後編:災い転じて愛になる
ばちんっ
派手な音が響き渡る。
呆然自失となったニールの前で、肩を震わせたハーミアが目に涙をためている。
「いまさら何を言ってるの。」
静かだが怒りのこもった声だ。
「どんな思いでセーラ姉さまが、あなたの幸せを願ったと思っているのっ!!」
今度ははっきりと、ニールに怒りをぶつけた。
周囲がざわめきたっている――それこそが、ことの重大さを物語っていた。
**
ハーミアは、セーラに出会って人生が好転したことに感謝していた。
ある日、突然あらわれた伯爵令嬢を名乗る少女は、自分とあまり年が離れているようには感じなかったが、その所作の美しさに目を奪われるほど、落ち着きのある素敵な人だった。
「あなたを伯爵家の養女として迎えたいと思っています。考えていただけませんか?」
最初はたちの悪い冗談だと思った。
けれど、彼女の眼差しは真剣で、揶揄っている様子はなかった。
決断してからの毎日は、忙しかったがとても充実していた。
令嬢としての所作を学ぶのは新鮮だったし、何より美しいドレスを着て、おいしい食事をいただける毎日がとても幸せだったのだ。
「ノブレス・オブリージュ。あなたはこれから『与えられる者から、与える者』に代わるの。」
「ノブレス・オブリージュ?」
「貴族は、その身分に相応しい義務がある。地位と財産を持つ者には、社会的責任が伴うということね。」
正直、その言葉には反発しかなかった。
自分たちの生活に、『与えられた』記憶など、かけらもなかったからだ。
「『今までのわたし』がいたから、『今のわたし』がいる。ようやく『与えられた』のに、すぐに与えるなんて無理だわ。」
思わず本音がこぼれた。
同意したとはいえ、伯爵家の養女になったのは単に幸運だっただけだ。
社会的責任を負えといわれても、荷が重すぎる。
けれど――
『単に幸運だった』と思っていた、人生の分岐には、想像もつかない犠牲が伴っていた。
**
「あなたには、ちゃんと話しておきたかったの。」
社交界デビューが決まったとき、城下町で出会ったニールとの婚約が決まったことを養母から聞いた。
もともと、義姉であるセーラからニールと結婚するためにも養女にならなければいけないと聞かされていたから、驚きはなかった。けれど、義母が告げたのは、自分が夢にも思わない事実だった。
「ニールは、幼少のころからセーラと結婚することが決まっていた……二人は婚約者だったの。」
頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
「でもね、ニールがあなたを見初めたのよ。そして、彼の初恋をかなえてあげたいと、あなたを養女にしてほしいって、セーラがわたしたちを説得したの。」
「そんな……」
「セーラはあなたに何も教えるつもりがない様子だったけれど、あなたがこれから赴く社交界は、良くも悪くもいろんな声が聞こえてくる場所。何も知らないまま、歪められた噂で、あなたが不用意に傷つくことは我慢できないわ。」
「お義母さま。」
「だから知っておいてほしかった――見初めたにはニールかもしれない。でも、セーラがあなたを選んだのよ。ニールの婚約者として、ハドソン伯爵家の後継として……。今のあなたは、どこに出しても恥ずかしくないわたしの娘。だから、何を言われても、何を聞いても、堂々としていなさい。わたしたちも、バートン家もあなたの味方よ。」
衝撃の事実を何とか理解した。そして、覚悟をもって夜会に参加した。
――覚悟をして、参加したつもりだった。
けれど、ニールのエスコートで夜会に到着するや否や、隠そうともしない不躾な視線にさらされる。
『こそこそ』というにはよく聞こえる噂が、これ見よがしに耳に届いた。
「ハドソン伯爵令嬢は、何を考えているのかしら。」
「バートン家とハドソン家で、一体何があったのやら。」
ハーミアが考えていたよりも、噂が独り歩きしていた。
家庭の事情が憶測の域を越えず、詳しく話せない者たちのささやきは、まだ我慢できた。
質が悪いのは、セーラとニールのことを知っているというだけの人間。
「婚約式直前で、まさか婚約者が変わるなんて」
「後継からも外されたということでしょう?」
「わたしなら、恥ずかしくて家から出られないわ。」
勝手なことを口にする。
ニールには聞こえない距離で、わざとハーミアには聞こえるように……
そんな中、セーラが侯爵さまにエスコートされて登場した。
周囲が息をのみ、感嘆のため息がこぼれたその会場で、ふらふらとニールが歩き出した。
悪い予感しかしない――
案の定、ニールは信じられないことをつぶやいた。
――あなたは、あなただけは『それ』を口にしてはいけなかった。
見ていればわかる、セーラはニールを愛していた。
愛していたから、自分に婚約者としてふさわしい令嬢になれるよう協力してくれたのだ。
気づいたら、思いっきりニールに平手打ちをしていた。
――しまった。
思ったところで、響いてしまった音も、声を荒げた発言も、消すことはできない。
黙ってニールの腕をつかみ、平然と両親に帰宅を告げ、言葉を失くしたままのニールを馬車へ押し込んだ。
「ニール、あなただけは、絶対にあんな言葉を言う資格……なかったのよ。」
申し訳ない気持ちがあふれた。
言葉をなくしたニールのことなどお構いなしに、ハーミアは泣き出していた。
***
セーラは、目の前で起きた出来事が理解できないまま呆然とした。
鼓動だけが大きく鳴り響き、夜会の会場の光はどこかへ消えた。
大きく響いた音が、ハーミアの行動であったと理解できた時には、二人は夜会の会場を出た後だった。
「大丈夫か?」
異変に気付いたロベルトが、慌ててセーラの元へ戻ってきた。
ロベルトの心地いい落ち着いた声が、セーラを現実に引き戻してくれる。
「わかりません。」
醜聞は覚悟していた。
好奇の目も、予想していた。
でも――ニールのあの言葉は、何だったの?
どうしていいのかわからなかった。
「わたし……」
突然、ニールの言葉の意味が胸に突き刺さる。
――ハーミアが好きだと、応援してほしいと……そう言ったじゃない。
わたしをずっと愛してた?……なに……それ?
ニールの言葉を理解した途端、息ができなくなり全身が震えだした。
「セーラ嬢。」
ロベルトの力強い手のひらの感触と、心配した声が遠くに響くように聞こえる。
ぐらぐらと揺れる身体は、自分がどこに立っているのかもわからない。けれど、ロベルトの指先が暖かい。
その安心感に抗うことができず、セーラの意識はそこで途切れた。
***
セーラが目を覚ますと、心配そうなハーミアが涙を浮かべていた。
「ごめんなさい。わたし……」
夜会の場で倒れたと知って、どれほど心配させてしまったか想像に難くない。
「わたしの方こそ、ごめんなさい。」
言葉にならなくて、ハーミアは大きく首を振る。
「お義母さまに、覚悟をするようにって忠告を受けていたのに、わたし、軽く考えてた。」
「…………」
思慮深い母は、二人を心配して配慮してくれたのだろう。
社交界というのは、経験してみなければわからない恐ろしさがある。
「嫌な思いをさせてしまったのね。」
告げないことが優しさだと思っていた。それがセーラの間違いだった。
セーラの言葉に、ハーミアが再び大きく首を振る。
「それでもにこやかに過ごすことが、デビューを成功させることが、伯爵家への責任であり義務だと思っていたの……でも、うまくできなかった。あんな風に……ごめん……なさい。」
セーラの謝罪は、どうやらあの出来事に由来しているようだ。
「あら、わたしあれはありだったと思っているのよ?」
笑ってみせる。
「せっかくお義姉さまにもお義母さまにも認めていただいたのに……やっぱり、わたしがニールの隣にいるなんて」
「あなたじゃなきゃダメよ。」
ハーミアが最後まで言い切る前に、セーラが言葉を遮った。
弾かれるように、ハーミアがセーラを見つめる。
「ハーミア、よく聞いて。」
小さく息をついて、セーラがハーミアを見つめた。
「貴族婚の婚姻は、『家同士の約束』なの。だから、簡単に解消できないのよ。
……ひょっとして、わたしに遠慮してる?」
ハーミアの瞳が不安に染まる。
「ニールは幼少の頃からお義姉さまの婚約者だったって……それに、お義姉さまは」
「わたしの気持ちにも、気づいてしまったのね。」
ハーミアがこくりと頷く。
「ずっとニールが好きだった。わたしには彼がすべてで、結婚できる日を心待ちにしていたわ。」
「だったらなぜ……?」
「……だからよ。」
心地いい風が、頬を撫でる。
驚くほど穏やかな気持ちで、セーラは自分の心の内を話すことができていた。
「彼には、しあわせになってほしかったの。」
涙が枯れるまで泣いたあとに残った、あの気持ちは本物だった。
今でもそう思う。
「ミア……だからこそ、あなたに妹になってほしかったの。
だって、あなたはニールのことが好きでしょ?」
照れくささが邪魔をして、本音は聞けていなかったけれど、セーラには確信があった。
ハーミアの視線の先には、いつでもニールがいたし、なにより、彼の話をするハーミアは可愛らしかった。
「貴族同士の結婚は愛を伴わないものも多いの。でも、あなたたちは違うでしょ?」
***
呆然自失の自分を馬車へ押しやり、強引に帰途へ向かった夜会の日、ハーミアは目の前で泣きじゃくっていた。その涙が、自分の発言に対するものではないことは、なんとなくわかったが、本当の理由には行き着くことができなかった。
「あなた、なんてことを……」
帰宅した両親に呼ばれ、ニールの顔をみるなり母がポツリとそう言うと、涙を見せた。
ハーミアも母も、なぜ泣いているのか、ニールはいま一つ理解できない。
「ニール、お前はあの発言が何を意味したのか、分かっているのか。」
いつもより低く厳しい父の声がする。
「セーラが誰かにエスコートされるなどと聞かされていなかったので、驚いただけです。なぜ、わたしに知らせてくれなかったのですか。」
落胆の色が隠せない、父の大きなため息が聞こえる。
「なぜ、お前に知らせる必要が?」
「だって、セーラはわたしの……」
そこまで口にして、はっとする。
――そうか、もう婚約者ではないのだ。
「アルタス侯爵は、セーラの」
「お前には関係のないことだ。」
質問を言い終える前に、父がピシャリと言い切った。
「あなた、セーラに何と言ったか覚えている?」
母の言葉に、自分の発言を思い出す。
初めての恋に浮かれ、セーラに協力を求めた。
「応援してほしいと」
「幼いころから結婚の約束をしていたあなたに、応援してほしいと言われ、セーラはハーミアさんとあなたが婚約できるよう努めてくれたのよ。それを……」
そこまで言われてようやく重大さを理解した。
正式に婚約を発表していなかったとはいえ、バートン伯爵家とハドソン伯爵家の婚姻は周知の事実だ。
ハドソン家の一人娘、セーラと自分が婚約しハドソン家の後継となることは誰もが知っていた。
この夜会で、その婚約と後継が違うことに気づかなかった貴族はいないはずだ。
つまり――自分はセーラの名誉も、ハーミアの未来も傷つけた。
「あっ」
ようやく気付いた事実に、思わずこぼれたのは何とも情けない一言だった。
僕は何を――
時すでに遅し。
社交界の悪意の群れに、格好の餌を与えてしまったのだ。
***
夜会の失態が、セーラもミアも傷つけたことを自覚したのが遅すぎた。
気づかないフリをした醜聞に二人が傷ついている事実から逃げていた卑怯な自分を叱咤して、ニールが最初に行ったのは、ハドソン家への謝罪だった。
「セーラお義姉さまには、会わないでください。」
ハーミアに冷たく言い放たれ、うつむいて拳を握った。
正直、見限られるだろうと思った。
「お義姉さまを傷つけたのは、わたしも同罪。」
ハーミアの言葉は意外だった。
「ニール……あなたはまだ、わたしを想ってくれているの?」
「もちろんだよ。」
「だったら、一緒に償ってほしいの。」
ハーミアは目に涙をためてニールを見つめていた。
「わたし、セーラお義姉さまとハドソン家に、ちゃんと恩返しがしたい。」
「ごめん。」
無責任な言葉で、ハーミアを不安にさせた。
自分の幼稚な行動が、両家の名誉と二人の令嬢を傷つけた。
「僕には足りないことだらけだ。でも、ハーミアが一緒にいてくれるなら頑張れるよ。」
ハーミアの両手を取り、しっかりと目を見て約束する。
そこへ、ハドソン家の執事から呼び出しを受けた。
中庭でセーラが待っているという。
卑怯な自分と情けない自分を……それでも支えてくれるミアに改めて謝罪したこと。
ミアと共に伯爵家を継ぎハドソン家との約束を守ることをセーラにちゃんと誓おうと心に決めて中庭へ向う。
**
「セーラ、僕は」
中庭で待っているセーラを見つけて、ニールはまず、静かに頭を下げた。
そして、言葉を続けようとして、セーラに遮られてしまった。
「あのねニール、わたしに好きな人ができたの。」
意図的に言葉をはさむ。
謝罪をしようとしていたことはわかっている。
でもこれ以上、ニールの話は聞かないとセーラは決めていた。
「えっ?」
「応援してくれるよね?」
あの日、ニールに告げられた言葉を、セーラはそのまま口にした。
なんてことはない、意趣返しだ。
傷ついた心は癒えないが、正直、溜飲は下がる。
――わたし、怒ってたのね。
傷が大きすぎて気づかなかったけれど、ニールに対して怒りを感じていたのだ。
裏切られた
無神経に決めつけられた
自分の心を無視された
セーラは、そんな負の感情を認めてようやく、本当の意味でニールへの想いを過去にできた気がした。
ざわっと風が髪を揺らす。
ニールの言葉を遮ったことも、自分の感情を口にしたのも初めてだったことをセーラは気づかずにいた。
***
夜会のエスコートから、ロベルトは積極的にセーラに手紙を送ってきた。
お礼状のやり取りから始まった手紙の交流は、日を開けることなく続き、それは自然とロベルトがセーラののもとを頻繁に訪れる交流へと変わっていった。
「先日、手紙に書いた帳簿の件だが、君の意見を聞かせてくれないか?」
ロベルトの訪問は、好意を前面に出した逢瀬候ではなく、対等な人として向き合い『自分を知ってもらいたい』という彼の気持ちのそのものだった。
セーラはロベルトが自分の意見に真剣に耳を傾けてくれることが、何より嬉しかった。
「庭の花がきれいに咲いていると聞きました。お茶を、ご一緒していただけますか?」
気持ちを急かすことなく訪問を重ねるロベルトに、ゆっくりと癒されていったセーラは、自分から庭園の四阿へ招待できるほど回復していた。
けれど、癒されたセーラの心に同時に浮かぶのは、拭うことのできない不安だった。
「わたしのような傷物では、あなたを不幸にしてしまう。
わたしは――選ばれない。
あなたにもいつか、わたしは『当然の存在』になってしまうかもしれない。」
俯いたセーラの頬に涙がつたう。
自分でも情けない言葉だと思いながら、胸の奥に巣食う不安は癒されれば癒されるほど広がっていった。
『選ばれなかった』記憶は、暗く深く心に根付いてしまったようだ。
そんな彼女の顔を優しく持ち上げて、ロベルトが微笑む。
「君は、自分をずいぶんと低く見積もるんだな。」
いつもの理知的な眼差しではなく、少し困った色を帯びた優しい視線が真っすぐセーラをとらえている。
「わたしは人づきあいが苦手なんだ。女性にはよく泣かれる。」
「……えっ?」
「『物言いがきつい』と言われては泣かれ、黙っていれば『愛想がない』と怒られる。」
セーラを見つめて笑うロベルトの表情には、本気の困惑が溢れていた。
「おかげで、まともな付き合いをしたことがない。」
慰めではなさそうだ。
「だから、今も君を目の前にどうしたらいいのかわからないんだ……情けないだろ?」
取り繕うことのない、等身大の言葉――素の自分で向き合ってくれている。
セーラはそう感じた。
「わたしは君が思うほど、完璧な人間ではないよ。」
ロベルトが苦笑いする。
「どちらか一方が幸せにするんじゃない。二人で幸せになる努力をする。君は、そんな生き方がしたいんじゃないのかい?」
その言葉がストンと胸の中に落ちた。
「わたしは、そんな君の一生のパートナーになりたいと思っているんだ。」
セーラはいままでずっと、『誰かのためのしあわせ』を選んできた。
それが自分の幸せだと思っていたからだ。
けれど――
「……わたしは」
声が震える。
ロベルトはいつものように、セーラの言葉を待っている。
「わたしは、あなたとしあわせになりたい。」
セーラは初めて、自分のために幸せになれる道を選んだ。
その言葉に、ロベルトがゆっくり優しく微笑んだ。
「あなたが選んでくれたから、わたしはそれだけでもうしあわせだよ。」
大きな手のひらが伸び、指先がゆっくりと頬を伝う涙を拭う。
「セーラ・ハドソン嬢。わたしと、人生を共に歩んでくれるか?」
今度は迷わなかった。
「はい。」
ロベルトがセーラを抱き寄せる。
セーラは温かい胸の中で、穏やかな未来を確かに感じた。
***
「本当に、いいのかい?」
ロベルトが心配そうにセーラを覗き込んだ。
彼の心配も当然だろう。
セーラが、ニールとハーミアを招待してお茶会をすると言い出したのだ。
**
「わたしがしあわせなこと、二人にはちゃんと知らせておきたいの。だめ……?」
上目遣いにロベルトを見上げる。
「それはズルいぞ。」
職業柄、ポーカーフェイスが得意なはずのロベルトの耳が真っ赤になっている。
ここ数週間で、セーラはいろいろなロベルトを知った。
意外と押しに弱いこと。
大事なことは必ず二人で合意しなければ行動しないこと。
礼儀と礼節を大切にすること。
だからこそ、ハドソン家の後継である二人との関係修復は必須だと判断した。
自分の『わがまま』という形なら、必ずロベルトは時間を作ってくれると確信があった。
「ズルいことは、わかってます。でも、甘えさせてください。」
「そう言われてしまうと……断る理由はないな。」
**
「ありがとう、ロベルト。」
お茶会を開催することを承諾してくれた経緯を思い出して、セーラの顔に自然と笑みがこぼれた。
憂いのない表情に、ロベルトもこれ以上の心配は不要と思ったのか、セーラの腕をとり中庭へエスコートする。
温かい日差しの中、お茶会は平穏に……は始まらなかった。
「取り返しのつかないことをした。すまない。」
ニールが深々と頭を下げる。
それにならって、ハーミアも頭を下げた。
「謝ってほしくて、お茶会に誘ったのではないの……」
四阿に到着早々、二人が揃って謝罪をはじめてしまったことに、セーラは戸惑った。
言葉をかけても、頭をあげてくれそうにない。
「バートン伯爵令息、セーラが困っている。頭をあげてくれないか。」
セーラの困惑に、ロベルトがとうとう助け舟を出した。
侯爵の意向とあっては、頭をあげないわけにはいかない。
二人がゆっくり顔をあげる。
「お義姉さま、ニールと二人で伯爵家を守ります。」
「二度と同じ過ちは繰り返さない。誓うよ。」
セーラは二人と視線を合わせてにっこり微笑む。
「だから、今日は謝罪の場ではないの。二人にちゃんと紹介しておきたくて」
そこまで言うと、セーラはロベルトを見上げた。
「ロベルトも、家族との顔合わせよ。あまり怖い顔をしないで。」
「そんな風にしたつもりはなかったんだが……」
聞いたことのないセーラの強い口調に、ニールがギョッとする。
ハーミアは楽しそうに笑いだした。
「お義姉さま、しあわせそう。」
ハーミアの言葉に、セーラはロベルトの手に指を絡めて笑った。
「そう、しあわせなの。」
ロベルトが、セーラの手のひらに口づけを落とす。
「君に選んでもらえたわたしのほうが、しあわせだと思うがね。」
ふふふと笑うハーミアの横で、状況が掴み切れていないニールが右往左往している。
「だから、あなたたちもしあわせになってね。」
ニールはようやく、セーラの薬指に光る指輪に気づく。
自分が蔑ろにした大切な幼馴染は、自分が知らないうちに幸せな未来を選び取っていた。
言葉が見つからない。
ただ黙って、ハーミアの手を握った。
その手を、彼女も優しく握り返してくれた。
「二人がしあわせになってくれれば、わたしはもっとしあわせよ。」
そう微笑むセーラの肩を抱き寄せて、ロベルトが額に口づけを落とす。
「絶対に君を一人にしたりはしない。二人でしあわせになろう。」
世界が沈黙したあの日とはまるで違う、暖かな光にあふれた世界。
風が木々を揺らす音が、心地よく耳に届く。
優しい木漏れ日の中、さわやかでほんのりと甘い茶葉の香りが穏やかにあたりを満たしていく。
大切な人たちと、愛する人に囲まれた時間――
ロベルトの温もりを肩に感じ、ハーミアとニールの楽しげな声が響く。
それは確かに、セーラが『自分のために選んだ未来』だった。




