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黒川 智生 13

とりあえず終わり。

誰か読んでくれた人がいらっしゃるなら、どうもありがとうございました。


それにしても長いこと引っ張ったな。

今回メインだった樹と智生に「お疲れさま」と言いたいとこです。


 卓袱台に並んだのは、よく見慣れた夕食のメニューだった。もやしを塩胡椒で炒めただけのおかずと、少しの漬物と、白いご飯と薄いお茶と。豆腐とネギが入った味噌汁があるから、今日はまだ豪華なほうだ。ひとりで正座をして、ひとりで手を合わせて、ひとりで「いただきます」と口に出した。花菜がいなくなって、当たり前だけど調理する時間は減った。その分ガス代も浮くし、水代も少なく済むし、昼間は家を空けるから余分な電気代も発生しない。疲れきっているときに相手をしなくてもいいし、風呂の世話もしなくていいし、自分とは違う女子の身体のことで悩む必要もなくなった。寂しくはなったけれど、いいことはそれなりにあった。同時に、花菜の不在を金銭的なメリットにしか置き換えられない卑しい自分を痛烈に感じ取るという、嫌なことも増えた。

 最初から俺は天涯孤独の身だったけれど、花菜がいなくなったことで、晴れて本格的に天涯孤独と認定された。花菜も俺も納得したお別れだったけれど、だからこれはこれでよかったのだけど、寂しいと思ってしまう気持ちに抑制は効かない。花菜のいない空間に慣れるのは、当面先の話になりそうだった。

 テレビもラジオもないので、黙々と食事をしていた。僅かなおかずとご飯を順番に口に運び、お茶を飲み、もう一度おかずに箸をつけ、そのサイクルを何度か繰り返し、ほとんど食べ終えたときだった。手元の携帯電話が電子音を奏でた。初期設定のままのつまらない音だ。液晶画面に表示されていたのは、見覚えのない番号だった。

 誰だろうか。疑問に感じながらも、躊躇いなく通話ボタンを押した。間違いなら間違いだと教えてあげればいいし、寂しい今の自分に声をかけてきてくれる人がいるのも単純に嬉しかったというのもあった。

『もしもし。ごめんね、こんな時間に』

 予想に反して、聞こえたのは樹の声だった。俺は一度耳から電話を離して、表示されている番号を確認した。やっぱり見たことのない番号だった。でも、聞こえてきたのは間違いなく樹の声だった。樹の特徴的な声を、聞き間違えるはずがなかった。

 恐る恐る、再度通話口を耳に当てた。すると、あははは、と樹の楽しそうな笑い声が聞こえた。明らかに俺を笑っているので、少しむっとした。低く「なんだよ」と言うと、樹は「ごめんごめん」と軽い調子でまた笑った。

『三番目の姉さんの携帯電話からかけてるんだ。俺のなんて、とっくに警察に没収されてるよ。なんとか連絡取りたいからって、ケータイふたつ持ってる姉さんがこっそり貸してくれてる。まあ、入院してる今の間だけの話にはなるんだけど』

「……ああ、そうなんだ。で、夜なのに電話なんてしてていいのか。無駄にしょっぴかれることなっても知らないぞ」

 樹は明るく言うけれど、考えてみればそれは当たり前だった。樹のポジションは加害者だ。ということは、樹は俺の番号を暗記していたのか。全国区で指折りにランキングされるほど賢い樹だったら、特にそこは驚くことでもないか。

 じゃあ、樹は俺のメールを読んでないのか。一生懸命打ったのに、俺はちょっと残念な気持ちになった。

『メールなら読んだよ』

「ん?」

『警察にも親切というか、人情溢れてて公私混同しちゃう人がいるみたいでさ。智生が俺に送ったメール、そのまま二番目の姉さんに転送されて、更に三番目の姉さんに転送されて、それが今ここにあるってわけ』

「あぁ……そう」

『あ、勝手にメールボックス開けたんじゃないよ。ちゃんと姉さんが開けてくれた』

「そんなの当たり前だろ」

 突っ込みたいことがいろいろあって、収拾がつかなかった。とりあえず、指摘事項だけ指摘しておいた。それに対して、樹が興味を持った様子はなかった。

『で、本当にいいの』

 本題だ。樹は、三割くらいは理解したけど、残り七割くらいは困惑しているかのような声で訊ねてきた。間を置かず、俺は答えた。

「うん。もう決めたことだから」

 数拍の無言を挟んで、そうか、とぼやくような返事が電源を伝って耳に届いた。引き止めることはもちろんしないけど、後押しすることもできない、という曖昧なニュアンスだった。両極のふたつに属さないからと言って、自分の好きにするべきだという意図の「そうか」でもなかった。そうかとしか言えないから、そうかと言った。表現するなら、樹の「そうか」はそういう心理の下に吐き出された応答だった。

 今日の夕方、詩仁に話したことを、そのままの内容で樹にメールした。親父さんが同じ部屋にいたし、ようやく訪れた親子の安寧を――安寧という言い方は少し語弊があるか。樹と親父さんのふたりの時間に水を差したくなかったし、俺自身、文章にして自分の気持ちを再確認しておきたかった。本当を言うと、詩仁に話した時点では、まだ確定はしていなかった。考えていることを直接口に出して、人に聞いてもらって、自らも聴覚で理解できる声として改めて自分の考えを掘り下げて、そうしてやっぱり俺の気持ちは変わらないのだと認識した。メールしておけば自分も文面をいつでも確認できるし、相手もすぐの反応を強制されない。諸々の事情を考慮すると、今の段階では、事件の犯人よりも怪我で入院している患者という色のほうが強い樹には、直接話すよりもメールにして送信したほうが効率的だった。とは言っても、後日、樹が病室でひとりのときか、もしくはひとりになってもらったときにでも、面と向かって話をしても別に支障はないのだが。つまるところ、口頭よりもメールという手段を選んだのは、俺自身の気持ちの整理を兼ねていたからということになる。まあ、そういう俺の思惑は、樹の言う「警察の人情溢れてて公私混同しちゃう人」がいなければ、跡形もなく玉砕していたわけなのだが。樹が携帯電話を警察に押収されていることは、少し考えればわかるはずだったのに。俺はまったく気付かなかった。迂闊だった。

「すぐの話じゃない。まだ事情聴取も残ってるし、もうしばらくはここにいるし、バイトにも行く」

『俺が酷いこと言ったから? 社員になったってどうせ底辺だとか』

「違うから安心しろ。花菜は家に帰ったし、こうなった以上、いくら本当のことがわかってたって、結局は俺ってもうヒーローでもなんでもない、みんなにとってはただの逆援野郎って認識だろうしな。ま、ヒーローっていう通り名自体が勝手についてたもんだったし、みんなが俺に興味を失ったなら、それって却っていい機会だとも思うんだよな」

『やっていけるの?』

 『ネコシロ』を辞めて、どこか遠くの別の場所に行く。そこでまず住所を決めて、仕事を決める。仕事と言ってもバイトの身になるだろうが、とにかくこことは違うところで、新しい生活を開始する。俺が樹に送ったメールの内容は、そういうものだった。幸い、と言っていいのかどうかはわからないけど、例の商売で、ちょっとまとまった金額が貯まっている。金銭以外の問題も含めてさすがに国外には出られないが、国内なら移動と住居の構えくらいは事足りる。その日暮らしの生活になったとしても、慣れれば日常の一部だし、今だって十分その日暮らしの生活だ。

 『ネコシロ』にはたくさんお世話になったし、たくさん迷惑をかけた。中でも店長がいなければ、俺は本当に路上で野垂れ死でんいたかもしれなかった。たったひとりで花菜を残して。店で客に逆援を突かれた際、仮にも店員のくせにあるまじき姿を曝してしまい、また俺は店のみんなと店長に迷惑をかけた。でも、それでも店長は社員になれると言ってくれる。だからこそ留まって一生懸命勤めるべきだろうけれど、これでも俺なりに試行錯誤して出した結果だ。いろいろなことをいろいろ考えて、この結論に至った。もちろん、知らない場所でひとりでやっていくのは簡単だとは思っていない。でも、心変わりは、たぶんしない。

「的確な質問だな。そういうお前はやっていけるのか。詳しいことはよくわからないけど、お前、少年院にでも入ることになるんじゃないの」

 やっていけるかどうか、と言うのはお互いのことだった。だから、俺は樹に同じ質問を返した。樹は一瞬口篭り、すぐに切り返してきた。

『俺は大丈夫。事件を起こす前、予め、少年院っていうのがどんなところかっていうのは少し調べてた』

 それはちょっと驚いた。でも、なんとなく樹らしいと思った。拘束されることをまったく考えずに犯罪に及ぶほど、樹は穴だらけではない。それくらいのことは、俺でもさすがに知っていた。

『でも、智生は調べられてないじゃん』

「調べようがないだろ。先のことなんだから」

『花菜ちゃんのことはどうするの。もしかして、もう会うつもりないの』

 それは言うと思っていた。予想が当たるのは実に愉快だ。俺は小さく口角を上げた。花菜のことは、詩仁にも指摘された。詩仁の奴、中学生に似つかわしくない派手な金髪と銀色のピアスなどという不良を絵に描いたような見てくれをしているくせに、中身はピュアで、人のことをよく考えられる性格らしい。もしかして、あれだけ綺麗に髪が染まっているのは、詩仁は本当に人に害のない、まっすぐで純真で濁らない人間性を備えているからだろうか。濁らないから、均等に染色される。なんて、髪質に人間性もへったくれもあるはずがないか。

 自分で自分の妄想に笑いそうになりながら、俺は答えた。

「そんなわけないだろ。花菜も寂しがってくれると思うし。ただ、しばらくは会えないかもな」

『忘れられなきゃいいね。なんせ、花菜ちゃん、とんでもないお嬢様なんだもん。毎日が新しい発見でいっぱいで、血の繋がってないお兄ちゃんのことなんて記憶の彼方に追いやっちゃうかも』

「お前だってとんでもないお坊ちゃんだろ。樹こそ、少年院で新しい発見がいっぱいで、一歳下の幼馴染のことなんて記憶の彼方に追いやったりして」

『……そんなこと、あるわけないだろ』

 樹が挟んだ沈黙の意味は、意図せずとも汲み取れる。俺が自分で言わないようにしていただけで、樹もたぶん意識して言わなかっただけのことだ。樹は、俺のことが好きだった。いや、今も好きでいてくれている。いつからそうなのかもわからないし、今後いつまでそれが続くのかもわからない。幼馴染の親友として付き合うのは、俺にとってはよくても樹にとっても限界を超していることは明らかだった。俺が気付かなかっただけで、それはおそらく、ずっと長い間そうだった。

 最低限、俺は、きちんとそれに対する自分の考えを樹に述べなければならなかった。それでどうなるとしても、どうにもならなかったにしても、俺は樹に自分の気持ちを打ち明ける必要がある。今がいい機会だし、言うべきだ。小さく口を開いた。俺は樹のことを恋の対象としては見られない。俺なんかを好きになってくれたことは本当に嬉しいけれど、恋人としての付き合いはできない。でも、樹のことは、今まで通り親友として、頼りにしているし信頼している。

 言える。樹ならわかってくれる。決心して、息を吸い込んだときだった。

『ひとつ、訊きたいことがあるんだけど』

 出し抜けに切り出され、俺はあっけなく言い出し損ねた。また後でと思い直して、樹を促した。樹は、少しの間、言いにくそうにまごついた。

『正直に言って。俺のこと、怖いと思う?』

「え」

『ホテルの人たちを脅迫したからとか、親を刺したからじゃなくてさ。俺が一度、智生を襲ったこと。智生は普通に話してくれてるけど、俺のこと、怖いと思ってる?』

 今更そんなことを訊かれるとは思わなかった。意表を突かれ、意味もなく俺は部屋を見渡した。飲みかけの味噌汁とご飯が少しだけ残っていることを、ここでようやく思い出した。

 襲われた、と言っても、ショックは受けたもののそこまでのことはされていない。俺がなにも経験したのことない本当の子どもだったら、親友の樹に変なことをされたと思ってなにも信じられなくなっていたかもしれない。でも、そのとき、既に俺はかなりのことを経験した後だった。何人もに無理矢理組み敷かれ、好き勝手に弄ばれもした。ちょっと唇を塞がれたり、ちょっと痕跡を辿られたり、そんなことは、移動中の車の中で玩具にされたことや気味悪い道具を使われたこと、こっちから舌を入れさせられたりすることに比べたら全然なんでもなかった。それでも、ほんの少しだけは、やっぱりちょっと構えてしまうけれど。

「ちょっとだけだ。無意識ではほとんど考えないくらい。ほとんど怖くない」

『やっぱり、少しは怖いんだね』

「俺はもともと怖がりなんだよ。ヒーローなんて誰が最初に言い出したのか、なにかの間違いとしか思えないくらいに。怖がりじゃなかったら、最初からいないって知ってる妹をでっち上げてまで家族ごっこし続けると思うか」

「その論法だと、花菜ちゃんも怖がりってことになるけど」

『ああ、そうだ。怖がり同士、寄り添っておかなきゃな。子どもなんだから」

『言い方が上手いんだね。学校に行かないでずっと大人に混ざって働いてきた、智生なりの処世術ってわけか』

「厭味か、それ」

 当然のことながら、厭味でないことはわかっていた。俺の意図はあっちも察してくれたようで、樹は軽く笑った。なんとなく寂しげなオーラを纏った笑みには、もう俺は気付かないふりをするほかなかった。そして樹は、俺のその「気付かないふり」に気付かないふりをする。目に見えた展開は、目に見えているだけに動かしようもなかった。

「じゃあ、樹。俺からも質問していいか」

 言おうと思っていたことを取り下げた。言わなくても、もう樹にはわかっていることだった。それなら、敢えて俺の口から言わなくてもいい。言わないでいいことは、言わないでおきたかった。

 どうぞ、と樹が応じた。俺は率直に問いかけた。

「自分を刺したの、本当に唐突だったよな。あれ、なんで」

『いろいろ絶望したから。病室で言ってたのと同じだね』

「ってことは、最初から死ぬつもりだったわけじゃないってことか」

『死ぬ気は全然なかった。でも、父さんがなんか謝るばっかりするからさ。それで柄でもなく戸惑っちゃうし。俺、ずっと父さんのこと大嫌いだと思ってたけど、戸惑うってことは、自分が思うほど嫌いでもなかったんだよね。その上父さんが俺のことちゃんと愛してるとか言うし、今から殺すって言っても拒みもしないし、なんかもう、どうしていいのかわかんなくなっちゃって』

 樹の声は、いつも通り、明るく玲瓏としている。この綺麗な声の裏側で、どれだけのことを感じ、思って、決意してきたのだろうか。俺は、ただ相槌を打って話を聞き続けていた。

『父さんのことで、小さい頃からずっと縛られてたんだ。それも、俺が精神的に病んで勝手に巻きつけてただけっていうパターンなんだけどさ。でも、父さんって、そういう俺の認識とは遠いところにいたんだよね。それがわかったのに、今更そんなの言われても遅い、父さんを刺せるって思った自分が嫌だった。思っただけじゃなく、実際に刺せた自分も嫌だった。その自分から逃げたかった。だから、あんなにも躊躇なく自分を突き刺せたみたい』

 っていうのが、大よその概要かな。まるで自分のことではないかのような口ぶりで、樹は話をそう締めた。親のいない俺でも、だいたいは想像できた通りの内容だった。正解する推理は心地よかった。

「じゃ、お前はその幼い頃から長く続いてきた父親の呪縛から、今になってようやく解き放たれたわけだな」

『そうだね。まだ少しは気を遣うし、今度は法的な拘束に身を委ねることになると思うけど』

「それは自分で望んだことだろ」

『それもそう。今思うと、父さんも、俺が父さんに受けてたのと同じ影響を受け続けてたのかも』

「親子だな」

『本当に』

「親子か。いいな」

 俺が言うと、樹は黙った。敢えて黙ったのだと思った。樹だって、親子がいいものだとは、今までたぶん知らなかったと思う。俺は親がいない分、親子とはいいものだと知っていた。街中で親子なんてたくさん見かけるし、その構図の中に自分だけは絶対に入り込むことはできないとわかっていたから、余計に羨ましかった。将来、こんな俺でも結婚できることがあったとして、子どもができれば理想のその図を構築することは可能だけど、それで俺が得るのは親としての立場だ。どうあっても、親に甘える子どもの位置付けは、俺は絶対に叶わない。それはもう仕方のないことだから、親としてでも家族の微笑ましい絵面の一部になれるなら、それはそれでとても喜ばしいことだと俺は思う。いつかは辿り着いてみたい未来図だった。

 それからしばらく、他愛のない話をした。コーヒーは苦ければ苦いほどいいとか、俺は甘いのがいいから砂糖とミルクは絶対欲しいとか、甘いもののよさがどうしてもわからないとか、俺は苦いコーヒーのどこか美味なのかわからないとか。学校ではあれだけ近づいてきていた女も今では一切音沙汰なく、そのあたりはせいせいしているとか。その中で、花菜の誕生日に贈った髪飾りの話もできた。樹はちゃんと聞いてくれた。これと言った特徴などなにもない、普通の友達同士の普通の会話だ。普通の会話をすることが、ここまで幸せなことだとは知らなかった。

 聞きたいことも聞いて欲しいことも、まだまだ俺にはたくさんあった。でも、そろそろ頃合だった。それに、散々長電話しておいてなんだが、俺も樹もこんなことをしていていい立場でもないことも明白だった。樹はそれだけのことをしたし、俺はそれだけの原因を作った。わかっているけれど、ちょっとの間だけ、許されていたかった。甘えていいのもこのあたりまで。冷え切ったご飯と味噌汁が、なんとなくそう俺に伝えてきている気がした。

「大変だな、これから」

『そっちもね』

 それは激励のつもりだろうか。励ましたはずが逆に背を押され、俺は微かに驚いた。同時に、そう声をかけてもらったことが嬉しかった。俺も樹も、ありとあらゆる問題が山積みだった。自分できちんと責任を負って、自分で処理すべき問題ばかりだった。

『智生は遠くに行っちゃうんだよね。あのさ、俺、さっき少年院のこと少し調べたって言っただろ。それで、そのとき知ったんだけど、もしかしたら場所や罪の重さでも変わってくることかもしれないんだけど』

 これだけは言っておかなきゃ、という空気で、少し焦ったように樹は途切れがちに言葉を発した。樹らしくなく歯切れの悪い物言いに、俺は思わず首を傾げた。

『あの、そのときは、俺はもうキャラメル用意できないけど。もしよかったら……よくて、暇で仕方なくて気が向いたときがあったら、でいいんだけど』

 ああ。そうか。わかった。樹が言いたいのは、まさにそれだ。自分の中で小さな歯車が噛み合って、すべてしっくりいった。年上だけど、可愛いところがあるじゃないか。言いたいけどなかなか言えない樹のそれと、それに対する俺の答えを、淀みなく言葉に換えて並べてみせた。

「面会に来て欲しい、ってことだな。行ってやるよ。場所が場所だから、いつものお前みたいに手土産下げてってわけにはいかないかもしれないけど」

 自分で言い出したくせに、樹は、しばらく無言だった。驚いているのだと思った。樹に会うことを、どうして俺が拒んだりするのか。多少の時間やお金がかかったとしても、友達に会うのは悪いことではない。むしろ、喜んで会いに行くと予告したいくらいだった。

「ただし、それにはひとつ条件がある」

『条件?』

 予想外の単語の登場に、樹は語尾をあげて繰り返した。ああ、と俺は頷き、今の今思いついた口からの出任せ、それでいて悪いとは思わないその提案を、堂々と提示した。

「凝縮三倍の苦いブラックコーヒーと、特別に甘いキャラメルのケーキ用意して出迎えてやるよ。だから、お前も俺に会いに来い。そう約束してくれるなら」

 樹はまた口を閉ざした。どんな返事が寄越されるかは、最初からわかりきっていた。樹はそういう奴だった。だから、俺だって適当に「条件」をのたまうことができた。樹みたいな友達とは、今後の人生で二度と巡り会えないという確信があった。

『できるよ、約束。約束するから、そのときは一緒に人生ゲームしてよ』

 人生ゲーム。その単語が出てくることは予想していなかった。俺は一瞬瞬いたけれど、それを含めて、思った通りのいい回答だ。じゃあ約束だからな、と俺が確認すると、樹は笑いを含んで声で同意した。「そっちこそ約束だから」。またしても逆に押されてしまい、思わず俺は噴きだした。続けて、樹が噴きだした。お互い隣のある部屋にいるから、声を殺して静かに笑わなければならない必要性があった。その共通項が何故だかまたおかしくて、また俺たちは笑い転げた。息を潜めた爆笑は、ふたりですれば、そこまで悪いものでもなかった。

『じゃ、あんまり長電話してると、ばれたらいけないから』

「そうだな。俺も明日は朝から警察、昼からバイトでハードスケジュールだから」

『おやすみ』

「うん。おやすみ」

 通話を切った。静寂が訪れた。今までいた花菜の姿もなく、聞こえていた樹の声もない。まだ慣れていないひとりきりの空間で、俺は、冷え切ったお椀に手を伸ばした。今までみたいに自由に会えなくなるだけで、一切会えなくなるわけではない。だから、絶対大丈夫だ。花菜も樹も自分の生活を頑張るのだから、俺だけ頑張れないことなんてない。いろいろあるかもしれないけれど、きっとみんな大丈夫だから。自分自身に何度も言い聞かせ、冷えた味噌汁を飲み込んだ。冷める前より美味しいなどとはとても言えないけれど、味自体が変わっているということもなかった。俺も樹も花菜も、そんなふうに変わらずいられるはずだ。冷えた味噌汁に基づくなんて、しょうもない発想だとは自分でも思う。けれど、それだって普通の庶民っぽくて、全然悪い気はしない。また明日から始まる日々の連続に、ほんの少しだけではあるけれど、俺は思いを馳せられた。

長い長いお付き合い、ありがとうございました。

登場キャラクターたちもありがとう。

樹と智生と花菜はここでいったん退場ですが、七瀬・藤・三橋は今書いてるのにもばっちり出てます。今度はわりと三橋君が今まで以上にキーパーソンな感じ。


樹はこれから少年院とか行くのかな。智生は結局どうなるのかなぁ。


自分でもテーマにしたことのない友達→恋 しかも同性。という葛藤、自分で書いてたくせに自分でいろいろ思うことのあった物語でした。

考える機会にもなったし、時間かかったし突っ込みどころ満載だけど、書ききれてよかったなと思えます。


完全にいらん話になりますが、樹のとこの姉弟は

■長女 清葉きよは

□次女 みのり

■三女 しずく

□長男 いつき


ってことになってます。父は草次なので、ポケ●ンでは家族そろって草タイプの使い手だろうな。








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