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七瀬 詩仁 16

「うわ、父さん破産だってさ。リアルだねえ」

「はは、本当だな」

「ほら見てよ、ここで止まったら妻と別居だよ。止まらなきゃいいね」

「本当だ。でも、止まったほうがより現実味があるな」

 ドア越しに聞こえてくる仲良さげに弾む会話に、俺は暫し、呆然とした。やってるな、と智生は満足そうにぼやいた。

「人生ゲームだ。なんだかよくわからないけど、何日か前、突然、差出人不明で樹の家に届いたらしい。実は、木村さんに頼まれて持って来たところだったんだよ。俺が持って行ったら樹が喜ぶからって。どうせ行くところだったし了承した」

 説明してくれた後、智生は扉を軽くノックした。はーい、と返事をしたのは樹だった。ついこの前の、いや、今まさに世間で話題になっている事件の加害者とはとても思えなくて、俺は拍子抜けした。智生がドアを開けると、楽そうなスウェットにカーディガンを羽織った有塚は、ベッドの上にボードゲームを広げて楽しそうに笑っている。有塚の向かいには、丸椅子に腰掛けた有塚の父親の姿があった。ときどきテレビや雑誌で見かけるその顔とは違っていて、単純に、息子と遊ぶ父親の表情をしているように俺には思えた。有塚は個室だから、有塚の父親は自分の病室を出て動き回っていることになる。事件当日からそう日は経っていないのに、自分で移動できるということは、有塚の父親は、そこまで酷い傷を負わずに済んだのかもしれない。それはよかった。が。それよりも。

「ふたりだけで人生ゲーム?」

「七瀬君もする? かなりハンデなスタートになるけど」

 無意識にぼやいた俺に、すかさず有塚が反応した。人生ゲーム自体は楽しそうだけど、かなりハンデなスタートでは勝てる確立もゼロに等しいので、俺は首を横に振った。そっかあ、残念だなあ、と、有塚は残念そうでもなく呟いた。

 有塚の父親は、軽く微笑んで俺に会釈した。俺もつられて頭を下げた。視線を横にずらすと、智生も同じことをしていた。

「あ、そうだ。智生、警察での仕事は済んだ?」

 スタンダードに、いつもの透き通った綺麗な声で、有塚はずばり智生に問いかけた。話題が露骨すぎて、俺は面食らって思いきり智生を見た。しかし、驚いているのは俺だけだった。有塚の父親もそのことに対しては特にこれと言った反応をせず、智生は、少し困ったように曖昧に頬を弛緩させた。

「ちょっときつめの補導ってだけだからな。俺の分はとっくに」

 補導。またしても想定外の単語が出てきた。なんでそんな言葉が、と思う前に、察しがついた。不可抗力だったとは言え、黒川はお金で身体を開いていた。強要されて一気にいっぱい相手にしていたときも、少しだけどお金を受け取っていたという。それ以外にどうする術もなかったとしても、黒川だってやってはいけないことをしていた。その分のお咎めは、多かれ少なかれ必ずある。俺はちょっと切なくなったけど、それも現代日本では仕方のないことだった。そしてそれは、有塚も同じことだった。

「じゃ、あとは俺のだけだね。ごめんね、もう少し付き合わせるね」

「謝ってばっかりだな、お前」

「あはは。本当に」

 ルーレットを回し、出た目の分だけ有塚は駒を進めた。有塚は俺を見た。ばっちり目が合って、多少俺は困惑した。

「七瀬君も、本当にいろいろごめんね。迷惑かけちゃって」

「別に、俺はなんとも」

「なにか気にしてることがあるなら、それも気にしないで。七瀬君が教えてくれなくても、俺、辿る経路が少し違ってただけで、最終的には同じことやってたと思うから。それと、あのときは止めてくれてありがとうね」

 有塚の示す「あのとき」は、最初の自殺未遂のことだとすぐにわかった。有塚は、あのとき俺になにも言わなかった。あのときの有塚は、もう生きたいと思ってなかったから、生きることを強制した俺に述べる礼なんてあるはずもなかったのだ。別の拾いものをした三橋にはあったけれど。少なくとも、そのときの有塚と今の有塚は違うらしい。俺は、小さく「別に」と返した。

「怪我はもう大丈夫なの」

 話題を変えたかったし、単純に気になったから訊ねた。有塚は軽く「大丈夫だよ」と答えた。

「さすがにちょっと痛いけど。でも、俺が自分でやったことだから。仕方ないよ」

「もう生きてたくないとは思わないのか」

「そう思ったから刺したんだけどね。いろいろ絶望しちゃったし。でも、生きてるから」

 でも、生きてるから。有塚の言葉が、重く胸に沈んだ。それは、今生きていることだし生きるしかないから生きる、という意味なのだろうか。でも、別に、俺はそういう気持ちで生きていくのはなしではないと思う。だけど。やりきれない気持ちが、胸の上まで一気に競り上がってきた。有塚と有塚の父親は、これからどうやって生きていくのだろう。家族はどうなってしまうのだろう。有塚と有塚の父親が受けることになるであろうお咎めは、軽く流せる程度のものでは決してない。社会的に絶命する、と言い換えてもほとんど過言ではないのだ。有塚の名は、最早栄光の代名詞ではなく犯罪者を意味する。有塚自身は未成年だから名前が出ることもないけれど、ただ名前が出ないだけだ。『有塚グループ』の次期社長の名前には、少し調べれば、誰だって到達できる。到達しなくても、事件自体が有塚の長男の首謀として報道されているのだから、結局は同じことだった。

「そんな難しい顔しないでよ。全部俺がやったことじゃん。七瀬君がいろいろ思うことないよ」

 俺の気持ちを読み取ったかのように、有塚が口を開いた。そんなこと言われても、急に切り替えなんてできない。俺は、俯いて唇を噛んでいるだけだった。

「じゃあさ、辛そうな君に朗報をひとつ。俺、父親を殺そうとしてて殺し損ねた、つまり殺人未遂だよね。それで警察に話してるんだ。父さんにもそれで訴えてもらう」

「え!?」

 どこをどう解釈すれば、それが朗報なのか。むしろ悲報ではないか。これが、以前三橋が言っていた有塚の自虐趣味なのか。ここが病院であるということも忘れて、つい俺は大きな声を出してしまった。しー、と、有塚が唇に人差し指を当てた。すると、有塚の父親も同じ仕草をした。横を見ると、智生もそうしていた。まるで、三人で打ち合わせたような展開だった。

 納得が行かず、俺は有塚に詰め寄った。

「なんでだよ。親子で仲良く遊んでるじゃん。なんでわざわざ訴えてもらう必要があるんだよ」

「まあまあ、落ち着いてよ」

「あんたも父親だろ、そんなんでいいのかよ!」

 のほほんと構えている有塚では飽き足らず、俺は有塚の父親の肩を掴んで凄む。それを横から智生が制した。まだ傷が塞がってないから、という理由だった。

「意味わからない。ただでさえ傷害と脅迫があるのに、やったんだからそれはもうどうしようもないのに、そこにわざわざ罪状を付け加えるっていうのか。殺人未遂って、傷害や脅迫よりも全然重い罪だぞ。どう見ても和解してるのに。なんでなんだよ」

「わかってるじゃん。やったんだから、もうどうしようもない。父さん以外にしたことでは罪を背負うのに、父さんに対しては罪を背負わないなんてさ。変なことだと思わない?」

 今訊いてるのは俺だろうが。悠々と質問を返してくる有塚に、思わず拳を強く握った。強く握ったからと言って、振り下ろすのなんてお門違いにもほどがある。体内に篭る熱を放出するように、俺はゆっくりと拳を開いた。そして、俺は、俺の思うことを素直に述べた。

「あんたの言ってること、わかる。ほかに対してはちゃんと背負うのに、親に対してだけは背負わないっていうのは変だ。ちゃんと背負うべきだ。それは俺もそう思うけど、親と子どもなんだから、少しくらい融通利かない我儘があったっていいんじゃないかって思うんだ。お互いが納得できるなら尚更。罪の背負い方なんていろいろあるよ。甘ったれな考えなのはわかってるけど、そういうふうに生きたらいいんだから」

「そうだね。俺も、七瀬君が言ってることはわかる」

「じゃあ、なんで? まして有塚の一族は、これから滅茶苦茶大変なのに」

「ちゃんと自分で片付けたいんだよ。多少の時間がかかることになっても。強いて言うなら、それが俺の、家族に対する我儘かな」

 本当にこれでいい。これは自分で決めたことだ。目を細めて笑った有塚から、そういう気持ちが読み取れた。だから、それ以上俺は喋れなくなった。有塚が自分で選択したことなのだから、それが有塚にとってベターな道なのだ。息子が自分でいいというのだから、父親だっていいと言うに決まっている。

 それに、どうせ父さんだって逮捕されちゃう。ね。無理に作ったふうでもない、自然な口調で、有塚は父親に笑いかけた。有塚の父親も、同じように笑い返した。

「ふたりで一緒にどっか行くの、いつぶりだろうね。もしかして、初めてくらいなのかな。いつもは使用人がついてたし」

「そうだな。こうやってふたりで遊ぶのだって初めてなくらいだ」

「長い旅行になりそうだから、部屋が別々っていうのはちょっと味気ないけど。親子の初旅行が拘置所っていうのも、なかなかレアなケースだよ。まあ、俺は正確には拘置所ではないけどさ」

 全然冗談にもならないことを、有塚は、楽しそうに冗談めかして言ってのけた。有塚の父親も、やっぱり同じような表情だった。嘘でも厭味でも皮肉でもない、本当に心の底からそう思っているような雰囲気だった。そう認識してしまうと、俺はもっと口を噤むしかなかった。有塚とは違う家庭環境で育った俺が、有塚親子に口を出すべきではなかったのだ。これは俺ではなく有塚と有塚の父親の問題で、ふたりがそうと決めたならそれでいい。そういうことを、頭ではなく、感性で俺は理解した。たぶん、誰が来てもそう理解する。今のこの空間には、そういう空気が充満していた。不意に俺は、今しがた智生が言っていた「樹に申しわけない」の意味を知った気がした。

 数秒間、沈黙が流れた。沈黙を破ったのは有塚だった。中性的で綺麗に澄んだ声で、さらっと切り出した。

「ねえ、やっぱり一緒に遊ばない? これ、差出人不明ってなってたみたいだけど、俺、なんとなく目星ついてるんだ。こんな状況の俺に、よりによって人生ゲームなんか送りつけてくるなんて。とんだ性格の悪さだよね」

「ありがとう。でも、そろそろ帰ろうと思うからさ。また今度一緒にやろう」

「うん。わかった。じゃ、またそのときに」

 間を挟まなかった智生の返事を、有塚は、驚くほど簡単に了承した。智生は樹に手を振ると、有塚も同じように手を振った。有塚の父親も、小さく片手を左右に揺らしていた。智生はそれにもきちんと応じ、ベッドに背を向けた。部屋を出た智生を追って、俺も方向転換をした。黙って行くのも変なので、早口にふたりに対して「じゃあ、また」とだけ告げた。有塚の綺麗な声が「うん、また」と答えたのを、俺は背中側で聞き取った。

 智生について廊下を歩き、階段を下りているときだった。

「樹、変わっただろ」

 前置きなく、智生は言った。背中を追いかけていた俺は、早足で智生の隣に並んだ。智生は続けた。

「なにかにつけて、親がどうとか言ってたくせに。まあ、それも自分に対する皮肉と厭味だったんだろうとは思うけどさ。すげーお坊ちゃんのくせに、どうせ自分なんか、っていうのが常に滲み出てる感じの奴だったんだよな。それが、垢抜けて自分で処理しようとしてるんだから」

「俺、有塚さんとそんな仲良しじゃなかったし。変わったとか変わってないとかは知らない」

「あれ、そうなんだ。なんか結構仲良しみたいに思ってたけど。樹のこと、俺は変わったと思うんだよな。そしたら、俺だって自分の力で頑張るべきだろ」

「……萩原の養子になっても、いろいろ頑張れることってあっただろ」

「引っ張るなあ。別に花菜と縁を切ったってわけじゃないのに」

 それはそうかもしれないけど。「へえ、そうなんだ」と一言で済ませられる話でもない。ほかの人はできても、俺はできない。またやりきれなくなってきた。こういうときはどうするか。話題の変更だ。

「バイト、いつから復帰するわけ。そのうち社員にしてくれるって話なんだよな」

「ああ、うん。席外して、俺が考えてたこと、まさにそれなんだけどな。そうだな、俺たちもう友達だから教えるよ」

 それはなんの他意もなく、なにげなく提供した話の種だった。だから、黒川がそう返してくるとは思わなかった。そして黒川は、またとんでもないことを言い出した。最初に飛び出したその言葉に、俺は、無意識に足を止めていた。



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