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七瀬 詩仁 8

 へらへらしているようだけど、有塚も頭痛持ちということだろうか。頭痛持ちの人間なんて世の中にいくらでもいるし、それが掴みどころのない飄々とした相手だったとしてもおかしくはない。いや、有塚は飄々とはしていないか。

 年の暮れが押し迫った十二月二十九日、今日はたまたま家にひとりだ。嘉兄は入院している友達のお見舞いに行った。暇だ。ソファーに座り、リモコンでテレビをつけた。年末の真っ昼間から面白い番組をやっているはずもなく、すぐに電源を切った。有塚が取り落とした錠剤は、なんとなく捨てる気にならなかった。これ見よがしに放置して嘉兄に「風邪でも引いた?」と心配されるのもなんなので、どうしようもなくコートのポケットにしまったままだ。

 有塚の例の行動から、藤と三橋は、有塚は完全に薬物異常摂取の常習犯だと断定したようだ。かく言う俺も、あんな様を見せつけられた上で藤と三橋の理論を聞けば、そうらしいと納得してしまったわけだが――それにしてもあのふたり、相性が悪いようでとてもいい。

 有塚の異常行動には、なにかそれなりの事情が隠れているような気もする。どうしてそんな気がするのかはわからない。一定の時期から有塚は中等部に通い詰めで、『灰色ヒーロー』の知り合いであることですぐさま中等部、細かく言えば中等部三年全クラスの人気者になった。そうなる前から、大金持ち特有の高慢ぷりがないこと、勉強・スポーツ共に辻ノ瀬学園全体で判断しても相当優秀な生徒であること、個人的にはこれが一番の魅力とも思うけど、滅茶苦茶に声が綺麗なこと。これらの理由があって、有塚は人目を惹いていた。そう、有塚はそこにいるだけで存在感のある人間だ。その有塚がわざわざ中等部に足を運んでいたのは、本人が主張する通り、藤に一目惚れしたからだと思っていた。でも、三橋はそうではないと言った。有塚が好きなのは藤ではなく、有塚の親友であるはずの『灰色ヒーロー』こと黒川智生だと分析していた。三橋曰く、有塚が自ら潰したと思われる黒川へのバースデーケーキが証拠だ。ケーキの箱には、誰のものかわからない血飛沫が少し付着していた。そのままではまずい気がしたので、俺が適当にそのへんの葉っぱを拾って被せておいた。これって犯罪加担になるのだろうか。

 藤に言い寄る際、有塚はいちいち変態くさい言動をしていた。だから俺は、ホモの変態だと思っていた。みんなも藤と有塚の、最早コントじみていたやり取りを楽しんで鑑賞していた。それが本当は、有塚が恋する対象として藤に向けている想いは微塵もなかった。確かに、クリスマスイブにばったり遭遇しても、有塚はおざなりに藤に連絡先の交換を持ちかけただけだ。そのときポケットの薬をばら撒いてしまい、その後、有塚が藤に興味があるふうな振る舞いは一切しなかった。藤もそこから不自然さを読み取った。

 同性愛。脳裏に単語が浮かんだ。世の中にはそういう人だっていることはわかっていたけれど、こんな身近にいるなんて。いや、有塚が黒川を好いているのは、三橋の推理でしかなかった。決め付けるのは少し早合点だ。それに、藤に興味を抱いていないのなら、有塚が毎日飽きもせず中等部に顔を出していた意味もわからない。単に有塚に友達がいないとすれば、つまりそれは、有塚自身が人を遠ざけているということだ。

 頭の奥から、目の色を変えて路上に散らばった薬をかき集める有塚の構図が離れてくれない。誰が見ても普通ではなかった。健常な男子高校生には見えなかった。あの絵面を黒川は知っているのだろうか。有塚の唯一の親友だという黒川智生。会って早々、キレイな金髪、ピアスもかっこいいじゃんと笑って俺を褒めてくれた人。初対面でそんなことを言ってくれたのは、黒川ただひとりだった。有塚にとって黒川は特別だ。でも、俺にとっても特別だった。外見が派手だからと言って、俺を変な色眼鏡に通さなかった。表現するなら、確かに『灰色ヒーロー』だった。

 黒川があれを知らないのなら、有塚が意識的に隠している。黒川に知られたくない、有塚の現実。守り続けてきたその構図が崩落するのだから、黒川が知るのは有塚にとっては悪いことだ。でも、薬物異常摂取だって有塚にとってのいいことであるはずはない。

 余計なお節介だ、とは思った。三橋に話しても藤に話しても、なんでそんなことをと溜息を吐かれると思う。だけど、どうしても黒川に訊いてみたかった。有塚さんは貴方のことが好きかもしれないです、とはさすがに言えないが。どっちみち、俺は有塚の異常な状態を目撃してしまっている。助けたい、などと恩着せがましいことは思わないが、放っておくことはできない。携帯電話で時刻を確認した。まだ昼を少し過ぎた頃だった。

 ――というわけで出かけてきたのはいいけど、黒川って、普段ウェイターはやってないんだよな。

 家からそう遠くない『ネコシロ』に徒歩で向かいながら、俺は思考を廻していた。家にいる時点でそのことを完全に忘却していたのではなかった。以前は、店長が気を利かせて黒川をウェイターに寄越してくれた。あのときは有塚がいたからそんな展開になったのだが、今日は俺ひとりだけである。黒川を派遣に送り込んでくれるかどうかの可能性は、少なくともあの日より低い。

 だいたい、顔が綺麗すぎてそっち目当ての客が増えるから当人を引っ込めた、などというのは本当にぶっ飛んだ商売論だと思う。俺の勝手な憶測だけど、たぶんあの『ネコシロ』の店長しか適用しないルールではないだろうか。黒川を前に出しておけばそれだけで客足が劇的に伸びるのだから、利益を優先して積極的に利用すればいいのに。単に眺められるだけなら困るだろうが、客は客なのだからなにかしら注文はする。それなら黒川だって文句は言わないと思う。

 ていうか、黒川が注文を聞きに来てくれたとして、俺が話を持ちかける時間は絶望的に少ない。天気の話をしに行くのではないのだ。数秒や数分で終わる内容ではないことは明白だった。

 頭の中で、藤と三橋が再度溜息を吐いた。「だから余計なお節介なんだ」。俺の脳内でまで、こいつらふたりは揃いも揃って俺を呆れた目で見つめてくる。だからってあんなことをしている人間を放置できるか。

 下を向いて考えながら歩いていたから、前方のなにかにぶつかった。感触からして人だった。すみません、と言いながら顔を上げた。振り返って俺を見ていたのは有塚だった。右目の下の黒子は、いつ見ても印象的だ。

「ちゃんと前見て歩いてなきゃダメだよー。怖いヤクザのお兄さんとかにぶつかったら大変なことになるよ」

 もうすっかり聞き慣れた綺麗な声と、見慣れた柔らかい笑顔だった。クリスマスイブの日、人が変わったように藤の手から薬を奪い取った光景と重なった。あの有塚があんな姿を曝すなんて、やっぱりなにかの間違いのような気がした。たくさん薬を持っていたのは、必要以上の量を服用するからではなく、本当に病気とか。だとしたら、それはそれで大問題だ。

「今日もまた偶然だね。クリスマスプレゼント、なにかもらった?」

「中三にもなって、もらうわけないじゃん」

「そっか。じゃあ俺があげる。はい、これ」

 有塚には金持ちっぽいオーラはないが、それでも身につけているものは高そうだった。見るからに高級品の空気を放つファーを取り付けた有塚のコートのポケットから出てきたのは、未開分のチーズ味のキャラメルの箱だった。明らかに値の張る衣服から飛び出した庶民的な一品に、俺は思わず面食らった。

「いらない? キャラメルは嫌いかな」

 受け取らない俺を不思議に思ったのか、それでも笑顔は保ったままで、有塚は再度キャラメルを差し出してきた。キャラメルは嫌いではないし、どちらかというとチーズ味のキャラメルは好きだ。ありがとう、と礼を述べつつ、俺はキャラメルを受け取った。返事をする代わりに、有塚はまた笑った。この人は笑ってばかりだった。なんとなく、嘉兄と重なって見えた。俺がこの人を気にかけてしまうのは、なんでも笑って誤魔化そうとしていたかつての嘉兄と近いものを感じているからかもしれない。

 『ネコシロ』は、この角を曲がればすぐの場所にある。もう目の鼻の先だ。有塚も『ネコシロ』に行くところだったのだろうか。でも、立ち止まっていたから俺が追突してしまったのだ。有塚は、ここでなにをしているのだろう。今度脳裏に浮かび上がったのは、潰れたケーキの箱と三橋の言葉だった。有塚が黒川に恋しているという結論に至ったのは、さしたきっかけがあったわけではなかった。でも、自分で潰したと思われるケーキがその裏づけになっている。そんな意味合いのことを、三橋は言っていた。

 俺の頭の中など知るはずもなく、有塚は問いかけてきた。

「ほかのふたりは一緒じゃないんだね。それとも、どこかで待ち合わせ?」

「今日はひとりだよ。年末だし、あいつらもいろいろ忙しいんじゃないかな。本当は、イブの日も暇じゃないのに無理して俺に付き合ってたみたいなんだけど」

「あのふたりらしいね、なんとなく」

 フォローしてくれないのか。ちょっとだけがっかりしながら、俺は話を逆に振ってみる。

「そういう有塚さんは?」

「散歩」

「キャラメル持って?」

「そうだよ」

「黒川さん、キャラメル大好物なんだよな。ここ『ネコシロ』の前だけど」

「なになに、なにを勘繰ってるの。俺がキャラメル持ってるのがそんなに不可思議だった?」

「俺、『ネコシロ』に行こうと思ってたんだ。黒川さんとちょっとだけ話したくて」

 黒川という固有名詞を出した一瞬、有塚の表情から綻びが消えた。意味ありげな反応だった。三橋の言ったことは、当たっているのかもしれない。完全には当たっていなくても、有塚が黒川に対して特別な感情を抱いていることは、今のリアクションから確実だった。

 視線を落とした有塚は、ゆっくりを息を吐き出した。片手で髪を撫でた。掻き毟っているように見えた。苛立ったような動作だった。びっくりして、俺は一歩引きそうになった。引きそうになっただけで、実際には引かなかった。

「七瀬君が智生になにを話したかったのか、俺にはわからないけど」

 手に持ったままだったキャラメルを、俺はポケットに突っ込んだ。有塚の声のトーンはいつもより断然低く、地の底から湧き出したようだった。いつもと違う空気を纏った有塚から、俺は、少しだけ逃げ出したくなった。

 顔を上げた有塚は、先刻と同じ表情だった。つまり笑顔だ。頑なに優しい顔をする有塚は、やっぱりどこか嘉兄と被って見える。

「どうせ智生は仕事中だし、話す時間なんてほとんどないよ。その代わりと言っちゃあなんだけど、もしよかったら、俺とちょっと話さない?」

 それでも、嘉兄はこんな、正体の見えない淡い狂気じみたもので身を固めていることはなかった。狂気。自分で形容して驚いた。でも、飽くまで笑ってみせる有塚は狂っているように思えた。その笑顔の意味するところは、今の俺にはとても想像できなかった。




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