表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/45

七瀬 詩仁 3

 別に有塚が煙草吸っていようと吸っていまいと、そんなことはどうだっていいけど。だって俺には関係のない話だし。仮に本当に吸っていたとして、それを広めるつもりもない。どうだっていい。どうだっていいのに。放課後、下校のチャイムが鳴った後、俺はこっそり有塚の背中を追いかけている。有塚は毎日見るからに高そうな車で送り迎えされているが、今日の迎えは来ないらしい。そう言えば、時折有塚は迎えを断り、ひとりで電車で帰ることがあると聞いた。今日はたまたまその日のようだ。

 駅まで行けばさすがにそこからの尾行はやめておくが、やっぱり有塚は、どうもお坊ちゃんらしくはない。有り余る金で豪遊している素振りもないし、中等部内で漫画やゲームの話題にもついていっていることを考えると、より庶民に近い生活をしてそうな匂いさえする。使用人付きの屋敷で暮らしていることを除けば、有塚はただ秀才肌なだけの普通の高校生、といった感じだ。ていうか、俺、なんでこんなに有塚のことを気にしているんだろう。三橋が言うように、俺は有塚に恋しているのか。そんなバカな。別に心拍数も急上昇してないし、有塚が藤に好き好きと迫っている様子を見てもなんとも思わないのに。

 車通りのほとんどない道だったが、有塚は律儀に電信柱に取り付けられたボタンを押した。押しボタン式の横断歩道だ。今時の学生なんてさっさと飛び出していきそうなところなのに、きっちりとルールを守るあの有塚が煙草を吸うなんて。俺には考えられなかった。でも、三橋は確かに言い切った。有塚の喫煙を目撃した、と。昼休みが終わってから問い詰めてみたが、三橋は「嘘は言わない」と言い張っただけだった。確かに三橋は嘘を吐かない。有塚は一度喫煙を否定したが、三橋が短く「嘘」と言い放ったときは否定しなかった。笑っただけだ。頑なに笑顔なのが自棄っぽい、と三橋が言っていたことを思い出した。自棄かどうかはともかく、有塚には裏の顔がありそうだとは俺も思う。単に笑顔を絶やさないだけの人格者と解釈することも可能だが、実際そう受け取っている奴のほうが多いのだろうが、なんというか、そうだと納得するにはあまりにも危うい笑顔な気がする。

 青に変わった信号を確認し、有塚は横断歩道を渡る。俺もその後を尾けた。いつ煙草を取り出すのか。そう期待している自分も確かにいるし、有塚が喫煙なんてするものかと思う自分もいるし、吸うにしても電車を降りてからかもしれないと冷静に判断している自分もいる。

 五分ほど歩いた後、有塚には駅とは違う目的地があることに気付いた。と言うのは、横断歩道を超えて少しは順調に駅までの距離を縮めていたものの、明らかに駅方面ではない方角へと足を進めているからだ。そこで煙草を吸うのだろうか。それを俺が見ていいのだろうか。自分で勝手に尾行してきたくせに、変なところで俺はチキンになる。でも今から引き返すのも自ら敗北を認めるようで許せず、俺は自分を奮い立たせて有塚の背中を追いかけた。

 ところがどっこい、俺の覚悟とはまったくの裏腹に、有塚が足を止めたのはとある喫茶店の前だった。こっそり看板を確認すると、白い猫のシルエットをモチーフにしたデザイン文字で『ネコシロ』と書かれてあった。どんな陰気な場所に辿り着くのかと妄想していただけに、俺は至極拍子抜けだった。

 自動ドアの向こうに有塚が吸い込まれる。ひとりカフェ。さすがにひとりカフェをする勇気はない。でも、ここまで来たのに。どうしようかと逡巡していると、店内に消えたはずの有塚が自動ドア越しに半分身を乗り出した。俺と目が合った。やばい。咄嗟には目を逸らせず、俺は有塚を見つめてしまった。有塚は得意の微笑を口元に刻み、片手で手招きしている。その動作、もしかしてばれていましたか。

「キミさ、さっきからなにしてるわけ」

 突如、背後から声をかけられた。びっくりして裏返りそうになった声を必死に喉の奥に沈め、俺は勢いよく振り返った。嫌というほど見知った二人が、当たり前のようにそこに立っていた。

「そんなに驚くことないんじゃないの。たまたま忠勝君と帰りが一緒になって、たまたま怪しげな動向のキミを発見して、たまたま追いかけてみただけ」

「お前、それでも警察の血筋か。こんなんじゃ未来の事件はほとんど迷宮入りだな」

「……別に警察の血筋を誇ったことないし」

 どうでもいいことのように応じる三橋に続き、どうでもいいけどと言わんばかりの調子で藤が言った。ならばと俺もどうでもいい雰囲気を繕いたかったが上手くいかず、拗ねた口調で言い返すことになってしまった。ていうか、有塚のみならずこいつらにもばれてたのかよ。醒めたオーラを纏う二人に太刀打ちできず、俺は慌てて話題を摩り替える。

「お前らこそ揃ってなにしてんだよ。今まで一緒に帰ったことなんてないだろ」

「だからたまたまだって。それにね、それを言うなら、僕と七瀬はいつも一緒に帰ってたはずなんだけど」

「藤は? お前帰り道こっちじゃないだろ」

「たまたまだって言ってるだろ。それにお前だってこっちじゃないだろうが」

 ダブルパンチ。三橋も藤も言い分は正当だった。対峙する言葉が見当たらず、それでもなにか言ってやりたく、俺は視線を宙に彷徨わせる。そんな俺の横を、三橋と藤は涼しい顔をしてすり抜けた。

 振り向くと、二人とも当たり前のように有塚が手招いた先の喫茶店に向かっている。どういうことだ。俺が呼び止めると、二人が不思議そうな顔で振り返ってきた。不思議なのはこっちだバカ。

「来いって言ってんだし行けばいいだろ。絶対奢ってくれるぞ、あの人使っても使っても金有り余って仕方ないから」

 藤は喫茶店を顎でしゃくり、親指でびしっと指し示した。いや、お前、有塚のこと鬱陶しがってなかったっけ。そして三橋の声が続く。

「ちょうどいいや。僕、あのお店行きつけなんだよね。お腹も空いてるしラッキー」

「おすすめは?」

「キャラメルクランチケーキ」

「俺それがいいな」

 ナチュラルな会話を続けながら、三橋と藤は勝手に歩み去っていく。仕方ないので俺も後ろを追いかけた。有塚の喫煙疑惑を確かめるために尾けてきたのに、なんでその有塚に先導されて喫茶店に入ることになっているんだ。意味がわからない。わからないけど、キャラメルクランチケーキ、美味しそう。その甘さ漂う固有名詞に、放課後でおやつどきの俺の胃袋が素直に低く音をたてた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ