第六十九話『沈黙する公爵』
夜。
暴動は鎮火したが、灰色谷には重苦しい空気が沈殿していた。
校舎の焼け跡からは、まだ白い煙が上がっている。
CEOルームには、いつものメンバーが集まっていた。
だが、その表情は一様に暗い。
「……どうするんだよ、ゼニス」
ボルカスが、焦燥しきった声で言う。
「……工場は壊れ、学校は燃えた。
住民たちは教会に扇動されて、俺たちを『悪魔』だと信じ込んでる。
……このままじゃ、明日には俺たちが火刑台に送られるぞ」
「……アークライト公爵だ」
ギデオンが、すがるように言った。
「……公爵に救援を頼もう。
俺たちは『男爵家』だぞ? 領主には領民を守る義務があるはずだ。
公爵軍が動けば、聖教騎士団だって手出しはできない!」
そこへ。
部屋の扉がノックもなく開かれた。
入ってきたのは、泥だらけの伝令兵だ。北の砦から、不眠不休で馬を飛ばしてきたのだろう。
「……アークライト公爵閣下より、灰色谷男爵へ。
『至急報』をお伝えします」
「……来たか!」
ギデオンが色めき立つ。
きっと援軍の知らせだ。公爵が、俺たちを見捨てるはずがない。
だが、伝令兵が読み上げた言葉は、彼らの希望を粉々に砕くものだった。
「……『貴様らの失態は聞き及んでいる』」
伝令兵の声は、公爵その人のように冷徹だった。
「……『民心を掌握できず、暴徒と化させた無能な支配者に、手を差し伸べる慈悲はない』」
「……なっ!?」
ギデオンが絶句する。
「……『よって、アークライト家は、今回の教会と灰色谷の対立に対し、一切の不介入を宣言する』
『これは教義上の問題であり、世俗の領主が口を挟むべきではない』……と」
「……ふ、ふざけるなッ!!」
ロイドが叫んだ。
「……不介入だと!? 俺たちはあんたのために武器を作ってたんだぞ!
それを見殺しにするってのかよ!」
伝令兵は、無表情のまま、最後の一文を告げた。
「……『生き残りたくば、自力で証明しろ』
『お前のシステムが、神に勝てるということを』」
伝令兵は、羊皮紙をテーブルに置き、去っていった。
残されたのは、絶望的な静寂だけ。
「……見捨てられた……」
マルコが、ガタガタと震え出した。
「……公爵軍は来ない。
工場の動力はない。
民衆は敵に回った。
……終わりだ。俺たち、全員殺されるんだ……」
部屋の空気が、どん底まで沈む。
誰もが、死を覚悟した。
だが。
その中でただ一人、ゼニスだけが、静かに羊皮紙を見つめていた。
「……(証明しろ、か)」
ゼニスの口元に、微かな笑みが浮かんだ。
「……ゼニス? お前、笑ってるのか?」
ボルカスが、信じられないものを見る目で彼を見る。
「……ああ。
アークライトは、俺たちを見捨ててはいない」
「……はあ!? どこをどう読んだらそうなるんだよ!」
「……見捨てたいなら、わざわざ伝令など寄越さず、黙殺すればいい。
あるいは、教会に俺たちの首を差し出せば、手っ取り早く解決する」
ゼニスは、羊皮紙を指で弾いた。
「……だが、彼は『不介入』を選んだ。
これは、『教会側にも加担しない』という宣言だ。
つまり、俺たちが独自に教会と戦い、撃退したとしても……公爵家はそれを『黙認』するという許可証だ」
ゼニスは立ち上がり、窓の外を見た。
谷の入り口には、聖教騎士団が陣を敷いている。
完全な包囲網。
「……彼はテストしているんだ。
俺という『道具』が、平時の金稼ぎだけでなく……
『宗教』という、論理の通じない怪物相手にも機能するかどうかを」
「……テストだって? 命懸けすぎるだろ……」
ロイドが毒づく。
「……で、どうすんだよ。
動力はゼロだ。武器を作る旋盤も動かせねぇ。
相手は数百の騎士団と、数千の暴徒だぞ?
……竹槍で突撃でもするか?」
「……いや」
ゼニスは、眼下の陣営――特に、その中央にある純白の馬車を見据えた。
「……物理で勝負すれば負ける。
工場の破壊を見ただろう。奴らの『奇跡』は、今の俺たちの火力を凌駕している」
「……じゃあ、どうするんですか!」
マルコが泣きつく。
ゼニスは、冷徹な目で答えた。
「……『観察』だ」
「……は?」
「……昨日の爆発。工場の鉄が一瞬で赤錆に変わった現象。
あれを『奇跡』という言葉で片付けて思考停止すれば、俺たちの負けだ」
ゼニスは、ホワイトボードに向かい、昨日の現象を数式として書き殴り始めた。
「……質量保存則。エネルギー保存則。熱力学第一法則。
……この世界に物理法則が存在する限り、『無から有』は生まれない。
あの現象を引き起こすために、奴らは何かを『支払って』いるはずだ」
ゼニスは、チョークをへし折った。
「……エネルギー源はどこだ?
排熱はどこへ行った?
触媒は? 反動は?
……必ず、『タネ』がある」
その時。
ずっと黙っていたルナが、震える声で口を挟んだ。
「……お言葉ですが、ゼニス様」
ルナは、胸の十字架を強く握りしめ、必死の形相でゼニスを見つめた。
「……聖女様のお力は、神の御業です。
人知を超えた救済の光です。
……それを、『タネがある』などと疑うのは……不敬ではないでしょうか」
彼女の瞳には、信仰ゆえの純粋な恐怖と、兄の仲間を信じたいという葛藤が揺れている。
ゼニスは、手を止め、ルナに向き直った。
「……ルナ。俺は神を否定しているわけではない」
「……え?」
「……もし、彼女の力が本当に『神の奇跡』であるなら、俺たちがどれだけ観察しようと、その神聖さは揺らがないはずだ。違うか?」
「……そ、それは……」
「……だが、もしそれが神の名を騙る『手品』であり、その代償として誰かが傷ついているとしたら?
……真実を知ることは、信仰への裏切りにはならないはずだ」
ゼニスの論理に、ルナは言葉を詰まらせる。
ギデオンが、妹の肩に手を置いた。
「……ルナ。俺たちを信じてくれ。
俺たちは、お前が信じるものを壊したいわけじゃない。
……ただ、お前を守るために、敵の正体を知りたいだけなんだ」
「……兄さん……」
ルナは、迷いながらも、小さく頷いた。
ゼニスは、再び全員を見回した。
「……総員、戦闘配置だ。
武器は要らない。『目』を使え」
ゼニスは、新たなミッションを発令した。
「……これより、聖女エリスおよび聖教騎士団を、24時間体制で『監視』する。
彼女の食事量、睡眠時間、排泄の回数、そして周囲の騎士たちの健康状態……。
どんな些細な変化も見逃すな」
マルコたちは、顔を見合わせた。
戸惑いがある。
神の軍隊を相手に、そんな盗み見のような真似をして、本当に勝てるのか?
「……ゼニス」
ボルカスが、低い声で問うた。
「……本当に、勝算はあるのか?」
ゼニスは、仲間の不安を受け止め、力強く頷いた。
「……ある。
今までも、俺たちは『計算』で不可能を可能にしてきた。
……今回も同じだ。データさえ集まれば、必ず『解』は見つかる」
その揺るぎない確信。
それが、灰色谷を支えてきた柱だ。
「……やりましょう」
カエルが、最初に声を上げた。
「……ゼニス様が仰るなら、神だろうと悪魔だろうと、丸裸にしてみせます」
「……そうだな。座して死ぬよりはマシだ」
ロイドも、スパナを握り直す。
マルコも、覚悟を決めたように顔を上げた。
「……やるか。
……で、ゼニス様。具体的にどうやって?」
「……手はある」
ゼニスは、部屋の隅で震えているサイラスを指名した。
「……サイラス。お前の出番だ」
「……ひぃッ! わ、ワシですか!?」
「……お前は、以前騎士団への『食料納入』を行っていたな?
下働きの従者たちとは顔見知りのはずだ。
……彼らを買収しろ。
聖女が何をどれだけ食べ、何をどれだけ『残した』か。
ゴミを漁ってでも情報を集めろ」
「……ご、ゴミ漁り……!
い、嫌ですよ! そんな危険な橋!
ワシの借金はもうチャラになったはずです! これ以上付き合う義理は……」
サイラスが逃げ腰になる。
だが、ゼニスは冷徹に告げた。
「……義理はないが、『因果』はあるぞ」
「……へ?」
「……お前はもう、聖教騎士団に顔が割れている。
彼らにとって、お前は異端者に物資を運んだ『共犯者』だ。
……もし俺たちが負けて処刑されれば、次はお前の番だ」
「……ッ!?」
サイラスの顔色が土色になる。
「……だが、協力してこの危機を乗り越えれば……。
教会が独占している『聖別された食料』の利権……。
その『裏ルート』を、お前に任せてもいい」
「……り、利権……!」
恐怖と、それを上回る強欲。
天秤が、ガタンと傾く。
「……や、やりますぅ!!
ワシは灰色谷と一蓮托生ですともぉ!!」
次に、ゼニスはリーナを見た。
「……リーナ。お前は『魔力』の専門家だ。
遠距離から、聖女周辺の『マナの濃度』を観測し続けろ。
奇跡が起きる前後で、大気中の魔力がどう変化するか……お前なら分かるはずだ」
「……ふん。
あの気取った女の化けの皮、剥がしてやるわよ」
リーナが不敵に笑う。
「……そしてカエル。
お前は夜陰に乗じて、物理的な監視を行え。
騎士たちの顔色、息遣い、交代の頻度……『疲労』の兆候を見逃すな」
「……御意。影となります」
手段は揃った。
内部のゴミ(サイラス)、魔力の流れ(リーナ)、物理的な消耗。
三方向からの「観測」により、聖女というブラックボックスを解析する。
「……ゼニス、まさか」
ギデオンが、ゴクリと唾を飲み込む。
「……神の奇跡を……『解明』する気か?」
「……ああ」
ゼニスは、不敵に笑った。
「……神がサイコロを振らないなら、聖女も魔法も、ただの『物理現象』だ。
……現象である以上、必ず『攻略法』がある」
アークライト公爵は見ている。
ならば見せてやろう。
奇跡という名の理不尽を、論理という名のメスで解体する様を。
「……情報戦だ。
神の化けの皮を、剥がしに行くぞ」




