1. 僕
教室の騒がしさに嫌気がさす。
1人でいる僕と対称的に、集ってがやがやと楽しそうにしているのを見ると、無性に腹が立つ。
でも、1人でいることを選んだのは自分だった。
僕は人と関わるのがものすごく怖い。
理由は母親によるものだった。
とてもじゃないが、僕は生まれたときから母に愛されていたとは思えない。僕の父は誰だかわからず、母1人によって育てられてきた。少しでも機嫌を損ねると、少しも容赦なしの暴力を受け、まともに話を聞いて貰った覚えもない。お前なんて生むのが間違いだった。早く死んでくれ、と、毎日のように浴びせられる罵声。気づかずうちに僕は、常に無意識に母の顔色をうかがって生きていた。母は表向きはとても優しく明るい人だった。笑顔で人と話している母の姿を見ると、家での辛辣な母の姿とのあまりの違いに気持ちが悪くなった。人は、表と裏でここまで違う存在になってしまうのだなと思うと、誰でも表裏があるのではないかと、母だけではなく人そのものが恐ろしくてたまらなくなった。そんな日々に耐えて12年生きてきたある日、突然母は死んだ。死因は交通事故で、飲酒運転をしていた男性に轢かれたらしい。僕は母といなくていい安堵と、これからどうすればいいのかという不安感でいっぱいだった。僕は遠くにすんでいる親戚の叔父と叔母に引き取られることになった。これからは、今までとは違う、楽しい生活を送れるとおもっていた。だが、ちがった。
僕は叔父と叔母とうまく接することができなかった。僕はいつのまにか、母だけではなく、全ての人の顔色をうかがうようになってしまっていた。とにかく嫌われないために、明るく振る舞うよう努力した。だが、偶然にも叔父と叔母が
「あの子は気味が悪い、何を考えているのか分からない」
と話しているのを聞いてしまった。
叔父と叔母はとても優しかった。なにも遠慮することはないといってくれていた。だが、そんな叔父と叔母にも、裏ではそんな風に言われていることを知り、また人がたまらなく怖くなった。こんなに優しい叔父と叔母にも、裏の顔があると知り、もう人を信じられなくなった。
僕は高校入学と同時に一人暮らしを始めることにした。母が残した遺産は想像以上に多く、金に困ることはなかった。高校にはいってしまえば、1人は友人ができるだろうと思っていたが、もう誰とも話す気にはなれなかった。人と話すのがたまらなく恐ろしい。もう誰にも嫌われたくない。その思いが、僕が人と関わることを強く拒絶した。嫌われないようにしようと思うほど、相手の顔色をうかがってしまい、何を話せばいいかわからなくなってしまった。もう誰にも嫌われないために、僕は孤立することを選んだ。
そして、現在に至る。
1人でいるのは誰にも気を遣わなくていいので楽だった。だが、想像以上に悲しかった。
自分は誰にも必要とされていない疎外感やむなしさで、心はうめつくされていた。そして、入学から一年孤独を貫き通した僕は、人と会話をすることができなくなっていた。今も、僕の心はむなしさや悲しさでうめつくされている。人の楽しそうな姿を恨めしそうに見ているような自分も、心底嫌いになった。でも、今日でそんな毎日が終わると思うと、心は楽になった。僕は今日、うんと高い崖から海に飛び下りて自殺する。40メートル以上高いところから着水すると、水はコンクリートにばけるらしい。そして、100メートル以上のところから水面に飛び下りれば即死らしい。海を選んだのは、地面に飛び下りるよりは怖いイメージがないからだ。
学校が終わると、僕は駅で電車に乗り、目的の場所を目指した。電車のごとごとと揺れる気持ちよさにウトウトしていると、あっという間についてしまった。そこから15分ほど、駅から歩いた。歩いている間は昔の子とを思い返したりしていたのではなく、何も考えず、ずっと虚無感に浸っていた。だんだん潮の匂いがしてきた。高い坂を上り、ガードレールを越えると、目的の崖があった。下をのぞいてみると、海が波打っている。ここから落ちれば確実に死ぬ。でも、怖くはなかった。さっきと同様、虚無に浸っていた。それほど滅入っていたのだろう。もう、何も考えなくてよくなる。崖の外に一歩踏み出そうとした。その時、誰かが僕の腰に抱きつき、体勢を崩し、後ろによろけて倒れた。あまりに驚いて、心臓が張り裂けるほど痛くなった。ものすごく脈打っている。脚はガクガク震えていた。僕は振りかえると、茶髪の、制服を着た少女がぼくをみて泣いていた。彼女の身体はフルフルと震えていた。そして、震えている口を開いた。
「どうして、死のうとなんてするの…?ダメだよ…」
「…ぼ、僕が死んでも、誰も悲しまないから」
「私は…悲しいよ!!」
そう言うと、彼女はわんわん泣き始めた。
僕は怖くなって、何もいわず震える脚で走って逃げた。もう死ぬ気は失せていた。まだ心臓が痛い。
帰りの電車、僕は泣いてしまった。なぜかははっきりとは分からないけれど、多分僕が死ぬことを素直に辛く思ってくれる人がいるこが、嬉しかったのだ。僕はまだこの世から消え去ってしまいたいとは思っていたが、彼女の思いを裏切りたくなくて、死ぬのはやめた。きっと彼女も怖かっただろう。あんな崖っぷちで、ギリギリのところで、一緒に落ちていてもおかしくなかった。もし、次にまたどこかであったら、ちゃんとお礼をいいたいと思った。
そして、話をしてみたいと思った。
あの日から一週間経った。
僕は相変わらず、悲しみと疎外感でいっぱいの毎日を過ごしていた。あの日から何か変われるかと思ったが、やはり僕は人と関わるのが恐ろしかった。消えたくなったが、彼女のことを思いだし…なんとか持ちこたえた。今日もやっと苦痛の学校が終わった。校門をでて歩き始めると、なにやら絆創膏かなにかを配っている女の人が生徒を待ち構えていた。
僕はべつにいらないので素通りしようとすると、
「こんにちはー!ただいま健康見直し期間で絆創膏と消毒を配っています!どうぞ!」
とはなしかけてきた。
「あ、え…」
僕はおどおどして何もいえずに受け取らされてしまった。結構です、の一言もちゃんといえない自分をまた少し嫌になった。変われるのなら変わりたい。だが、人の目を見ると、自分の全てが見透かされているような気がして、動けなくなってしまうのだ。自己嫌悪しながらぼーっと帰宅路をあるいていると、僕は目を疑うような光景を目の当たりにした。彼女だ。僕を助けてくれた彼女が、ベンチに座っていたのだ。だが、何か様子がおかしい。うつむいて、身体が震えている。僕は勇気を振り絞って話しかけることにした。




