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授業以外で、キースがカーチャから離れる場面もある。公務に関わることは、機密でもあるので厳重に警備されている特別に用意された部屋で行う決まりになっている。従者であるジェシー、護衛のイライアス、もちろん婚約者のミュリエルもその部屋に入る許可が下りているが、カーチャはキースが許可しようともその部屋に入れない。正式な許可は、王室から下されるからだ。
「ではカーチャ。私は公務があるため行ってくるよ。ひとりにしてしまって、すまないね」
「さみしいですけど、あたしは応援してます! キース様にしか出来ない大事なお仕事ですもんね」
「ああ、カーチャ……ありがとう。君が応援してくれるならいくらでも頑張れるよ」
まるで戦場に行く兵士かのような顔をして、キースは扉の両脇に警備の立つ部屋に入っていった。それを手を振って見送ったカーチャは、こちらに興味も示さない警備にもついでに愛想を振りまいて、そこを離れる。
寮に戻るでもなく、町に遊びに行くでもなく、王族の公務のために用意された部屋がある建物のさらに奥へ向かう。
人気のない静かな建物だが、実は各部屋にはほとんど必ず誰かがいる。カーチャはその中で、とある一部屋を目指した。
中央学院は、貴族位を持つ者の子弟が十五歳から二十歳の間で任意の三年間を在籍することになっている。在籍年齢に幅を持たせているのは、広い国内の隅々から人を集めるため、各地の事情にも配慮しなければならないからだ。
学院で教えている内容は、領地運営に必要な様々な知識だが、幼いころから家庭教師をつけて教育されているのであれば特別難しい内容というわけでもない。しかし、それでだけで完璧に領地が治められるのかといえばそういうわけでもなく、ほとんどの領主は補佐官や経理担当官という役職を置いていた。
ではその役職に就くための知識はどこで得るのかだが、それがカーチャの歩いているこの建物の本来の存在理由だった。
「失礼します。無事に研究生として迎えられたんですね、おめでとうございます」
「心にもないことを」
研究棟と呼ばれる建物の一室。まだ何の荷物もない部屋にいたのは、ゴーチェ領にいるはずのロードリックだ。カーチャはさっきまで振りまいていた愛想のかけらもなく、口だけの祝いを述べて勝手に部屋備え付けの椅子に腰かける。
「入学してからそれほど日も経っていないはずだが、なにをしたらこんなに名が広まるんだ?」
「あら、ご存じないんですか? 随分耳が遠いんですね」
礼儀としてお茶を出そうとしたロードリックだが、カーチャの減らない口にその手を止めた。
「相変わらず可愛げがないな。それでよく、王太子を篭絡出来たものだ」
「簡単でした。さすがは女好き殿下ですね」
「恐ろしいものだ」
「女性に興味を持たなければ良いだけのことです。それに、王太子だって本気ではないですよ」
「本気にさせなければ、目的は達成出来ないのではないか?」
「それはやりようによって変わります。とはいえ、今はまだ仕込みの段階ですから」
もてなしがないことも気にせず、カーチャとロードリックの気の置けないやりとりが続く。
ロードリックは、ちらりとも自分に興味を向けず、静かな顔で窓の外を見るカーチャの横顔を見ながら、学院に到着してすぐに見た光景を思い出した。
本日到着したばかりのロードリックは、まず世話になる教授に挨拶に行く必要があって学生のための学生棟に向かった。研究棟とは違って学生たちが騒がしいのはロードリックが在籍していたときと変わりないが、それにしても多くの学生の注目を集めている場所があった。そこにいたのが、キースとカーチャだ。見晴らしのいい中庭の真ん中でぴったりと寄り添うふたりを、学生だけでなく教授や職員たちも眉をひそめて見ていた。
カーチャが髪の色を抜いたのはマクラウド家の領地から学院に入学する直前だったので、ロードリックは今日まで見ていない。なので、キースにしなだれかかって笑う女の姿はしっかりと見ていたが、この部屋にカーチャがやってくるまであれがカーチャだった確信を持てなかった。
人々の注目を集めていたのは、もちろんキースとカーチャの振る舞いの悪さからだ。しかし、ただ不愉快な振る舞いというだけなら目を背けることもあるだろう。誰もが見ていたということは、それだけの長い間視線を集めていたということ。それは、キースの隣にいるカーチャの華やかな雰囲気が目を離させなかったからに他ならない。
「閣下はこれからエルボロー嬢に接触して、王太子への不信感を植え付けなければいけないわけですが、そんな調子で出来るんですか?」
「……俺は別に、エルボロー嬢を篭絡するわけではないだろう」
「信頼を得るんですよ? 情のない間柄とはいえ、婚約者のいる令嬢がそう簡単に親しくもない男を信じると思っているのであれば、自信過剰です」
辛辣な評価に、いよいよロードリックの顔もひきつる。眉間を揉みこみながら、ミュリエルについて思い出す。
「エルボロー嬢とはまったく交流がないわけではない。派閥、階級、年齢の違いはあるが、俺の在籍時は最も階級の近い相手として社交活動で避けられる相手でもなかったからな」
「その派閥違いが問題でしょう。身内以外と親しくするのはバカか裏切り者かです。彼女が、親しくもない相手からの言葉でお家のための婚約者と関係を悪くするとでも?」
「……たしかに、そうだな」
「閣下は、どうやってエルボロー嬢に接触するおつもりだったんですか?」
「ゴーチェ領はエルボロー領のそばだろう。天候などについても共通するところはあるはずだ。話を聞く相手としては十分相応しい」
「弟のデニス令息を紹介されて終わりです」
ミュリエルにはふたつ年下の弟がいた。また、兄もいるがそちらはすでに学院を卒業している。兄の方はロードリックの一つ年上なのでミュリエルと同じような理由でわずかな交流があったが、弟とは在籍期間がかぶっていないので会ったことがなく忘れていた。
学院入学前でも社交活動に参加することはあるが、それは親しい相手や身内だけの会だけで、当然、派閥違いの相手が来るような場に幼く粗相をする可能性のある子供を出すことはない。
「エルボロー家は、順当にいけば長兄カルヴィンが継ぐでしょう。派閥違いの相手だろうとひとまとめに呼ばれるような大きな会は王家主催のものばかりですが、そういったところは当主か後継者のみしか参加出来ません。デニス令息が閣下と交流を持てる場はないんです。それなのに、のこのこ領地のことについて尋ねにいくなんて、いずれ王家に嫁ぐ自分よりも当主を支える補佐官になるため勉強している弟の方がより詳しいと言われるだけです」
歯に衣着せぬ正論に、ロードリックは頭を抱える。カーチャはそれを目の端に捉えるだけで、溜息を吐くことも呆れを見せることもない。
「学院に来てから、閣下の在籍時の評判を調べました。実直な正義漢として生徒会に在籍し、優秀だと尊敬されていたと高評価でした」
「俺にはもったいない評価だ」
「閣下がどう思っていようとどうでもいいです。エルボロー嬢からもそう評価されているということが重要です。実直な正義漢から、今の王太子の振る舞いはどう見えますか?」
「好印象ではないだろうな」
「そうです。とはいえ、閣下は学院を卒業した身であり、王太子派閥でもありません。直接王太子に進言など出来る関係ではないので、その婚約者にどのように対応するつもりか確認しに行く。そちらなら自然なことでしょう。ついでに、あまりにもひどい王太子の態度に、年下のご令嬢が傷ついていないか心配する。それも実直な正義漢としておかしなことではありません」
「……それで、篭絡、か」
「派閥が違い、階級が違い、年齢が違う。であれば、ごく個人的なことで親しくなるしかありません」
「努力しよう」
「大丈夫です。哀れな令嬢を心配して、理不尽な扱いをする相手に共に憤る。嘘を吐く必要もなく、それだけで十分、信頼は得られます」
簡単に言うカーチャに、確かにこれなら王太子も篭絡出来るだろうと、ようやく実感を得たロードリックだった。




