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 入学してからずっと、カーチャはキースにべったりだった。キースがカーチャにべったり、とも言い換えられるが、どちらにしてもふたりがふたりの世界を作り続けていることに変わりはない。


「キース様、はい、あーんしてくださいっ」

「あーん。……カーチャが食べさせてくれるごはんはおいしいなぁ」

「うふふっ、ありがとうございまぁす」


 茶番を繰り広げるふたりを、周囲は冷めた目で見る。それも気にせず、キースはカーチャを侍らせて離さなかった。

 だが、もちろんそれに対して行動を起こす者も存在した。


「マクラウド嬢。あなたの態度は淑女として目に余ります。貴族になって日が浅いので振る舞いに戸惑うのでしょうが、今一度、ご自身を顧みてはいかがですか?」


 キースの婚約者、公爵令嬢ミュリエル・エルボローは、授業の関係でキースがカーチャから離れるわずかな時間に、カーチャを人目につかないところへ連れ出す。そして、本人としてはやさしく、その振る舞いに対して忠告をした。

 カーチャも、その慈悲深さに思わず失笑してしまうくらい、婚約者を寝取られそうな令嬢としては格別に甘い対応だった。

 それもこれも、キースの女好きが今に始まったことではないからだ。今までもキースの毒牙にかかった少女はいて、ミュリエルは常にその対応に追われてきた。時には令嬢を諭し、時には平民を逃がし、時には悪女を排除してきた。きっとこれからもそうなのだろう。それが分かっているから、まずは穏便に、相手のためではなく、自身が消耗しすぎないようにカーチャに接する。

 カーチャが、本当に貴族としての振る舞いを知らないだけの、無知で愚かな女だったら、それでもよかっただろう。しかしここにいるのは、ミュリエルが出会ったことのない己自身を憎む女だ。


「な、なんでそんなこと言うんですかぁ……ひどいっ、エルボロー様はあたしが貴族じゃないっていうんですね!」


 全力で被害者ぶって、カーチャはミュリエルが呼び止めるのも聞かずにそこから駆け出した。向かう先は、当然キースの元だ。

 しかし、そこでは何があったのかを、キースに訴えない。悲しげな顔をして、口数を少なく、何があったか聞かれても微笑んで首を振るだけで、ひとり辛さをこらえる健気な少女。それをカーチャに夢中なキースが、見過ごすわけがなかった。




 キースはその日の夜、寮の門限よりも少しだけ早い時間にミュリエルを二寮の間にある小さな広場に呼び出した。

 夕食の時間も過ぎて、ほとんどの生徒が自室に帰っているような時間に、王太子が婚約者を呼び出す。それだけであればロマンチックな逢瀬を連想するだろうが、生徒の誰もが現在キースの寵愛を受けている女性がミュリエルではないと知っている中では針の筵にも等しかった。

 広場そのものが完全にふたりきりの場所だったが、きっと明日の朝には様々なうわさが飛び交っているのだろうと思いながら、ミュリエルはキースと対峙する。


「ミュリエル……貴様、カーチャに何を言った?」


 キースは、カーチャに見せる優男の顔をガラリと変えて、ミュリエルを悪だと決めつけた態度をとった。それは非常に不愉快な態度だったが、ミュリエルは努めて平静に、その不快感を顔に出さない術を心得ている。当然それは、貴族令嬢として身に着けているべきものだったが、ミュリエルに限って言えば、キースのせいで完璧に身についたものでもあった。

 それでも、わずかな溜息はこぼれてしまう。


「キース殿下。わたくしは殿下の交友を咎めたことはございません。どのような方と親しくされようと、それは殿下の自由です。しかし、同時に殿下は王族であらせられますので、臣下に見せる態度についてもご一考いただく必要がございます。それは、マクラウド嬢に関しても同じことです。貴族の娘として、ふさわしい態度さえとってくださるのであれば、わたくしも言及する必要はないのです」

「では、それを私に言わず、カーチャに、しかも呼び出してふたりきりになって言う必要はあったか? 悪意を持っていなかったと言えるのか!」

「もちろんにございます」

「嘘を吐くな!」


 当然、ミュリエルは嘘など吐いていなかった。キースが端から彼女を否定するつもりで来ていたせいで、そもそも、悪意を持って攻撃されたのだとカーチャが態度で訴えたせいで、その矜持は一切の意味を持たなかったが。

 話の通じない相手に、今度こそミュリエルはキースに伝わってしまうほどの溜息を吐いてしまう。その態度に、キースはいよいよ顔を真っ赤にして怒った。


「なんだその態度は! 私のカーチャへの暴言を反省するでもなくふてくされるとは、貴様こそ貴族令嬢にあるまじき態度ではないかっ」


 頭に血を上らせて、キースはそのまましばらくミュリエルを罵り続ける。時には唾を飛ばして、息を切らせながらよく回る口で的外れなことを喚きたてた。

 ミュリエルはそれを、じっと耐える。

 幼いころからこうだった。気に入らないことがあれば癇癪を起し、相手を気のすむまで罵倒しなければ収まらないキース。その標的になるのは、使用人のほかではミュリエルが一番多い。今では、口で喚くだけで暴力を振るわないだけマシだと諦められている。

 意味のないそれを、ミュリエルは右から左に聞き流しながら、明日からの行動について考えた。ここまで怒らせては、明日からは警戒されてカーチャには近づけなくなるだろう。それどころか、キースのそばにもしばらく寄れないようになる。しかし、キースとカーチャの態度は速やかに改め避けなければ、学院の風紀に関わる問題に発展することは、火を見るより明らかだった。ミュリエルの代わりに行動するものが必要だ。


「分かったな、ミュリエル! 貴様は金輪際、カーチャに近づくことを禁ずる! しばらくその顔をみせるな!」


 予想通り、期限さえ決められずに彼らへの接近を禁じられた。王太子の婚約者が、王太子本人との交流を絶たれる。それが如何に危険なことなのか、キースはまったく気づいていない。


「困った人ですね。わたくしがいなければ、王族でいられるかすら怪しい分際で……」


 三度目の溜息を吐いて、ミュリエルは寮に戻った。向かう先は自室ではなく、その隣の部屋。


「遅くにごめんなさい、ジンジャー。少しだけよろしいかしら?」

「はい、ミュリエル様」


 そこにいるのは、ミュリエルの侍女である子爵令嬢ジンジャー・ファーガソン。その部屋に入って、ミュリエルは出してもらったお茶で一息ついてから、簡潔に用件を伝えた。


「あなたの弟に伝言をお願いします。いつも通りに、と」

「かしこまりました。お任せくださいませ」

「頼もしい言葉です。毎回、手間をかけさせてごめんなさい」

「そんな……どうかお気になさらないでください。ミュリエル様はなにも悪いことはされていないじゃありませんか」


 個人の部屋の中とはいえ、王族を非難する言葉を言えるわけがない。ただそれは、直接的でなければ良いわけで、ジンジャーの言葉は誰がどう聞いてもキースを非難していた。それを聞いて、ようやくミュリエルは肩から力を抜く。


「いけませんね、あなたにそんなことを言わせて喜ぶなんて。ジンジャー、またしばらくの辛抱です。がんばりましょう」

「はい、ミュリエル様。お支え致します」

「ええ、ありがとう」


 己の立場にふさわしい正しい態度とはこういうものだ。それを感じて、ミュリエルは己の価値観に揺らぎがないことを再確認した。


 学院とは貴族の子弟が集まっている社交界の縮図であり、ここでの力関係が将来にも大いに影響する。学院の風紀が乱れるということは将来の国が乱れるということだ。

 ミュリエルは、今はまだカーチャを見定めている最中である。そのため本日の出来事など、波乱の前触れでしかなかった。

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