第六十一話『魔女と聖母のピザ・ロジック』
アークライト公爵との「盟約」が成立し、灰色谷が事実上の独立を果たした翌日。
工場は順調に稼働していた。
マルコたち元奴隷も、「男爵家の家臣」という新しい肩書きに誇りを持ち、以前より遥かに良い顔つきで働いている。
だが、代理看守長室(CEOルーム)の窓からその様子を見下ろしていたゼニスは、眉をひそめていた。
「……効率が、悪い」
傍らにいたギデオンが、目を丸くする。
「はあ? 何を言ってるんだゼニス。生産性は先月比で120%だぞ? これ以上何を求めるんだ」
「……カロリー(熱量)は足りている。だが、『ドーパミン(幸福)』が不足している」
ゼニスは、昼食休憩をとる労働者たちを指差した。
彼らが食べているのは、保存食の燻製肉と、硬い黒パン、そして薄めたスピリタスだ。
飢えはしない。栄養価も高い。だが、それはあくまで「エサ」であって、「食事」ではなかった。
「……人間というシステムは、感情によって出力が変動する非合理な機械だ。
『美味い』という刺激がなければ、長期的には精神的摩耗を引き起こし、生産性は低下する」
ゼニスは、ギデオンに向き直った。
「……ギデオン。金貨はあるな?」
「(ビクッ)……あ、あるが……また無駄遣いする気か!?」
「投資だ。……『食卓革命』を起こす」
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一時間後。工場の裏庭。
ゼニスの号令一下、いつもの「狂人」たちが招集された。
「……ピッツァ、だと?」
ロイドが、怪訝な顔で設計図を覗き込む。
「ああ。小麦生地にトマトソースとチーズを載せ、高温で焼き上げる料理だ。
必要な構成要素は三つ。……『生地』、『具材』、そして『熱源』だ」
ゼニスは、それぞれの担当者に視線を送る。
「……リーナ。お前の魔法で、『トマト』と『バジル』を促成栽培しろ」
「はぁ!?」
リーナが絶叫した。
「私の崇高な魔力を、サラダのために使えって言うの!?
小麦の研究で忙しいのよ! お断りだわ!」
「……リーナ。トマトのリコピンとビタミンは、美容にいい」
「……(ピクリ)」
「それに、この料理は『完璧な小麦』の風味を最大限に引き出す。
お前の研究成果(小麦)を、ただの硬いパンで終わらせていいのか?」
「……くっ……!
わ、分かったわよ! やればいいんでしょ、やれば!」
リーナは悔しそうに杖を構え、プランターに向かった。
チョロい。
次はロイドだ。
「……ロイド。お前には『窯』を作ってもらう。
ただし、ただの窯ではない。炉の排熱を再利用し、内部温度を『400度』で安定させる、超高温・循環式オーブンだ」
「……400度だと?」
ロイドの職人魂に火がついた。
「……面白ぇ。ただ焼くだけじゃねぇな?
熱対流を計算して、一瞬で表面をカリッと焼き上げる……。
へっ、俺の熱管理を見せてやるよ!」
そして最後は、エララとボルカスだ。
「……エララ。酒造りで余った『酵母』を使って、リーナの小麦粉を発酵させてくれ。
ボルカス。牧場の牛から絞った乳で、チーズを用意しろ」
「はいはい、お任せくださいな。……みんなで美味しいものを食べる。一番の贅沢ですねぇ」
エララが微笑み、ボルカスが腕をまくる。
最強の布陣による、全力の「料理」が開始された。
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数時間後。
工場の裏庭には、ロイドが廃材と耐火レンガで組み上げた、異形の「鋼鉄ピザ窯」が鎮座していた。
排熱パイプが直結され、ゴーッという重低音と共に、凄まじい熱気を放っている。
「……温度よし! 対流よし! いつでも行けるぞ!」
その横では、リーナがへたり込んでいた。
プランターには、魔法で無理やり成長させられた、真っ赤なトマトと鮮やかなバジルが鈴なりになっている。
「……はぁ、はぁ……。私の魔力が……トマト味に……」
エララが、発酵して膨らんだ生地を、見事な手つきで円形に伸ばしていく。
そこへ、リーナのトマトで作ったソースを塗り、ボルカスのチーズをたっぷりと載せる。
「……投入だ!」
ロイドが、ピール(長いヘラ)を使って、ピザを窯の中へと滑り込ませる。
――ジュワァァァァ!!
強烈な熱が一瞬で生地を包み込む。
チーズが溶け、焦げ目がつき、小麦とトマトの香ばしい匂いが爆発的に広がる。
「……うわぁ……」
その匂いに釣られて、マルコたち労働者が、ぞろぞろと集まってきた。
彼らは鼻をひくつかせ、信じられないものを見るような目をしている。
「……なんだ、この匂いは……?」
「……甘酸っぱくて、香ばしくて……ヨダレが止まらねぇ……」
「……焼き上がりだ!!」
ロイドがピザを取り出す。
黄金色に輝くチーズ。焦げたバジルの香り。赤く輝くトマト。
それは、灰色谷のものとは思えない、「色彩の暴力」だった。
ゼニスは、それを切り分け、マルコに手渡した。
「……食え。毒見役だ」
「(……毒見って言いました!? でも……!)」
マルコは、熱々のピザを、震える手で口へと運んだ。
カリッ。
生地が弾ける音。
そして、口の中に溢れ出す、トマトの酸味とチーズのコク、小麦の甘み。
「……ッ!!」
マルコの目から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
「……おい、マルコ!? どうした、マズかったのか!?」
ボルカスが慌てる。だが、マルコは首を横に振った。
「……う……美味い……」
マルコは、泣きながら叫んだ。
「……美味すぎるよぉぉぉ!!
温かい……柔らかい……!
俺、こんな美味いもん……生まれて初めて食った……!!」
その叫びが、合図だった。
労働者たちが、我先にとピザに群がる。
「……うめぇ! うめぇぞ!」
「……なんだこれ! チーズが伸びる!」
「……俺たち、生きててよかった……!」
広場のあちこちで、歓喜と、そして「感動の涙」が溢れる。
これまで、泥のようなスープと硬いパンで命を繋いできた彼らにとって。
「温かく、手間のかかった、美味しい料理」は、何よりの「人間性の回復」だった。
ギデオンも、一口食べて、天を仰いだ。
「……くそっ。……悔しいが、美味い。
王都の高級レストランでも、こんな味は出せない……。
素材の鮮度と、火力の次元が違いすぎる……」
ギデオンは、半分かじったピザを見つめ、苦笑した。
「……金貨を出しても買えない価値、か。……CFO失格だな、俺は」
リーナも、自分のトマトが絶賛されているのを見て、まんざらでもない顔をしている。
「……ふ、ふん! 当然よ! 私の魔力を使ったんだもの!
マズいわけないじゃない!」
「あらあら、お口にソースがついてますよ」
エララに拭かれて、リーナが顔を赤くする。
幸せな光景だった。
夕暮れ。
満腹になった労働者たちは、幸福感に包まれて談笑している。
その顔には、以前のような「死んだ魚のような目」は微塵もない。
明日への活力と、この場所を守りたいという帰属意識が宿っている。
ゼニスは、CEOルームからその光景を見下ろし、満足げに頷いた。
「……ドーパミン分泌量、想定値クリア。
組織の結束力、向上を確認。
……これで、また働けるな」
「……お前、本当にブレないな」
ギデオンが呆れたように言うが、その顔も穏やかだ。
手には食べかけのピザ。口元にはソースがついている。
「……まあ、悪くない投資だったよ。CFOとして認めてやる」
平和な、勝利の余韻。
灰色谷の、最も幸福な瞬間。
星が瞬き始め、誰もが満ち足りた気持ちで家路につく。
この穏やかな時間が、永遠に続けばいい。
誰もがそう願いたくなるような、完璧な夜だった。
……だが。
ゼニスはまだ知らなかった。
この幸福な「食卓革命」が、翌朝、とんでもない「副作用」を引き起こすことを。
満たされたのは、労働者の腹だけではない。
ある一人の「魔女」の、抑え込んでいた「探究心」までもが、満タンになってしまったことに。
嵐は、外から来るのではない。
まずは、内側から爆発するのだ。




