表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/45

七瀬 詩仁 11

『なるほどな。意外と感情的なんだな、有塚さん』

 で、それがどうしたんだ。藤はそう言わんばかりの、あっけらかんとした口調で返してきた。電話口から電波を帯びて伝わる声は、いつもの藤らしく飄々とクールに澄んでいる。

『普段の温厚そうな立ち振る舞いを、真に受けてるつもりはなかったけど。自分の名前を出してホテル側をびびらせるなんて、やっぱなかなか普通じゃできないことだわ』

「今の俺の話を聞いて、そんな感想しか抱けないっていうならな。お前、誰よりも冷たい人間だぞ」

『有塚さんのことは、俺もちょっと気になってたんだ。薬物異常摂取は自分で勝手にやってればそれまでだが、血が出るまで相手を殴るとなると話が違う。言及されて否定もなし、態度に変化もなしってことは、慣れてるってことだからな』

「でも、あのときの有塚は自棄だったぞ」

『……お前、庇うよな』

 言われて、どきりと胸が鳴った。なんでここで胸が鳴る。確かに俺は、ことあるごとに有塚を庇う言動を繰り返している。最初こそ、有塚の喫煙を疑って、尾行まがいのことをした。ばれていたけど。それだって三橋が「あの人は煙草を吸う」なんてのたまったからだが――そういえば、結局喫煙疑惑は確認できていない。代わりに、いろいろ別の、予想もしていなかった有塚の本性が露わになった。

『大財閥の御曹司様だからな。ネットで調べれば、あることもないことも、相当数の情報が引っかかるわけだが。本当に血の気が多いかどうかはともかく、有塚さんがケンカするのは本当らしいな』

「え?」

 予想していなかった藤の切り返しに、俺は思わず訊き返した。藤は淡々と喋り続けた。

『みんな大好きな『灰色ヒーロー』。黒川さんがいるだろ。あの人の場合、ケンカと呼ぶのはちょっと語弊があるわけだが。でもまあ、世間というか俺たち中学生や高校生の間で、チンピラもびびる程度に強いのはあの人だよな』

「それがどうしたんだよ」

『有塚さんがやってたのは、本当にただのケンカってことだ。小学生の頃、四対一でケンカして、全員を病院送りにしてるそうだ。骨が折れてた奴もいたとか。相手は、みんな年の近い中学生だったらしいけど』

 冷静な藤の話を聞くと、俺の中で、がっちりと歯車が噛みあった気がした。藤に伝えた通り、有塚は、血が出るまで人を殴るのか、という俺の質問に一切動きを見せなかった。藤も指摘したことだが、それはつまり、慣れからくる余裕だった。常ににこやかな表情の裏側で、あの人は、絶対になにかを隠し持っているとは思っていたけど。異様に聡い藤の分析を耳にすると、より確かな信憑性がついてくる。

『ケンカというか、もう傷害だな。それだけのことを誰も知らないのは『有塚グループ』ならではの手回しがあるからだろうな。有塚さんは幼稚舎から辻ノ瀬だから、もしかしたら、学校の上の奴らにも大金積んでるかも。薬を必要以上に飲んだり、ろくに飯食わなかったり、部屋に篭ってアダルト雑誌やAVを眺めてばっかりだったり、ケンカっ早いというか情緒不安定くさいわ』

「……アダルト雑誌?」

 予想だにしなかった単語が、むしろ予想する可能性すらもなかったとんでもない名詞が、平然と藤の口から飛び出してきた。怪訝にオウム返しにした俺に、藤は、あ、と思い出したように息をついた。

『こっちで勝手に調べた情報だった。あの人、部屋ではそういう雑誌ばっか見てるみたいだ。で、気に入らなかったり不快だったりすると、DVDを叩き割ったり、雑誌をびりびりに破いたりしてるらしい』

 なんだそれは。わけがわからない。いくらあの有塚さんとは言え、健全と言えるかどうかはかなり怪しいところだが、十八歳の男子高校生なのだ。そういう雑誌を持っていたり、映像を楽しんだりしていても、不自然な箇所はひとつもない。気に召さなかったそれを破壊してしまうのは、自然な行動とは思いがたい。そうは思うが、とりあえず、俺が突っ込みたいのはそこではなかった。藤がそういう無意味な嘘を吐くとは思えないから、おそらく言っていることは本当だ。でも、有塚のそれをどうやって知ったのかという方法は、大いに謎だった。俺には言及する義務がある。

「お前さ、ストーカーでもしてんの。有塚の部屋に、盗撮カメラでも仕掛けて」

『俺が有塚邸にそんなの設置できると思うか』

「じゃあなんで知ってんの、そんなこと」

『人調べの名人が知り合いにいるから、ちょっとお願いしただけだ。チャット仲間で顔も知らないんだが、あいつの頭のよさと性格の悪さはバカみたく異様だな。ネットの仲だけで助かった』

「……」

 突っ込みたいことが喉の奥で殺到して、結局俺は沈黙するしかなかった。冴えすぎた頭脳だと藤が称するくらいなのだから、藤のそのチャット仲間は、間違いなく相当切れる奴だ。でも、性格の悪さってなんだ。それも通常の域を遥かに突出しているのなら、しかも人調べが得意だなんて、ネットの仲だけと思っているのは、藤ただひとりのような気もするのだが。まあ、俺が即座にそう想像するくらいだから、藤だってそのくらいの認識はしていると思う。

『有塚さんのことは、俺も気になってたからな。まさかああまでも精神病んでるとは』

 溜息混じりに、藤はぼやくように言った。まだ話が続きそうだ。俺は意識を携帯電話の向こうに集中させる。

『黒川さんのことも調べたんだ。脳に障害のある妹と二人暮らしで、黒川さんは学校に行かずにバイトして生計を立ててる。チンピラに絡まれてる奴をほっとけなくて、だからケンカの腕っぷしは確かで、そのうち、このあたりの区域の中学生を中心として『灰色ヒーロー』と呼ばれるようになった。直接の関わりがあるのは、親友で幼馴染の有塚さんだけ。有塚さんは有塚樹、日本の三大財閥のひとつの『有塚グループ』の長男だ。長男と言っても、上に姉が三人もいる末っ子だけどな』

「それはみんな知ってることだろ。どうしたんだよ、急に」

『黒川さんの父親は誰かわからない。母親がとっくに蒸発してることも、噂になっててみんな知ってることだ。その母親と、そのとき付き合ってた男が、やばい連中に多額の借金をしてたんだ。黒川さんと妹は親族を盥回しにされてたらしいが、借金の証書が届いて発覚したのは最後の叔父の家にいたときだ。急にそんなものが送りつけられてきたということは、母親が付き合ってたのは、たぶんその連中のひとりだろうな。まあ、それは別にどうでもいいんだけど』

 こいつ、なにを言い出したんだ。首を傾げつつ、俺は藤の言葉に真剣に耳を傾ける。

『黒川さんは、毎月借金を少しずつ返してたんだ。ただでさえギリギリのバイト代を連中に渡してて、それで、本当に僅かな生活費だけを突っ返されてた。でも、この十二月はその生活費を返してもらえなかったんだ』

 俺の反応を待っているのか、藤はここで言葉を区切った。俺が黙っていたのは、単に衝撃を受けたから、というのだけが理由ではなかった。もちろん衝撃は衝撃だったが、有塚との一件があった時点で、ある程度の予想はついていた。直接調べたわけではないが、黒川は今まで真面目に、質素でも努力して頑張って生活してきた。それを疑う理由も因縁もどこにもない。初見で俺の金髪とピアスを褒めてくれるような人だ。悪い人であるはずがないし、みんなからヒーローと称されるほどの人気者なのだから、よっぽどの原因がなければ逆援になんて及ばないと思う。生活の困窮は、十分すぎるくらに「よっぽどの原因」になっている。

『なんで俺が有塚さんの身分を強調したのか、お前、わかるか』

「え?」

『有塚グループは、特にメインで狙ってる業界があるわけじゃない。医療、デパート、観光、建設、その他諸々。手を出してないことを探すほうが難しいくらい、数多くの業界で権力を持ってる企業だ。でも、有塚の名前は引っ込んでることも多い。お前、直接有塚さんにそう聞いたんだよな』

「聞いたけど、別に深い意味があって話してたわけじゃないぞ。世間話のひとつで」 

 そこまで言って、はっと思い至った。藤のその言い方は、そういうことだ。一気に手汗をかいた気がして、携帯電話を握り直した。でもまさか、そんな小説みたいなことがあるなんて。それは、あまりにも酷すぎる。俺の頭の中を読み取ったように、藤は言葉を続けた。もう言わなくてもわかることを、わざわざ、はっきりと声にして伝えてくれた。

『黒川さんの母親が借金してるの、有塚の金融会社なんだよ』

 あり得ない。俺の脳のど真ん中に、ただ一言、それだけが強烈に焼き付いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ