七瀬 詩仁 7
有塚が拾い損ねた薬の屑を掌に乗せた瞬間、パッケージが頭に浮かんだ。うちにいつも常備されている、頭痛持ちの嘉兄が愛用している市販の頭痛薬だ。嘉兄ほどではないが、俺も何度かお世話になったことがある。効力はそれなりだった気がする。
信じられないくらいの量を一度に服用しているのではなく、有塚は、たまたま頭が痛くてこの薬を飲んだところだったのかも。ポケットからごみがたくさん出てきたのは、回数を追って入れっぱなしだったものが出てきてしまっただけで。俺がそう言いかけたとき、藤は首を小さく首を傾げて俺を見やった。
「たまたま頭痛が酷くてたまたま薬を飲んでただけで、たまたまその屑を取り落として行って、たくさんごみが出てきたのはただの捨て忘れじゃないか。なんてまさか思ってるんじゃないだろうな」
あれ、どうしてわかりましたか。などと問うのは、自ら私はバカな人間ですと告白するようなものだった。そんなこと思ってない、と反論するのもそれとまったく同義の意味を示してしまうので、俺は黙って食い下がるしかなかった。
有塚と別れた当初は三人でご飯を食べにお店に入る予定だったが、クリスマスイヴの夜に予約していなかった楽観ぷりが招いた結末というか、だからこその案の定というか、待ち時間なしで座れる場所がどこにもなかった。厳密には完全に余裕のあるお店が皆無だったわけではないけど、そこはやはり優先させるべき好みがある。俺がよくても三橋と藤が我儘を言うので、結局どこのお店にも落ち着くことができずに街を放蕩し、疲れてきたので公園で休憩している。ていうか、こんなに好き勝手言いまくる奴らと連れ立って歩く選択が間違っていた。完全に俺の非だった。
屑を藤に差し出すと、藤は当たり前のように突っ返してきた。いらないからやる、という意味だ。俺だっていらないのに、と文句を言ってやろうとしてやめた。藤が予測する通り、有塚が市販の錠剤を大量に買い込んで服用しているのなら、この屑は証拠として取っておくべきなのかもしれない。いや、別に証拠と言って誰に突きつけるつもりもないけど。
「落としたごみ、急いで拾ってたけどこの種類だけじゃなかったな。ありゃ完全にクロだわ。落としたのがその一種類だけだったとしても、あの動揺の仕方は普通じゃなかったからな」
「やましいことしてる証拠だね」
「日本一金持ってるとも言える資産家の息子が、まさか薬物異常摂取の常習犯なんてな。市販とは言え洒落にならない。ばれれば麻薬の疑いもあるため家宅捜索、っていう感じで新聞に載るし『有塚グループ』のイメージと信頼はかなり傾くことになるだろうな。それと」
「別に常習犯って決まったわけじゃ」
はっとしたのは、言ってしまった後だった。藤と三橋の会話に割り込んでしまったことで、いや、友達三人でいるのだから会話に参加すること自体はおかしくないはずだが、俺たちの合間をなんとなく妙な空気が漂った。
「それと、なに?」
無表情のままこちらに向いていた視線を、三橋は無表情のまま藤に移した。
「あの人、別に俺のこと好きなんかじゃない」
「残念?」
「本気でそれを言ってるなら失せろ」
「有塚さんって、なんか一生懸命取り繕ってるような感じだよね。みんなが気付いてるのかどうかはわからないけど、七瀬だけはずっとそう言ってた」
だよね、と三橋は俺に棒読みで同意を求めてきた。こいつ、ようやく認めやがったか。と高飛車になる場面でもないので、俺は曖昧に頷いた。曖昧にしか頷けなかったのは、ここまできて、つまり有塚の普通では絶対にしないような異常行動を垣間見てしまったにも関わらず、有塚を疑いたくないと思ったからだ。喫煙疑惑を確かめようと有塚を尾行したのは事実だし、そのシーンを目撃することは当初の目的ではあった。でも、いざあんな姿に対面してしまうと庇いたくなってくる。なにか理由があるのではないかと思ってしまう。だって、薬をばら撒いたときの有塚は一挙に目の色を変えたのだ。地面に這い蹲って、使用済みの屑も含めて拾い集め、何事もなかったかのような笑顔で立ち去った。あれは、こっそり薬を飲みまくっていることを人に隠しておきたいと思っているからこその行動だと思う。市販とは言え薬を異常に摂取している自覚があって、尚且つそれはいけないことと認識していて、興味本位や面白半分で手を出したことではないのではないか。有塚には、その行為に至るしかない経緯があったのだ。それがなんなのかは、俺にはわからないけど。
「取り繕ってるのは別にいいんだが、なんで俺のことを好きだとかずっと言ってたんだ」
「ちょうどよかったんでしょ、たぶん」
「なにが」
目の前で、ひらひらと舞い落ちるものがあった。雪だ。粉雪だから積もることはない。俺は空を見上げてみた。しんしんと静かに降る細やかな雪は、どことなく寂しげだった。隣で繰り広げられる藤と三橋の会話を聞き流しながら、今年ももう終わりだな、と、俺はしみじみと息を吐き出した。
「忠勝君知らないの? 有塚さんって女子はもちろんなんだけど、男子にも人気あるんだよ。あの声のおかけで」
「なんでそれで俺が好きだってのたまうことになるのかわからない」
「ほかの人に好きだって言って本気にされたら困るからじゃないの。忠勝君なら絶対あり得ないと思ったんじゃないかな」
「じゃあ言わなきゃいいだろ」
「有塚さん、黒川さんのことが好きなんじゃないの」
「え」
「どんな美人さんや可愛い子に告白されても順調に振り続けるの、だからなんじゃないの」
年末の風情に染められていた俺の脳内は、ここで完全に覚醒した。藤はらしくもなく呆然と口を開けて、俺もまた呆然と三橋を見つめていた。三橋はいつものすました顔で言い放った。
「七瀬はともかく、藤君って結構そういうの敏感だと思ってたけど。気付いてないんだね、ふたりとも。別に、僕もこれと言ったきっかけがあって気付いたわけでもないけどさ」
近くに誰もいないことを確認するように、三橋は辺りを見回した。しして、黙ってベンチに向かって歩く。公園に来たのに立っているのもなんだし少し座るのか。平和な妄想をして、俺は三橋の後を追った。
三橋はベンチに向かって立っただけだった。不審に思いながらも、俺はその隣に並んだ。並んでみた。三橋が指差した先のごみ箱に、見覚えのある紙袋が乱雑に突っ込まれていた。中には大きめの箱もしっかり入っていた。何度も滅茶苦茶に殴られたかのように、紙袋ごと箱は無残に潰れていた。箱の蓋の下からクリームが飛び出しているところを見ると、中に入っていたのはたぶんクリスマスケーキだ。勿体ない。この紙袋を見た経歴を探るよりも先に、俺の頭にはその単語が浮かんでいた。
「今日は黒川さんの誕生日、なんだよね。疑惑はこれを見れば確実じゃない? しかもこれ、よく見てみるとさ」
三橋が言った瞬間、俺の記憶は掘り起こされた。そうだ、たった今の出来事だった。ごみ箱に捨てられているそれは、さっき会った有塚が手に持っていたものだった。
藤が俺の横に立ち、興味深そうに眼鏡の指で眼鏡の位置を整えた。考えているときに出る、藤の癖だ。
三橋はごみ箱から紙袋を取り出した。見た瞬間、俺は思わず一歩引いた。そんなものを平然と触れる三橋の神経が、俺には全然わからなかった。
「こんなに堂々と捨ててたら、そのうち誰かに通報されちゃうよ。有塚さん、相当苛々してたんだね」
三橋が引き上げた紙袋の表面には、飛び散ったような赤い斑点がいくつも滲んでいた。明らかに血だった。そこまでの量ではないものの紙袋に鏤められた血痕はまだ真新しく、鉄臭い臭いさえも漂ってくるような気がした。




