第八十話『渡河作戦と、トラスの橋』
古戦場での「鉄の収穫」を終え、アイアン・ホースは再び走り出した。
貨車には、戦車の装甲板を圧延して作った、大量のレールと鉄骨が積まれている。
燃料となる木炭も、呪われた森を伐採して十分に確保した。
「……順調だ。このペースなら、予定より早く山脈に……」
CFOギデオンが皮算用を始めた、その時だった。
キィィィィィン……ガコン。
列車が、唐突に停止した。
ゼニスが運転台から身を乗り出す。
視線の先、進行方向を遮るように、轟音を立てて流れる「大河」があった。
「……橋が、落ちている」
ゼニスが呟く。
かつてそこにあったはずの石造りの橋は、中央から無惨に崩落し、激流に飲まれていた。
断面は新しい。自然崩落ではない。
「……やられたな」
監視者グレイが、舌打ちをする。
「……教会派か、周辺領主か……。
奴ら、『封鎖』の徹底のために、国境へ続く橋を片っ端から落としていたのか。
……我々を完全に干殺しにする気だぞ」
彼らは、鉄道のことなど知る由もない。
ただ、アークライト領からネズミ一匹逃がさぬよう、物理的な道を全て断ったのだ。
その「殺意」の高さが、今、ゼニスたちの道を塞いでいる。
「……クソッ!ここで足止めかよ!」
ロイドが帽子を叩きつける。
「……川幅は50メートル。深さは不明だが、この激流だ。
迂回するにも、上流まで何十キロあるか分からねぇ。
……レールを敷いて回る『鉄』も『時間』も足りねぇぞ!」
迂回は不可能。
ならば、渡るしかない。
「……橋を架けるぞ」
ゼニスは即断した。
「……はぁ!?
ゼニス、お前この川を見て言ってるのか!?」
ロイドが川を指差す。
「……この激流だぞ!杭を打とうにも流される!
石橋を作るには数ヶ月かかるし、今の俺たちには『セメント』がねぇ!
鉄はあるが……鉄だけで50メートルの橋を作るにしても、支える『橋脚』がなけりゃ自重で折れるぞ!」
物理的な詰み。
橋脚を作るには、川の流れをせき止める大規模な工事が必要だ。
そんな時間も資材もない。
「……ロイド。
『重い橋』を架けるから、橋脚が必要になる」
ゼニスは、地面に図面を描いた。
それは、三角形を組み合わせた、幾何学的な模様だった。
「……『トラス構造』だ」
「……トラス?」
「……三角形は、変形しにくい最強の図形だ。
これを連結し、荷重を分散させる。
……そうすれば、無駄な鉄を使わず、驚くほど軽く、強靭な橋が作れる」
ゼニスは、ロイドの目を見た。
「……お前の技術なら、規格化された鉄骨をボルトで組み上げるだけで、短期間で『橋桁』は完成するはずだ」
「……なるほど、スカスカの骨組み(スケルトン)か……。
理屈は分かる。分かるが……!」
ロイドは、激流を指差した。
「……いくら軽くても、50メートルを一跨ぎは無理だ!
せめて真ん中に一本……川のど真ん中に『橋脚』を置くための『土台』がなけりゃ、支えきれねぇ!」
問題は、やはり「基礎」だった。
激流の底は厚いヘドロに覆われ、どこに岩盤があるかも分からない。
杭を打とうにも、足場すら組めない。
「……土台なら、あるはずだ」
ゼニスは、地質図を広げた。
「……この辺りの川底には、硬い岩脈が走っている。
だが、長年の堆積物がそれを覆い隠し、泥の沼にしているんだ」
ゼニスは、後ろを振り返った。
「……エリス」
作業服の裾をまくったエリスが、前に出る。
彼女は、轟音を立てる川面をじっと見つめていた。
「……できますか、聖女様」
「……やってみます」
エリスは、川岸に立った。
彼女の能力は「エントロピーの増大」。時間を加速させ、風化させる力。
創造はできない。だが、「掃除」ならできる。
「……川底の泥を、風化させろ。
ヘドロを塵に変え、水に流せ。……隠された『岩盤』を露出させるんだ」
「……はい!」
エリスが、川に向けて両手をかざす。
魔力が奔流となって、水底へと潜る。
「……土に還りなさい」
ゴゴゴゴゴゴ……!!
川底が振動する。
堆積していた厚さ数メートルのヘドロが、一瞬で乾燥し、砂となり、激流に洗われて消え失せる。
そして、濁流の中から、黒々とした「岩の背」が姿を現した。
「……出たッ!!」
マルコたちが歓声を上げる。
川のど真ん中に、天然の強固な「基礎」が出現した。
「……はぁ、はぁ……」
エリスが膝をつく。
顔色は悪いが、その目は達成感に輝いている。
「……できました……!」
「……上出来だ」
ゼニスは、ロイドの背中を叩いた。
「……最高の土台だ。あとは『鉄』の出番だ」
「……へッ!お膳立てされちゃあ、やるしかねぇな!」
ロイドが吠える。
「……総員、鉄骨を組め!
トラスだ!三角形を作れ!
……だが急げよ!塩が尽きるまで時間がねぇ!
三日だ!三日三晩、不眠不休で組み上げるぞ!!」
「「「オオオオッ!!」」」
地獄の突貫工事が始まった。
昼夜を問わず、ハンマーの音とボルトを締める音が響き渡る。
松明の明かりの下、労働者たちは泥と油にまみれ、限界を超えて鉄骨を繋いでいく。
「……おい、鉄骨が足りねぇぞ!」
「……予備のレールを持ってこい!溶かして加工しろ!」
二日目の夜、ついに資材が底をつきかけた。
ロイドは決断する。
「……この先に使うはずだった『予備レール』も全部突っ込め!
ここで橋が架からなきゃ、先もクソもねぇんだ!」
未来の蓄えを食いつぶし、現在の道を作る。
まさに背水の陣。
そして、三日目の朝。
二つの鉄の腕が、川の中央――エリスが露出させた岩盤の上で、ガッチリと握手をした。
最後のボルトを、ロイドが巨大なレンチで、全身全霊を込めて締め上げる。
ギギッ……カチン!
「……完成だ!!」
朝日を浴びて輝く、赤錆色(スクラップ製だからだ)のトラス橋。
無骨で、スカスカで、しかし見るからに強靭な「幾何学の美」。
労働者たちは、歓声を上げる気力もなく、その場にへたり込んだ。
「……美しい……」
ルナが、そのシルエットに見惚れる。
神殿のような荘厳さはない。だが、人間の知恵と執念が自然を克服した証がそこにあった。
「……渡るぞ」
ゼニスが機関車に乗り込む。
全員が、緊張で息を呑む。
理論上は完璧だ。だが、本当にこの鉄の塊を支えられるのか?
「……信じろ」
ゼニスは、圧力計を確認した。
「……俺たちの『計算』と、ロイドの『技術』と、エリスの『魔法』を」
汽笛一声。
アイアン・ホースが、ゆっくりと橋へと進む。
ギシッ……。
橋が軋む。
マルコが目を瞑る。
だが、トラス構造は、機関車の数十トンの重量を、無数の三角形へと分散させ、柳のように受け流した。
崩落はない。揺らぎさえない。
ゴトン、ゴトン。
列車は、空を飛ぶように川を渡りきった。
「……渡ったァァァァッ!!」
対岸に着いた瞬間、爆発的な歓声が上がった。
労働者たちが抱き合い、帽子を投げる。
「……やったな、ゼニス」
ギデオンが、安堵のため息をつく。
「……これで、最大の難所は越えた。
あとは……山を登るだけだ」
だが、ゼニスは地図を見据えたまま、気を緩めなかった。
「……いや。
本当の『壁』は、ここからだ」
川を越えた先。
そこには、空を塞ぐようにそびえ立つ、北の山脈が待っていた。
その勾配は、通常の車輪では絶対に登れない「絶壁」だ。
「……ロイド。予備のレールは残っているか?」
「……あ?いや、橋にするために全部溶かしちまったぞ」
ロイドが首を振る。
「……そうか」
ゼニスは、険しい山を見上げた。
「……この先の急勾配を登るには、特殊な『歯車付きレール(ラックレール)』が必要だ。
……だが、それを作る鉄は、もうない」
「……なっ!?
じゃあどうするんだ!先に進めねぇぞ!」
「……現地調達だ」
ゼニスは、列車の進行方向、山の中腹を指差した。
「……あそこに『廃鉱山』がある。
そこまで登り、クズ鉄を拾い、レールを打ちながら登る」
「……だから、レールがねぇんだって!
どうやってそこまで行くんだよ!」
「……後ろを見ろ」
ゼニスは、渡ってきたばかりのトラス橋と、その背後に続く線路を指差した。
「……通り過ぎたレールが、あるだろう」
「……は?」
ロイドが絶句する。
「……ま、まさか……!」
「……剥がせ。そして、前に回せ」
ゼニスは冷徹に命じた。
「……通った道は、もう要らない。
後ろのレールを撤去し、溶かし、加工し、前に敷く。
……機関車を動かすだけの『足場』があればいい」
「……正気か!?
そんなことをしたら……帰れなくなるぞ!
退路を自分で断つってのか!?」
「……構わん。
塩を手に入れるまでは、帰る意味などない」
ゼニスの瞳には、前進以外の選択肢は映っていなかった。
「……ここからは、本当の『自転車操業』だ。
……戻る道はない。進むぞ」
鉄の旅路は、まだ終わらない。
残り日数、40日。
塩の枯渇まで、待ったなし。




