12:彼女との関係 Ⅱ
教室に行くと右隣にはライラ・トゥーリエントがいる。今日も変わらず《魅惑》の匂いを振りまいている。そのことがレオナルドは非常に腹立たしい。
昼休みになるとライラは教室を飛び出す。不愉快でかつ惹きつけられる匂いの元がなくなってせいせいするのに、どこか落ち着かない。家の者が用意してくれた昼食を平らげ、教室を出る。
かと言って行く場所もないので、適当に屋上へと上がった。すると、緩やかな風に乗って、微かに例の匂いがした。
(今日も、あいつ……)
匂いから、注意深くライラの居場所を探ると、やはり森の方にいるようだ。
(……)
昨日と同じように狼に変化し、レオナルドはライラに会いに行った。
その、次の日も。
学園生活四日目。
狼の姿でライラに会いに行こうとしたレオナルドは足止めを食う。
「ウォーウルフ君は、どの選択科目にするんだい?」
「俺も気になってたんだ!」
レオナルドが昼食を食べ終える頃を見計らって、クラスメイト達が喋りかけてきたのだ。
「あー……」
適当に話をそらすことや、いっそ無視することもできたが、レオナルドはそもそも冷たい魔族ではない。きらきらとした目で見られると尚更である。
今日も《魅惑》の匂いを振りまいていたライラには腹が立ったが、昼休みに一人あの場所で弁当を食べているのを想像すると、狼で会いに行ってやらねばと思う。
ただ、目の前のクラスメイトを無下にすることも出来かねた。
「俺はまだ決めてない……、君らは何にするんだ?」
レオナルドがそう言うと、彼らはほっとしたように喜び、話し始めた。
結局、森付近にいるだろうライラに会いに行くことはかなわず、予鈴が鳴る。ライラはなかなか戻って来ず、本鈴ギリギリで教室に入って来た。見るからに意気消沈している。
(やっぱり行くべきだった)
レオナルドは後悔した。
学園生活五日目。
レオナルドにとって事件が起きる。
「ライラー、『人間界史』持ってない? 俺忘れちゃって」
突如クラスにやって来たエリック・バーナード、この代での実力者として名高い淫魔。その整った美しい容貌に、教室中が色めき立つ。
ただ一人、ライラだけはその反応からズレており、その顔は引きつっていた。
(知り合い? なのか)
エリックは親密そうにライラとやり取りを交わしていた。その表情は幸せそうで――レオナルドは無意識に睨み付けていた。ふと、エリックが視線を察したのかレオナルドの方を見る。
そして挑発するようににっこりと笑った。
(こいつ……!)
その後、レオナルドに見せつけるかのように、ライラの額に口付けを落とした。それを見た瞬間、大狼の本能が怒り狂ったのを感じた。勝手に暴れようとする魔力を静かに抑える。
どうしてかは分からないが、腹が立って仕方なかった。
昼休み、いつものルートで森に向かった狼姿のレオナルドは、ライラの姿を認めると、無意識にそばに引っ付いた。ライラの匂いを思いっきり嗅ぎ、満足感を得る。撫でられると気持ち良かった。
だからつい、喋ってしまった。
『お前、友達いないのか』
うっかりしていた。
そのあとのライラからの追及への回答はしどろもどろだ。自分でも苦しいと思うのに、ライラはそのまま信じ、喜んでくれた。こんなに素直で大丈夫なのか、と思う。ただ、純粋なおかげでこうやって話が出来ること、気になっていたことが聞ける――エリック・バーナードとの関係など――ことは実のところ嬉しかった。
(しかしすぐ騙されそうだな。本当に淫魔か?)
さらに、ライラは淡々と話す。
「淫魔らしい容姿も色香もないもの。出来損ないだし」
何も言えなかった。確かに、容姿は淫魔らしくない。黒髪なんて魔族でも稀だし、淫魔と言えば銀髪だ。顔立ちも蠱惑的ではなく、むしろ無垢――体つきも、豊満ではない。
(でも、俺は可愛いと思……いやいやいや)
自身の嗜好については考えることをやめた。
ライラは自分が出来損ないだと言う理由と、生まれを話す。
レオナルドにとっては、淫魔が銀髪だろうか黒髪だろうが正直どうでもいい。だがきっと、淫魔としては大事なことだろうと思う。半魔という事実には驚いたが、それだけだ。人間とのハーフは稀だが、いないことはない。だが、それが原因で引き起こされるものはあると理解している。しかもライラは見るからに魔力量が少ない。これでは恰好の餌食だ。
それが原因で引きこもりのような生活を送ってきたらしい。何となく世間知らずでポケポケしているのにも納得がいく。
《魅惑》を振りまいているのも、家でそうやって教えられたからかもしれない。驚くことに屋敷の住人は全員淫魔のようだ。
ライラ本人は自らの容姿が劣っていると言っているが、そんなことはない。確かに淫魔だらけで生活してきたら、そう思ってしまうかもしれないが、レオナルドにとってライラは一般の淫魔よりもかなり好みだった。おまけに嗅いだことのない、例えるなら天上の甘美な匂いを放っている――けれどそんなことを言える訳もない。
ただ、ライラの次の言葉でレオナルドの心臓が凍る。
「同じクラスの人にね、嫌いって言われたの。淫魔だから嫌われてるんだと思ってたんだけど、兄様やエリック達見てるとそうも思えなくて。でも、屋敷の皆にこんなこと聞けないから。狼さんなら知ってる?」
(俺のことだ)
レオナルドはどう言うか迷った。そう思わせたのは自分だ。いくら淫魔やトゥーリエント家を憎んでいても、初対面で、しかも何も知らなそうなライラに、あのような状況で言う台詞ではなかった。
クラスでライラが孤立しているのも、レオナルドのせいである。
だが、後悔してももう遅い。
そしてもう一つ気付いたのは、ライラが自分のことを憎んではなさそうだということ。
会話の中に、言われた本人への怒りや恨みが一切見当たらない。
だから、聞きたくなった。
『なぁ、お前は、嫌いって言ってきたそいつのこと……』
答えは聞けなかった。
聞いたところでどうしようと思ったのだろう。
レオナルドは、後悔し始めていた。