣を歩くキャロンは長ズボンを選択していた。
ライラはうきうきしている。魔術の授業は嫌いだが、ようやく友達になってくれそうな子とお喋りして移動しているからだ。
「ううん、全然得意じゃない。むしろ超苦手」
「そうなんですの。私も、こういう戦闘系の魔術は苦手なのですわ……」
「得意な分野もあるの?」
「ええ、探索や分析が得意ですし、性に合ってますの。父様や兄様もそうなので、血筋みたいなものでしょうか。でも一番上の姉様は駄目なんですよねぇ。その代わり、一番大猫族らしいというか、俊敏ですわ。私は残念なことに俊敏さがないんですの」
「キャロンちゃんって大猫族なんだ。言われてみれば、うん、そうだね」
「……ライラ、もしかしてフォレスト家をご存知ない?」
偉そうにではなく、むしろ唖然として聞かれた。あれ、とライラは脳内貴族名鑑を引っ張る。
フォレスト家は確かに聞いたことが……聞いたことどころじゃなくて、こう、すごく重要な……。
「っ! さ、宰相様の、お家ですか……?」
「そうですの」
キャロンは楽しそうに笑った。対するライラは青ざめた。
フォレスト家と言えば、実力主義の魔王がいきなり宰相に抜擢したことで有名だ。それまで爵位など持っていなかったが、当代限りの侯爵位を与えられた。温和に見せかけて恐ろしく頭の回る魔王の右腕、宰相閣下。
「わ、わた、私なんて無礼を……」
「やめて下さいなライラ。序列では上になりますけど、格で言えば、トゥーリエント家の足元にも及びませんわ。それに私達にそんなの関係ないでしょう?」
「そ、そうなの?」
「……名門貴族のお嬢様だと思っていたのに、ぽけぽけしてますわね。そこがいいなと思ったのですけど」
「ぽけぽけ?」
「ふふ。気にしないで下さいな」
キャロンが楽しそうに笑っているので、まぁいいかと思うライラであった。