第七十八話『尺取り虫の進軍』
「……出発進行」
ゼニスの号令と共に、蒸気機関車「アイアン・ホース」の汽笛が鳴り響いた。
ポォォォォォッ!!
シュゴォォォ……ガシャン、ガシャン。
巨大な動輪が回転し、黒鉄の怪物が動き出す。
貨車に乗ったマルコたち建設部隊が、歓声を上げた。
「……うぉぉぉ! 動いたぞ!」
「……すげぇ! 俺たちは風になるんだ!」
だが。
その感動は、わずか「30秒」で終わった。
キィィィィィン……ガコン。
列車は、工場の敷地を出て数百メートル進んだ地点で、唐突に停止した。
そこには、もう「レール」がなかったからだ。
目の前に広がるのは、雑草と岩が転がる荒野だけ。
「……はい、下車」
運転台から顔を出したゼニスが、無慈悲に告げた。
「……え? もう終わりっすか?」
マルコがポカンとする。
その横で、これまで腕を組んで黙っていた監視者グレイが、呆れたように溜息をついた。
「……おい、ゼニス。気は確かか?」
グレイは、途切れたレールと荒野を見比べた。
「……これが、貴様の言う『世界を置き去りにする速度』か?
徒歩の方がマシに見えるが」
「……物理的な速度の話ではない。進化の速度だ」
ゼニスは、グレイの皮肉を意に介さず、貨車に積まれた資材を指差した。
「……総員、資材搬出。
目前の荒野を整地し、枕木を置き、レールを敷設しろ。
……区間は『50メートル』だ」
「……ご、50メートル?」
「……そうだ。50メートル敷いたら、列車を前進させる。
そしてまた止まり、次の50メートルを敷く。
……その繰り返しだ」
ゼニスは、遥か彼方の北の山脈を指差した。
「……この鉄の馬は、ただの乗り物ではない。
資材と食料と水を運び、作業員を休ませるための『移動要塞』だ。
……俺たちは、こいつと共に、少しずつ、だが確実に前進する」
進んで、止まり、道を作り、また進む。
それは、優雅な列車の旅とは程遠い。
地を這う「尺取り虫」の、泥臭い進軍だった。
・
・
・
建設作業が始まった。
「……邪魔だ! どけろ!」
進行方向には、巨大な岩盤が立ち塞がっていた。
通常なら、ダイナマイトで発破するか、迂回するしかない障害物。
だが、今の灰色谷には「重機」がいる。
「……はい! お任せください!」
つなぎを着たエリスが、駆け寄る。
彼女は岩盤に小さな手を触れ、静かに祈った。
「……土に還りなさい」
魔力が奔る。
「エントロピーの加速」。
数億年分の風化現象が一瞬で圧縮され、強固な花崗岩の結合が解ける。
サラサラサラ……。
巨大な岩が、音もなく崩れ落ち、さらさらの「砂」へと変わった。
「……すげぇ……」
「……魔法って、こんな使い方があったのか……」
労働者たちがどよめく。
その光景を見ていたグレイが、眉間を押さえて呻いた。
「……聖女を……土木工事の『重機』にするとはな。
……貴様、いつか本当にバチが当たるぞ」
「……彼女は人々を救うために力を振るっている。
これ以上の『聖務』はないはずだ」
ゼニスは平然と返し、次の指示を飛ばす。
「……ぼさっとするな! ロイド、整地だ!」
「……おうよ!」
ロイドが操る、蒸気式の「ロードローラー(試作機)」が唸りを上げる。
エリスが作った砂の上を、鉄の車輪が踏み固め、平らな路盤を作っていく。
そこへ、マルコたちが枕木を並べ、レールを置く。
カン! カン! カン!
スパイクを打ち込む音が、荒野にこだまする。
「……よし、接続完了!」
「……列車、前進!」
シュゴォォォ……ガシャン。
アイアン・ホースが、たった今完成したばかりのレールの上を、軋みながら進む。
そして、50メートル先でまた止まる。
「……次! 木を切れ! 根を掘り返せ!」
無限ループ。
だが、その速度は驚異的だった。
エリスの「破壊」と、ロイドの「整地」、そして労働者たちの「物量」。
三位一体となったシステムは、通常なら一ヶ月かかる工程を、わずか数時間で消化していく。
一日が終わる頃には、彼らは灰色谷が見えなくなるほど遠く、荒野の真ん中まで進んでいた。
「……進んだな」
夕暮れ時。
貨車の上で、泥だらけのマルコが、伸びてきたレールを振り返った。
二本の鉄の線が、夕陽に向かって真っ直ぐに伸びている。
「……俺たちが、道を作ったんだ……」
疲れ切った体に、心地よい達成感が満ちる。
エリスも、煤けた顔で、しかし嬉しそうに笑っていた。
「……わたくし、役に立ちましたか?」
「……ああ。最高だ」
ゼニスが、彼女に水筒を渡す。
「……お前がいなけりゃ、最初の岩で詰んでいた。
……明日も頼むぞ、『重機』」
「……はいっ!」
・
・
・
だが。
その「順調すぎる進撃」こそが、最大の誤算を招いていた。
夜。
機関車のボイラー熱を利用した仮設テントで、作戦会議が開かれた。
CFOギデオンの顔色は、死人のように青かった。
「……ゼニス。……話がある」
ギデオンは、在庫管理表をテーブルに叩きつけた。
「……ペースが、速すぎる」
「……何か問題か? 工期短縮は利益だ」
「……『資材』が追いつかねぇんだよ!」
ギデオンが悲鳴を上げる。
「……レールの消費量が、計算より早い!
一日数キロ進むのはいいが、その分、鉄が湯水のように消えていく!
……工場のスクラップも、騎士団の鎧も、もう底をつきそうだ!」
ギデオンは、地図上の現在地と、目的地である北の山脈との距離を示した。
「……見てみろ。まだ全行程の『1割』も進んでない。
なのに、鉄の在庫は残り『2日分』だ」
沈黙が落ちる。
ロイドが舌打ちをする。
「……マジかよ。
機関車を作るのに鉄を使いすぎたか……。
レールがなきゃ、この鉄の馬もただの置物だぞ」
物理的な限界。
「鉄がないから取りに行く」ための「鉄」が、ここで尽きる。
ブートストラップのパラドックス。
「……撤退か?」
ボルカスが弱音を吐く。
ゼニスは、腕を組み、地図を睨みつけた。
目的地である北の山脈は遥か彼方。そこまでレールを敷く鉄はない。
だが、ゼニスの目が、地図上のある「空白地帯」で止まった。
現在地から少し進んだ先に、不自然に赤く塗られ、何も書かれていないエリアがある。
「……グレイ殿」
ゼニスは、テントの隅で休息していた監視者に声をかけた。
「……この『赤いエリア』は、何だ?
地質調査書にも、ただの空白として記載されているが」
グレイが、地図を覗き込み、眉をひそめた。
「……ああ、そこか。
……そこには近づくな、ゼニス。迂回しろ」
「……なぜだ?」
「……そこは、『カルンシュタイン古戦場』だ」
「……古戦場?」
「……ああ。数十年前、異教徒との激戦があった場所だ。
あまりの死傷者の多さに、教会が『浄化不能』と判断し、強力な結界を張って封鎖した『禁足地』だ。
……我々軍人ですら、近づくことは許されていない」
「……封印された、禁足地……」
ゼニスの瞳に、計算の光が宿る。
「……グレイ殿。そこには、何が残っている?」
「……何だと?
死体と、怨念と……あとは、打ち捨てられた数万の兵器の残骸くらいだろう。
……重戦車や大砲が、そのまま放置されていると聞くが」
「……!」
ゼニスとロイドが、顔を見合わせた。
ロイドの目が、ギラリと光る。
「……おい、聞いたかゼニス。
数万の兵器……重戦車に、大砲だと?」
「……ああ」
ゼニスは、ニヤリと笑った。
「……教会が封印してくれたおかげで、ハイエナ共に荒らされず、手付かずで残っているわけだ。
……これ以上の『鉱脈』はない」
ゼニスは、地図の赤いエリアを、強く指差した。
「……よし。ここを目指す」
「……ま、待て貴様ら!」
グレイが慌てる。
「……正気か!? あそこは教会の『結界』があるんだぞ!
物理的に侵入することすら不可能な……」
「……物理的な壁なら、壊せばいい。
呪いの壁なら……『専門家』がいる」
ゼニスは、エリスの肩に手を置いた。
「……聖女の結界を解けるのは、聖女だけだ。
……エリス。お前の出番だ。
教会の呪いを解き、過去の遺産を『資源』として解放しろ」
エリスは、ごくりと唾を飲み込み、頷いた。
「……はい。
わたくしが……道をこじ開けます」
目標は定まった。
あと2日分のレールで、古戦場まで到達する。
そして、そこに眠る膨大な「鉄の死体」を食らい、列車はさらに進化する。
「……これより、本列車は『建設』から『回収』へとモードを切り替える」
ゼニスは宣言した。
「……過去を食らって、未来へ進むぞ。
……ハイエナの時間だ」




