第六十二話『投資比率30%の悪夢』
幸福なピザ・パーティから一夜明けた、灰色谷。
代理看守長室(CEOルーム)。
CFOギデオンは、朝から上機嫌だった。
彼の手元には、昨日アークライト公爵に突きつけた「請求書(借用書)」の写しがある。
「……金貨3000枚分の債権。
……ククク。現金はないが、この『貸し』があれば、公爵家の武器庫も食料庫も、実質俺たちの財布みたいなもんだ」
ギデオンは、ニヤニヤしながら算盤を弾いている。
そこへ。
バンッ!!
ドアが乱暴に開かれた。
現れたのは、仁王立ちのリーナだった。
昨日の「トマト栽培」で自信をつけたのか、その瞳はギラギラと怪しく輝いている。
「……おはよう、ギデオン。
朝一番で悪いけど……『約束』を履行してもらうわよ」
「……あ? 約束?」
リーナは、一枚の羊皮紙をギデオンの机に叩きつけた。
それは、彼女が灰色谷に加わる際に交わした契約書。
『条項4:利益の30%を、リーナの研究費として投資する』
「……昨日の報告を聞いたわよ。利益は金貨3000枚相当なんですってね?」
リーナは、満面の笑みで右手を差し出した。
「……さあ、よこしなさい。
計算通りなら……『金貨900枚』よ」
ギデオンの顔が引きつった。
「……ば、馬鹿言え!
あれは『売掛金』だ! 現金がここにあるわけじゃない!
俺たちの手元にあるのは、当座の運転資金だけだ!」
「……はぁ?」
リーナの目が、スッと冷める。
「……詐欺? 私をタダ働きさせる気?」
「ち、違う! キャッシュフローの問題で……!」
「……言い訳はいいわ」
リーナは、冷徹な科学者の目で、部屋――いや、灰色谷全体を見渡した。
「……現金がないなら、『現物』で回収するわ」
「……は?」
「工場の稼働時間、資材、労働力、そしてエネルギー。
……灰色谷が持つ全リソース(資産)の『30%』。
今日から私が、好きに使わせてもらうわよ!!」
・
・
・
地獄の「研究開発(R&D)」が始まった。
工場長ロイドは、悲鳴を上げていた。
「……おい! なんだこの設計図はァ!!」
彼の手元にあるのは、リーナが徹夜で書き上げた「新型農機具」の図面だ。
「……『蒸気式・超高圧自動散水機』!?
ただの水やりに、なんでボイラー直結の加圧ポンプが必要なんだよ!!」
「……うるさいわね!」
リーナが、プランターの前で叫ぶ。
「……私の小麦は繊細なの!
葉の裏側に潜む害虫を、水圧で吹き飛ばしつつ、ミスト状の水分を供給する必要があるのよ!
……つべこべ言わずに造りなさい! リソースの30%よ!」
「……くそっ! やりゃいいんだろ、やりゃ!」
ロイドは泣きながら、高圧パイプを溶接する。
一方、現場監督ボルカスも死にかけていた。
「……リーナ! 勘弁してくれ!」
ボルカスは、顕微鏡のような器具を覗き込んでいる。
「……『土壌成分の精密選別』!?
畑の土を、ピンセットで一粒ずつ選り分けろって……!
俺の部下たちを、なんだと思ってるんだ!」
「……土の中の『不純物(小石)』が、根の成長を阻害するのよ。
……さあ、あとトラック一杯分、今日中に選別してね?」
「……鬼だ……この女、聖女の皮を被った鬼軍曹だ……!」
工場はカオスに包まれた。
生産ラインの3割が停止し、リーナの「マッド・サイエンス」のために徴用されている。
マルコは、その間を走り回っていた。
「……ロイドさん! 散水機、圧力が強すぎて、麦がなぎ倒されてます!」
「……ボルカスさん! 選別班が、目の疲れで次々と倒れてます!」
そして、ギデオンはCEOルームで頭を抱えていた。
「……俺の資産が……!
無駄な実験で、鉄と燃料が溶けていく……!!」
だが、ゼニスだけは。
そのカオスを、興味深そうに観察していた。
「……目的設定が狂っているだけで、彼女の要求する『機能』自体は、高度だ」
ゼニスは、リーナの実験を見守る。
「……失敗の先に、何か『副産物』が生まれるかもしれん」
・
・
・
そして、事件は起きた。
午後。
リーナは、工場の中心に、巨大な「樽」のような装置を設置させていた。
「……ふふふ。これぞ、私の最高傑作」
リーナが胸を張る。
「……『超高速・遠心分離機』よ!」
「……えんしん……ぶんり?」
ロイドが、怪訝な顔をする。
「……そうよ。
土壌に含まれる微量な栄養素を、比重の違いで分離・抽出するための装置。
……スターリングエンジンの動力を直結して、毎分3000回転で回すわ!」
「……3000回転だと!?
そんな速度で回したら、軸が保たねえぞ!」
「……理論上は大丈夫よ! ……スイッチ、オン!」
リーナが、レバーを倒した。
ギュルルルルルルルル……!!
凄まじい回転音が響く。
樽が高速で回転し、振動で工場全体が揺れる。
「……よし! いい感じよ!
さあマルコ! そこにある『サンプル』を投入して!」
「……えっ!? サンプルって……」
マルコが持っていたのは、ボルカスたちが泥だらけになって働いた後の、「汚れた作業着(洗濯物)」の山だった。
たまたま、洗濯係として集めていただけなのだが。
「……ええい、なんでもいいわ!
泥汚れの成分分析も必要よ! 入れなさい!」
リーナは、マルコの手から作業着の山をひったくると、回転する樽の中に放り込んだ。
「……ああっ!?」
ドサッ。
作業着が、高速回転する樽の中で踊る。
同時に、リーナは「洗浄用」の水バルブを全開にした。
バシュゥゥゥゥ!!
大量の水が注入される。
水と、布と、遠心力。
ガコンッ! ガコンッ!!
「……お、おい! 音がおかしいぞ!?」
ロイドが叫ぶ。
水分を含んだ服の重みで、回転軸が悲鳴を上げている。
「……ま、まだよ!
もっと回れば、汚れと繊維が分離して……!」
リーナが、出力を上げた、その瞬間。
バキィィィン!!
遠心分離機の蓋が弾け飛んだ。
そして、中から――
ババババババッ!!
「……ぐわぁぁぁ!?」
脱水された作業着が、砲弾のように四方八方へ射出された。
マルコの顔面に、濡れたズボンが直撃する。
ギデオンの頭に、シャツが巻き付く。
そして、大量の水しぶきが、リーナ自身をずぶ濡れにした。
「……きゃぁぁぁっ!?」
工場は水浸し。
機械からは煙が上がり、完全に停止した。
「……終わった……」
ギデオンが、頭にパンツを被ったまま、膝から崩れ落ちた。
「……俺の工場が……。
30%どころか、100%壊れちまった……」
リーナも、ずぶ濡れのまま、呆然としている。
「……うそ……。私の計算では、完璧だったのに……」
お通夜のような空気が流れる。
だが。
「……ほう」
ゼニスが、落ちていた「作業着」を拾い上げた。
それは、さっきまで泥だらけだった、ボルカスの服だ。
「……見ろ」
ゼニスは、それを広げて見せた。
「……『綺麗』に、なっている」
「……え?」
全員が、目を丸くする。
確かに、泥汚れは消え失せ、しかも、遠心力で水気が絞られ、半乾きの状態になっている。
「……水流と回転による『摩擦』。
そして遠心力による『脱水』。
……リーナ。お前は、『土壌分析』には失敗したが……」
ゼニスは、ニヤリと笑った。
「……世界初の、『全自動洗濯機』を、発明したぞ」
「……せ、洗濯機……?」
リーナが、ポカンとする。
「……手洗いの重労働から、人類を解放するシステムだ。
……ロイド。この機構を小型化し、量産しろ。
そしてボイラーの熱を回せば、『乾燥』までできる」
ゼニスは、エララを振り返った。
「……エララ。これがあれば、もう冷たい水で洗濯をする必要はない。
……空いた時間で、何ができる?」
エララが、目を輝かせた。
「……まあ! それなら、もっと美味しい料理を作れますし……。
それに、みんなの服を、毎日ピカピカにできますわ!」
「……衛生環境の劇的な向上だ。
皮膚病も減り、士気も上がる。……投資対効果は、抜群だな」
ゼニスは、ずぶ濡れのリーナの頭に、ポンと手を置いた。
「……よくやった、リーナ。
30%の投資は、無駄じゃなかったようだ」
「……う、うるさぁぁぁい!!」
リーナは、真っ赤になって叫んだ。
「……私は! 完璧な小麦を作りたかっただけなのにぃぃぃ!
なんで『洗濯機』なんかになってるのよぉぉぉ!!」
魔女の絶叫が、工場に響き渡る。
結果として。
灰色谷には、「全自動洗濯機」という、オーパーツが誕生した。
そしてそれは、次なる「文明開化(お風呂)」への、重要な布石となるのだった。




