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月夜に始まる悪だくみ

 ゴーチェ伯爵領には、数年間領主がいなかった。以前の領主が亡くなった後、後継者もいなかったため国の管理に収まっていたのだ。

 酷い領主に治められているほどの搾取はなく、懸命な領主が治めているほどの発展もない数年間を終え、ついに新しい領主がやって来たのがこの日だった。

 町の大通りを、新しい領主の一団が進んでいく。歴史のありそうな重厚な馬車の周りを多くの馬と騎士が囲み、その後ろに荷物と使用人を乗せた少しだけ質素な、それでも平民からしてみればよっぽど造りのいい馬車が続いた。

 住民たちは何も言われずとも全員が新しい領主を一目でも見ようと大通りに集まったが、領主は結局、大通りの一番奥にある領主館に入るまで馬車の窓に厚いカーテンを閉めたままでいた。

 その住民の中の一人として見ていたカーチャは、領主の乗る馬車に飾られた家紋を確認すると、誰よりも先に家に帰る。待ちに待ったこの時がやって来たのだ。


 カーチャは田舎娘にしては頭が良かった。そのせいで父には疎まれていたが、優しい母と愛らしい弟妹のおかげで、大きな不満も不自由もなく育った。

カーチャが復讐に駆られたのは、家族が殺された後からだった。


 凄惨な光景だった。

 父は首を切り飛ばされ、机にぶつかって倒れていた。隣の部屋では、母が妹を抱き込んで一緒に刺し貫かれていた。弟は、母と妹を守ろうとしたのか、両手を広げたまま袈裟切りにされていた。

 血まみれの部屋を見たカーチャは、一目散にそこから逃げ出した。最低限の物を握りしめて、まだ近くにいるかもしれない犯人の目を避け、森の中を進んだ。

 使用人に気づかれず家族だけを狙って殺した犯人だ。きっと自分のことも探しているだろうと、誰も連れず、ひとりきりの真っ暗な森の中で犯人に対する憎悪を育てた。


 ゴーチェ領にやって来た新しい領主は、カーチャの復讐のための足掛かりに最も相応しい人物、ロードリック・ライリー侯爵。

 カーチャは、何年も前から彼に目をつけていた。そして、ロードリックが貴族子弟であれば必ず通う中央学院を一年前に卒業した際に、最優等の称号を得た報奨としてゴーチェ伯爵位を賜ったと聞いてから、この日を待ち侘びていた。

 年若いロードリックが、まだ学院にも入学する前の幼いころに先代侯爵夫妻を亡くしてその地位を継いだことも有名だ。だからカーチャも、学院を卒業したロードリックが、まずは先祖伝来の大事な土地だろうライリー領を治めるために数年はゴーチェ領を訪れないだろうとは覚悟していた。

 実際は、ロードリックがやって来たのは待ち侘びてから一年後。こんなにも早くに相見えた幸運に、これ以上の辛抱も出来ない気持ちだった。


「ロードリック・ライリー侯爵閣下。ゴーチェ伯爵位継承おめでとうございます。望外の喜びにて、不躾にもこのような夜半にお目にかかりに参りましたこと、お許しくださいませ」


 月も頭上に輝く真夜中。カーチャは忍び込んだ領主館の庭で、寝室のベランダに出てきたロードリックに向けて綺麗なカーテシーと共にそう挨拶をしている。

 もちろん、ロードリックは不法侵入者であるカーチャに厳しい目を向けて、今にも衛兵を呼ぼうとしていた。まだ呼んでいないのは、カーチャが誰の目にも明らかな非力な女であり、自身が月を背に負ったまま庭と二階のベランダの距離では害される可能性が限りなく低いためだ。


「本日はお祝いと共にご提案に参りました。侯爵閣下。私と一緒に、憎い者たちに復讐しませんか?」

「憎い者たち、とは?」

「閣下のご両親を殺した者。私の家族を殺した者。それらに指示を下した者たち。私とあなたには、それらが共通しています」

「興味深い話だな。詳しく聞きたい。正面玄関を開けるので入ってこい」


 言い置いて部屋の中に戻っていくロードリックに再び深く頭を下げて、カーチャは迷わず彼の言う正面玄関に向かった。




 玄関ホールには誰もいなかった。なのでしばらく待っていると、ロードリックが直々にカーチャを出迎えに来た。


「こちらへ」


 言われるがまま扉の奥についていく。

 廊下にある燭台には蝋燭すら建てられていない。光源は、窓から差し込む月明かりとロードリックが手に持っている蝋燭のみ。それで無防備にもカーチャに背中を晒しているのだから、ついついその余裕を鼻で笑ってしまった。


「せめてホールに騎士でも配置したらいかがですか」

「引っ越し当日故、使用人たちはみな休ませている。門扉には門番を置いているのだから十分だろう」

「私のような侵入者を許しておいて?」

「もちろんだとも。俺が気づいたじゃないか」


 ロードリックの言う通り、彼がカーチャを認めた瞬間に衛兵を呼んでいたらおしまいだった。カーチャは今回の負けを認めて、口を閉じることにした。

 案内されたのは、ロードリックの執務室、その前室だ。本来であれば補佐官に当たる人物のための部屋だが、ロードリックの補佐官はライリー領の統治のために置いてきたので、今はひとまず客間として使えるようにしている。


「出せるものと言ったら酒くらいだが」

「生憎まだ酒を飲める年ではありませんので」

「そんなことを気にしているやつがいるのか。驚きだな」

「ええ、気にしております。酒は、頭を鈍らせるので」

「なるほど」


 品よくソファに腰かけ目を伏せるカーチャを見て、ロードリックも取り出したワインボトルを元の棚にしまった。

 彼がカーチャの向かい側のソファに座ると、また少し、空気が変わる。


「それで、俺やお前に共通する憎い者たち、だったか」


 質のいいソファだったが、騎士としても良く鍛えているロードリックが大きな体を屈めて腿の上に肘をつくと、わずかに軋んだ音を立てた。

 ロードリックに顔を覗き込まれたカーチャは、薄く微笑んで彼に余裕を見せつける。


「閣下は、ご両親がなぜ殺されなければならなかったのか、ご存じで?」

「当然だろう」

「では、一体なぜ、その原因となった者たちが、今ものうのうと生きているのでしょう」

「……貴様の憎む者を生かしていることを責めたいのなら、お門違いも甚だしい」

「あら失礼しました。私はただ、閣下が復讐する気概があるかを確認したかっただけです。その気もない方に、これよりもっと先の話など、出来ませんから」


 今回の挑発は、とてもよくロードリックに響いた。凶悪な顔で笑って、強い炎を宿した目でカーチャを睨む。カーチャもそれに応えて、美しい笑みを深めた。


「気概は十分、のようで喜ばしい限りです」


 もちろんカーチャは、ロードリックが両親を殺された恨みを忘れていないことを知っていた。ゴーチェ領を王に願ったのも、そのための一手なのだから。

 しかしそれはそれとして、ロードリックは公明正大な男だとも有名だった。不正や理不尽を強く憎み、学院では敵も味方も多く作った、と。

 であれば、カーチャの望む復讐には協力してくれない可能性もあった。真っ当な、犯罪の告発だけを行って、その後の相手の処遇については裁判所や王室に丸投げをする、つまらない復讐しかするつもりのない男。カーチャの言う、気概のない男だ。


「閣下。私は、なにも奴らを皆殺しにしようというわけではありません。彼らには、惨めな生涯を出来るだけ長く続けてもらわなければなりませんから」

「では、その惨めな生涯のため、没落を叶えられる計画があるのだな?」

「左様です。つきましては、閣下? 私を学院に入学させることは可能でして?」


 尋ねたとたん、ロードリックは勢いよく立ち上がった。そして、先ほど酒を持ち出した棚から、また別の酒瓶と、細かな細工のグラスをふたり分持ち出す。


「まずは乾杯をしよう。飲まずともいい。だが、乾杯だ。奴らの不幸の前祝だ」

「では、お言葉に甘えて」


「「乾杯」」

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