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七瀬 詩仁 1

キーワードに並べた通りです。甘めなBLではないので、そこだけご注意。

 給食を終えて昼休みを迎えた教室は、そこここに小さな団体を作っていつも通りの姿を保っている。確かにそれは間違いないのだが、少し毛色の違う印象を受けるのは否めなかった。とは言ってもその理由は至極はっきりとわかりきっていて、わかりきっているからこそ経路を追って思考を進めるのは億劫だった。目の前で興味なさげに漫画本を捲っている三橋を透かし、俺は少しの興味を持ってクラス全体を見渡してみた。たくさんの人間が押し込まれたこの空間は、一様にただのひとりきりを羨む空気で満ち溢れている。

「いいなあ、玲介。お前まじで智生さんに会ったのかよ」

「そうだって何度も言ってるだろ。ほら、このキャラメル。智生さんにもらったんだから」

「智生さんって本当にキャラメル好きなの? 私、キャラメル二ダースくらい買って智生さんのとこ押しかけちゃおうかなあ」

「噂は本当だったんだな。智生さんは大のキャラメル好きで、いつも欠かさず持ち歩いてるっていう」

「そんで、ときどき箱ごと分けてくれるんだったっけ。智生さんってあんなにかっこいいのに、いつもキャラメル食べてるなんて可愛い。ギャップだね」

 羨まれている張本人、堺鈴介を交えた男女混合の会話が耳に入ってくる。「キミたち、言葉の中で必ず「智生さん」って言ってますよ。どれだけ『智生さん』が好きなんですか」。そう発言したのは俺ではなく、だるそうにページを繰る三橋だった。もちろん三橋の声は小さかった。

「毎日毎日毎日毎日、別に盗み聞きしようとしてるわけでもないのに、智生さんの話ばっかり耳に入る。僕はうんざりしてる」

「気持ちはわかんないこともない」

「七瀬は鬱陶しくならないの。あっちでもこっちでも話題は智生さんばかり。智生さんってそんなにすごい人なのかな」

「そんなにすごい人なんだろ」

「僕は智生さんよりもね」

 適当に受け流す俺を一瞥するわけもなく、三橋もまた適当な言葉をよこしてくる。十二月の半ばを超えた真冬の空気は多分に凍てついている。三橋の視線は、漫画からスライドして壁にかけられた時計に定められた。昼休みを約十分過ぎた教室のオーラが浮き立った。つまりは頃合だ。俺と三橋から少し離れた席で、頬杖をついた藤がつまらなそうに窓の外を見やっていた。その背中が微かに振動した。

「あっちのほうが相当気になる」

「藤君、やっほう!」

 三橋の声に、非常に元気のよろしいハイテンションな別の声が重なった。男にしては高めのキーが耳に残る、どちらかと言えば中性的な印象を伴う声だ。通りのいい声を最初こそ羨んだものだが、もう今は慣れた。綺麗な声だと思うくらいだ。その声の主が現われたことで、教室の空気は再度塗り替えられる。

 クラスメートたちの溌剌とした礼儀の声に、有塚は朗らかな笑顔で応じている。丁寧な口調で話すみんなに対し、有塚はタメ口だ。有塚は中等部の生徒ではなく高等部の生徒、それも三年生なのだから、みんなが敬語を使うのは常識的なことだった。

 有塚樹。辻ノ瀬学園高等部三年一組、日本を制する三大財閥のひとつ『有塚グループ』の御曹司様。透明に澄んだ綺麗な声と右目の下の黒子がチャームポイント。姉が三人いるが、『有塚グループ』の次期社長は長男の樹になるらしい。

「ねえねえ藤君、今日の給食はどうだったの。メロンパン買ってきたんだけど、藤君はメロンパン好きかな。カメさんメロンパンなんだよ、ほらこれ見てよ。俺、藤君のために購買並んだんだよね」

「俺、メロンパンなんて食べたくないです」

「カメさんメロンパンだよ、可愛い藤君にぴったりの可愛いメロンパンじゃん。じゃあ今食べなくていいからさ、放課後にでもおやつで食べてよ」

「メロンパンは嫌いです」

「奇遇だね。俺もメロンパンは嫌いだな」

 じゃあ何故にメロンパンをチョイスした。突っ込みたい俺の心境をクラスメートが代弁してくれた。有塚はなんでだろうねと他人事のように笑いながら、しつこく藤に話しかけた。ここまでの経緯で最早明確な通り、有塚の目的はいつも藤だった。ついでにもうひとつわかる通り、有塚には、金持ちの子息であることを鼻にかけた自信や厭味さはない。人にあげようとメロンパンを買ってくることはあっても、買い占めた商品を施しとばら撒くような非常識なこともしない。

 じゃあ、どうして有塚は、藤を目的として毎日中等部の校舎まで足を運ぶのか。理由は至って単純だ。みんなそれを知っているし、今更驚くこともない。

「藤君は今日もつんけんしてるねー。素直になれないの? そういうところも俺の好み」

「気色悪いんでやめてもらえますか」

「俺はふざけてるんじゃないんだよ、藤君ってば」

 飽くまで有塚は笑顔を保ち、人差し指で藤の頬を突いた。ということがあるはずなかった。有塚の指が迫るのを、藤は首ごと動かして華麗にかわした。つれないなあ藤君、と有塚はさして残念そうな様子もなく残念そうに指を引っ込めた。信じるのは容易いが、有塚はどこまで本気でどこから冗談なのか、傍目にはどうにもわからない。体育館ですれ違った藤に一目惚れした。有塚は恥ずかしげもなくそんなことを言い放ち、足まめに中等部に顔を出す。有塚が『有塚グループ』の御曹司様であることはみんな知っているし、しかも高校三年生の有塚がこの教室にやってくること自体が大事件だったのに、指名したのが同性の藤だったことは周囲にとってはビッグ・バンに等しい重大スクープだった。噂はすぐに学園中に知れ渡り、ある集団内では奇妙な盛り上がりの中心のネタとなり、またある集団は、本格的に藤と有塚を番にしようと目論んでいるらしい。いや、これは同じ集団か。噂のソースは三橋だ。火のないところに煙は立たないと言うし、藤と有塚のカップルを妄想する奴が学校のどこかにいることは間違いない。有塚のホモ疑惑はともかく、明らかに有塚を鬱陶しがっている藤にとっては迷惑な話だ。

「ねえねえ有塚さん。有塚さんって智生さんと幼馴染なんですよね、確か」

 つい先刻までクラスの中心で大はしゃぎしていた堺が、声のトーンをそのままに有塚に歩み寄った。有塚は「そうだよ」と感じよく笑ってみせた。この人の笑顔は優しくて柔らかいが、どことなく裏の面がありそうで俺は少し警戒してしまう。ものすごいお坊ちゃんだから当たり前というべきが、小さい頃から高度な英才教育を受けて育ってきたにも関わらず、厭味のない有塚はかなり信頼に厚い。だからこそ滲み出ている隠れた一面なのだろうか。以前にこっそり三橋に打ち明けてみたが、三橋は興味なさそうに「そんなのどうだって七瀬には関係ないじゃん」と言っただけだった。それもそうだ。

 堺は目を輝かせた。この人なら、俺の気持ちの高揚をより深く理解してくれる。嬉々と煌めく瞳はそう語っていた。

 両手で大事に包み込んだキャラメルの箱を、堺は勢いよく有塚に突き出した。慣れた状況を楽しむように、有塚は小さく首を傾けた。

「今度会ったときでいいんで、伝えておいて欲しいんです。ありがとうございました、キャラメル本当に嬉しかったですって。一応お礼は言ったけど、俺、たぶん上手く言えてないです。智生さんって本当にかっこいいし、ずっと憧れてたし緊張しちゃってて」

「うん、いいよ。なんなら今から電話しようか」

 俯きがち、途切れがちに喋る堺に対し、有塚は簡単に提案した。突然の展開に堺は目を白黒させ、頭上に疑問符を渦巻かせている。そんな堺を置いてきぼりに、周囲は勝手に盛り上がり始めた。「智生さんと電話する」。堺を含めたクラスメートたちにとっては、天地を揺るがす事象に等しいようだ。いつの間にやら教室の外に集まっていた他クラス、他学年のギャラリーもざわめいていた。「智生さん」の影響力は半端ではないようだ。学園内の携帯電話の持ち込み禁止、というルールにはもちろん誰も突っ込まない。突っ込むはずもない。

 電波はあっさりと繋がった。二言ほど会話した後、有塚は携帯電話を堺に向けた。数々の視線が集中する中、堺は柄でもなく緊張したのか息を呑み、おもむろに有塚の携帯電話を手に取った。親指サイズのクマのストラップがぶら下がったそれに、日本でトップを争う財力を持つ家の跡取りである雰囲気はない。

 絵に描いたような硬直ぶりで、堺は携帯電話を耳に当てた。ギャラリー全体が静まり返り、堺を見守っていた。堺は、普段のムードメーカーなキャラとは打って変わったしおらしさで声を絞り出している。どれだけ緊張してるんだ、お前は。

 いくらかの対話が続いた後、堺の表情がぱっと明るくなった。高いトーンでお礼を述べて、そこに智生さんはいないことにも関わらず低頭して誠意を示している。やがて堺が通話を切り、ここでもお礼を口にしながら携帯電話を返してくるところを、有塚は面白そうに観賞していた。やっぱりこの人には裏がある。誰にも言わないけれど、俺は再認識した。

「智生、なんて言ってた?」

「いつでも店に来てくれって。それと、もしどこか近くのコンビニとかスーパーでキャラメルの新製品出たら教えてくれって言われました」

「持ってきてって言わないところが偉いね、智生は。だから持って行きたくなるんだよね」

「有塚さんはいつも智生さんにキャラメルあげるんですか」

「手土産代わりだよ。年は俺のほうが上だけど、智生はずっと前から働いてるんだから。会うときはキャラメルくらい用意してなきゃ」

 ここで感嘆の声が上がった。堺を含めたクラスメートたちの大多数がやたら「すごい」「さすが」と繰り返している。キャラメルくらいで「すごい」だの「さすが」だの、俺にはタイミングがよくわからない。とりあえず、智生さんと対面するのにキャラメルを用意して渡せる身分はここでは一級品の扱いらしい。その存在と認められているのは、今のところは有塚ただひとりということだ。

 キャラメルひとつ渡すのも恐れ多い存在なのか、智生さん。アホらしい。欠伸したくなりながら、俺はポケットに忍ばせた隠しおやつ、チーズ味のキャラメルを口に投げ入れた。実はこのチーズキャラメル、特定のコンビニで今日発売されたばかりの新製品だ。朝一番に買ってきた。

「俺に用事がないなら離れてくれませんか」

「用事はあるよー。カメさんメロンパン。ほらほら」

「有塚さんって友達います?」

「あははは。藤君なんかご機嫌斜め」

 ずばり突き刺した藤の一言に動じた風は少しもなく、有塚は人懐っこい笑顔を保っている。藤がご機嫌斜めになった理由は間違いなく有塚なのに、気に留めた様子すらなかった。日々だらだらと継続される有塚と藤の会話はいつでもこんな感じだ。つまり今日もいつもと同じ、変わった点はなにもない。強いて挙げるなら、有塚がカメさんメロンパンを持ってきたことと、教室全体の視野で言えば堺が智生さんにキャラメルをもらったと騒いでいたことがイレギュラーだったくらいだ。

 執拗に藤に絡んでいた有塚を、ひとりの女子が呼び止めた。女子の顔は真っ赤だった。教室の空気が静まり返った。つまりそういうことだ。ついて来て欲しいという女子に有塚は快く頷き、やがて教室を出ていった。

「モテるね、有塚さん。ちょっと変態くさいけど声綺麗だからね」

「声綺麗だし、イケメンというか美人系の顔立ちだし、お金持ってるし。まあモテないほうがおかしいよな」

「俺のことを好き好き言ってることのほうがおかしいわ」

 三橋と俺の対話に藤が割り込んできた。聞こえるようにぼやいた、というべきか。有塚が置き去りにしていったカメさんメロンパンを、藤は忌々しげに机の中にしまい込んだ。お前それ嫌いなんじゃなかったの、と問いかけると、冷たく「仕方ないから弟にやる」と返された。俺が冷たくされる意味がわからない。

『灰色ヒーロー』。かっこいいじゃない」

 ページを繰りながら、相変わらずの棒読み口調で三橋が言った。俺はそれは否定しない。

 黒川智生。みんなは智生さんと呼ぶ。キャラメル好きの十六歳。根元から色彩薄い茶色の髪、赤縁フレームの眼鏡がよく似合うという『灰色ヒーロー』。直接見たことはない。そして有塚の幼馴染だ。

 昼休み終了のチャイムが鳴り、教室は慌しく対先生用の空気へと変貌した。有塚は当然戻ってこなかったが、有塚を連れ出した女子も戻ってこなかった。大方失恋した辛さに耐え兼ねてどこかで泣いているんだろうが、そういえば、どうして有塚は、あんなにも言い寄られるのに彼女を作らないのだろう。有塚に告白して玉砕した女子の話は嫌になるくらい耳に入ってくるが、それが何故なのかまでは聞いたことがない。大金持ちだから許婚でもいるのか。先生の目を盗んで三橋にそう言ってみると「キミさ、随分有塚さんのこと気にしてるけど、有塚さんに恋でもしてるの」と返された。こいつはこういう発想しかしないことを忘れていた。

 だいたいそんな感じで、今の俺の世界は廻っている。



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