第七十話『聖女の解析』
灰色谷に、奇妙な静寂が戻っていた。
工場は破壊され、煙は上がらない。
だが、その水面下で、執念深い「観測」が続けられていた。
CEOルーム。
そこには、異様な臭気が漂っていた。
「……うえぇ……。臭せぇ……」
CFOギデオンが鼻をつまむ。
テーブルの上に広げられているのは、サイラスが命懸けで回収してきた「聖女のゴミ(残飯)」の山だったからだ。
「……よくやった、サイラス」
ゼニスは、マスクと手袋を装着し、淡々とゴミの山を漁る。
「……朝食、パン3斤、スープ大盛り2杯、肉料理完食。
昼食、同量。
夕食、さらに倍……」
ゼニスは、ゴミの中に混じっていた、大量の「薬包紙」のようなものをピンセットで摘み上げた。
「……そして、高カロリーの『砂糖菓子』と『気付け薬』の空き袋が大量にある。
……異常だ」
ゼニスは、計算尺を走らせる。
「……彼女の体格(身長150cm前後、推定体重40kg)から算出される基礎代謝は、1200kcal程度だ。
だが、この摂取カロリーは……『8000kcal』を超えている」
「……はっ!?」
ギデオンが目を剥く。
「……8000だと!? 冬眠前の熊かよ!
あんな細い体のどこに、そんなエネルギーが消えてるんだ!?」
「……消えているのではない。『変換』されているんだ」
そこへ、窓からリーナが飛び込んできた。
彼女は、遠見の魔導具を抱え、興奮気味に報告する。
「……ゼニス! 分かったわよ!
あの女の周りの『マナ濃度』の動き!」
リーナは、羊皮紙にグラフを描き殴った。
「……奇跡が発動する瞬間、彼女の体内から膨大な魔力が放出される。
でも、おかしいの。
大気中のマナを吸っている形跡が『ない』」
「……吸っていない?」
「……ええ。普通、大規模な魔法を使う時は、周囲からマナを集めるわ。
でも彼女は、それをしない。
まるで、自分自身の『命』を削って、魔力に変えているみたいに……」
「……なるほど」
ゼニスの中で、仮説が確信へと近づく。
カロリーの過剰摂取。それは、枯渇する生命力を補うための、必死の給油だ。
だが、それだけでは計算が合わない。
工場の鉄塊を一瞬で錆びつかせたエネルギーは、砂糖菓子程度で賄える量ではない。
「……カエル。報告を」
部屋の隅、影のように立っていたカエルが一歩進み出た。
「……はっ。
夜間の監視結果をご報告します」
カエルの声は、いつもより低く、重かった。
「……聖教騎士団の宿舎。
……毎夜、数名の騎士が、担架で運ばれていきます」
「……怪我か?」
「……いいえ。外傷はありません。
ですが、まるで『ミイラ』のように痩せ細り、髪が白くなり……。
……そして、二度と戻ってきません」
「……!」
部屋に、戦慄が走る。
「……さらに異様なのは、騎士団の反応です」
カエルは、眉をひそめた。
「……彼らは、同胞の死を悲しむどころか、『聖女様への献身による名誉の昇天』だと称え、熱狂しています。
……次は自分が選ばれたいと、恍惚とした顔で祈っているのです。
……狂っています」
「……それに、気になっていたことがあります」
カエルは続ける。
「……聖女様が歩いた後の『草花』です。
彼女が通った道だけ……翌朝になると、枯れているのです。
まるで、冬が来たかのように」
全てのピースが、揃った。
ゼニスは、ホワイトボードに向かい、数式を書き殴った。
暴食。騎士の衰弱死。植物の枯死。そして、狂信的な自己犠牲。
それら全てを繋ぐ、たった一つの物理法則。
「……解けたぞ」
ゼニスは、チョークを置いた。
「……『聖女』の正体は……『エントロピーの増大装置』だ」
「……エントロピー?」
皆がポカンとする中、ゼニスは残酷な真実を告げた。
「……彼女は、対象(けが人や機械)の時間を『逆行』させているのではない。
周囲の時間を『加速(略奪)』しているのだ」
ゼニスは、図解する。
「……怪我を治すには、細胞分裂のエネルギーが必要だ。
鉄を錆びさせるには、酸化のエネルギーが必要だ。
彼女はそのコストを、自分一人では払いきれない。
だから……『周囲』から徴収している」
ゼニスは、カエルの報告を指差した。
「……彼女が奇跡を使うたび、護衛の騎士の『寿命』が吸い取られ、足元の草花の『生命力』が枯渇する。
そして彼女自身も、その媒介者としての負荷に耐えるため、異常なカロリーを消費し続けている」
「……な、なんてことだ……」
ボルカスが、青ざめた顔で口元を覆った。
「……じゃあ、あの女は……人を救っているフリをして……。
周りの人間を、食い物にして生きているのか……?」
「……本人は無自覚だろうな」
ゼニスは、冷ややかに言った。
「……『神の愛』だの『自己犠牲』だのと教え込まれ、自分が何をしているかも知らず、ただ命のロンダリング(洗浄)をさせられている。
……救済者じゃない。
彼女自身が、教会というシステムに食い潰される『生贄』だ」
重苦しい沈黙。
神聖だと思われていた奇跡の正体が、あまりにもおぞましい「等価交換」だったことに、誰もが言葉を失う。
だが。
ゼニスだけは、その残酷な事実の中に、一筋の「勝機」を見出していた。
「……(勝てる)」
ゼニスの口元が、ニヤリと歪む。
「……おい、みんな。顔を上げろ。
朗報だ」
「……はぁ!? どこが朗報なんだよ!」
ギデオンが叫ぶ。
「……相手は他人の命を吸って奇跡を起こす化物だぞ!?
狂信的な騎士団が全員死ぬまで、無敵ってことじゃねぇか!」
「……逆だ、ギデオン」
ゼニスは、ボードの数式を指で叩いた。
「……このシステムは、『自転車操業』だ。
外部からの供給(騎士や草花)が尽きれば、止まる。
あるいは……」
ゼニスは、目を細めた。
「……供給を上回る『需要(負荷)』がかかれば、エンジン(聖女)自体が焼き切れて、自壊する」
「……需要?」
「……今は、せいぜい数百人の騎士と、数千の住民相手に『説教』をしているだけだ。
だが、もし……。
数千、数万の人間が、同時に『助けてくれ』と彼女に群がったら?」
「……あ」
ギデオンが、気づいた。
「……吸い上げる命が、追いつかなくなる……?」
「……そうだ。
彼女の身体が、負荷に耐えきれず破裂する」
ゼニスは、窓の外、包囲網を敷く聖教騎士団を見下ろした。
「……俺たちは、動かなくていい。
ただ、待てばいい」
「……待つ? 見殺しにするんですか!」
マルコが、悲痛な声を上げた。
「……谷の外には、難民が集まり始めてるって聞きました。
病気の人だっているかもしれない。
……助けなくていいんですか!」
「……マルコ」
ゼニスは、静かに、しかし冷徹に告げた。
「……今、俺たちが動いて何になる?
『薬があるぞ』『助けてやるぞ』と叫んだところで、彼らは俺たちに石を投げるだけだ。
……彼らは今、奇跡という『夢』に酔っている」
「……っ!」
「……酔いが覚め、痛みに気づいた瞬間でなければ、『理屈』は届かない。
今行けば、俺たちも彼らも共倒れだ。
……システムが自壊した『瞬間』にしか、介入のチャンスはない」
それは、あまりにも冷酷な作戦だった。
敵が自滅するのを待つ。
そのために、多くの人々が病に倒れるのを、ただ「観測」する。
だが、それは同時に、確実に「全員を救う」ための、唯一の道でもあった。
「……準備をしろ」
ゼニスは、命令を下した。
「……ロイド。工場のボイラーを直せ。動力は要らない、熱湯を沸かせ。
……エララ。石鹸と、清潔な布をありったけ用意しろ。
……リーナ。お前は『砂糖』と『塩』を精製しろ」
「……何に使うの?」
「……『武器』だ。
教会が、自らの奇跡に押し潰され、聖女が倒れた時……。
俺たちが、本当の『救済』で、全てをひっくり返す」
ゼニスは、赤錆びた工場の残骸の中で、静かに牙を研ぐ。
神が勝つか、論理が勝つか。
決着の時は、近い。




