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七瀬 詩仁 6

 クリスマスイブ当日の街中は、今年は二十四日が振替休日で祭日扱いになっていることもあってか、陽の落ちた時間帯は人身事故でもあったのかと錯覚してしまうほどの大人数で賑わっていた。振り向けば振り向く度に顎から白い髭を垂らしたサンタクロースが立ち、また違う方向に目をやれば、信じられないくらいの薄着の女性のサンタクロースが笑顔を振りまいている。あのスマイルも仕事のうちなんだろうから、大人って大変だと心の底から俺は思う。

 スマイル、か。思考はどんどん切り替えられていくのに、頭のど真ん中にその単語が取り残された。ひとつだけ形を持って置き去りにされた四文字は、輪郭を伴って角度を変えていく。ぼんやりと形成されたその形状は、気付けば毎日学校で見ていたことになる、高等部の有塚の屈託ない笑顔だった。そう、飽くまで屈託ない、というだけだ。

 『灰色ヒーロー』よりも、『灰色ヒーロー』と一緒に歩いている友達のほうがやばい。そういう話があることを、嘉兄が教えてくれた。辻ノ瀬学園ではそんな噂は全然聞いたことがないけど、嘉兄の通う高校では平然と横行している噂だそうだ。いや、違法のクスリや煙草はともかく、有塚が黒川以上のケンカの腕っぷしということのほうが気になる。『有塚グループ』の御曹司様であるというだけで有塚の敵は多く、虚偽入り混じった事柄で叩かれることもあるだろうが、争っての強い弱いは本当になにか事例がないとネタにならないのではないか。増して「弱い」ではなく「強い」というのだから、こればかりは有塚を貶める悪い噂ではないのだ。絶対になにかある。有塚の人懐っこそうな笑顔は、確実に意図してなにか隠している。

「なにぼんやりしてんの」

 低いトーンのその一声で、はっと俺は我に返った。コートのポケットに両手を突っ込んだ三橋が、訝しそうに首を傾げている。その隣で、藤が腕を組んで俺を眺めていた。

 藤の中指が、優雅に眼鏡の位置を調整した。なにやら見透かすような目でこっちを覗き込んでくる藤に、思わず俺はたじろいだ。

「今日集まろうって言い出したのは七瀬だろうが。言いだしっぺのお前がなにを深刻そうに考えてるんだ」

「ああ、うん。いや」

 辻ノ瀬学園の生徒は、実はもう冬休みに突入している。日々学校に通うのはだるいが、毎日休みというのもすることがなくてだるい。初っ端から退屈極まりなかった俺は、クリスマスイブにこうして三人で集まる計画を取り付けたのだが――集まる前までは完全に遊びに行くテンションだったのに、三橋の顔を見るとどうにも有塚のことが頭をよぎる。三橋は本当に有塚の喫煙を目撃したのだろうか。こんなにじれったい気持ちになるなら、三橋は誘わないでいればよかった。

 有塚のほうがやばいという話は、俺が知らなかっただけで三橋や藤は知っていた、ということはないだろうか。確認しようと口を開いたところで、三橋が再び喋り始めた。

「忠勝君、この展開はあれだよ。せっかくのクリスマスだから、やっぱ大好きなお兄ちゃんと過ごしたかったとかだよ。この寒い中で僕たちわざわざ付き合ってあげてるのに」

「そりゃ傲慢だわ。わざわざ付き合ってやってるのにな、俺たち。せっかくのクリスマスイブに」

「なにも言わないってことは、やっぱり七瀬ったらそうなんだよ。信じられないね、こいつの人間性ときたら」

「まったくだな。そんなんだからクリスマスイブに意味なく街をぶらつくような暇人に成り下がるんだよ」

「クリスマスイブに意味なく街をぶらつく暇人の俺に付き合ってるお前らも結局暇人だろ」

「暇じゃないね。今日の予定を別の日に持ち越して付き合ってるんだから」

 俺を暇人呼ばわりした藤と納得する三橋に対し、まったくもってごもっともなことを言い返した俺に、更に三橋は横着な文句を投げてくる。それもすました顔をして平然と言うのだから、余計に腹が立った。でもまあ、いつものことだ。小柄で大人しそうな顔をしているくせに、三橋はなにか俺に言い返さないと気が済まないタチのようなので、どんな暴言をぶつけられようとも俺は黙って受け流すようにしている。

 イルミネーションで装飾された街の時計は、午後六時半を示していた。時刻を確認すると体内時計も調節されてしまったのか、今の今までうんともすんともなんともなかった胃袋が急に悲鳴を上げ始めた。そろそろ夕食時だ。イベントごとの日だから、どこの店も予約必須の満員状態となっているかもしれないがここは街のど真ん中だ。根気よく探せば、さして待つこともなく普通に入れる店だってある。いっそラーメン屋でもいいや。提案しようと指をたてて口を開いた俺の声を、またもや誰かが遮った。藤が片眉を動かした。明らかにこちらに向けた、聞き覚えのある声だった。この声を聞き間違えるなんて、余程鈍くさい人間でなければあり得ないと思う。

 大きめの紙袋を片手に提げて、有塚は笑顔で手を振ってきた。その一歩後ろに、小綺麗なスーツを着込んだ、背筋は真っ直ぐだが年配の男性が立っていた。男性は片手を胸に当て、こちらを一瞥した後に丁寧に頭を下げた。なんでそんなことしてるんだ。戸惑う俺の隣で、藤があっさりと言い切った。

「使用人だな。まさか平成のこのご時世、生で執事が見られるなんて」

 藤が礼を返すと、三橋が続いて会釈した。俺も慌てて二人を真似た。有塚は使用人の老人を振り返り、なにやら言いつけていた。やがて老人は有塚に深く低頭した。頭を上げた老人に軽く手を振り、有塚はこちらに近付いてきた。いやに上機嫌そうな顔をしている。俺は横目で藤を覗き見た。藤はあからさまに呆れきった顔をしていた。

「偶然だね。せっかくのクリスマスイブなのに男三人連れ立ってるなんて、悲しいくらい暇なんだね」

「使用人と歩いてるあんたのほうが暇なんじゃないですか」

 藤が冷たく言い捨てた。すると有塚は、わざとらしく人差し指を立てて横に振った。なんだ、その仕草。っていうか、揃いも揃って暇だとか。俺はそんなに暇そうに見えるのだろうか。

「俺は暇じゃないよ。可愛い藤君のために、クリスマスプレゼントを選ぶところなんだから」

「間に合ってますけど」

「もー。藤君ってば本当に冷たい。俺はこんなにも藤君のことが大好きなのに」

「俺は貴方のこと嫌いですけど」

「そういうつんけんしたところも素敵だよね。なんかこういじめたくなる」

 この人はこんなに綺麗な声をしているのに、どうして変態的なことしか言わないのだろう。いい加減で俺の中では疑問と化してきた。うんざりすることなんてない、それは本当に素朴なクエスチョンだった。藤と有塚が不毛な対話を続けている横で、手持ち無沙汰な俺は意味もなくマフラーの先を指で弄ぶ。

「そうだ。よかったら連絡先の交換でも」

 しませんよ、と藤が凍てついた声で返しかけたときだった。コートのポケットから引き抜かれた有塚の手には確かに携帯電話が握られているが、それと一緒になにかが大量に零れ落ちた。地面に散らばったそれらのひとつを藤が拾い上げた。視界の隅で、有塚の顔色が変わった。やらかした、という目だった。小さくて俺の立ち位置からはわかりづらいけど、アルミっぽい銀色にプラスチックのカバーめいたものが見えた気がした。なにかの薬だ。察した瞬間に嘉兄の声が脳裏に蘇った。しっかり着込んで寒くなんてないはずなのに、背筋がぞわりと波立った。

 藤がつまんだそれを、有塚の手が乱暴に奪い取った。黙ってしゃがみ、有塚は散らばったものを丁寧に回収している。誰かが踏んづけたものにまで手を伸ばしていた。落としたものを拾うなんて当たり前のことなのに、俺の目の前に展開する光景はどこか壮絶だった。目を離すことができず、俯いて地面のそれらをかき集める有塚を、俺は黙って見つめ続けた。なにか言おうにも、なにを言うこともできなかった。なにを言っていいのかもわからなかった。

 俺の視界の片隅で、使用人の老人が口を開いた。そっちに視線を移すと、老人が前に出かけた足を引っ込めたところだった。もの言いたげな素振りをしたにも関わらず、老人はその場で静止していた。あの人がどこまで踏み込める立場なのかはわからないが、有塚の代わりに地面に這いつくばらないということは、あの薬は少なくとも有塚の持病を抑制する正式な処方箋ではないということだ。

「今日はクリスマスイブだけど、智生の誕生日でもあるからさ」

 コートに付着した地面の汚れをはたきながら、有塚は、いつもの笑顔を向けてきた。手に持った紙袋を持ち上げ、有塚は言った。

「実は、そのお祝いのケーキを買って持って行くところだったんだよ。みんなはこれからご飯でも行くの」

「ああ、うん。まあ」

 何故か藤も三橋もなにも言わなかった。タイミングを逃しつつ俺が頷くと、有塚は笑顔を保ち、少しだけ首に角度をつけた。

「それはいいね。気が向いたら今度俺も誘ってよ。お代は持つからさ、親が」

「……うん」

 ここでも二人は無言だった。みんなが無言というわけにはいかないので、申しわけ程度に俺は返事をする。それでも有塚は楽しそうだった。

「じゃあ、行くね。智生が帰る前に家に行って驚かせたいんだよね。今日は七時までだって言ってたから」

「鍵あるの」

 今の今まで黙り込んでいたくせに、唐突に三橋が口を開いた。それを不審がった様子などあるはずもなく、既にこちらに背を向けていた有塚がひらひらと手を振りながら振り返った。

「花菜ちゃんに電話してるから大丈夫だよ。ありがとう」

「それならよかったけど」

「けど、なに? 三橋君ってばまだ俺を不良扱いしてる? 俺は煙草も吸わないし妙な薬物にも手を出したりしない、至って健常な十八歳ってことをいい加減でわかって欲しいな。それじゃあ」

 自分の噂話が横行していることを意識しているような、有塚はそんな口ぶりだった。まあ、有塚自身が三橋によく思われていないことを把握しているから、わざとそんなふうな言い方をした可能性は否めないが。などと推測するのは容易いが、嘉兄の通う高校で横流れしてる情報を知っている俺は、有塚の言葉のひとつひとつを皮肉のように感じてしまう。それがなくとも、この男には裏があるとずっと思ってきた俺に、有塚の笑顔を正直な気持ちと認めろというのは不可能だった。

 有塚は使用人の老人のもとへ戻り、最後にもう一度こっちに手を振った。老人は俺たち三人の目を一通り見渡してから一礼した。会釈を返すふたりに続いて、俺も軽く頭を下げた。有塚と老人は互いに笑顔を交わし、雑踏の中へ消えていく。ぱっと見た有塚のその笑顔だけは、意図して作り出されたものではなく、自然に内側から滲み出ているような柔らかさだった。言えば次期主人と執事なのに、まるで本当の祖父と孫のようだった。

「お金持ちのお坊ちゃんと使用人って、どこもあんな感じなの」

「興味深いな。お坊ちゃん生活もなかなか」

 ぼやいた三橋に、即刻藤が返答した。まったくの同意見だった俺は、そうだな、と言葉を投げた。使用人と主人の息子なのに、傍から見れば、家族さながらの関係だった。お抱えの使用人がつくようなセレブは、特にその子息は親の財力を自分の財力と勘違いしているようなおめでたい脳構造をしているという――まあそれは俺の偏見とわかってはいるが、イメージは急には覆らない。大財閥の跡取りという大富豪オーラをフルに醸し出したほかのお坊ちゃんやお嬢様、つまり絵に描いたような厭味な金持ちとは明らかに違う有塚を知っている今でさえも、使用人を顎で使うお館様の想像図は掻き消えていないのだ。むしろ有塚のほうが資産家一族の育ちとしては異端であり、庶民である俺たちと普通に接することができるレアな存在だという気がする。

 確かに俺は「そうだな」と呟いた。それに応じるふたりの声は、なにひとつとしてなかった。俺という存在は、今まさに完全に宙ぶらりんだった。

「お坊ちゃんはどこもあんな感じ、ね」

 息を吐き出し、藤はぼやいた。

「だとすれば興味深いことに嘘はないけど、そんな社会は願い下げだな。俺は庶民でよかったわ」

 ず、ず、と藤は何故か靴底を地面に擦り付けている。なにかを自分に引き寄せているようだった。なにかと言われてなんなのか、わからないほどに俺もバカではなかった。状況を思い返せば、サルでも理解できそうなことだった。

 有塚が拾い損ねた薬剤の残骸。錠剤は既になく、ごみになったそれだけを有塚は丁寧に持ち歩いていたようだ。掌に載せたそれを、藤は人差し指で軽く弾いた。

「煙草はどうだか知らないけど、妙な薬物に手を出さないってさっき言ってたよな。自虐ネタなのか、あれは」

 「吸ってるよ、煙草」。三橋がそうしれっと言い放つかと思ったが言わなかった。三橋はいつもの無表情で、見る気もなさそうに藤の手の上の薬のパッケージを眺めているだけだった。



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