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第九話『道具との契約』


ガルトの執務室の空気は、死んでいた。


蝋燭の炎だけが、まるで生きているかのように、ゆらゆらと揺れている。

床に散らばる、木の屑。

俺の、最初の設計図だったもの。


目の前の男――ガルト――の瞳には、純粋な「殺意」だけが宿っていた。

昆虫を解剖する前の、無感情な眼差し。


俺のシステムは、生存確率を、弾き出す。

3.7%。

絶望的な数字。


だが恐怖はない。

恐怖は思考を鈍らせる、最も危険なノイズだ。

俺はただ、目の前の「システム」を分析する。

この男のOSを。

その行動原理を。


ガルトはゆっくりと椅子から立ち上がった。

その巨体が、俺の前に、影を落とす。



「……鼠は、黙っているのが一番、可愛いと思うのだがな」



その声は、静かだった。

だが、その静けさこそが、彼の絶対的な自信の、現れだった。


俺はその圧倒的な殺意を前に、初めて口を開いた。

命乞いでも、泣き言でもない。

ただ静かに、そして不遜に、目の前の怪物の「ビジネスモデル」を解剖してみせる。



「――看守長。あなたの本当の利益は、公式な鉱石の産出量ではない。

病死、あるいは事故死した奴隷の数を領主へ過少に報告し、その水増しされた分の食料を闇市場へ横流しする、その『差額』でしょう?」



その、瞬間だった。

ガルトの、あの鉄のような仮面が初めて、ピクリと動いた。

激昂ではない。

驚愕だ。


自らの聖域。

誰にも明かしたことのない、金の成る木。


そのシステムのど真ん中を、目の前の死にかけの奴隷に完璧に言い当てられたことへの、冷たい驚愕。

彼の純粋な「殺意」に、初めて、「興味」という名の不純物が混じった。



「……貴様」



ガルトの声が低く唸る。



「どこで、それを」



俺は、畳み掛ける。

彼の思考を先読みし、彼が最も聞きたいはずの「未来の利益」を数字として具体的に、しかし悪魔のように囁く。



「俺を殺せば、あなたのその裏の利益は現状維持。せいぜい、年に金貨数枚の儲けでしょう。だが、俺を生かせば?」



俺は一歩、前に出た。



「俺の知識を使えば、この谷の公式な生産性は今の十倍以上に跳ね上がる。そうなれば、どうです?

あなたは領主アークライトから、史上最高の利益を上げた最も有能な管理者として絶大な評価を得るでしょう。

それは、あなたに更なる権力と自由をもたらす」



俺は一度、言葉を切った。

そしてさらに声を潜める。



「そして、ここからが本当の『蜜』です。

公式なパイが十倍に膨れ上がれば、あなたがその中からほんの数パーセントを横領したとしても…

それは、今あなたが手にしている裏の利益の何倍もの額になる。しかも、誰にも、気づかれずに」



ガルトの顔に、影が落ちた。

彼の内なる天秤が、激しく揺れ動いているのが見て取れた。


この生意気な鼠を今すぐ八つ裂きにしたい、という純粋なサディズム。

そして、この鼠を使えば、俺は想像を絶する富と権力を手にできるかもしれない、という底なしの貪欲。

その二つの感情が、彼の醜い顔の上で、恐ろしい葛藤の模様を描き出していた。


俺は、最後の一押しを仕掛けた。

彼に選択を迫る。

それは、生きるか死ぬか、ではない。

快楽か、帝国か、だ。



「さあ、選んでください、看守長。

壁に飾られたその鞭で俺を打つ一瞬の快楽か。

それとも、俺という『道具』を使って、表では名誉と権力、裏ではその何倍もの実利、その両方を手に入れるあなたの新しい帝国か」


長い、沈黙。


やがて、ガルトは喉の奥で、くつくつと笑い始めた。

それは、心底愉快だという笑い声だった。


彼は「貪欲」を選んだのだ。

だが、その瞳に宿っていたのは金銭欲だけではなかった。


鞭で、肉を裂くよりも。

この傲慢な天才の魂そのものを自らの掌の上で転がし、その知性が自分のためだけに奉仕する様を永遠に眺め続けるという。

より高度で、より知的な「サディズム」の、昏い光だった。


彼は、椅子に再び腰を下ろした。

そして、ガラスケースの中の蟻たちを眺めながら、誰に言うでもなく、呟く。



「――面白い玩具を、手に入れた」



その言葉が、俺たちの新しい「契約」の成立を告げるゴングとなった。

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