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黒川 智生 3 

 ドアを開いた瞬間に、なにかが立て続けに炸裂した音が響いた。心臓が飛び跳ねた拍子に変な声をあげてしまうと同時に、淡くぼやけていた視界が色を取り戻した。見るからに安っぽい紙吹雪や、カラフルな細い紙テープが床中に散乱している。よく見てみると、俺の体にもそれらは降りかかっていた。

「あんちゃん、お誕生日おめでとう!」

 軽く鼻をつく火薬の匂いが、部屋の空気を鈍く染めあげている。心の底から楽しそうな笑顔で、花菜が手に持っているのはクラッカーだった。ひとつだけだ。クラッカーは片手で本体を支えて片手で紐を引っ張って発動させるものなんだから、花菜が持っているクラッカーがひとつだけなのは当たり前だった。

「ハッピーバースデー、智生。お邪魔してるよ。あ、クラッカー鳴らしていいですかってちゃんと大家さんとお隣さんに許可取ってあるからね」

 狭い卓袱台を挟んで花菜と向かい合っているのは樹だった。花菜と同じクラッカーを片手に携え、その手で俺にひらひらと手を振っている。樹はいつもの見慣れた裏表のなさそうな、人懐っこそうで温和な笑顔だった。

 ドアも閉めずに立ち尽くす俺にきょとんとして、花菜と樹は目を見合わせた。やがて同時に噴き出し、そこから潜めたように笑い始めた。ふたりの反応の意味がよくわからず、俺はまた突っ立つしかなかった。

 一頻り笑い転げた後、樹は使用済みのクラッカーを床に置いて、今度は困ったように笑ってみせた。

「なんだよ、智生。自分の誕生日がわかんないの。今日で十七だろ、おめでとう」

「十七?」

 楽しそうに頷く花菜に促されるように、俺は壁にかかったカレンダーを見やった。十二月二十四日、クリスマスイブであり、花菜の誕生日まではあと三日とまで差し迫っている日だ。俺の頭の中はずっとそれでいっぱいで、自分の誕生日のことなんてすっかり忘れていた。

 そうか、俺、十七歳になってたんだ。やっと十七歳だ。年頃で、ある程度までなら、それなりのことを経験していても、たぶんおかしいことはない。自分の体の一番奥を、俺は無意識に妄想した。木っ端微塵に砕かれた後、欠片を容赦なく踏み潰された心のパーツ、原型を留めない屑に埋もれていたただひとつの「シロ」の要素。その過程を経ること自体に違和感はない。樹だってそうだ。樹の顔はもちろん申し分ないけど、それ以上にあの声だ。異常に聴き心地がよく、通りが澄んで、ときに色気さえ含んでいるようなあの声で囁かれたら、落ちない女なんていないと思う。樹だってきっと既に通った道だ。俺だけじゃない。ざわつきかけた胸の中心に、辛うじて俺は蓋をする。蓋をするだけでは飽き足らず、更に強靭な補強を施す。そうすれば、笑顔は簡単に取り繕えた。

「ありがとう、ふたりとも。でも驚いた。こんな狭い空間、樹は大丈夫なのかよ」

 後ろ手でドアを閉め、コートを脱いでハンガーにかけた。花菜と樹が囲む卓袱台の上には、スーパーで買ったと思われる出来上がりの唐揚げや天ぷら、グラタンやおにぎりがところ狭しを広がっている。そんな夕食のメニューとは不釣合いに、スナック菓子やジュースもたくさん並んでいた。誕生日と言えば誕生日っぽいし、クリスマスと言えばクリスマスっぽい。樹が買い込んできたらしい。気を遣わせたかと申しわけない気分になったけど、今日は調理しなくても済むと思うとありがたかった。働いて疲れて帰ってきた直後、少しでも休憩できた試しなんて、俺には一度としてなかった。

 台所の流しで手を洗ってから、俺も輪に加わった。小さな卓袱台は、三人で取り囲めばもう定員オーバーだ。いろいろ買わせて悪かったなと謝罪すると、樹は軽く、親の金で用意したものだから謝らないでくれと返してきた。樹は有り余るほど金を持っているはずなのに、一度たりともそれを自分の力と豪語せんばかりの言動をしたこともないし、持たざる者への施しめいた行いもしていない。なにかにつけて、樹は「自分ではなく親の力」と主張する。そこには、大富豪の子息として生まれた故に周囲から買ってしまう偏見を撥ねつけたい意思が込められている。もちろん財力を失うことを望んでなどいないだろうが、樹は、財力に溢れた己と己を取り巻く環境を嫌っている。飄々と吐き出される言葉や自然な態度に滲むそれらひとつひとつ、それはまるで、樹自身が俺との差分を誤魔化そうとしているように俺には見える。そういう意図がなければ、お抱えのシェフがいることにも関わらず、わざわざスーパーでお惣菜を買い込むことなんてないと思う。その気になれば、どこかの会場を借りて豪勢にパーティーだってできたはずだ。でも樹はそうしない。その真髄は、やっぱり樹が自分自身を疎んでいるからだ。まあ、俺が大々的なイベントを好まないことを知っているから、ということもあるのだろうけれど。

 それにしても、樹は、どうしてそんなにも自分を見下げるのだろう。

「狭い空間、上等じゃん。俺、こう見えても広すぎる場所って嫌いなんだよ。暖房入れてもあったかくならないし」

 思考に耽っていた俺を、樹の綺麗な声が現実に引き戻した。部屋の隅に追いやられた小さなファンヒーターを、俺は横目でちらりと見やる。動いていることに間違いはないが、ささやかな温風は冷え切った室温に太刀打ちできているのかどうか。この程度の寒さなら俺と花菜は慣れたものだが、樹はどうだろう。表情から察する限りでは、さして堪えた様子はなさそうだった。

「お前んとこなんて床暖房まで完備されてるんだろ、どうせ。ここ、寒くない?」

「平気だよ、ありがとう。俺の部屋はさ、智生。床はあったかいけど上側が寒い」

「上?」

 ぱき、と花菜が割り箸を割った。二本の箸は、あまりにも不揃いに分裂していた。そんなことを当人はまったく気にしている様子はなく、卓袱台の淵に安置されていたもう二組の割り箸を花菜は危なっかしく分岐させた。こちらも両方、不器用に分かれた箸となった。

 上ってなんだよ、と訊ねた俺に、樹は屈託ない笑顔を向けた。花菜が目の前に裂いた割り箸を差し出してきたので、俺は礼を言って受け取った。樹も俺に倣い、花菜に合図で感謝の意を伝えた。花菜はそれを理解したとばかりに、楽しそうに樹の真似をして信号を返している。

「床は下側だろ。上はその逆。要するに、隙間風がいっぱいで空気が冷たいってこと。あの家、バカみたいに広いからなのか構造緩いんだよ」

「じゃ、仮に冷房がなかったとしても夏は結構快適に」

「俺、狭いところのほうが好きだな。ただ広いだけの空間って、孤独を助長させちゃうから」

 俺の言葉に上乗せして、樹軽く言った。なんでもないことのように言ったけど、全然なんでもないことのように聞こえなかった。

 樹はにっこりと笑ってみせた。話題を変えなきゃ。樹が笑顔になった瞬間、唐突に俺はそう思った。

「よくわかんないからさ、目についたやつ適当に買ってきたんだけど。こういうのってどれが美味しいのかな」

「これがおいしい!」

 樹が投げかけた疑問符に、元気よく花菜が回答した。花菜は唐揚げを突き刺した割り箸を握り締め、目を輝かせて口を動かしている。卓袱台の上の唐揚げが置かれたゾーンを指で示し、花菜は早くこれを食べてみろと言わんばかりに視線で訴えかけてくる。じゃあ俺も、と普段ならさっさと手を伸ばすところだが、樹自身に転換された話題がどうにも気になった。代わりに樹が綺麗な声で「じゃあ俺も」と身を乗り出した。

 樹は見計らったかのようなタイミングで話を変えた。曖昧に返事をして唐揚げに視線を投げてはみても、とてもではないが食欲は沸かなかった。食欲なんてあるはずもないし、樹がいつもと少し違うような気がした。なにがどう違うのか、ということまでは自分でも説明がつかなかった。

「ん、美味しい。ねえ、智生も早く食べなよ。これ結構いけるよ」

「ああ、うん」

「お腹減ってないの? いっぱい働いた後なのに」

 笑顔を絶やさない樹。紛うことなくいつもの樹だった。俺自身が完全に忘却していた誕生日を祝ってくれる、この世界でたったひとりの俺の親友と呼べる存在そのものだ。実を言うと、小さい頃から違和感はあった。樹に違和感があるのではなく、樹と俺が関わって一緒に遊んだり喋っていることがなにか噛み合わない心地だった。当初から今と同じでずっと付き添いの使用人がついていたし、樹は、幼い俺が見ても明らかに値の張るブランド品とわかる服を着ていた。当時の俺は『有塚グループ』などという固有名詞は知らなかったが、そのとき一緒に暮らしていた叔父の働き口が『有塚グループ』の傘下にあったことを後から知った。俺が樹の度を越したお坊ちゃんっぷりを本当に認識し始めたのは、その内情を知ってからだった。そのときも、樹は、すごいのは自分ではなく親だと言った。幼い頃の樹は、常に笑顔を保つ現在からは到底想像できないくらい、まったくと言っていいほど笑わない子どもだった。

 なにもおかしなことなんて起こっていないのに、どうしてこんなにも心内がざわつくのだろう。波立つ胸の内を押さえ込もうと、俺は無意識にそこに手を置いていた。そこで樹は、突然両手を打った。

「俺さ、ケーキ買ってきたんだよ。ご飯が終わってから最後にって思ってたけど、お菓子もジュースもたくさんあるし、せっかくだから今開けとこうか」

「あんちゃんのお誕生日のケーキ? 約束してたキャラメルのやつ?」

「約束?」

 思わぬ花菜の返答に、俺は即座に聞き返した。この豪勢なパーティー自体は、最初から花菜と樹で事前に打ち合わせされていたものだったらしい。一体いつの間に。ぐるぐると渦巻いていた思考の底から解放されて、少しだけ俺は和んだ。違和感なんて、やっぱり気のせいだと思った。いつもの優しい樹だ。

 ここで、樹が少し困った顔をした。表情の変化を敏感に察知し、花菜の顔もちょっと不安げに曇った。なんだ、一体なにが起こった。俺の顔まで強張った。

 樹は言った。

「キャラメルのケーキなんだけどね、ちょっとお店のほうでトラブルがあったみたいで買えなかった。だから、代わりにイチゴのやつを買ってみたんだけど」

「え」

「好きじゃない?」

 言葉を詰まらせた花菜に、これがいちばんよさそうな気がしたんだけど、というニュアンスを織り交ぜて樹は問いかけた。花菜は眉を寄せ、想定外の展開に戸惑っている素振りを見せた。落ち着かない動作で樹を見て、俺を見て、花菜はさっと部屋中に視線を走らせた。思い出したように卓袱台の下を覗き、そこにあった大きな箱を花菜は細い指先で引っ張り出した。ケーキの箱だろうか。この大きさからすると直径十八センチはありそうだ。三人で食べるには十分すぎる。

「あんちゃんキャラメル好きだから、キャラメルのケーキ食べさせてあげたかったのに」

「約束してたのにね。ごめんね、花菜ちゃん」

「いっちゃんは悪くないよ。お店がいけなかったんでしょ」

「タイミングがよくなかったみたいで」

 うん、そう、タイミングがね。飽くまで保った笑顔を花菜に返した後、樹は低く、そうぼやいた。花菜には聞こえていないようだった。花菜は残念そうに眉根を下げ、名残惜しそうにケーキの箱を見つめている。よっぽど俺にキャラメルのケーキを贈呈したかったようだ。濁りのない瞳の奥を覗いてみると、ピュアで素直な花菜の気持ちが全身に染み渡った。俺は花菜の頭を撫でた。花菜はなにをするにも人より少し時間がかかるし、普通はひとりでできることも上手にこなせかったりするが、今の俺の心境を花菜に伝えるにはこれで十分だった。俺はイチゴのケーキも好きだから大丈夫だ、ありがとう。俺の意思は上手く伝達されたようで、花菜は頭に載せられた手に触れて微笑んだ。その瞬間和んだけれど、ついさっきの樹の声が気にかかった。樹に焦点を定めると、今の今放たれた低い呟きなんて、聞き間違いとしか思えないようないつも通りの樹の像が結ばれていた。

 いつもの樹だ。そう思っていることは間違いないのに、何故か俺を息を呑んだ。目の前の樹が、本当にいつもの樹なのか確かめたくなった。

 七時まではバイトだと伝えていた。それが余計だったのだろうか。見られていたのだろうか。小さな不安が胸をよぎった。もし見られているのなら尚更だ。ふたりに気付かれないように、俺は膝の上で拳を握る。親指を隠すように手を丸めたのは、別に自分をやましく感じているからではない。樹も俺と同じ立場になれば、絶対にその手段を選ぶはずなのだ。だって、選択肢はそれひとつしかないのだから。用意されていないなら切り開けだの、自分で作れだの、そう言う奴はいると思う。信頼できる誰かに相談を、とのたまう奴もいるだろう。それが間違っているとも綺麗事とも言わないが、それは結局、初めからあったその選択肢を運よく見つけ出したというだけだ。そして俺には、それがない。存在しない選択肢を選ぶことはできない。

 樹が目撃者ならば、尚更俺は、その行動を取らなければならなかった。要するに、裏をかく。花菜に一言告げて、樹を連れて席を外した。花菜は唐揚げを頬張りながら機嫌よく頷いた。改まった俺を疑問に感じている様子もなく、樹は、屈託ない調子で俺の後をついてくる。



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