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有塚 樹 7 

 七瀬君の提案で、カラオケ店に入ることにした。ここなら時間単位で指定して居座っていられるし、注文すれば飲み物も出てくるから、ということだ。承諾した俺が当たり前のように代金は払うからと伝えたところ、七瀬君は断固として首を縦に振らなかった。さすがにこうも奢られてばかりでは良心が痛むし、自分の代金は自分で払いたいらしい。別段おかしな感覚でもなかった。

 音楽を聴く趣味のない俺に歌えるものなどあるはずもなく、ひたすら七瀬君のワンマンライブを聴いていた。全国ランクの採点モードにしても順位が高く、七瀬君は終始ノリノリだった。この子、単にカラオケしたかっただけだと思う。

 夕方五時を廻った頃、カラオケ店を後にした。ふたりで『ネコシロ』に向かって歩いていると、さっきまでの爽快な表情が嘘のように、七瀬君は緊張した面持ちでこちらを見上げてきた。

「あのさ、確認するってなにを?」

 俺は答えなかった。七瀬君は、それ以上なにも言わなかった。俺が智生に妙な疑いを抱いていることを知られたくなかった。これは俺の杞憂のはずで、あり得ることのない現象を念のために調べているだけなのだ。余計なことを言いたくない。七瀬君が察知できる子で助かった。

 『ネコシロ』前に到着したとき、携帯電話の時計は五時半近くを示していた。智生のバイトが終わる時間はまちまちだ。早ければもう終わっている頃合だった。さすがに毎日智生に終業時刻を確認するのは不自然なので、早く終わるものと思って行動しなければならない。

 裏口付近で、智生が出てくるのを待った。十分くらい経過した後、ドアが開いた。俺は息を潜めた。出てきたのは、擦れたコートを羽織った智生だった。七瀬君が声を出さないように、横目で俺は合図を入れた。七瀬君はなにやらわかっていない表情で、それでも大事なことをやろうとしているのだけはわかるような目をして頷いた。智生は肩の鞄を提げ直し、吐く息を白く濁らせながら歩いていく。いつもの帰りの方角だった。

 尾行して五日目の今日までにわかっていることは、智生が使うルートは行きも帰りも変わらないということだった。当たり前のことのように思えるけど、智生が家事もこなしていることを考えればそうでもない。買出しのためのスーパーマーケットを使い分けたりしているかも、と考えていた。が、そういえば、以前、智生は言っていた。場所にもよるけど、スーパーではそこだけで利用できるカードがあって、お会計のときにそれを使うとポイントが貯まる。ポイントが貯まれば、商品を少しだけ安く買うことができる。だから、できる限り同じところにしか行かない、と。そのスーパーマーケットさえも、智生のいつもの行動範囲にしっかりと収まっていた。

 つまり、智生が道を逸れれば、なにかある。逸れずにアパートに帰り着けば、なにもない。今のところ、なにもない日が続いている。けれど、今日で五日目だ。智生がクロだとすれば、そろそろ動きがあってもおかしくない頃だった。

 気付かれないように智生の背中を追いかけながら、ふと俺は、花菜ちゃんの誕生日のことを思い出した。確か一昨日だった。なにもしてあげてないし、また近いうちに、手土産を持って顔を見に行こう。智生は、あのプレゼントを渡したのだろうか。智生がバイト帰りに抜ける街で、偶然発見して即買ったという、可愛らしい銀色の髪飾りを。花菜ちゃんは、さぞ嬉しいことだろう。いつも自分を守ってくれる、大好きな兄からもらう誕生日プレゼントなのだから。花菜ちゃんは、なんの濁った感情もなく、無垢にそれを受け取ることができるのだから。

「有塚さん、黒川さんがあっち行った」

 七瀬君にコートの端を引っ張られ、はっと俺は我に返った。確かに追っていたはずの智生の背中は目の前になかった。毎日変わらないルートだから、足が勝手に動いていた。七瀬君が指し示す先に視線を走らせると、智生は、見覚えのある黒い車の後部座席に乗り込むところだった。智生の暮らすアパートはもうすぐ、という地点だった。心臓が高鳴った。飛び出しそうになったのを懸命に抑えた。万が一にでも、俺が尾けていることを智生に悟られるわけにはいかなかった。

「車乗っちゃった。どうする? まだ出てないから、走れば前にでも飛び出して捕まえれるかも」

 イブの日、智生によく似た男の子が、汚いオヤジと一緒に出てきた黒い車のナンバーを記憶しておけばよかった。あれは智生かもしれない、ということで頭がいっぱいだった。

 緊急事態と七瀬君も受け取ったらしい。俺の手首を掴んで、切羽詰まった口調で七瀬君は言った。

「おい、有塚さん。どうするんだよ、もう動いちゃうぞ。俺、止めてこようか」

「それじゃダメなんだよ。確認しなきゃ」

「確認ってなにを? その様子からすると、あんたが確かめたかったのってこの状況だろ? もうこれで確定したようなもんなんじゃ」

「そうだよ、確かめたかったんだ。俺はなんにもないことを確かめたかった!」

 自分でびっくりするくらい、とてつもなく大きな声だった。一瞬、町中が固まって俺に注目した。七瀬君も肩を震わせた。町はすぐに動き出し、七瀬君は目を見開き、発車した黒い車の中で智生が頭を動かした。もしかして、聞こえてしまったのだろうか。

 あの黒い車がイブの日に見たそれと同じなら、向かう先のあてはある。いつもそことは限らないだろうけど、一度行っていたのだから可能性はある。タクシーを使えば早いけど、呼び出す時間も惜しいしあのホテルの名前まではわからない。街に向かって引き返した。なにか言いながら、七瀬君も後を追いかけてきた。振り返る時間さえもなく、俺は必死に走り続けた。



 あのホテル前に辿り着いた。隣で七瀬君が息を切らしていた。俺の全力疾走についてくるとは、なかなかの運動能力と見た。

 周囲を見渡してみても、黒い車は見当たらなかった。ホテルのフロントを窺い見ると、数分前後で誰かがチェックインした気配もなかった。人の足よりも車のほうが遥かに早いんだから、当たり前か。なんて思ってみる。智生のことで頭がいっぱいだったけど、黒い車に汚いオヤジが乗っていないかどうかも確認すればよかった。俺ってバカだ。

「あの、有塚さん」

 ホテルの名前を確認した。知らない名前のような気もしたし、どこかで聞いた名前のような気もした。有塚の系列って、ホテルもやっていたんだっけ。手を出していることが多すぎて、跡継ぎの俺だってろくに業種を覚えられない。

 イチかバチか、やってみようか。息を整え、俺は踏み出した。七瀬君が腕を掴んできた。邪魔だ。ひとりではあまりにも不安だから、誰かと一緒に確認したいと思ったのに、途端に七瀬君が鬱陶しくなってきた。

「待てってば。ここにいるかどうかわかんないだろ。だいたい子どもがいきなり入れる場所じゃない」

「いるかもしれないじゃん。俺、イブの日に見てるんだよ。黒い車から、智生によく似た男の子と汚いオヤジが出てきてさ。このホテルに入っていった」

「いたとしても確認できないだろ。確実に見たんだから、後で本人に聞こう。なんなら俺も行くから」

 ホテルに来た時点で察したのか、七瀬君は、驚いた反応をしなかった。妙に腹立たしく、俺は奥歯を噛んだ。

 七瀬君の腕を振り解き、俺はホテルに向かった。堂々と自動ドアをくぐる。若く泊まりの客らしい荷物を持っていない俺に訝しげな顔を向けながらも、受付の女性は事務的に「いらっしゃいませ」と告げた。

「ご予約はされて」

「高校生くらいの茶髪の男の子と、汚いオヤジが来ませんでしたか」

 女性の声を遮り、俺は低くそう告げた。またもやついてきた七瀬君が、なにしているんだとばかりに俺に服を引っ張った。

 女性はなにも答えなかった。俺は再度問いかけた。

「俺よりちょっと低いくらいの身長で、赤縁の眼鏡をかけてます。来てませんか」

「すみません、お客様。そういったご質問には応じられません」

「俺が有塚の長男、有塚樹だと知ってもですか」

 言った瞬間、女性の顔が強張った。ということは、つまり、このホテルは『有塚グループ』の一部だ。勝った。別に嬉しくもなかった。

 少々お待ちください、と告げた後、女性はどこかに電話をかけ始めた。応答はすぐに始まり、なにやら慎重そうに言葉を選んでいる。

 女性はやりにくそうに受話器を置いた後、恐る恐ると言った調子で上目がちに俺を見た。直後、再度目を逸らした。なんなんだ、この女は。今こうしている間にも、智生は金を受け取ってオヤジに身体を献上しているというのに。強く握り締めた拳を、思い切り女の頭上に叩きつけたくなった。

 女性は、なかなか口を開かなかった。いい加減でその薄い唇を捻り上げてやろうかという頃、手元の書類を捲りながら、彼女はようやく切り出し始めた。たぶん客のリストだ。智生が記名しているとして、正しい名前を書いているかどうかはわからない。

「高校生くらいの男の子なら、確かにいらっしゃいました。中年の男性とふたりで、十五分ほど前に」

 やっぱり。全身から力が抜けるようだった。いや、ここで腑抜けてしまったらダメだ。もっと踏み込まなくてはならない。俺は必死で直立を保ち、次の質問を口に出した。

「同じ男の子、五日前にも来ませんでしたか。もし来てたなら、一緒にいた男の人が今日と同じ人かわかりませんか」

「来ましたが、一緒にいた人は違います。前は太った背の低い男性で、今日はどちらかというと痩せ型の人と一緒でした」

「部屋、なんで貸しちゃうんだよ。どう見たって逆援だって思わなかった? 思っただろ?」

「有塚さん、もうやめよう。一旦外に出ようよ」

 丁寧な口調が崩れた俺を、七瀬君が出口のほうへと引っ張ろうとする。鬱陶しい。七瀬君の腕を振り解き、俺は重ねて女性に問うた。女性は、俯いたまま一切顔を上げなかった。

「部屋は何階?」

「おい、もうよせってば!」

 七瀬君は声を荒げ、受付前に立つ俺を思い切り突き飛ばした。俺はちょっとだけよろめいた。ホテル内の異変を感じ取ったのか、従業員たちが数人集まってきている。みんな怪訝そうな顔をしていた。なんの騒ぎなんだ、頼むから迷惑をかけないでくれ。誰からも彼からも、そんな心の台詞が窺い知れた。痛烈な苛立ちが込み上げてきた。やり場のない怒りを込めて、力の限り七瀬君を突き飛ばし返した。七瀬君は派手に吹っ飛び、足を滑らせて床に倒れた。周囲が軽くどよめいた。七瀬君はすぐに起き上がったものの、驚きを隠せない表情で瞬きを繰り返している。

「何階?」

 再度、受付の女性に訊いた。女性はほとんど泣きそうな、消え入りそうな声で階数と部屋を口にした。形だけの礼を述べ、俺は無言で階段のほうへと足を向けた。




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