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欠片小話  作者: 鏡野ゆう
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路地裏の眠り姫 前編

「お客さーん、ここは昼寝をする場所じゃありませんよー。寝るなら家に帰って好きなだけ寝てくださーい」


 かれこれ三十分ぐらい居眠りをしている客のテーブルの横で声をかける。しかし応答がない。仕方がないので座っている椅子を蹴ることにした。


「起きろ、志信しのぶ!! 営業の邪魔!!」

「うぉえ?」

「帰って寝ろ!」

「酷いよ、葉月。俺、徹夜明けなのに」


 そんな言葉に壁にかかった時計を指差した。


「三十分も居眠りしていたのを許したんだからね。これ上は他のお客さんに迷惑です、ちゃっちゃとお代を払って帰ってちょうだい」


 私の名前は沢村葉月。ここカフェ“西風”のオーナー兼パティシエ。そして目の前で営業妨害一歩手前の頭ボサボサ男は早川志信、こう見えても売れっ子ミステリー作家。共に25歳で独身、中学校からの腐れ縁。妹の捺都曰く運命の人かもよ?なんだって。


「捺都、このバカを家まで送ってやってくんない? また寝ぼけてあっちの公園で寝ちゃってホームレス扱いされたら面倒だから」


 お店を手伝ってくれていた妹の捺都に声をかける。


「いいよ~」


 そう言ってカウンター奥でエプロンを脱ぐと、そのままこちらにやって来た。


「志信さんって締め切り直後は本当に使い物にならないよねえ」


 ボ~ッしている志信を立たせて出口の方へと押していく。出る間際、彼の手がレジ横に伸び小銭を置いていった。そして出てからあっと思い出したように顔を上げるとこちらを振り返る。


「葉月ぃ、夕飯、頼む~」

「はいはい、分かったから」


 志信は高校生の時に応募した小説が某大手出版社の編集長に認められて作家デビューした。マイペースな彼らしく学業優先で書き下ろしの長編は年に一冊出すか出さないかだった。そして卒業してからも納得のいくものをということでそのペースは変わらないけど、発売となると結構テレビなどで話題になっている。


 映画化、ドラマ化の話も来ているようだが、それぞれの読者のイメージを壊したくないということで、今のところ実現はしていない。僕の我が侭を通してくれる編集長には感謝しているよ~といつも笑っているところを見ると、特にお金に対して執着しているわけでもないらしい。


 そして彼は絶望的に家事能力が無い。実のところ無いのかやる気が無いのか正直私も分からないのだけれど、頼まれてご飯を届けに行った時の部屋の散らかりようからして皆無なんじゃないかと思う。志信の両親からもくれぐれも息子を頼むと言われているので仕方なく餓死しない程度に食事の世話をしている訳だ。


 しばらくして捺都が帰ってきた。


「どうだった?」

「うん、相変わらず部屋は本の山だったよ。そろそろ片付けないと雪崩が起きるかも。あとね、志信さんが今日はグラタンが食べたいって言ってた」

「子供か奴は」

「けど、私もお姉ちゃんが作ってくれたグラタン、食べたいなあ……」


 私は妹の捺都には非常に甘い姉らしい。捺都から言わせればチョコレートケーキを餌に無理難題を押し付ける酷いお姉ちゃんらしいんだけれど。そして捺都も末っ子らしく兄さんや私に甘える術を知っていして、ここぞと言う時はしっかりと甘えてくる。


「……マカロニとトリ肉ぐらいしか無いよ?」

「それで良いよ、美味しいもん」

「仕方ないなあ。捺都の好物だもんね、作ってあげるわよ」


 冷蔵庫にタマネギあったかな、出来ればもう少し野菜があれば良いんだけど。志信に持っていくメニューは他に何が良いだろう、変に栄養が偏っても駄目だし、栄養失調なんかになられたら私の沽券に関わる問題だし。野菜のポトフとガーリックトースト、それからサラダでも作るか。


「西風のメニューだけでも頭痛いのに、なんで志信の夕飯のことで悩まなきゃいけないんだか……捺都、今からメモ書きするから、それを買ってきてうちの冷蔵庫に入れておいくれる?」

「はーい」


 カウンターで必要なモノを書いてお金と一緒に捺都に渡すと、捺都はグラタングラタンと怪しげな歌を歌いながら店を出ていった。可愛い妹だ。



+++++



 そんな訳で私は今、作家先生の為に夕飯を作っている。志信の家は通り向かいの路地の奥。彼のお婆ちゃんが住んでいた古い民家をリフォームした間口の狭い家で、狭いけど裏が公園なので日当たりはいい。お陰で夕飯を届けるのも楽なんだけどね。


 グラタンは耐熱性の容器に二つ。もちろん捺都の分は別にとってある。絶望的な家事能力の志信でも電子レンジぐらいは使えるから、作る時にはたいてい余分に作って冷蔵庫や冷凍庫に入れておく。そんなわけで粗熱をとってラップに包んだおにぎり数個。これは締め切り前用の非常食になったり朝ご飯になったりしているらしい。


「我ながら甘やかし過ぎかなあ……」


 作ったモノをお買い物用の手提げ袋に入れるとバイトの子に店を任せて裏口から出た。いつものように勝手知ったる他人の家とばかりに玄関の扉を開けようとすると、勝手にカラカラと開いた。あれ、いつのまに自動ドアに?と思ったら、担当の編集者さんが出てきた。


「あら、こんにちは」

「どうも」


 光栄出版社の人だ。ここは女性向けの雑誌が中心の出版社さんなんだけど、志信はここで一ヶ月おきぐらいにエッセイを書いているのだ。その打ち合わせかな。けれど、いつ見てもここの担当さんって美人さん揃いだ。


「志信、あがるよ~」

「おう」


 台所に行って作ったモノを出していると、幾分かスッキリした志信が顔を出した。


「志信、口紅ついてる」

「え……っっっ」


 私の言葉に慌てて自分の口元をこする。


「これはあっちが勝手にしてきたことだから」

「何も言ってないでしょ」

「いや、でも、その点はハッキリしておきたい」

「お好きにどうぞ。ほら、座りなさいよ。ポトフ、温めるから、食べ始めてて」


 まだ何か言いたそうだったけれど、空腹には勝てなかったのかテーブルにつくと温野菜のサラダを突き始めた。


「で? さっきの光栄出版の人よね、新しいエッセイの打ち合わせ?」

「いや、生きているかどうかの生存確認じゃないかな。差し入れにって魚雅の握り寿司を手土産に持ってきたから、餌やりかもな」

「魚雅さんの? あそこの美味しいって評判だよ」

「そうなのか。冷蔵庫に入れたから持って帰っても良いぞ」

「志信への差し入れなんでしょ? あんたが食べなさいよ」


 持ってきた人への配慮が足りてないぞと付け加えた。


「俺は葉月の作った飯の方がいい」

「……あっそ。もしかして担当さんにうちの取材をねだられでもした?」

「それは断ってるよ」


 口コミが拡がっているのか最近いろんな雑誌社からの取材申し込みが増えている。私は御近所の人達や今までの常連さん達を大切にしたいから断っているんだけど、最近、志信と私が幼馴染だと知った彼の担当者からの取材要請なども増えているらしい。


「締め切りが終わったってことは、医院に戻るの?」

「まだ校正作業が残っているけどね。オヤジがそろそろ文句を言ってきそうだし」


 志信の実家は昔からこにに住んでいる町医者の家系。大先生も附属病院に籍を置いてはいるんだけれど、病院に通えない昔からの患者さん達のことを考えて、早川医院を残し週に一度か二度こちらに戻ってきて診察をしていた。大先生が不在の時など普段は志信が患者さん達の診察をしている。そう、つまりは医者と作家の二足の草鞋を履いているのだ、この男。


 で、締め切りなどの修羅場に突入すると早川医院を大先生達に任せ、若先生は執筆活動に集中するというわけ。執筆活動に専念できるとなれば印税生活にも憧れるかなとは言うものの、実のところ医者の仕事が好きな志信は当分は草鞋を脱ぐ気は無いらしい。


「そろそろインフルエンザの季節だけど、葉月は予防接種した?」

「ん? まだだよ。なんか予約しないといけないんでしょ? 面倒臭くって」

「じゃあ、今年もうちで予約とっておこうか。来週の定休日に入れておくから来いよ。あと、なっちゃんとバイトの子達にも声かけとけよ?」

「分かった」


 不特定多数のお客さんと接する商売だから予防接種は必須だ。志信のお陰でうちのスタッフは今のところインフルエンザで休んだ子達はいない。その辺の融通もご飯作りの報酬の一部らしい。


「何か俺の顔についてる?」

「ううん。修羅場を抜けたら急に医者の顔になったな、と思って」

「忘れてるかもしれないけど、一応は医者が本業だから、俺」


 たまに忘れるよと言ったら酷いなと笑った。


「じゃあ私は帰るね。捺都が待ってるから。容れ物はそのうち引き取りにくるから置いといてくれたら良いからね」

「ん、ありがとな」

「その代りと言っちゃなんだけど、新刊出たら直ぐに読ませて。神楽慎太郎シリーズは楽しみにしてるんだから」

「たまには売り上げに貢献してくれよ」

「私が買わなくてもベストセラーになるんだから問題ないでしょ」


 前日に持ってきたタッパなどの容器を袋に入れると、じゃあねと家を出た。


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