第七十九話『呪われた鉄の墓場』
蒸気機関車「アイアン・ホース」が、甲高いブレーキ音と共に停止した。
そこは、世界の果てのような場所だった。
進行方向を、濃密な「紫色の霧」が壁のように遮っている。
レールの先が見えない。鳥の声もしない。
ただ、肌を刺すような不吉な冷気だけが漂っている。
「……ここが、『カルンシュタイン古戦場』か」
運転台から降りたゼニスは、その霧の壁を凝視した。
「……おい、ゼニス。近づくなよ」
監視者グレイが、いつになく真剣な声で警告する。
「……あの霧はただの水蒸気じゃない。
濃縮された『怨念』だ。
生身で入れば、皮膚が焼け爛れ、肺が腐る。
……教会が『浄化不能』として封印した理由がわかるだろう?」
「……強力な結界だな」
ゼニスは、落ちていた石を霧に向かって投げた。
ジュッ。
石が霧に触れた瞬間、嫌な音を立てて弾かれ、黒く変色して転がった。
「……物理的な侵入を拒むだけでなく、物質を変質させる防衛機構か。
……なるほど、これならハイエナも近づけまい」
ゼニスは、後ろを振り返った。
「……エリス。出番だ」
作業服姿のエリスが、おずおずと前に出る。
彼女の顔色は悪い。
「聖女」としての彼女の感覚器が、この霧の中から発せられる膨大な「悲鳴」を捉えているからだ。
「……聞こえます。
……何万人もの……痛みが、恨みが……」
エリスは、震える手で自分の耳を押さえた。
「……怖いです。
わたくしに、これを……解けるのでしょうか」
「……解くのではない。『還す』んだ」
ゼニスは、エリスの背中に手を置いた。
「……この霧は、死にきれないエネルギーの塊だ。
彼らは数十年もの間、この檻の中に閉じ込められ、循環することを許されなかった。
……お前の力で、彼らを『土』に還してやれ。
それが、彼らにとっての救済であり……俺たちにとっての『開門』だ」
「……救済……」
エリスは、深呼吸をした。
そうだ。自分はもう、教会のお飾りではない。
道を切り拓く「重機」であり、魂を救う「人間」だ。
「……やってみます」
エリスは、紫色の霧の壁に歩み寄る。
そして、恐れることなく、その両手を霧の中に差し入れた。
ジュウゥゥゥ……!
エリスの手が焼けるような音を立てる。だが、彼女は引かない。
「……もう、怒らなくていいのよ」
彼女は、祈った。
神へではない。ここに眠る、名もなき死者たちへ。
「……あなたたちの時間は、止まっていたけれど。
……わたくしが、動かしてあげます」
エリスの魔力が解放される。
「エントロピーの増大」。
停滞していた呪いのエネルギーが、強制的に時間を進められ、霧散していく。
「……土に還りなさい。……風になりなさい」
ゴォォォォォォ……!!
紫色の霧が、渦を巻いて晴れていく。
数十年ぶりに、陽の光がその土地に差し込む。
そして。
霧が晴れた先に現れた光景に、全員が息を呑んだ。
「……なんてこった……」
ロイドが呻く。
そこは、見渡す限りの「鉄の海」だった。
折り重なるように倒れた、数万の騎士たちの鎧。
地面に突き刺さった無数の剣と槍。
そして、ひしゃげ、半ば土に埋もれた、巨大な「鉄の箱」の残骸。
「……あれは?」
「……『重装甲戦車』だ」
グレイが答える。
「……かつて、地竜などの魔獣に引かせていた、移動要塞だ。
分厚い装甲で矢も魔法も弾き返すが……動力を魔獣に頼っていたため、獣が死ねばただの鉄屑だ。
……あんなものが、何百台も転がってやがる」
それらが、教会の封印によって時を止められたまま、
錆びることなく、鈍い銀色の輝きを放って眠っていたのだ。
「……宝の山だ……」
ギデオンが、金貨を見るような目で呟く。
「……これだけの量があれば……。
山脈どころか、世界の果てまでレールが敷けるぞ……!」
「……総員、作業開始」
ゼニスは、感傷に浸る時間を許さなかった。
「……死体に祈る必要はない。
彼らの死に意味を与えられるのは、生きている俺たちだけだ」
ゼニスは宣言した。
「……回収だ!
鎧も、戦車も、剣も、全て溶かせ!
過去の遺産を食らい尽くし、俺たちの『血肉』に変えるんだ!」
「「「オオオオオッ!!」」」
労働者たちが、古戦場になだれ込む。
だが、すぐに最初の「壁」にぶつかった。
「……だ、だめだ!重すぎる!」
マルコが悲鳴を上げる。
彼らが動かそうとしているのは、巨大なチャリオットの「装甲板」だ。
大人十人で引いても、びくともしない。
「……手で運べるか、馬鹿野郎!」
ロイドが怒鳴る。
「……機関車を使え!
動力を『ウインチ』に回すんだ!」
ロイドの指示で、機関車の動輪がジャッキアップされ、そこに太いワイヤーが巻き付けられる。
蒸気圧が上がり、ウインチが回転を始める。
ギチチチチ……!
ワイヤーが張り詰め、数トンある装甲板が、ズズズと地面を引きずられていく。
魔獣の力でも動かせなかった鉄塊が、蒸気の力で軽々と運ばれていく。
「……よっしゃあ!動いたぞ!」
だが、次の問題が発生する。
「……でかすぎて、炉に入らねぇよ!」
運べても、溶かせなければ意味がない。
だが、分厚い装甲板を切断するガスバーナーなど、この時代にはない。
「……エリス!こっちだ!」
ロイドが呼ぶ。
エリスが駆け寄る。
「……この『継ぎ目』だ!
ここだけを狙って、風化させろ!」
「……はい!」
エリスが、装甲板の接合部に手を触れる。
魔力を集中し、ピンポイントで時間を加速させる。
「……朽ち果てなさい」
ジュワッ。
鋼鉄のボルトが、一瞬で赤錆びた粉となって崩れ落ちる。
「……今だッ!」
ロイドが巨大なスレッジハンマーを振り下ろす。
ガァァァァン!!
留め金を失った装甲板が、轟音と共にバラバラに解体された。
「……ナイスだ、聖女様!」
「……えへへ……」
機関車の動力による「運搬」。
聖女の魔法による「切断」。
そして、職人の技術による「解体」。
三位一体となったシステムが、巨大な鉄の墓場を、次々と資源へと変えていく。
「……すげぇ鉄だ!純度が違う!」
「……こいつぁ、極上のレールになるぞ!」
だが、ここでマルコが気づく。
「……待ってください、ゼニス様。
鉄はありますが……『燃料』がありません!
機関車を動かす分の石炭は積んでますが、これだけの鉄を溶かす熱源なんて……」
鉄の融点は高い。
木材を切り出して木炭を作るには、数日かかる。今すぐ鉄が欲しい状況で、そんな悠長なことはしていられない。
「……燃料なら、そこにある」
ゼニスは、古戦場の周囲を指差した。
そこには、エリスの浄化によって霧が晴れた、「黒い森」が広がっていた。
「……炭化している……?」
「……そうだ。かつての戦火で焼き尽くされた森だ。
教会の封印のおかげで、腐ることもなく、炭になったまま立ち尽くしている」
ゼニスは冷徹に命じた。
「……伐採しろ。
蒸し焼きにする手間も要らない。切り倒せば、そのまま上質な『木炭』だ」
「……呪いのおかげで、燃料まで保存されてたってのか……。
皮肉な話だぜ」
数時間後。
機関車の後方に連結された貨車の上には、耐火レンガと泥で急造された「簡易炉」が設置されていた。
現地調達した木炭がくべられ、ふいごが唸りを上げる。
ゴオオオオオッ!!
赤熱した炉の中で、解体された戦車の残骸がドロドロの鉄漿となる。
そして、その湯流れは、機関車の動力を受けた巨大な「ローラー(圧延機)」へと導かれる。
ガシャン!ガシャン!
赤く焼けた鉄が、ローラーに挟まれ、押し潰され、長く、強靭な形へと成形されていく。
「……レールだ……!」
マルコが見惚れる。
ただの鉄屑だったものが、文明の血管へと生まれ変わる瞬間。
「……よし!資材は確保した!」
ロイドが、煤けた顔で汗を拭いながら叫ぶ。
「……これで山まで……レールが繋がるぞ!」
「……出発だ」
ゼニスが、再び汽笛を鳴らす。
アイアン・ホースが、古戦場を――かつての死地を、踏みしめて進む。
鉄の墓場を食らい、鉄の馬は肥え太り、加速する。
目指すは北。
塩の眠る山へ。
レールは、確実に伸びていた。




