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 ジェシー・ファーガソンは、王太子の従者の少年だ。ファーガソン家は、王家の家臣ではなく、エルボロー公爵家の家臣であるので、本来であればエルボロー家の嫡男の傍に就くはずだった。しかし、ミュリエルが婚約者となった王子が立太子した折に、まだ王太子として足りないところが多い王子のために、ひいてはその王子に苦労させられるミュリエルのために今の地位に納まったという経緯がある。

 なので彼は、王家への忠誠ではなく、エルボロー家への忠誠で働いていた。


「ミュリエルお嬢様は、例の転入生を敵とお定めになったのですか?」

「いいえ、まだよ。王太子殿下の振る舞いについて警戒してらっしゃるけど、まだものの道理が分からないだけの哀れな娘という可能性もあるわ」

「あれでもまだ、ミュリエルお嬢様は情けをおかけになるなんて」

「ええ。お優しいお嬢様のためにも、あなただけは王太子殿下のお傍にいなければいけないわ。わかるわね、ジェシー」

「はい、ジンジャーお姉さま。僕は彼らの監視を欠かしません」


 決意を込めて、ジェシーは宣言する。ミュリエルの侍女として勤める姉に負けないよう、主家の役に立つための宣言だった。

 彼らの言う「王太子殿下」には、侮蔑が込められている。




 朝のその会話を思い出しながら、ジェシーはふたりの世界を作るキースとカーチャの傍に控える。昨晩のキースとミュリエルの出来事は、すでに学内全体に広がっているため彼らを見る目は余計に多くなっているというのに、キースはともかくカーチャまで気にする様子もなくべったりとくっついていた。それに対して、彼らの様子を余すことなく報告するために観察しているジェシーは、カーチャの肝が据わっているのか状況を把握出来るだけの頭がないのか測りかねていた。

 ジェシーは彼らよりいくつか年下だが、キースに近づく様々な女を見てきた経験がある。その女たちは、様々な思惑をもってしてジェシーにも色目を使ったり辛辣に接したりしていた。カーチャにはそれがない。


「殿下。そろそろ授業のお時間です。次はマクラウド嬢とは別の授業ですので、教室にお送りして差し上げてください」

「もうそんな時間か……」

「時間って早いですねぇ、キース様。ね、またお迎えに来てくださいますか? いいですよね?」

「もちろんだよ、カーチャ。すぐに会いに行くから、ちゃんと教室で待っているんだぞ」

「はぁい」


 こういう時、キースに取り入ろうとする女たちは、キースと離れることを嫌がった。授業や公務だと言っても離れたくないと駄々を込ねて、時にはミュリエルがそれを無理に引き離してキースに遠ざけられたりしていた。ジェシーは、ミュリエルの代わりにキースの傍に残る必要があって、そのためキースと離れない女たちを優先したために教師や役人に怒られる役目だった。

 カーチャは違った。ジェシーが一声かければ大人しくキースと離れて授業に向かう。かわいらしくおねだりをしてキースの迎えは望むが、離れたがらないでジェシーに嫌味を言ったりしてこない。酷いときにはジェシーを懐柔すればいいのだと考えた女にしなだれかかれたせいで嫉妬したキースに遠ざけられたことがあることを思えば、格段に扱いやすかった。

 ジェシーには、それが恐ろしかった。

 教室の入り口でキースが見えなくなるまで手を振るカーチャを、キースが背を向けてからこっそりと振り返る。するとそこには、きれいな笑顔の中で目だけが笑っていないカーチャがいた。

 もちろん、今までの女たちもキースに本気で惚れて侍っていた方が少ない。だが、それはキースと一緒にいるときの様子からも察せられた。分かっていないのはキース本人くらいで、だからこそその女たちの目的から弱みを暴いてミュリエルが排除に動けていた。しかし、カーチャはキースが一緒にいるときは完璧にキースに惚れた無垢な少女に見える。なのにキースが見ていないところで見せる冷めた目の理由が分からず、その得体の知れなさがジェシーに警戒を抱かせた。


「殿下は、マクラウド嬢のどこがお好きですか?」

「なんだ、ファーガソン。貴様まさか、カーチャに気があるのか?」

「とんでもないことです。かわいらしいご令嬢とは思いますが、あれほど美しい人は僕では不釣り合いです。殿下のような方こそふさわしいかと思っております」

「そうだろうそうだろう。あれはかわいい女だ。ミュリエルのように気位ばかり高く口うるさくなく、私を立てることを知っている。私を素晴らしいと認める純真さは、貴族の女どもにはないだろう。あの甘やかな声で名を呼ばれるひと時が、私にとって至福の時間だ」


 少し煽てただけで、立て板に水のように惚気が出てくる。冷めた目のカーチャに負けず劣らず形だけの笑顔でそれを聞いていると、やはりカーチャはキースに惚れてはいるのではないかと疑問が沸き上がった。

 キースは単純な性格をしている。褒めて調子に乗らせるなんて、難しいことではない。難しくはないが、一切の邪念なく出来るかというとその限りではなく、さすがにあらゆる思惑にもまれて育ってきた王族であるキースも、一応そういった察知能力はある。惚れていないままでその邪念をここまでキースに悟らせない、となるとその難易度は途端に跳ね上がった。

ジェシーは変わらずカーチャの思惑を一切つかめないでいた。




「キース様、授業で分からないところがあったんです。教えてくれますぅ?」


 授業が終わったカーチャを迎えに行ったキースに、カーチャは使っていた教科書を抱えて少しだけ悲しい顔をして見せた。それについてはキースもジェシーも疑問には思わない。つい最近まで平民で、編入時の試験に合格出来る程度の知識はあっても、授業についていけるわけではないことは知っている。

 キースが特別優秀だということは決してないが、王太子としての最低限はそこらの貴族よりはよっぽど高い。ただの同級生が勉強を教えてくれと言ってくることはないが、授業についていけない年下に教えるくらいはわけない。


「構わないよ、カーチャ。図書館に自習室があるのは知ってるかい? そこで教えてあげよう」

「ありがとうございますぅ! キース様さすがです!」


 普段、キースは勉学において褒められることがない。キースよりも圧倒的にミュリエルが優秀だからだ。学院内でも、キースよりも優秀な者は何人もいる。隣にいるジェシーも、学年こそ違えど常に試験で上位に名を連ねていた。そんな中でカーチャに全力で褒められ、途端にだらしなく顔が緩んでいく。


「私たちはふたりで自習室に入る。窓も大きくない部屋だ、危険はないだろうから護衛はいらん。部屋の外で待機していろ」

「かしこまりました」


 ジェシーと護衛にそう命じて、キースとカーチャは自習室に入っていった。キースが言っていた通り、自習室の中は集中力を保つために最低限の調度のみで、窓も採光と換気のために人が通れないほど小さなものがあるのみ。カーチャの肩を抱いて密室に入っていくキースに不安を覚えないわけではなかったが、キースが言って聞くわけがない。扉が非常に薄く防音性がないことを確認して、仕方なく、ジェシーと護衛は自習室の扉が見えるところでそれぞれの学習をすることにした。

 少し時間をおいて、キースとカーチャにおかしな様子がないと判断してから、ジェシーは護衛に話しかける。護衛とはいえ、それほど年の変わらない学生でもある青年は、不愛想な顔をあげてジェシーに話を促した。


「学習中にすみません、ブリッジズ卿。貴殿はカーチャ・マクラウド嬢についていかにお考えですか?」

「特には。殿下に危険でない人物であれば関与するところではない」

「そうですか。では、これはいざというための僕の保身です。殿下がマクラウド嬢を守るようお命じになっても、必ず殿下の身を優先させてください」

「……あい、わかった。必ず、そうしよう」


 この護衛は名前をイライアス・ブリッジズという。国防を担う騎士団団長の嫡男であるため、学生の身ではあるが本人も根っからの武人気質だった。そこを買われて王太子護衛役についた彼に、一歩間違えば侮辱に等しいことをジェシーは言ったが、それよりもこの頼みに頷かせて確約を得る方が重要だった。これはとてもじゃないがキースの前では離せない内容のため、存外早くイライアスとふたりになれる機会を得たことでジェシーは一端の安寧を得た。

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