10:学園生活 Ⅲ
外見でライラを淫魔だと判別するのは非常に難しい。むしろ、不可能だと思っていた。艶めかしく怪しい色香など皆無、魔力だって少ない。元々、淫魔自体が少数である。
何より、淫魔として黒髪などまずあり得ない。
「何で分かったの? 匂いとかあるの?」
ライラは純粋に不思議に思って尋ねたが、狼の方は目を泳がせている。
「?」
『に、匂い、みたいなものだ』
明らかに苦し紛れだが、ライラは気に留めず、すんなり納得した。
「へぇ~すごいね。他に分かることってあるの?」
『……特にない。それより、本当に友達いないのか?』
「いないよ。それにしてもさ、狼さんと喋れるなんてね! 夢みたい」
『言葉を話す魔獣はいくらでもいるぞ……』
狼は一度躊躇った様子を見せ、軽く首を振るとライラをじっと見つめた。
『……今日のお前、男の匂いがついている』
「男?」
首を傾げ、自身の体をスンスンと嗅いでみるが、ライラの鼻が分かる訳もない。そうして一人思いつく。
「多分、エリックかな? 幼馴染なんだけど、あいつの匂いじゃないかな」
『ふうん。幼馴染』
「家同士の付き合いなの。今日突然教室に来たんだよね。エリックって結構モテるみたいで、びっくりした」
しかもそれを当然みたいに受け流してるんだもん、と言いながら狼を撫でる。
『淫魔の奴はたいがいがモテるだろ』
と、狼が事実を述べた。
「そうなの?」
『並外れて優れた容姿と、他を惑わせる色気を持ってたら当然だろう』
「そっか。小さい頃から、屋敷の皆がすごく綺麗だなぁと思ってはいたけど、淫魔だから特別なんだね」
『すげえ屋敷だな』
「うん。……まあ、モテるとか私には関係ないけど」
『何故』
「淫魔らしい容姿も色香もないもの。出来損ないだし」
ライラはさっぱりと告げた。狼は言葉を探したようだが、何も言わない。
「悲観してる訳じゃないんだよ、事実だし」
黙ってしまった狼の首元を両手でわしゃわしゃと撫でる。
『……出来損ないというのは?』
「小さい頃、黒髪の私を見て誰かが言ったの。それから社交界とか催し物に行かなくなった気がする。でも、トゥーリエント家に出来損ないがいるというのは噂になってて……それは有名な話。それを聞いた兄様達がまた怒って」
母が人間なだけあって、出来損ないと言われるだけでは済まないことを予想し、以降ライラは屋敷でのびのびと育った。
『黒髪ってだけだろ?』
「母様が人間で、側室なの。私自身、魔力も少ないし……伯爵家なのに」
『半魔なのか』
驚いたようでも蔑むようでもなく、狼は淡々と言った。ライラは頷く。
「狼さんなら匂いで分かっちゃうかと思ってた」
『お前の匂いは……』
狼は何かを言おうとして、やめた。
「匂いは?」
『人間の匂いはしない。魔力は少ないなと思ってはいたが、半魔だとは気付かなかった。でも、半魔だと聞くと色々納得がいく』
「……ねぇ、淫魔って嫌われてるのかな?」
『……何故そんなことを聞く?』
ライラは困った顔をして言った。
「同じクラスの人にね、嫌いって言われたの。淫魔だから嫌われてるんだと思ってたんだけど、兄様やエリックを見てるとそうも思えなくて。でも、屋敷の皆にこんなこと聞けないから。狼さんなら知ってる?」
狼は目を伏せた。尻尾は所在なさげにゆらゆら揺れている。
『……そいつがどう思ってるかは知らないが、魔界において淫魔が嫌われている、ということはないと思う。安心しろ』
それを聞いたライラは安心したようにほっと笑った。
「狼さんに聞けて良かったよ。ありがとう」
『なぁ、お前は、嫌いって言ってきたそいつのこと……』
狼がライラを見つめ躊躇いがちに聞こうとしたとき、予鈴が鳴り響いた。ライラははっとして帰り支度をする。
「ごめん、狼さん! 今日はありがとう。また来週ねー!」
狼は言葉の続きが言えないまま、ライラが走って行く後ろ姿を見送った。そして森の奥へと足を進める。そのまま森に帰るのかと思えば――ぐるりとU ターンし、校舎のある方へと物凄いスピードで駆けていく。地面から木々へと跳躍し、森から出る直前、体の周囲に青白い光を発して、狼の存在が不可視になる魔術がかかった。木の上から大きく跳び――まるで空を飛んでいるように――一番近くの校舎の屋上に着地した。
もう一度青白い光を発した後、現れたのは狼ではなく学生服で身を包んだ男だった。
藍色の髪に、澄んだ水色の瞳で背が高い――大狼ウォーウルフ家の長男、レオナルド。野性的で美しいその顔を、苦虫を噛み潰したように歪ませて呟く。
「俺は、何を」
言おうとしたのだろう。