七瀬 詩仁 4
「明らかに尾けられてるってわかったからさー。帰るのやめて寄り道しようと思ったんだよね、ほら、このお店だったら美味しいケーキもいっぱいあるし」
「キャラメルクランチケーキって一番高いんですね。こっちの二層チョコムースケーキってやつも気になるけど、俺は高いやつがいいです」
「僕、両方ふたつずつ欲しい」
「全然いいよ。どうせ俺の金じゃなくて親の金だから」
有塚が言い、藤がメニューを指し示し、三橋が勝手な要望を述べ、再度有塚に廻った発言権であっさりと快諾された。飲み物はどうするの、と有塚が問いかけると、藤はコーヒー、三橋はメロンソーダと当たり前の如く返答した。うんうんと数回首肯した後、有塚の視線は俺へと向けられた。
「七瀬君はなにがいい?」
「え」
どう考えても振られる流れだとは思っていたが。確かにほんの数分前まで俺もキャラメルクランチケーキなるものを食してみたいと強く願ったが、実際こういう展開になってみると望んでいいものかと留まってしまう。あっけらかんとケーキを二種類ふたつずつ指定するような、俺はそこまで図々しい人間ではない。それに俺は、つい先刻まで有塚の喫煙をこの目で確認しようという言わば『証拠探し』をしていたわけで、その相手におやつを奢ってもらうなんて――まあお腹は確かに減っているのだが。
「七瀬君ってさ、意外と真面目なんだね。俺の喫煙を目撃してどうするつもりだった?」
別段唐突でもない必然の話題、明らかに浮上すると思っていた話の種はやはり浮上した。予想はしていたはずなのに、俺の心臓はびくりと跳ねた。普通の人間は、尾行されていると勘付いた時点で何故そうされるのかを考える。有塚も通常の過程を辿り、俺の行動は三橋が言い放った自分の喫煙情報の真偽を確かめるためのものと判断した。俺がわざわざ種明かしをする必要はない。実に簡単な話だ。
「先生に突き出す? それとも警察? 七瀬君のお父さんって警察の中でも偉い人なんだよね」
「なんで親のこと知ってんですか」
「だって珍しいじゃん。そんな派手な頭してピアス開けてるような、明らかに問題児のお父さんがケーサツなんて」
周囲に花の効果トーンでも浮き出てきそうな、滅茶苦茶楽しそうな有塚に俺は少し気圧された。面として向かい合ってみると、どうもこの人は苦手なタイプだとわかる。ふたりずつでテーブルを挟んだこの席、俺の隣は藤だった。つまり有塚の横には三橋が座っている。本当は有塚が藤と一緒がいいと主張したが、藤が断固拒否したおかげでこの座席になった。有塚は残念がった様子など欠片もなく残念だと言い、こっちのほうが藤君の顔見てられるしいいかな、と開き直った。前向きだ。
こうして会話してみると、有塚の興味が向いているのは藤ではないような気がするけど。せっかくふたり揃っているのに、そっちの話題は今のところなにもないし。いや、だからと言ってこの人が俺に興味を持っているなどとは腐っても言わないけど。
「でもさ、残念だったね。俺はそういうヘマはしないから」
「じゃあどういうヘマならするの」
言いながら、三橋はテーブルの端に備え付けられていたボタンを押した。注文が決まったら押してください、というアレだ。俺まだ決めてないんだけど。
「ヘマ、ねー。三橋君、結構言い方きついんだね」
「自分でヘマって言ったんでしょ」
平坦な口調で事実を述べた三橋に対し、有塚は笑って納得してみせた。特徴はいっぱいあるはずなのに、有塚はなんとなく掴みどころがなかった。有塚は昼休みの度に中等部に顔を出すが、それは有塚を知っていることにはならないのだと今更気付いた。
なんなんだろう、この人。急に疑問になってきて、三橋と楽しそうに会話する有塚を俺はまじまじと眺めてしまう。
「ご注文はお決まりでしょうか」
冷静な声が耳を抜けた瞬間、俺ははっと我に返った。傍から見れば電卓にしか見えないような薄く小さな機械を持って、華奢な体躯のウェイターが立っている。華奢とは言っても弱そうな風体ではなく、むしろ力は強そうだ。年の頃は高校生くらいで、濃い赤色の縁付眼鏡をかけている。あれ、この容貌はどこかで聞いたことがある。俺は素早く記憶の底を掘り返した。
「智生じゃん。どうしたの、こんなところで」
有塚が声を発したことで、俺の記憶探しは徒労に終わった。このウェイターが知っている情報だらけの外見をしているはずだ。智生と書いてトモセと読む。漢字の組み合わせは普通でも読み方はなかなかレアだ。つまり、このウェイターが黒川智生こと『灰色ヒーロー』というわけだ。そういえば、どこかの喫茶店でバイトしていると聞いた。店の名前までは思い出せなかった。
「こんなところでってなんだよ。お前よく来てるだろ」
「この時間帯はいつも奥だろ? ウェイターは客足の微妙な中途半端な午前中か、昼のピークを過ぎた頃しかやらないんじゃなかったっけ」
「そうだけど、友達が来たから行って来いって店長が。今ならちょっと客少ないし」
「優しい店長だねー。俺、優しい人って好きだよ」
「お前が好きでも店長はお前に興味ないぞ。で、注文は?」
そうそう、とわざとらしく有塚は手を打った。テーブルに開いたメニューを捲りながら、三橋と藤の所望した品を指定する。思い出したように有塚は俺を見つめ、再度メニューに目を落としてメロンソーダとキャラメルクランチケーキをひとつずつ追加した。有塚は慣れた操作で小さな機械を操作し、注文されたメニューを事務的に繰り返した。無愛想なのは友達相手だから照れ隠しなのか、もともとこんな感じなのか。噂でしか黒川を知らない俺にはわからなかった。
「樹はいつものやつでいいのか」
「うん、よろしく」
「了解。……ところで、こっちの子たちは辻ノ瀬の?」
有塚としか目を合わせなかった黒川が、ここでようやく有塚以外に視線を振った。有塚は頷き、軽く俺たち三人を紹介した。とは言っても、紹介できるほどお互いのことを知っているわけでもない。中等部三年の子たちだよ、と言ったくらいだった。
「年は俺のほうがちょっとだけ上だけど、一緒にテーブル囲んだことだし、もうみんな友達だよね。三橋君なんて最初からタメ口だし」
「僕が敬語じゃないのはね、割りと距離近く感じててお互いそれでもいいって空気な人と、この人は別に敬う必要なんてないって思う人のニパターンあって、有塚さんの場合は後者」
「俺は別に友達になった覚えはないです。有塚さんが奢りたそうにするから付き合ってあげようと思って。むしろいつも昼休みに会いに来られて鬱陶しい」
「面白い冗談だね。でもね、みんな。友達っていうのは気付けばなってるものなんだよ」
なんでこの人、俺を含めて話してるの。やっぱり俺は、有塚にいまいち対応できない。
「同じ制服だし、キミも辻ノ瀬だよな」
いきなり声をかけられた俺は、思わず跳ね上がりそうになった。理性で耐え抜き、そうだけど、と答える。なるべく平常を装った。
黒川は顎に手をあて、単純に驚いたように言った。
「随分派手な頭だけど、先生はなにも言わない?」
「言われるけど、まあ、俺は結構いろいろあって」
「すげーキレイな金髪。ピアスもかっこいいじゃん」
「え」
思いの外、褒められた。しかも、無愛想極まりないと思っていた黒川が、ちょっとだけ笑った。そんなことはまったくの想定外だった俺は、びっくりするしかなかった。黒川はそれ以上なんとも反応せず、すぐに持ってくるからと言い残してテーブルを離れた。
キレイな金髪。キレイな金髪か。黒川の言葉を口の中で唱えながら、俺は前髪をかき分けた。初対面の人の俺を見る目が底辺を見下すそれになることはあっても、よく言われたことなんて一度もなかった。なんだか胸の奥がくすぐったくなってきた。
「客商売なのに、あんまり笑わない人だね。あの人、誰に対してもあんな感じなのかな」
「行きつけなんだろ。お前、対応してもらったことないのか」
素朴に不思議そうに、三橋は誰へでもなく疑問符で締める。水の入ったグラスに口をつけながら藤が答え、さらに三橋は言葉を続けた。
「さっき有塚さんが言ってた通りだよ。あの人がここに勤めてることは知ってたけど、ウェイターしてもらったことはない」
「客足の多いときに限って出てこないなんて、この店、随分変わったウェイター雇ってるんだな」
「店長にそう言われてるんだよ。智生がここでバイト始めたとき、一時期女性の客足がものすごく増えたらしいんだけど」
「黒川さん目当てってこと?」
三橋が言うと、有塚は頷いた。
「ここは喫茶店だからそれなりに居座る人も多いけど、特に女の人にはあんな感じにしとかないと勘違いされるからって。智生目当ての客が増えるの、店長はすごく不快がってるんだよ。そんなので利益が出たって嬉しくないんだってさ」
「だからって友達にまで無愛想にしなくてもいいんじゃないですか」
「まあ、智生の素がああいう感じっていうのもあるんじゃないかな。あれで結構優しいんだよ」
「ところで有塚さん、いつものやつってなに」
本当だ。そういえば、黒川の言っていた『いつものやつ』とはなんだろう。確かに気になる。
いつものやつっていうのは、俺の大好きな『いつものやつ』だよ。有塚は答えにならない答えを述べて、いつものように笑ってみせた。そんな答弁じゃまったくわかりません。誰かそう突っ込むと思ったのに、藤も三橋も突っ込まなかった。三橋が「まあ出てくればわかるね」と興味なさげに呟いただけだった。
なんだ、この謎の会合は。キャラメルクランチケーキもメロンソーダも欲しかったし、奢ってもらえるなんてラッキーだから、別にいいけど。でも、俺の当初の目的は、有塚の喫煙を暴くことだったはずなのに。