有塚 樹 6
七瀬君の身長は百六十センチちょっと、と言ったくらいだろうか。身体も細いし、中学三年生も終わりがけの割には、だいぶ小柄な体格だ。三橋君はもう少し小さかったからもっと小柄で、藤君だけは、モデル体系の平均的身長か。七瀬君と歩幅を合わせ、他愛もない世間話をしながら、俺は頭の隅でどうでもいい数字を算出していた。
「じゃあさ、『有塚グループ』のメイン企業って、特にこれって決まってるわけじゃないんだな。とにかく幅広いんだ。俺、知らなかったな」
「知らない人、意外と多いかもしれないね。病院とかデパートとか建設系とか、ケーキ屋さんもあったかな。相当いろんなことやってるんだけど、各分野で専門家がたくさんいてさ。でも、有塚って名前は引っ込んでることも多いんだよ。それも戦略の内みたいだけど」
暗くなってからもう一度会って欲しい、という俺の提案を、七瀬君は了承しなかった。どうせ家に帰っても暇だから、と言って俺について来ているのだ。ついて来られても俺に目的地はないし、結局は暇させてしまうと思うんだけど。と一応交渉してみたけど無駄だった。でもまあ、連れがいるのは苦痛ではなかった。
智生のことは、夜、七瀬君と一緒に確かめることにした。智生らしき人物が今日オヤジとホテルに入るかどうかはわからないけど、そんなことを言い続けていたらいつまでも前に進まない。幸いなことに、二十五日から昨日までの四日間はなにもなかった。でも、最低でも一週間はバイト上がりの智生を尾行して、智生が潔白であることを確認する必要がある。汚く太ったオヤジとホテルに入って行った、華奢な体躯に茶髪の赤縁眼鏡をかけた男の子。イブの日に目撃した彼と智生がまったくの別人であることを、きちんとこの目で確定させなければならない。もちろん、旨を七瀬君に話していなかった。なにか察しているのか、七瀬君は言及してこなかった。ただついて来てくれる人が欲しかった俺にとっては、ありがたいことだった。智生のことは木村もよく知っているから、木村にはお願いできなかった。
「病院、デパート、建設系、その他諸々かー。本当に日本経済のほとんどを牛耳ってるって感じだな。そんなとこのお坊ちゃんなんて、やっぱり有塚さんってすごいな。ほかの三大財閥の人とは知り合いなの?」
「『上条財閥』と『萩原提携』だね。『萩原提携』の社長はまだ若くて子どももいないみたいだけど、『上条財閥』の次期社長とは何年か前に会ったことがある。俺より三歳年上の女の人で、如何にも金持ちっぽい雰囲気で、苦手なタイプだったかな」
「『萩原提携』かー。なんか人を探してるって噂なかったっけ。ずっとひとりで」
「そうなの? 俺、知らないけど」
「知らない? なんかそういう噂があるんだってさ。真に受けるつもりはないし、俺もよく知らないんだけど」
「噂が多いね、いろいろと」
「そう言えば、有塚さんって姉ちゃんが三人いるんだろ。みんなどうしてるの」
思いついたように、七瀬君は訊ねてきた。訊かれるままに、俺は答える。
「みんな養子に出てるよ。一番上の姉さんは海外の企業の社長と結婚して、そのままそこで暮らしてる。一児の母で、お正月でもなかなか帰って来れないみたい。二番目の姉さんは去年大学を卒業したところで、『有塚グループ』とは直接関係しない企業で社会勉強を兼ねて働いてる。三番目の姉さんは今度大学三年生なんだけど、教師になりたいんだって」
「教師? 普通に学校の?」
「うん」
適当に歩いていたら、本屋が目に留まった。暗くなるまでは少し時間があるとは言え、陽が落ちるのは早い。時間を潰すには持ってこいだ。七瀬君の承諾を得て、店内に入った。参考書のコーナーには、受験生と思しき少年少女たちが群がっている。
「なんか結構フリーダムなんだな。有塚さんは会社を継ぐって決まってるんだろ?」
「長男だからね。父さんもたぶん、ずっと男の子が欲しかったんだろうし。俺が女だったら、もうひとり子どもを欲しがったと思うよ」
「有塚さんの夢は? 夢を持ったまま死ねたら幸せなんだろ」
ぐらりと心が揺れた気がした。ここで突っ込んでくるとは思わなかった。平常心を意識して、俺は答える。
「そうだね、さっきはそう言った。でも、別に深い意味があったわけじゃ」
俺の夢。理想。なんだったっけ。なんて、忘れるはずがあるわけもない。自室にこもって、ひたすら男性誌を眺める生活。そういう小説を読み、映像を目に焼き付ける。自分が男であることを確かめるためだ。ふくよかな女を確かに抱き締めたいと思ったし、妄想もした。でも、いつもどこか不快で違和感があった。噛み合わない感覚の正体がわからずに苛立ち、雑誌を破り、小説を引き裂き、尚も怒りの治まらない俺の横で、最低な行為の最低な映像が垂れ流される。何度も繰り返した工程だった。自分の性別を確認する目的で耽美の世界を覗いているのに、結局いつも辿り着く場所は同じだった。俺は智生とあれがしたい。もちろんいきなりじゃなくていい。きちんと段階を踏んで、その境地に至りたい。映像の中の男が俺で、女が智生だったら、すべてがっちりと結びあわされる。俺が智生を求めて、智生が俺を求めてくれたら、それ以上素敵なことはないと思った。そこで全世界が終わってしまってもいいとさえ思った。確かめようとすれば確かめようとするほど、自分が智生に恋心を抱いている事実を自覚するだけだった。
年齢制限のあるコーナーは、ここではない。俺は、頭の中でその過程の記憶を辿る。
「深い意味があってそう言ったわけじゃないんだ。忘れてくれていいよ」
はまればはまるほど、智生のことを想像するだけだ。でも、この気持ちが報われないことは、気付いたときからわかっていた。だから俺は、女を好きになりたいのだ。いっそ本当に女を抱けば、吹っ切れてすっきりするだろうか。幸いなことに、近寄ってくる女は腐るほどいる。そのうちの何人かを適当に騙して、自分の部屋に連れ込んで、やりまくって女の味を覚えてしまえば。同性とは言え、好きだと思う相手がいるから誰とも付き合わなかった。絶対叶わないとわかってはいるけど、俺にだって人並みの願望がある。初めての相手は、本当に大好きな人がいい。だけど俺は、やっぱり女を好きになりたい。誰も妙な目で見たりしない、堂々と付き合っていられる、普通のカップルになりたい。俺は智生と普通のカップルになりたい。
湧き上がる感情を抑え付けた。本屋はダメだ。できもしないのに、また自分を確かめたくなる。気に入らなくて、また全部破ることになる。ここに置いてあるのは商品だから、傷つけてはいけない。
「ごめん、出よう。やっぱりどっか座れるとこで、適当に時間潰してもいいかな」
書架から本を抜き取って眺めていた七瀬君は、今来たところなのに、と言わんばかりのきょとんとして俺を見た。七瀬君のそんな反応は、至って普通のものだった。




