第八十一話『泥の崩落と、魔女の過労』
レールを剥がし、前に敷く。
退路を断った「自転車操業」の行軍は、狂気じみた速度で進んでいた。
「……うぅ……。最悪よ……」
最後尾の車両――「移動工作車」の中で、魔女リーナが呻いていた。
彼女は白衣を泥だらけにしながら、採取された土壌サンプルの分析をさせられていたのだ。
「……なんで私がこんな泥まみれの行軍に付き合わなきゃいけないのよ!
私の仕事は『農業』でしょう!?」
「……諦めろ、リーナ」
運転台から戻ってきたゼニスが、水を飲みながら告げた。
「……この先は未知の鉱脈だ。
石炭の純度、岩塩の成分、そして未知の鉱石……。
現場で即座に『化学分析』できる人間は、お前しかいない」
「……ぶぅ。……特別手当、弾みなさいよ」
リーナは文句を言いながらも、試験管を振る手は止めていなかった。
彼女もまた、このチームの一員として、逃げ場のない旅路を共有していた。
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先頭車両付近。
建設作業は続いていた。
「……次の岩盤だ! エリス、頼む!」
「……は、はい……!」
エリスがよろめきながら岩に触れる。
彼女へのオーダーは、「砂」ではない。鉄道の路盤として最適な、「砕石」への分解だ。
砂では雨で流れる。だが、大きすぎてもレールは敷けない。
絶妙なサイズへのコントロールが、彼女の精神を削り取っていく。
「……あと、少し……。
この崖さえ越えれば……」
エリスの視界が霞む。
彼女の魔力は、自身の生命力を削って捻出されている。
補充するための「カロリー(砂糖)」は摂取しているが、肉体的な疲労は誤魔化せない。
「……聖女様、顔色が……」
マルコが心配そうに声をかけた、その時だった。
「……あ……」
エリスの膝が折れた。
糸が切れた人形のように、泥の中に倒れ込む。
「……エリスッ!?」
ゼニスが駆け寄る。
意識はあるが、目が虚ろだ。完全なガス欠。
「……も、申し訳……ありませ……。
少し……休憩すれば……」
「……馬鹿野郎。限界なら言え」
ゼニスはエリスを抱き上げ、貨車のテントへと運ばせた。
だが、本当の悪夢はここからだった。
ポツリ。
冷たい雫が、ゼニスの頬を打った。
「……雨か?」
見上げれば、鉛色の雲が山脈を覆い尽くしている。
遠くで雷鳴が轟いた。
「……おい、まずいぞ!」
ロイドが叫んだ。
「……ここは『切り通し』だ!
まだ地盤が固まりきってねぇ場所に、この雨量が来たら……!」
ザアァァァァァッ!!
天が裂けたような豪雨が、瞬く間に荒野を叩きつけた。
エリスが作り出した砕石の隙間を、大量の水が走り抜ける。
そして、その下にある軟弱な地盤が、水分を含んで限界を迎えた。
液状化現象。
「……退避だ!
機関車を岩盤の上までバックさせろ!」
ゼニスが指示を飛ばす。
だが、遅かった。
ゴゴゴゴゴゴ……。
不吉な地鳴り。
切り拓いた崖の上部、まだエリスが処理しきれていなかった巨岩と土砂が、雨の重みに耐えきれず、ゆっくりと滑り出したのだ。
「……崩れるぞォォォ!!」
ドサササササッ!!
土石流が、建設中の線路へと雪崩れ込む。
泥の濁流が、マルコたち作業員を飲み込もうと襲いかかる。
「……うわぁぁぁ!?」
逃げ遅れた作業員の一人が、泥流に足をすくわれた。
その上から、巨大な岩が転がり落ちてくる。
「……しまっ……!」
誰もが、死を覚悟した。
聖女は倒れた。奇跡は起きない。
物理的な質量が、人間を押し潰す。
だが。
ガギィィィン!!
轟音と共に、落下してきた巨岩の軌道が、不自然に逸れた。
「……ぬんッ!!」
泥流の中で、一人の男が、一本の鉄骨(予備のレール)を岩の隙間に突き刺し、テコのように構えていた。
露出した硬い「岩盤」の上に仁王立ちになり、足を踏ん張り、全身の筋肉を鋼のように隆起させている。
カエルだ。
「……カエルさん!?」
「……ぐ、ぬぅぅぅ……!
早く逃げろッ! 害虫どもッ!」
カエルは、岩を支えているのではない。
テコの原理を利用し、落下エネルギーのベクトルを、ほんの数センチだけ横にずらしていたのだ。
だが、その数センチが、作業員たちの頭上を回避する「生存空間」を作り出した。
「……ゼニス様の『道』を……。
こんな泥んこ遊びで……塞がせてたまるかァァッ!!」
カエルの咆哮。
鉄骨が悲鳴を上げ、ひしゃげる。
だが、作業員たちが逃げる「数秒」は稼いだ。
「……急げ! カエルが潰れるぞ!」
マルコたちが、泥に飲まれた仲間を引きずり出し、安全地帯へと退避する。
全員が逃げ切ったのを確認すると、カエルはニヤリと笑い、鉄骨を捨てて横っ飛びに回避した。
ズズゥゥン!!
巨岩が落下し、作りかけのレールを粉砕する。
だが、命は助かった。
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雨は、夜通し降り続いた。
岩陰で雨宿りをする一行の雰囲気は、最悪だった。
「……レールが、埋まっちまった」
ロイドが、泥に沈んだ線路を見て呻く。
「……エリスが倒れ、道は塞がり、天気はこれだ。
……『詰み』かけだな」
テントの中で、意識を取り戻したエリスが、自分を責めて泣いていた。
「……ごめんなさい……。
わたくしが……もっと頑張っていれば……」
「……違う」
泥だらけになって戻ってきたカエルが、エリスの頭にタオルを投げつけた。
「……お前のせいじゃねぇ。
『システム』の欠陥だ」
カエルは、ゼニスの方を向いた。
「……ゼニス様。
俺たちは、この『重機』に頼りすぎていました」
カエルは、自分の腫れ上がった腕をさすった。
「……魔法は便利です。
ですが、魔法使いが倒れれば、全てが止まる。
……そんな脆いシステムで、この山を越えられるはずがありません」
ゼニスは、カエルの言葉を噛み締め、頷いた。
「……その通りだ」
その時。
工作車から戻ってきたリーナが、エリスの横に座り込んだ。
彼女はエリスの手首を取り、魔力の脈を診る。
「……馬鹿ね。完全にオーバーヒートよ」
リーナは呆れたように、しかしどこか自嘲気味に言った。
「……『昔の私』と同じ。
自分の限界も知らずに、気合だけで絞り出そうとして……。
これじゃあ、魔力回路が焼き切れちゃうわ」
「……リーナ、さん……」
「……飲みなさい」
リーナは、水筒をエリスの口元に押し当てた。
中身は、彼女が調合した特製の「高濃度ブドウ糖液」だ。
「……不味いけど、効くわよ。
……魔力使いはね、万能じゃないの。
私たちだって『燃料』がなきゃ動けない、ただの人間なんだから」
「……うぅ……」
エリスが、涙を流しながら液体を飲む。
同じ痛みを知る者だけがかけられる、不器用な優しさだった。
リーナはゼニスを睨みつけた。
「……聞いたでしょ、ゼニス。
カエルの言う通りよ。これ以上、この子一人に背負わせるのは無理だわ。
……負荷分散しなさい」
「……ああ」
ゼニスは、全員を見渡した。
「……俺は焦っていた。
『塩』というタイムリミットに追われ、エリスという『一点豪華なリソース』に負荷を集中させすぎた」
特定個人への依存(属人化)。
それは、システム管理において最も避けるべきリスクだ。
「……修正する」
ゼニスは宣言した。
「……エリス。お前はもう、一人で岩を砕くな」
「……え? でも……」
「……お前の仕事は『きっかけ』を作ることだ。
岩に亀裂を入れるだけでいい。
そこから先は……カエルたちの『筋肉』と、ロイドの『火薬』でやる」
ゼニスは、工作車の方を向いた。
「……ロイド。古戦場で拾った『砲弾』があったな?
この雨だ、湿気てないか?」
「……問題ねぇ。弾薬箱の防水は完璧だ」
ロイドが即答する。
「……だが、古いから成分が分離してやがる。このままじゃ不発だ」
「……リーナ。『再生』は済んでいるな?」
「……ええ。とっくに終わってるわよ」
リーナが、白衣のポケットから精製された火薬の瓶を取り出して見せた。
「……遠心分離で不純物を除いて、再結晶化させたわ。
ゴミ同然の火薬を、新品同様の爆薬に蘇らせてあげたんだから、感謝しなさいよね」
「……へっ。仕事が早ぇな、魔女様は」
魔法と、科学と、肉体。
それぞれの負担を減らし、連携することで、持続可能なシステムへと再構築する。
「……雨が止んだら、再開だ。
埋まったレールは掘り出せばいい。
……まだ、終わっちゃいない」
翌朝。
雨上がりの空の下、作業は再開された。
速度は落ちた。だが、もう誰も倒れない。
泥にまみれながら、彼らは確実に、一歩ずつ進んでいく。
そして。
ついに、その「壁」が姿を現した。
「……おい、見ろよ」
霧が晴れた先に、天を突くような絶壁がそびえ立っていた。
北の山脈。その入り口。
「……ここを、登るのかよ……?」
見上げるほどの急勾配。
車輪では絶対に登れない、物理的な拒絶。
「……滑るな」
ロイドが呟く。
「……鉄の車輪じゃ、空転して登れねぇ。
摩擦係数が足りねぇよ」
「……ああ」
ゼニスは、懐から新たな設計図を取り出した。
「……滑るなら、『噛み合わせ』ればいい」
ゼニスは、レールの真ん中に描かれた、「ギザギザの線」を指差した。
「……『ラック式鉄道(アプト式)』だ。
レールと車輪に『歯』をつけ、大地に噛み付いて登る」
「……だが、ゼニス」
ロイドが図面を見て呻く。
「……ラックレールなんて特殊なもん、予備なんかねぇぞ。
普通のレールを作るのでさえカツカツなのに……」
「……後ろのレールを剥がせ」
ゼニスは即答した。
「……剥がしたレールを炉で熱して柔らかくし、
工作車のプレス機で『型押し』して、歯車状に変形させる。
……切断するより早くて確実だ」
その言葉に、ギデオンが顔色を変えて食ってかかった。
「……ま、待てゼニス! レールを剥がすってことは……!
『川(水)』にも『森(燃料)』にも、戻れなくなるってことだぞ!?
蒸気機関車は、水と石炭がなけりゃただの鉄屑だ!
補給路を断って、山の中で燃料が尽きたら……俺たちは干からびて全滅だ!」
「……ああ、そうだ」
ゼニスは、仲間の動揺を真っ向から受け止めた。
「……だから、今ここで『満載』にする。
炭水車はもちろん、貨車の隙間、運転席の足元……。
積める場所全てに、水と木炭を詰め込め」
ゼニスは、見上げるような山脈を指差した。
「……次に水が得られるのは、山頂の『雪解け水』か、坑道の『地下水』だ。
それまで保たせろ」
「……完全な、片道切符かよ」
ロイドが苦笑し、ハンマーを握り直した。
「……加工の手間を労働力で補い、退路を断って背水の陣、か。
……鬼だな、アンタは」
「……生きるためだ」
ゼニスは運転台に乗り込んだ。
もはや、戻る道はない。
最後の難所。
重力と、そして枯渇するリソースとの戦いが、始まろうとしていた。




