第七十七話『鉄路の夢』
灰色谷の中心、かつて聖女の祈りによって破壊された工場の跡地。
そこは今、赤黒い「鉄の墓場」から、再誕の「揺り籠」へと変貌していた。
「……燃やせ! 還元剤を投入しろ!」
工場長ロイドの怒号が響く。
巨大な炉の中で、赤錆びた鉄骨(酸化鉄)と木炭(炭素)が混ざり合い、猛烈な熱を発している。
化学反応による「還元」。
酸素を奪われた錆は、再び純粋な「鋼鉄」へと生まれ変わり、ドロドロに溶けた状態で吐き出されていく。
「……だが、ロイド。これだけじゃ足りなくないか?」
マルコが不安そうに尋ねる。
工場の残骸だけでは、巨大な機関車と、山までのレールを作るには、絶対的な「質量」が不足している。
「……安心しろ。
『スポンサー』からの差し入れが山ほどある」
ロイドは、工場の裏手に積み上げられた「銀色の山」を指差した。
それは、疫病パニックで逃走した聖教騎士団が、重くて邪魔だと捨てていった、大量の鎧、剣、そして盾だった。
「……皮肉なもんだな」
ロイドは、聖なる十字が刻まれた鎧を、無造作に炉へ放り込んだ。
「……奴らが俺たちを殺そうとして持ち込んだ鉄が、今は俺たちを生かすための『血管』になるんだからよ」
ジュウゥゥゥ……!
聖なる武具が溶け、ただの鉄塊へと戻る。
「……さあ、叩け! 延ばせ!
この鉄を、未来への『道』に変えるんだ!」
カン! カン! カン!
数百のハンマーがリズムを刻む。
それは、灰色谷の復活を告げる、力強い鼓動だった。
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北の山岳地帯。
そこは、人の侵入を拒む険しい岩盤が続く、難攻不落の自然の要塞だった。
通常なら、ここに道を一本通すだけで数年はかかる。
だが。
「……お願いします、聖女様!」
マルコの声に応え、作業服を着たエリスが、岩壁の前に立った。
彼女の顔には、もう迷いはない。
「……はい!」
エリスは、巨大な岩盤に小さな手を触れる。
祈るのは「破壊」ではない。「時間」だ。
「……土に還りなさい」
彼女の魔力が、岩の時間を数億年分、加速させる。
エントロピーの増大。
強固な花崗岩の結合が解け、風化し、崩れていく。
サラサラサラ……。
硬い岩盤が、見る見るうちに「砂」となって崩れ落ちた。
ダイナマイトもツルハシも要らない。
ただ祈るだけで、山に風穴が開く。
「……すげぇ……!」
「……道ができたぞ! 枕木を運べ!」
労働者たちが歓声を上げ、砂の上を突き進む。
エリスは、自分の手を見つめた。
かつては人を傷つけ、物を壊すだけだと思っていた呪われた手。
それが今、人々の「道」を切り拓いている。
「……わたくし……役に立っていますか?」
エリスが、隣に立つゼニスに尋ねる。
ゼニスは、地図に新たな線を書き込みながら、短く答えた。
「……ああ。お前は最高性能の『重機』だ」
「……じゅうき?」
「……人間百人分より働き、燃料も食わない。
……お前がいなければ、この計画は破綻していた」
それは、ゼニスなりの最大限の賛辞だった。
エリスの顔が、嬉しさで紅潮する。
「……ふふっ。重機……。
悪くない響きですわ」
彼女は再び岩に向かった。
その背中には、かつての悲壮感はない。
「役割」を与えられた者の、生き生きとした輝きがあった。
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突貫工事は、不眠不休で続けられた。
CFOギデオンは、現場に張り付き、食料と人員の配分を管理していた。
「……おい、B班! 食事は交代で摂れ! 手を止めるな!」
「……水だ! 水分補給を忘れるな! 倒れられたら困るんだよ!」
彼の顔はやつれ、目の下には隈ができている。
だが、その目は死んでいない。
「(……あと45日)」
ギデオンは、手帳の残り日数を睨んだ。
「(……塩の在庫はギリギリだ。
だが、レールは想定以上の速さで伸びている。
……いける。これなら、冬が来る前に『塩の山』に届く……!)」
そして、工場の最奥。
秘密のドックで、ロイドと選抜された職人たちが、最後の仕上げにかかっていた。
それは、全長15メートルにも及ぶ、黒鉄の塊。
巨大なボイラーを腹に抱え、鋼鉄の車輪を履いた、陸の王者。
「……できたぞ」
ロイドが、油まみれの顔で空を見上げた。
「……蒸気機関車一号機。
名付けて……『アイアン・ホース(鉄の馬)』だ」
ゼニスが、その巨体を見上げる。
無骨で、荒々しく、そして美しい「動力の結晶」。
「……火を入れろ」
ゼニスが命じる。
釜に石炭(以前、エリスが見つけた露頭から掘り出したものだ)がくべられる。
ボイラーの水が沸騰し、圧力計の針が跳ね上がる。
シュゴォォォォ……!
白い蒸気が吹き出し、ピストンがゆっくりと動き出す。
ガシャン、ガシャン。
車輪が回り、大地を噛む。
「……動いた……!」
「……すげぇ……本当に、鉄が走った……!」
集まった全員が、息を呑む。
それは、魔法ではない。
彼らの汗と、知恵と、執念が作り上げた「物理法則の勝利」だった。
「……よし。出発だ」
ゼニスが運転台に乗り込む。
だが、ロイドが首を傾げた。
「……おいゼニス。出発って言ってもよ。
レールはまだ、工場の出口までしか敷けてねぇぞ?
数百メートル走ったら脱線して終わりだ」
「……だから、積むんだ」
ゼニスは、機関車の後ろに連結された貨車を指差した。
そこには、完成したばかりの「レール」と「枕木」が、山のように積まれている。
そして、泥だらけの作業服を着たマルコたち建設部隊が、すし詰めで乗り込んでいる。
「……これは『旅行』じゃない。『進軍』だ」
ゼニスは、レールのない荒野を見据えた。
「……線路の果てまで走り、止まり、目の前にレールを敷き、また進む。
……尺取り虫のような、泥臭い行軍だ」
「……へっ。優雅な列車の旅とはいかねぇってことか」
ロイドがニヤリと笑う。
「……上等だ。
道のねぇところに道を作るのが、俺たちの仕事だろ」
全員が、貨車に乗り込む。
夢や希望といった軽いものではない。
鉄と、石と、汗と、生存への執念を積んで。
「……出発進行」
ポォォォォォッ!!
高く、鋭い汽笛が、封鎖された空気を切り裂いた。
それは、灰色谷の産声であり、世界への宣戦布告の咆哮だった。
車輪が回り、黒い怪物が動き出す。
その先には、まだ道はない。
だが、彼らが進む場所こそが、道となる。
目指すは北。
命を繋ぐ塩と、国を富ませる鉄と石炭が眠る、約束の地へ。
鉄路の夢が、今、荒野へと走り出した。




