七瀬 詩仁 14
『有塚系列、次々に契約打ち切り』。新聞の見出しに大きく躍り出た文字のそれぞれに、そろそろ慣れてきた頃だった。テレビは連日『有塚グループ』の崩落をまるで娯楽のように報道し、決まって有塚の栄光と成長を特集してから叩き落とした。あからさまに嘆いているコメンテーターもいたし、『有塚グループ』の解散が社会に及ぼす影響を滔々と語る政治家もいたし、実は昔から自分はこうなることを予想していた、有塚という社会団体自体が好きではなかったと私情ない交ぜで喋り倒すタレントもいた。前者ふたりはまだわかる。後者ひとりはなしだと俺は思う。『有塚グループ』にヤクザが絡んでいたのは確かに悪いことだったけど、有塚上層部が直接社会的な犯罪、例えば着服だとか脱税を図っていたのではないのだから、その頭の悪い芸能人の「こうなることを予想していた」発言は、どうにもあてつけがましく世の中を知ったかしている気がする。どこをどう踏んで、有塚の次期社長が自分の所属を明らかにしながら事件を起こし、そして今回の結末に至ると予想をつけていたというのだろうか。日本の三大財閥の中でも力を持っていた『有塚グループ』の消失、幼少より英才教育を受けてきた次期社長である長男の脱線、現社長の容態その他、テレビや紙面の向こうの世界では、話題にひとつでしかないことが俺は少し空しかった。
「話題のひとつで済むのは、残った三大財閥の『萩原提携』と『上条財閥』があるからだな。『有塚グループ』の崩落で穴の開いた企業を、萩原と上条が次々に買収してるんだ。有塚の傘下、もしくは提供を受けてた企業は有塚からそれなりの金額を受け取りはするらしいけど、それでずっと会社の維持ができるわけじゃないし、維持だけじゃなく世間を相手に商売を成り立たせなきゃならない。バックにつくのが有塚から萩原か上条に変わるだけで、日本の経済は見た目上変わらず機能するだろうな」
「ずっと有塚がトップであり続けてたってだけで、萩原にも上条にも相当のお金と力があるからね。テレビで偉い人が言ってるようなこと、実際そうなるのかもしれないけど、少なくとも庶民にとっては変わらない日常が続くってことだね」
「……お前らさ、本当に俺の頭の中が読めるのか。感傷の邪魔だから失せてくれ」
当たり前のように俺の脳内とリンクした発言をする藤と三橋を、俺は本心から一蹴した。藤はいつもの少し派手なコートを身に纏い、三橋は変わり映えのしない紺色の地味なコートを着て俺の隣に腰を下ろした。俺も俺で自分の防寒具をきっちり着込んでいるけれど、それにしても一月の外はやっぱり寒い。手袋をしていないので、新聞を広げた手は既に悴んでしまっていた。
フェンス越しに見える街の景色に、無意識に溜息が漏れた。無限に広がっているようにも思える建物の海、住宅地、道路、お店もカルチャースクールもなにもかも、生活のどこかで或いはもろとも、有塚に関係していた。これまでそうだったから、今後もそうなるはずだった。でも、実際はそうならなかった。有塚の力に依存した日本経済、と形容できるほどに『有塚グループ』は多様の能力を持っていたけれど、実際有塚が退いてみれば、藤と三橋がしたり顔で言うように、代わりの組織が前に出るだけだ。不変、という単語が、ふと脳裏をよぎる。その単語が、あまり気持ちのよくない意味を持って頭の中を通り抜けた。
「日本の経済は見た目上変わらない、としても」
コンクリートに直に広げた新聞紙を畳みながら、俺は口を開いた。
「『有塚グループ』に直接勤めてた人はどうなるんだ。働き口を失って、路頭に迷うじゃないか。家族がいる人だってたくさんいるだろ」
「穴の開いた企業を、萩原と上条が買収してる」
「それはさっき聞いた」
「穴の開いた企業っていうのは、崩落した『有塚グループ』も含めてるんだ。有塚の社員で働いてた人なんてみんな優秀だろうし、上条か萩原でも席はいくらでもあるだろ。そうじゃないなら尚更」
「今って、どこの会社もそんなに雇い入れしまくれるような好景気なわけ」
「そんなわけないから、結局上条か萩原に拾われる。拾われると言っても、ヤクザまがいのことしてたり、違法な店で違法な従業員を使ってた連中はまとめて書類送検だろうが。ということは、それを知ってて放置してた有塚さんの父親もただでは済まないな」
そう、と俺が短く言うと、藤はそれきり口を閉ざした。つまるところ、有塚の崩壊は、ほかの三大財閥である萩野提携と上条財閥に願ってもないチャンスに繋がったというわけだ。
景色を見下ろすと、驚くほどに静かでのどかな庭の様子を窺えた。ドラマや小説なんかでは、ここでマスコミが殺到していそうなものだ。実際に展開しているのは、看護師さんに車椅子を押してもらい、散歩している患者さんや、それに付随する似たような光景ばかりだった。予想に反して、一連の事件の加害者と被害者が入院しているこの病院は、波立ちのない平穏な空気を保っていた。警察のほうでマスコミ操作していることが明白な光景だ。でも、それもそうだと俺は思う。なにせ今回の事件は『有塚グループ』の社長と次期社長が当事者なのだ。最初から一般の病院を使わなければいいとも思うけれど、とにかく『有塚』の名前は大きい。一般的な視点や判断で測れるものではないのかもしれない。
「俺たち、結局なんにもできなかったな」
こうもゆっくりとした時間が流れていると、妙にしんみりした気持ちになってしまう。いや、妙にというか、本当に湿った気持ちになった。事件はもう起こってしまったのだから仕方のない、有塚の解体も既に至った結果論だ。どちらも今更どうすることもできないし、どうできたとしてどんな選択がベターなのかもわからない。なんにせよ、俺たちにできることなんてなかった。ひとつだけ言えることは、俺が有塚に黒川の窮地を救って欲しいなどとお節介なことを言わなければ、今回の事件は起きなかったかもしれないということだけだった。
「考えるだけ無駄だよ。それに、七瀬は、ヒーローを助けたかっただけじゃん」
平然と三橋は言ってのけ、横目で俺を見据えた。だから、こいつは本当に俺の心を読んでいるのか。いちいちピンポイントの発言はいっそ薄気味悪いくらいだけど、それでも三橋が言っていることは間違いでもない。まあ、ヒーローと言うほどに、俺は黒川になにかしてもらったわけでもないけれど。単純に形容するなら、俺が勝手に黒川に懐いただけだ。
「それに、悪かったって言うなら忠勝君も同罪だよね。最初から素直に警察に相談しておけばよかったものを、有塚さんに教えることを推奨したわけなんだし」
「推奨はしてないわ。むしろ、こうすることが得策とは思えないってちゃんと言った」
「でも止めはしなかった」
「……そうだな。俺も含めて、所詮は全部ガキのすることだった、ってことだ」
さすがの藤も、ここではそう言うしかないか。若干の苦笑を交えつつ、俺は言う。
「というか、俺が先に父さんに言えばよかったんだよな。そうしたら、今よりましな状況だったと思う」
そうだ。それだけは間違いなかった。黒川や有塚がどうというよりも、俺が率先して、警察の権力者である父親を頼ればよかった話なのだ。そこできちんと判断していれば、絶対にこんなことにはならなかった。黒川の輪姦された回数も少しは減っていただろう。いや、それは数の問題ではないか。ともかく、それとは違う商売のことでも変わった点があったかもしれない。有塚は父親を刺さなかったかもしれないし、自殺を図ることもなかったかもしれない。最低限、この状況より酷いことにはなっていなかったはずだ。俺の判断ひとつのずれで、ここまでの違いが現世に及んだ。そう思うと、やり切れなくて仕方なかった。
「うん。そう。そうだね。後悔したし、反省もした。じゃ、もういいじゃない。重たい空気はこれでおしまい」
「お前、そんなあっさり」
「僕は、有塚さんも有塚さんのお父さんも死なずに生きてたってだけでいいと思うけどね。知ってる? 有塚さん、ナイフの刃を上側にしてお父さんを刺した。自分も同じようにして刺した」
意味がわからず、俺は首を傾げた。そんな俺の横で、藤は、そういうことか、とばかりに顔を三橋に向けた。三橋はいつもの涼しいしたり顔で、どうでもよさそうに俺を見た。どうでもよさそうな顔をしているくせに、なんとなく「父親が警察の偉い人なのに、キミがこれを知らない意味がわからない」と言いたげな目をしているようで、俺は少しむっとした。
「普通に持ったら、というか無意識に持ったら、包丁でもナイフでも刃が下になってるよね。より確実に仕留めるには、刃を下じゃなくて上に向けて刺すといい。ちょっと大袈裟な話をすると、刃が上を向いてるか下になってるかで、殺人か傷害致死かで左右されることがあるんだ」
「え。まじで」
「刃が上に向いてたら、つまり確実性はそっちのほうが高いってことを知っててやってるわけだからな。判断によっては、罪が重くなることもあるだろうな」
「え……まじで」
二度目の「まじで」を俺が言うと、藤が呆れたように視線を突き刺してきた。本当に、なんでそんなことすらも知らないのか意味がわからない、と目が言っていた。俺に言わせれば、当たり前のようにそんな犯罪豆知識じみたことを、共通の話題の普通の延長であるというオーラを醸して普通に通じ合う三橋と藤のほうが、よっぽど意味がわからなかった。
というか、俺は単に父親が警察をやっているだけであって、俺自身はまったく警察と無関係に生活しているのだから、如何にも俺がある程度の刑事知識を持ち合わせているという前提で話をされても困る。
「そういえば、有塚の喫煙疑惑。お前、どこで見たんだ。俺、結局一度もそんなところ見てないけど」
「僕だって見てない」
「からかってんのか」
「有塚さんと忠勝君で、同性婚がどうとかこうとか言う話になってた日のことだよね。僕が見たのは、本当は煙草じゃなくてケンカだった。いやまあ、びっくりしたね。いつもは笑ってるだけで口調も優しいのに、同い年くらいの人を何人か相手にして圧勝してたから。それで僕、有塚さんと目が合っちゃって」
こいつ、また適当に嘯いてるんじゃないのか。お前はどう思う、と意図を込めて藤を見ると、藤は興味なさそうに前髪をいじっていた。
「見られちゃったね、不覚だったなって言ってた。キミはこういうの人に言うの、って訊かれたから、そういう話題になる機会があれば言うかもね、って答えといた。そしたら、有塚さん、また笑った。それは困っちゃうかな、できれば言わないで欲しいんだけどって。俺にもイメージってやつがあるらってさ。変だよね、イメージもなにも、みんな変態としか思ってないっていうのに」
ケンカ、というか暴力。傷害。学校でのキャラとは全然違う有塚の本性はもうわかっているから、俺は話の展開にだけ集中することにした。三橋が有塚のケンカを見ていたというのは初耳だった。
「悪いけど、言わない約束してもらえないかって言われたから、一応約束はした。そこで、有塚さん、自分で余計なこと言ったんだよ。ほら、結構飄々と、なんでも軽くさらって言ってるでしょ」
「余計なことってなんだよ。焦らさず言ってくれ」
「もし約束を破ってみたくなっても、思いきりケンカしてたとかじゃなくて、もっとやんわりした感じにしてくれたら嬉しいな。例えば煙草吸ってたとか、他人を巻き込まずに自分ひとりで完結してる小さな悪事みたいなことに、ってね。まあ、ほんの冗談で言ったことだろうけど」
「なるほど。それであのとき、意味深にお前を褒めたのか。綺麗な顔してなかなか、って」
興味なさそうに指に前髪を巻きつけたまま、藤が言った。
「七瀬がいくら尾行しても、しっぽ出さないわけだわ。出すしっぽが最初からないんだから。有塚さんのほうも、まさか真に受けてついてくるような正直者が出てくるとは思わなかっただろうな。で、七瀬。お前、有塚さんが本当に煙草吸ってたのを目撃したとして、それからどうするつもりだったんだ?」
ぐさりぐさりぐさり、と、立て続けに藤の言葉が俺の心に突き刺さった。どうするつもりだったと問われても、別に俺はどうするつもりもなかった。ただ、三橋が言ったことが気になったし、有塚自身、なにかしら裏に隠していそうだと察していたから、ほんの興味本位で少し後をつけただけだ。尾行と言っても学校帰りのちょっとの時間、それも有塚にばればれだったのだから尾行と呼べる行為だったのかどうかも怪しかった。というか、俺のことばかり言っているけど、三橋も藤も、有塚を尾ける俺を尾けていたではないか。そしてそのままちゃっかり俺たちと一緒に『ネコシロ』に入り、ケーキをご馳走してもらった。三橋に至っては、四個もケーキを注文した上にしっかりメロンソーダまで平らげた。そのことには一切触れないこいつらの都合のよさときたら、いい加減で頭に血が昇ってしまう。そうして頭上まで一気に昇った血液は、急速に熱を失い真下へ下る。
「有塚も有塚の父さんも、本当によく生きてたよな」
しみじみと、俺は思う。三橋と藤が言っていることが正しいなら、明らかに有塚は、実の父親を殺害するつもりだった。そして自分も死ぬ予定だった。誰が見ても無理心中の構図だが、聞けば、有塚は父親を心底嫌っていたらしい。大嫌いな父親と無理心中を図る意味がわからない。有塚が自分を刺した瞬間までを見ていた黒川なら、なにか別の事情を察している可能性はある。でも、そこまでのことを、無力で間接的に理由を作ったも同然の俺なんかが、勘繰ってもいいものなのか。
有塚を救ったのは黒川だった。黒川は、自分が人質の扱いをされていたにも関わらず、有塚の胸から溢れ出る血液を堰き止めようと、傍らのベッドのシーツを破いて傷口に当てていたという。有塚の父親も酷い傷だったが、父親のほうには意識が残っていて、なんとか自分で止血の応急処置だけはしていた。父親自身も、自分ではなく息子を、と黒川に頼み込んだそうだ。黒川は必死に有塚の流血を遮り、ポケットの携帯電話を抜き取って救助を要請した。救急隊が駆けつけるまでの数分間、黒川は、有塚に声をかけ続けていた。少しでも聴覚を刺激し続けて、激しい流血で意識を失い、そのまま有塚が永遠に目覚めることのない事態に陥ることのないように。
「ナイフ自体がそんなに大きくなかったっていうのもあるな。自殺未遂に関しては、本人にとって幸か不幸かはわからないけど、ぎりぎりで心臓から逸れてたことも。賢い有塚さんが自分の急所をはずしたんだから、よっぽど苛立ってたのかもな」
「苛立ってた、か」
いかにも的を射ていそうなことを、あっさりと藤は述べてくれた。苛立つ、という言葉が妙に印象づいて、俺は無意識に繰り返していた。藤は頷き、それ以上なにも言わなかった。
切るように冷たい風が、不意に頬を撫でた。空はまだまだ明るいけれど、すぐに夕方になって夜がくる。長い時間、ここに留まっていても病院側に迷惑だし、少しお見舞いに行くだけとしか伝えてないから、あまり遅くなると嘉兄も心配する。横に置いてあった新聞紙を丸め、俺は立ち上がってお尻についた砂やごみを軽く払った。
「俺、そろそろ帰ろうと思う。ふたりはまだいる?」
「もう少しいる」
「じゃあ俺も」
「なんだよ。一緒に来たんだから一緒に帰ろうぜ」
「そんなに三人で行動してたら、すごく仲いい奴らみたいじゃないか。ひとりで行ってよ、七瀬。僕と忠勝君は、時間差で帰る予定なんだから」
そうだな、と藤は、またしてもどうでもよさそうに髪をいじった。だから、どうでもいいなら、少しは俺の言うようにしてくれてもいいんじゃないの。というか、人に仲良しに思われたらまずいのか。既に思われてると思うけど。藤と三橋に交互に内心で突っ込みを入れつつ、実際には、俺は無言を保って直立した。そうか、じゃあまたそのうちな、とだけ言い残し、俺はさっさとふたりの傍を離れる。どうしようもない、そういう奴らなのだ。いつものことだと気に留めず、俺はひとりで階段を降りた。




