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有塚 樹 4 

 智生のキャラメル好きに由来しているのは、実は俺だった。俺も智生も幼かったあの日、智生は俺に飴玉をくれた。その包装紙が今現在でも常にポケットにしまわれているわけだけど、渡してくれたそれのお返しのつもりで、たまたま持っていたキャラメルを智生に差し出した。その道のプロが作ったケーキやパイ、それに類する手作りお菓子が大嫌いだった俺が、駄々を捏ねてこっそり木村に買ってもらったものだった。別にキャラメルでなくてはならなかった理由はなかったし、我儘を言って買ったものの甘いもの自体好きではなかったし、市販のお菓子を買うことは、単に父さんに対する反抗だった。それでも俺はとにかく、そのときキャラメルを智生にあげた。智生にくっついていた花菜ちゃんにもあげた。たった一粒きりのキャラメルに、花菜ちゃんは信じられないくらい喜んでくれた。

 智生も花菜ちゃんも、キャラメルを食べたことがなかったらしい。飴玉を舐めてばかりだったふたりにとって、キャラメルの食感は衝撃的だったようだ。素直な花菜ちゃんはあまりにも幸せそうだった。結局俺は、買ってもらった一箱すべて花菜ちゃんにあげてしまった。あとから花菜ちゃんに聞いた話によると、なにも言わないけどわたしよりも美味しそうにしている、ということだった。

『なんかすごくキレイな声だな』

 何度か会って一緒に遊んでいるうちに、智生は言った。どうしていきなりそんなことを言ったのはわからなかった。きっかけになっていることがあればなにかしら記憶に残っていると思うから、たぶんなにかが起こったわけではなかった。智生は、ずっと俺の声を綺麗だと思ってくれていた。そう認識して差し支えないと思う。

『透明っていうかまっすぐっていうか。うまく言えないけど、特徴的な感じ』

『そうかな。自分ではなんとも思わないけど』

『自分じゃわかんないんだよ、たぶん。俺はキレイだと思うし、花菜もお前の声好きだって言ってた』

 今よりずっと高い、幼い智生の声が耳の内側で蘇った。これだけ鮮明に聴覚を掘り返して思い出を再現できるんだから、やっぱりあのときは発端となった出来事などなかった。智生は、最初に俺と会った当初から、この声自体を記憶に焼き付けてくれていたのだ。智生に言われるまでは声を褒められたことなんてなかったから、いや、小さい頃から屋敷の人間の台詞になど一切興味がなかったからわからなかっただけなのかもしれないけど、ともあれ智生の言葉は印象的だった。いつも本を読んでくれたりこっそり漫画やゲームを買い与えてくれる木村にだけは懐いていたから、その日のうちに俺は木村に訊いてみた。俺の声って綺麗なの、と。木村は微笑んで答えてくれた。貴方の声はとても美しい、その声は紛れもなく貴方だけのものなのだから、大切なご友人がそれを認めてくださったことは素直に喜んでいいのです、と。

 三橋君たちと別れて少しのところで、俺は木村を帰らせた。こっちが申しわけなくなってくるほどに木村は深く俺に頭を下げ、お帰りの際はご連絡をと言い残して車を動かす。俺は手を振りながら木村を見送った。頷きはしなかった。頷いてしまうと承諾したことになってしまうし、やっぱりひとりで帰りたい気分と連絡を入れるのも忍びない。迎えに来てもらうにしてももらわないにしても連絡だけはするけど、手軽に判断を覆すのは好まない行為だ。自分でも大袈裟とは思うけど、そこに勝手と我儘を含んだお坊ちゃんの厭味を感じてしまう。俺はお坊ちゃんなんて大嫌いだ。

 ホールのケーキの箱が入った紙袋を胸に抱き抱え、俺は足早に智生のアパートへ向かった。少しふらついたけど、なんということもなく体勢を立て直した。常に携帯している薬をばら撒いてしまったのはミスだったけど、やってしまったのだから仕方ないし今は気にしたくない。今日はクリスマスイブだということはどうでもいい。そんなことより智生の誕生日なのだ。俺が大事なのは一重にそこで、智生の十七回目のバースデーを如何に記憶脳に真新しくインプットさせるかが第一の議題で、それを達成させるためにもサプライズパーティーは必須だった。

 実は、俺は智生の誕生日をまともに祝ったことがない。クリスマスイブが誕生日だなんてわかりやすいプロフィールを忘れていたわけではなく、ただ、俺は怖かった。誕生日だからと言ってプレゼントを渡したり、ケーキを用意したりして、俺が智生に恋愛感情を抱いていることを察されることを恐れていた。女子同士ならまだ誤魔化しがきいたけど、男子同士だから尚更だった。冷静になって考えてみれば友達の誕生日を祝ってなにがおかしいのかという話だけど、つまるところ俺には余裕がなかったのだ。智生のことを好きだと気付き、それを隠していなければ今の関係が崩れ去ることは明白なのに、どうして誕生日サプライズを企画することなんてできようか。誕生日おめでとう、と言って、いつもより少し多めのキャラメルを智生に渡すのがせいぜいだった。

 とは言え、智生が恋愛対象に変わる前にも誕生日は到来している。この頃なにも渡していなかったのは、そこに難しい感情が蠢いていたからではなかった。単純に、俺が誕生日にもらうプレゼントを嬉しいと感じたことがなかったからだ。ケーキはもちろん大嫌いだったし、ブランド品の価値も魅力もわからなかった。俺だって嬉しくないのだから智生だって嬉しくない、本気でそう思っていた。

 そんな具合で、智生の誕生日にさしたるイベントを興さなかったことには、俺なりのいろいろな理由がある。誕生日にキャラメルを渡すときは、キャラメルなんて会う度ほとんど手土産にしているのだからもっと高価なものを、とはさすがにずっと考えていた。智生は少ないバイト料を必死にやりくりして、花菜ちゃんのこともすべてひとりでやってきているのだから、一年に一度きりの特別な日くらい高価なものを食べさせてあげよう。そう思い至って、いやむしろなんでもない普通の日でも、何度も智生に声をかけそうになった。だけどそれはできなかった。それは金持ちが貧乏人に対して行う「施し」だ。そもそも俺が持っているお金は親が稼いだものであって、食べて寝て生活しているだけの俺が「食べさせてあげよう」などと考えること自体がお門違いだった。

 今年はサプライズパーティーを思いついて、こうして実行できる。直接的にお金が絡むとどうにも足が竦んでしまって、プレゼントまでは買えなかったけれど。ケーキを持って行くのがやっとなくらい俺は臆病だけど、最低限、過去の俺よりも今の俺のほうが余裕があるということだ。そう結論付けると、自分でも少し嬉しくなった。マフラーにちょっとだけ顔を埋めて、紙袋の中のケーキを眺めて空想する。智生はどんな顔をするだろうか。智生が大好きなキャラメル風味のケーキを選んだのだ。絶対に喜んでくれる。そしたら、俺もほんのちょっとだけこのケーキを食べてみる。甘いものは好きではないけど、智生が美味しいと感じるものなら俺も美味しいと感じることもあるかもしれない。想像するのはとても楽しかった。

 俺が歩いていたのは、特にいかがわしい通りではなかった。街中にホテルがあるのは普通のことだ。特になにを思うこともなく、俺は期待に胸を膨らませながら智生のアパートに向かっていた。智生はまさか働いている間に、家で自分の誕生日を祝う準備が進んでいるなんて、微塵も考えていないだろう。そんなことを夢想しながら、俺はひとりで歩いていた。足が止まったのは無意識だった。ホテルの前で停まった黒い車から、華奢な体躯の茶髪の男の子と、背の低いボールのような体系の男が出てきた。そんな男はどうでもよかった。男の子は俺と同年代のように見えたし、なんとなく馴染みのある後ろ姿だった。心臓が波打った。男の子の横顔が見えた。笑っていた。声は聞こえなかった。赤縁の眼鏡をかけていた。

 携帯電話の時刻は六時四十二分を示していた。智生は七時まで仕事のはずだから、あの男の子は智生ではなかった。智生ではないはずだったし、智生であってはいけなかった。男と共に男の子はホテルに入り、黒い車は駐車場に入ることなくホテルの敷地から消え去った。あとで迎えに来るのだろうか。いや、そんなことはどうでもいいのだ。細身の割りに引き締まった男の子の背中と、男に顔を向けるとわかる赤縁の眼鏡は、あまりに俺の目に慣れた像だった。

 智生によく似た男の子と、みっともなく膨れた体で這うように移動する中年の男。ホテルにチェックインしていくふたりの姿が完全に見えなくなるまで、俺は立ち尽くしていた。携帯電話のアドレス帳から智生の番号を呼び出し、プッシュしようと親指を動かしかけた。今智生に電話をかけて、どんな結果に至れば俺は安心できるのだろう。まだ働いているはずの智生は電話に出られないし、ホテルに入ったあの男の子が智生だとして、鳴っている携帯電話を取り上げたりするだろうか。じゃあ『ネコシロ』にかけてみようか。そこで智生に繋いでもらえばいい。今すぐには『ネコシロ』の番号はわからないけど、サイトで調べればすぐにわかる。実行しそうになって、携帯電話をポケットに戻した。

 俺はなにをやっているのだろう。疑問符が浮上すると、無意識に口角が吊りあがった。軽く地面を蹴ってから、停止していた足を動かし始める。

 バカだ、俺は。どうしてあの男の子は智生だと認識したのだろう。錯覚だ。俺は自分に言い聞かせた。彼が智生ではない理由はたくさんある。だってあれは、あの構図は、誰がどう見ても逆援じゃないか。お小遣いに困った高校生の逆援。よくある話だ。よくある話だけど、智生がそんなことをするわけがなかった。それをするなら、智生はもっと昔からやっている。だけど智生は、ずっとまっとうに働いてお金を得て、それで必死に生活してきた。その智生が、ここまできて逆援なんてあり得ない。

 気付けば俺は、智生と出会った公園に来ていた。何故か息が切れている。走ったらしい。覚えていなかったけど、暑いのだからそういうことだ。マフラーをはずしたところで、雪が降っていることを知った。誰もいない公園のベンチに腰を下ろした。ふと気になって、紙袋の中のケーキの箱を少しだけ開けてみた。サンタクロースとトナカイの糖菓子は平然とした笑顔を保っていたけれど、肝心のケーキはクリームが飛散し、スポンジが崩れてトッピングのイチゴがずれていた。走ったのだから当たり前だし、仕方ない。俺はケーキの箱を閉じた。

 細身と茶髪と赤縁の眼鏡。このみっつの特徴だけで、もう十分な気がした。吐き出した息は白く濁り、今の今までの暑さが嘘のように体が冷え始めた。首にマフラーを巻き直しながら、無意識に俺は考えた。逆援ってなんだったっけ。そして無意識に想像した。逆援って、どんなことをするんだったっけ。俺がいつも部屋で見ているあの映像だ。小説だ。口が裂けても誰にも絶対に言えないけれど、その展開を見届ける度に、勝手に脳内で置き換えているそれだ。俺が智生としたいと思った、そのそれだ。

 隣に置いた紙袋を拳で思い切り叩いた。当然の中の箱は潰れた。一度だけでは飽き足らず、俺は何度も紙袋を殴った。今年もケーキは嫌いなままだ。ずっと大嫌いなままだ。荒ぶる感情を制御できない。もう一度、俺は高く拳を振り上げた。



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